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祝詞の力 

2019-01-03 11:06:32 | かみさまワールド  &   不思議世界
たぬきちが紹介してくれた 祝詞のお話しがとてもいいお話しだったので 転載させていただくことにした。
http://rokkonshojo.blog98.fc2.com/blog-entry-20.html

「 一切成就の祓 」(いっさいじょうじゅのはらえ)」。

短いながらも深い意味を持った祝詞で、昔から非常に重視されてきました。「六根清浄の大祓」とセットにして「一切成就の大祓」ということもあるそうです。

極て汚きも滞りなければ穢きはあらじ(きわめてきたなきも たまりなければきたなきはあらじ)
内外の玉垣清浄と申す(うちとのたまがき きよくきよしともうす)

「滞り」は「たまり」と読んでいますが、「とどこおり」と読ませる資料もあります。「一切成就の大祓」は、まず「六根清浄の大祓」を唱え、続いて「一切成就の祓」を唱えます。

私も十数年来、毎朝唱えていますが(十年以上続けていることって、それぐらいです)、一日の調子がよくなるように思います。
さて、この祝詞、元は伊勢神宮で非常に重要視された祝詞で、手元の資料によると、南北朝時代の頃から用いられるようになったそうで、後に日本の神社の大半を統括した吉田神道でも八部の祓(吉田神道で重視された八種類の祓の祝詞)に取り入れられました。

まず、言葉の意味から見てみましょう。

極めて汚きも滞りなければ穢きはあらじ

どんなに汚くても、滞りがなければ穢(けが)れはない。

「汚き」と「穢き」を使い分けているところがポイントです。「汚き」は物質的な汚れというより、悪いことをしたとか、失敗をしたとか、悲しいことがあったとか、そういう「穢れ(けがれ)=氣枯れ(けがれ)」の原因になることやものです。「穢き」は「穢れ=氣枯れ」のことですね。

穢れというのは、一般的に言う善悪というより、プラス思考などというときの「プラス」「マイナス」という基準で考えたほうがいいと思います。

滞りは、先にも書いたように、「たまり」とも「とどこおり」とも読ませるようですが、要は、どれほどひどい「穢れ」の原因になる「汚れ」があっても、それを滞らせていなければ、溜め込んでいなければ「穢れ」はない、ということです。

内外の玉垣清浄と申す

玉垣というのは、神社の境内や社殿を囲んでいる垣根のことです。よくあるのは御影石でできた石の玉垣ですね。社殿の周りは板を使っていることが多いようです。「玉」というのは「神聖な」とか「美しい」という意味なので、「神聖な垣根」というような意味になります。

ただし、ここでは神社の垣根の意味ではなく、人間のことを指しています。

玉垣の中には社殿があって、神様をお祭りしています。それが、ちょうど人間の本心の中に神様が宿っている有様と同じようなので、人間を玉垣に喩えているのです。

ですから、内外の玉垣というのは「身も心も」ということになります。

どのような汚れであっても、つまり、どんな悪事を働いても、どんな失敗をしても、どんなに悲しいことがあっても、それを滞らせないで祓い清めていれば「穢れ」にはならない。だから、自分は身も心も清浄です、というのがこの祓詞の意味です。

神道では、穢れ、すなわち氣を枯れさせる原因があると、神様の力が発揮されなくなるため、非常に穢れを忌みます。特に神様をお祭りする人にとって、穢れは絶対に禁物です。神道で清浄がもっとも重視されるのはそのためです。

よく身内が亡くなったら、一年間は鳥居をくぐってはいけないなどといわれますが、それも死の穢れを避けるためです。

しかし、この一切成就の祓では、どのような汚れであっても、祓い清めれば穢れはないと言い切っています。

祓い清めるとは、具体的にはこの一切成就の祓を唱えることで、一切成就の祓を唱えていれば、汚れはなかったことになるから、穢れだ何だと気にする必要はない、ということです。

こう言うと、お祓いをしたところで、あった事実は変えられないと思うかも知れません。そこで、一例として、仕事に遅刻したときのことを考えてみましょう。

生真面目な人は遅刻したことを反省したり後悔したり、たいていクヨクヨとして失敗を引きずります。そのため、さらに次の失敗を引き起こしたり、そうでなくても自分の実力が発揮できなかったりということになります。

「遅刻」が汚れ、「クヨクヨ」するのが滞り、それが穢れ=氣枯れとなって、自分が本来持っている力(それは自分の中に宿る神様の力ですが)が発揮されないということです。

しかし、一切成就の祓を唱えるならば、遅刻したことも祓い清められ、身も心も清浄になるので、自分が本来持っている神様の力が発揮されるようになる、というわけです。

祓い清めるとは、今風にいえばリセットするということです。遅刻した自分、失敗した自分、悲しい自分をリセットして、白紙の状態から始めましょうというわけです。遅刻や失敗という過去はなくならなくても、それをいちいち反省したり思い悩んだりせず、現状からできる最善を考えればいいのです。

まあ、失敗はきちんと反省しなければ…などというのとは真逆ですね。失敗したときにきちんと反省などしていたら、氣が枯れるのもいいところです。

自分が失敗したときに「きちんと反省しなさい」などと氣枯れを強要してくるような連中に対しては、いくら親切そうな態度をとっていたり、正しそうに見えたりしても、私たちを食い物にする悪魔か疫病神と思って、用心しなければなりません(ただし、相手は悪魔ですから下手に逆らうと危険です。賢くいなすことが大切です)。

しかも、一切成就の祓が素晴らしいのは、単にわけのわからない呪文としてリセットされるのではないというところです。ごく簡単明瞭になぜリセットされるのかが説明されており、それがそのままリセットのための祓えの詞になっているのですから、本当に優れものだと思います。頭と心が同時に切り替わるようになっているのです。

その上、内容的には「一切が清浄になる」ということですが、タイトルは「一切清浄」ではなく、「一切成就」です。つまり、悪いことがあっても、失敗しても、辛いことや悲しいことがあっても、それをリセットして身も心も清浄になれば、一切の物事が成就するということを示しているわけです。

これは、マイナス思考にならなければ何事も成就するということですから、今の成功哲学やら自己啓発やらで説かれるところを明確に先取りしています。

私たちの先祖の素晴らしさを実感できようというものではありませんか。

この一切成就の祓は、明治以降、伊勢神宮でも唱えられなくなったそうです。日本全体が妙に生真面目になって(反省やら何やらが大好きになって)、おおらかな明るさがなくなっていったのと歩みを同じくしているような気がします。

その結果が、今の日本の行き詰まりになっているのではないでしょうか。

クヨクヨと引きずったり、反省するぐらいなら、一切成就の祓を唱えましょう。そうして、失敗をリセットして、新たな気持ちで取り組めばいいのです。

そうすれば、一切の物事は成就していく方向へと進むのですから、本当に有難いことではないでしょうか。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。


 気に入った個所を抜粋させていただきます。。。
生真面目な人は遅刻したことを反省したり後悔したり、たいていクヨクヨとして失敗を引きずります。そのため、さらに次の失敗を引き起こしたり、そうでなくても自分の実力が発揮できなかったりということになります。

「遅刻」が汚れ、「クヨクヨ」するのが滞り、それが穢れ=氣枯れとなって、自分が本来持っている力(それは自分の中に宿る神様の力ですが)が発揮されないということです。

しかし、一切成就の祓を唱えるならば、遅刻したことも祓い清められ、身も心も清浄になるので、自分が本来持っている神様の力が発揮されるようになる、というわけです。

祓い清めるとは、今風にいえばリセットするということです。遅刻した自分、失敗した自分、悲しい自分をリセットして、白紙の状態から始めましょうというわけです。遅刻や失敗という過去はなくならなくても、それをいちいち反省したり思い悩んだりせず、現状からできる最善を考えればいいのです。

うん、リセット大事! 今日からこの御真言を加えてみよう!

どなたさまか存じあげませんが、この祝詞をご紹介くださってありがとうございます。


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