どうも出歩く気持ちになかなかなれないでいたんだ。
チャリティコンサートとかライブ、そういうのはいくつか足を運んだけれども
たとえば飲み、とか買い物、とかは、気分じゃなかった。
そんな状態でいたところへ、クラシックプチ師匠のAさんが食事に誘ってくれた
突然だったので驚いたけれど、めちゃくちゃうれしかった~。
Aさんとは細々と、お互いのどよ~んとした近況をメールしてたんだけど、
「こんなときこそ気晴らしが必要」だって。
Aさんのほうから声をかけてくれるなんて
というのもAさんはどちらかというと神経質で多忙でものすごく賢くて・・・
私がいつも教えて君でまとわりついているので、
向こうからアクションがあるというのは奇跡的
(ってか、コンサートとか全然行けなくて
私なんかを誘っちゃうほどに弱っていたのかもしれないねえ・・・
みんなツライ時間を過ごしていたものね)
あと、前回お会いした新年語@ラントマンのとき、
私がハシャギすぎて(?)アタマが足りないのを露呈しまくったので
呆れられてしまったんじゃないかな~とも思ってたから。。。
また直接会って話をしようという気持ちを持ってもらえた、ということにホッとしたっていうか
8日の夜にドゥマゴで語らってきた
最初はやっぱり、震災当日のお互いの帰宅難民報告だとか、
福島についてだとか仕事のこととか、
「出るのは愚痴ばかり」って感じの暗い話ばかりしていたのだけれど、
やれ水野解説委員は信頼できるとか、山崎記者の実年齢は、とか「保安院」て検索すると・・・とか
そんな話題になったあたりからだんだんテンションが上がってきた。
コンサートの延期・中止が相次いでいてツライよねとか話しながら
だんだんとオンガクの話になっていった気がする。
気づけばいつものマシンガントークで
シフの魅力であるとか古典音楽のこととか、ほかにも色々、お話した。
通奏低音というのがあって昔は即興をやっていたんだよ~なんて話を聞いたりした。
「言葉にすることで見えてくるもの」の話は脱線しちゃったのでまた改めてうかがいたい。
来年に延期になったボストリッジのコンサートはAさんも行く予定だったと知った。
コンサート会場で偶然に会えたらすごいカンドーしたのになあ!残念だなあ。
「じゃぁ来年、会場で会いましょうイヒヒヒ」って言ったら見事にスルーされたけどね!つれないお方だ・・・
結局閉店まで喋りまくってカフェオレもばっちり飲んで
とても良い時間を過ごす事ができた。かなり心が軽くなった。
思えば、家族・職場以外の人と、ゆっくり外食しながらお話したのは
震災後初めてだった。
なんかこう、ウダウダ悩んでドロ沼にハマってた自分の腕を
「ほいよ」っとさくっと引っ張り上げてもらったような感じ。
そ、新年語で自分の好きなことばっかり喋り倒していたのを
とても遠い日のことに感じてて・・・
そのときの自分はあまりにも平和ボケで何も考えてなかったからね。
現在の自分は明らかに何かが違うけど(今はこう、はしゃいでいても根底に黒い川があるような感じ)
それでも好きなことを喋り倒すことはできるんだなーっと実感したなあ。
結局ほんとに自分が萎縮していただけなんだ・・・自粛というより萎縮。
・・・Aさんのことは、もちろん尊敬してる。
でもかなりフランクに話をするし、からかったりもするので友達みたいな、
でも友達というには失礼か・・・というような距離感・・・。「ですかね」は使わない!
同志っていうのがしっくりするか??
音楽人としてはプロだけれど、ピアニストとしては自分と同じところにいるから、
それで話がしやすいのかもしれない。
(それでも私にはまったくない素晴らしいミュージックを持っているところが好きだ)
自分の言いたい事を素直に言えて、お話をきいていてもとても面白い、
そんな方に、大人になってからも出会えたことをとても幸せに思っている。
2006年に初めてAさんの演奏をみたときの「おおっ、なんかイイ」という感覚は
いまだに覚えているし、変わっていない。
ずっと自分の上を前を走っている存在というのが私には必要で・・・
こういう人間関係を大事に大事にしたいです。
ああほんとうに嬉しかったなあ。思わず熱く書きなぐってしまった。
ここ見てないけどAさんほんとにありがとう
地震でひどい状態になったミューザ川崎の話をしながらBunkamuraの裏を歩いていたら一本の桜の木があった、
照明がほとんどない中の夜桜だったけれど私にはじゅうぶんだった。