読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

ご挨拶

2016-12-31 23:59:00 | ウェブ日記
「読書日和」にお越しいただきありがとうございます。
このブログでは主に小説やエッセイのレビュー、街のフォトギャラリーなどを作っています。
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「ありふれた風景画」あさのあつこ

2016-08-27 22:27:51 | 小説


今回ご紹介するのは「ありふれた風景画」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
地方都市にある学校で、ウリをやっているという噂のために絡まれていた瑠璃を、偶然助けた上級生の周子。
彼女もまた特殊な能力を持っているという噂により、周囲から浮いた存在だった。
親、姉妹、異性……気高くもあり、脆くもあり、不器用でまっすぐに生きる十代の出会いと別れを瑞々しく描いた傑作青春小説。

-----感想-----
物語は次のように構成されています。

第一章 少女たち
第二章 夏の始まり
第三章 セツナイという気節
第四章 秋の朝顔
第五章 冬風の音
第六章 温かな幹に
最終章 ありふれた街角で

高遠瑠璃は17歳の高校二年生で、南三原高校に通っています。
作品内の描写から島根県が舞台だと思います。
瑠璃はどこからかウリ(売春のこと)をやっているという噂を立てられそれが学校中に広まり、学校内で孤立しています。

ある日瑠璃は、彼氏に振られたのは瑠璃に彼氏が籠絡されたからだと思い込んだ長田(おさだ)志穂という三年生に屋上に呼び出されます。
一方的に因縁を付けてくる志穂に応戦する瑠璃。
一触即発の屋上に綾目周子という三年生が現れます。
周子には霊能力があるという噂があり、瑠璃と同じように学校中に噂が広まり孤立した存在となっています。
周子が現れた途端、辺りに沢山の鴉(カラス)が飛んできて異様な雰囲気になります。
その不気味さに志穂と二人の友達は逃げていき、結果的に瑠璃は周子に窮地を助けられました。
周子は鴉や桜と話ができる特殊な能力の持ち主です。
特に鴉の「タロウ」とは周子がタロウを助けてあげた時からの腐れ縁です。

この屋上での出会いがきっかけとなり、瑠璃は周子と話すようになります。
「運命」について周子は次のように言っていました。
「いいよ。しかたないよ。どんなに足掻いても運命って変えられないんだから」
これに対し、瑠璃は心の中で次のように語ります。
運命って、自分の意思で変えられるんじゃないですか、綾目さん。
私も運命は「これが運命だ」と諦めるのではなく、自分の意思で変えられると思います。
また、第一章の最後の一文は目を惹きました。
もうすぐ17歳を迎える瑠璃の夏が、一生に一度きりしかない17歳の夏が、眩しさの中で始まろうとしていた。
この後の展開が気になる一文でした。

一章では瑠璃の語りでしたが二章では周子の語りになります。
章によって語り手が変わる作品でした。

孤立している周子に対し、朱里(しゅり)という小学校の頃からの友人だけは、現在は特別親しくはないながらも、他の子達のように露骨に周子を嘲笑ったり気味悪がったりはせずに普通に話しかけてきてくれます。
そんな朱里を見て周子が心の中で思ったことは印象的でした。

自分の中の物差しで、自分と他者との距離を測れる者は案外に少ない。

これはそのとおりだと思います。
誰か特定の他者との距離を測る際、周りの人がその特定の他者をどう思っているかを意識してしまう人は結構多いのではと思います。

また、かつての周子に対する周りの反応は「変わり者」「魔女っぽい」程度だったのですが、「三年前の事件を境に急激に悪化した」とありました。
この三年前の事件がどんなものなのか気になりました。

瑠璃の誘いにより、瑠璃と周子は紫星山という山にピクニックに行きます。
その山について、「紫星山という雅やかな名をつけられた山の麓に着く」という描写がありました。
「雅やか」は普段小説を読んでいても目にする機会の少ない表現です。
私は「雅やか」には京都的な上品さ、及び着物女性の和の雰囲気のイメージがあります。
なので山の名前にこの表現が使われていたのは意外であり興味深かったです。

美しい言葉は良い。美しい言葉を使える人も良い。
周子のこの言葉も印象的でした。
中学生や高校生の頃は崩した言葉を使いたがる傾向がありますが、私的にも美しい言葉を使える人のほうが良いなと思います。

瑠璃の家の近所の花屋「フラワー・ショップ ミサキ」では加水(かすい)洋祐という瑠璃や周子と同じ高校の三年生がアルバイトをしています。
加水洋祐は長田志穂の元彼氏でもあります。
周子は持ち前の特殊能力から加水洋祐の姿を見て何かの異変を感じていて、加水洋祐の身に何が迫っているのか気になるところでした。
加水洋祐について瑠璃が「気になります?」と聞くと周子は「気にしてもしかたないけど……」と言っていました。
その時瑠璃は次のように言っていました。

「綾目さん、運命って変えられますから」
「運命って自分の意思で変えられますから」

再び運命は変えられるという言葉が登場していて、この作品の重要なテーマかも知れないと思いました。

加水洋祐の語りで始まる第三章では夏の終わりについての描写が印象的でした。
夏が終わる。ゆっくりと、しかし確実に日が短くなり、夜が延びてくる。真夏の熱やぎらつく光に惑わされて、永遠に夏が続くようにも感じてしまうのだけれど、ふと気がつけば、夕暮れの時刻が早まり、風の穂先が涼やかになっている。夏が終わるのだ。
私の感性とほぼ同じことが書かれていました。
8月下旬ともなると日中はまだまだ真夏の暑さですが空の雲や吹く風に秋の気配を感じることがあります。
そして夏至の頃には19時半頃でもまだ空に明るさが残っていたのが19時頃には暗くなり、確実に秋が近付きつつあることを実感します。

瑠璃には綺羅(きら)という二歳上の姉がいます。
綺羅は母親の真弓によって希望する都会の大学への進学を断念させられ地元の大学に進学させられたことから、母親に対する言動が尖り、二年近く経った今も鬱屈した対応をするようになっています。
鬱屈はなかなか消えないというのはよく分かります。

やがて瑠璃は周子のことが好きになっていきます。
女性が女性を好きになるという同性同士の恋愛感情を扱っていました。
周子も瑠璃の気持ちに気づいていて、この二人がどんな結末になるのかは気になるところでした。

フェミニスト団体や左翼団体に代表されるように、同姓愛について「理解しろ」と、理解することを強要する人達がいます。
私は同姓愛の人について基本的人権が尊重されるべきだとは思います。
しかし理解することを強要されるのには違和感があります。
私は男性は女性を好きになるのが、女性は男性を好きになるのが正常な状態であると考えます。
それに対し、同姓愛はそこから大きく逸れた特殊な状態だと思います。
この特殊な状態を特殊な状態と認めず、一方的に「理解しろ。理解しないのは偏見であり差別主義者だ」というようなことばかり言うから、同姓愛の人への理解が広まらないのではないかと思います。
こういったことが頭をよぎる瑠璃の周子への恋愛感情でした。

周子がパウンドケーキを作った際に、パウンドケーキは卵や砂糖やバターをそれぞれ1ポンドずつ使うからパウンドケーキという名前になったとあり、これは知らなかったので興味深かったです。
また、周子の「三年前」に何があったのかが明らかになる場面で、「おかしくもなさそうに笑う」という表現がありました。
蔑むような笑い方であり、私はそのような笑い方はしたくないなと思いました。

瑠璃の家は父親が不倫をして家を出て行ってしまっていて、母親の真弓はそれが原因で過食症になり、壊れかけています。
物語の終盤、真弓が思いの丈を瑠璃に話した時に瑠璃が思ったことは印象的でした。
母さんは誰かに聞いて欲しいのだ。声を出したいのだ。言葉にしたいのだ。
この「誰かに聞いて欲しい」というのは、心理学の本によると特に女性に多く見られる感情のようです。
たしかに自分の中に溜め込むより、誰かに話して気持ちを吐き出したほうが良いと思います。

作品全体を通して、文章に「諦め」や「ふて腐れ」の雰囲気が漂っている印象を受けました。
長い人生、そんな心境になる時期もあります。
瑠璃も周子もそこからもっと澄んだ心境になっていけると良いなと思いました。


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凄い校歌斉唱

2016-08-14 18:25:56 | ウェブ日記



動画は早稲田大学の卒業式における校歌斉唱です。
Youtubeを見ていて偶然この動画が出てきて、試しに見てみたらその歌いっぷりに驚きました。
とにかく熱いなと思います
こんな校歌斉唱は見たことがありません。

「都(みやこ)の西北 早稲田の森に」の歌い出しの時点では分からなかったですが、その後すぐにカメラが引くと男子も女子もかなりの人数が右手を掲げて振りながら熱く歌っていました。
特に袴姿の女子もその多くが右手を掲げて振っているのに驚きました。
これが早稲田魂かと思いました。

この大規模な講堂いっぱいに卒業式姿の卒業生がいて、その人達が一斉に校歌を斉唱するのは圧巻です。
これは卒業生にとっても良い思い出になるのではと思います。
私はこの熱い歌いっぷりはとても良いと思います
自分の学校に誇りを持つことの大事さを教えてくれる歌いっぷりであり、少しだけ早稲田大学の凄さが分かった気がします。
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「プロカウンセラーのコミュニケーション術」東山紘久

2016-08-14 17:02:50 | 実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーのコミュニケーション術」(著:東山紘久)です。

-----内容&感想-----
※「プロカウンセラーの聞く技術」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

「プロカウンセラーの聞く技術」の続編である本作も読んでみました。
タイトルに「コミュニケーション術」とありますが内容は「こう喋りなさい」と会話術を指南するものではなく、臨床心理士である著者が心理学の観点から会話の中で発する言葉にどんな意味が込められているのかなどを書いていました。

P9「屁理屈を言うのは、その人にそれ以上の手がないとき」
これは興味深かったです。
理屈での話し合いになると分が悪いため屁理屈に頼るようです。
また、屁理屈を言う相手に「屁理屈を言うな」と言うのは最も駄目な方法で、「相手の言う理屈に合わないこと(屁理屈)を相手の責任で押し進めさせるのが良い」とありました。
理屈に合わないことを押し進めれば必ずどこかで論理破綻するとのことです。

P22「「女・子ども」といわれるように、女性と子どもの心性には似たところがある。子どもと似た心性があるからこそ、子どもの心が理解できる。子ども心がないと、子どもの心はわからない。」
女性と子どもの心性は似ているとのことです。
これは「男は理性が先に立つ、女は感情が先に立つ」と言われるように、男性は論理型の人が多いのに対し、女性は感情型の人が多いのが関係している気がします。
子どもの場合は感情が全開なので、女性のほうがその心の内を理解しやすいのだと思います。

P32「交渉は、論理的なやり取りも必要ですが、心の納得が重要です。心が柔らかいと相手の主張を理解でき、そうするとお互いの心が開かれて、かたくなだった心も柔らかくなるのです」
これは大事なことだと思います。
相手がたしかに理屈に合うことを言っていたとしても、感情無視でひたすら理屈で押すだけだと相手はどんどん頑なになっていくと思います。
そして仮にその場では相手を押し切れたとしても相手の心には大きなしこりが残り、以降無理矢理押し切った人に対して心を閉ざすことになります。

P36「「でも」は、相手の話に同意せずに、自分の主張をするとき、相手に対して否定的なときに使われます。自分の意見を否定されたうえに、相手の意見を一方的に聞かされたら、その人と話をしたくなくなるのは当然でしょう」
私も会話の中で「でも」を連発する人には良い印象を持たないです。
なので私自身も会話の中では極力「でも」や「が」「けれど」など、逆説の接続助詞は使わないようにしています。

P40「日本文化は、母性文化だといわれています。母性文化は、年功序列や終身雇用のように個人差を明らかにせず、みんないっしょの文化です」
これは「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫)などにも書かれていました。
女性性の強い(年功序列な)日本社会に対し、欧米は男性性の強い(実力主義な)社会です。
21世紀になった頃から「日本も欧米を見習え」という声がどんどん強まりましたが、私の場合は「女性性が強い」という日本国民の元々の特性を無視してまで無理矢理欧米化させなくても良いのではと考えます。
「面白くてよくわかる! ユング心理学」のレビューに漫画「HUNTER×HUNTER」の念能力を例に書いたように、強化系(女性性の強い社会)の人が具現化系(男性性の強い社会)を極めようとしても相性が悪いため上手くはいきません。
それよりは自分の系統を極め、その自分の系統の補助として他の系統を学ぶほうが余程良いです。
なので「女性性が強い日本社会は悪い社会」と切って捨てるのではなく、女性性が強いという元々の日本国民の特性を理解してその良い面を生かしつつ、そこからより完成度を上げるために補助として欧米の良い面を取り入れるやり方のほうが良いと思います。

P43「自己主張をはっきりさせるのは日本では非常識ですが、世界の常識です」
これはそのとおりです。
ただし「自己主張と相手を無視して「我」を主張することとは別物です」ともあり、気を付けるべき点だと思います。

P71「夢ばかりの人は、人格のなかに幼児性をもっています。幼児性は、非現実な性格をもっていますので、うまく活用しますと、発明や発見につながります。発明や発見は、常識では生まれないからです」
幼児性は悪いことではなく、上手く活用すると凄い力を発揮するようです。

P77「現実吟味は本人にまかけないと、現実を正しく認識できない、これが心理の真理です」
興味深い言葉でした。
難しい高校に「行きたい」と言う生徒に対し、「君は何を寝ぼけたことを言っているのだ。君の成績ならA高校どころかB高校でも危ない。もっと現実を見なさい。そんなことを言っているひまがあれば勉強しなさい」と夢を壊して説教するのは逆効果で本人の勉強する意欲もなくなってしまうとありました。
そうではなく、「行きたい」という夢が叶う方向に乗ってあげ、本人にそれは叶うことなのかどうか現実吟味させたほうが良いとのことです。

P84「心理学では自分のなかに住んでいる悪魔のことを「影」と呼びます。影とは、自分のなかにある、自分自身が認めがたい自分です」
影はユング心理学の本によく出てきます。
影も自分自身を形作っている一部分だと認めてあげることが大事だと思います。

P87「人格の陶冶」
陶冶は普段聞かない言葉だったので印象的でした。
調べてみたら「人間形成」のことをいう古い表現とのことです。

P119「家族にとって、否定的にお互いを見ることは悲劇です。否定的家族のなかで育った人は、職場や集団でも、否定的見方で周囲を見がちになります」
これも印象的な言葉でした。
そうならないように気をつけたいと思います。

P132「「この人はひどい人です」と言った場合、女性が男性に対してこの表現を使うときは具体的な内容「ひどい言動」が相手に見られる場合が多いが、男性が言った場合はトータルでひどいと感じている」
同じ言葉でも女性と男性では意味が違う場合があります。
これを理解しておかないと言葉への誤解から互いに不信感を募らせることになります。

P157「心の侵犯のことを、心理的侵襲と呼びます。いわゆる「他人の心に土足で入る」のがこれです」
他人の心に土足で入るのは野蛮なことです。
かけた言葉が相手の心を踏みつけている場合があるので注意が必要です。

P183「信念は成熟とともに柔らかくなります。成熟しない信念は頑固で凝り固まった確信に至ります」
信念と頑固の違いを表す言葉で興味深かったです。
成熟した信念を持つ人には柔軟性がありますが、信念が成熟しない人は単に頑固になりその考えで凝り固まってしまっています。

P196「ストレスの解消にはおしゃべりが最適」
これは女性が自然にやっていることだなと思います。
カフェなどに行くと女性数人のグループがあちこちでお喋りをしています。
たしかにお喋りして心の中に溜まっているものを吐き出すのは凄く大事だと思います。
ストレス解消は女性のほうがしやすいのかも知れないと思いました。

今作も興味深いことが色々書いてありました。
人との会話を論理だけで押し切ろうとするのではなく、相手の心に気を配りながら言い方に気を付けることも大事だと思います。
もう一冊、作者は変わりますが同じシリーズに「プロカウンセラーの共感する技術」という本があるので、そちらも機会があれば読んでみようと思います。


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「コンビニ人間」村田沙耶香

2016-08-07 23:34:55 | 小説


今回ご紹介するのは「コンビニ人間」(著:村田沙耶香)です。

-----内容-----
36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
コンビニこそが、私を世界の正常な部品にしてくれるー。
ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが……。
「普通」とは何か?
現代の実存を軽やかに問う衝撃作。
第155回芥川賞受賞作。

-----感想-----
「コンビニエンスストアは、音で満ちている」と、コンビニの音の描写から物語が始まりました。
客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声、店員の掛け声、バーコードをスキャンする音、かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音、店内を歩き回るヒールの音、これら全てが混ざり合ったのを「コンビニの音」と表現しているのが印象的でした。
そんなコンビニの音を聞きながら、古倉恵子はアルバイトをしています。
客の細かい仕草や視線を自動的に読み取るため、「耳と目は客の小さな動きや意思をキャッチする大切なセンサーになる」とありました。

恵子は物事の捉え方におかしなところがあり奇妙がられる子供でした。
幼稚園の頃、公園で小鳥が死んでいて、他の子ども達が泣いている中、恵子は母親に「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言っていました。
また小学生になったばかりの時、体育の時間に男子が取っ組み合いのけんかをして周りの子が「誰か止めて!」と言うのを聞き、「そうか、止めるのか」と思恵子はそばにあった用具入れを開け、中にあったスコップを取り出して暴れる男子の頭を殴り倒して止めていました。
先生に事情を聞かれた恵子は「止めろと言われたから、一番早そうな方法で止めました」と答えていて、職員会議になって母親が呼ばれていました。

恵子は大学一年生の時、新しくオープンする「スマイルマート日色町駅前店」というコンビニでアルバイトを始めました。
そこから同じお店で18年間アルバイトを続け現在は36歳になっています。
著者の村田沙耶香さんも36歳で作家をしながらコンビニのアルバイトもしているため、どうやら自身の経験が恵子のモデルになっているようです。
作家仲間からは「クレイジー沙耶香」と呼ばれ発想のクレイジーぶりに驚かれたりしているとのことで、恵子の常軌を逸した物事の捉え方も多少村田沙耶香さんがモデルになっているのかも知れないと思いました。

初めてスマイルマート日色町駅前店で働いた日、完璧にマニュアルどおりに動く恵子を社員が絶賛してくれて、恵子は胸中で「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった」と語っていました。
しかし完璧なマニュアルがあって店員になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか分からないとありました。
マニュアルのないところでは元々の物事の捉え方のあかしさが出てしまい妙な会話になってしまいます。

店には37歳でバイトリーダーの泉さん、24歳でバンドのボーカルをしながらアルバイトをしている菅原さんなどがいます。
恵子の喋り方は常に身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが恵子の喋り方になっているとのことです。
また、服やバッグも身近な人の趣味に合わせ同じお店のものを買ったりしています。
物事の捉え方におかしなところがある恵子は喋り方も服やバッグの趣味も周りの人のものをトレースしたほうが社会的には生きやすいようです。
恵子は胸中で『周りからは私が年相応のバッグを持ち、失礼でも他人行儀でもないちょうどいい距離感の喋り方をする「人間」に見えているのだろう』と語っていました。
この淡々とした客観的な見方が面白かったです。

恵子にはミホという友達がいます。
学生時代は友達がいませんでしたが同窓会で再会した時にミホが話しかけてきてそこからたまに集まってご飯を食べたり買い物をしたりするようになりました。
恵子はマニュアルがない会話になるとずれた受け答えになるため、ミホの家に恵子や他の人が集まってお茶をしている時にもおかしな会話になっている場面がありました。
妹が考えてくれた「困ったときはとりあえずこう言え」という言葉を頓珍漢な場面で使ってしまったりと、恵子の会話は面白くもあり痛々しくもありました。
小学生の時に「誰か止めて!」という言葉を聞いて「そうか、止めるのか」と思いスコップで頭を殴って止めたことからも分かるように、あまりに言葉をストレートに受け止めすぎてしまうようです。
妹が言っていた「困ったときはとりあえずこう言え」も、困った時全てに当てはまると解釈してしまっていました。

ある日、白羽(しらは)という新人のアルバイトが入ってきます。
そこから徐々に恵子の日常が変わっていくことになりました。
白羽は35歳で婚活のために働き始めました。
非常に傲慢で自分勝手なところがあり、自分のことを棚に上げて他の人の悪口ばかり言っています。

恵子が周囲から自分が異物と思われているのを感じた時に思ったことは印象的でした。
正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に削除されるんだ。家族がどうしてあんなに私を治そうとしてくれているのか、やっとわかったような気がした。
これはたしかに、「みんなが送っている日常の風景」から外れている人が異物として削除される傾向はあるなと思います。

恵子は白羽と色々話すことになるのですが、白羽は恵子のことも口汚く罵ってきますが、そんな白羽を恵子はすごく冷静に分析していて、その坦々とした冷静さが印象的でした。

恵子は変化したいと思っていて、そのために白羽を活用し、白羽も恵子に寄生しようとし、二人は特殊な関係になります。
そんな恵子の状況を知るとコンビニの人達もミホ達もみんな態度が変わって恵子から色々聞き出そうとしていました。
恵子にどうやら男ができたと思い、しかもその相手が白羽というどうしようもない男だということで盛り上がっているようなのですが、下世話だなと思いました。
ただし白羽は自分のことを棚に上げて他の人の悪口ばかり言っていたり、口から出任せばかり言っていたりで最悪なので、下世話にあれこれ言われても同情の余地はないです。
変わっていくコンビニの人達について恵子は『店の「音」には雑音が混じるようになった』と表現していました。

物語の終盤、恵子の考えるコンビニの姿が書かれていました。
コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びがある場所でなくてはいけない。
この言葉を見て、恵子は喋り方や服の趣味などは周りの人のものをトレースしていますが、コンビニについては確固とした自分の考えを持っているのだと思いました。
「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」という言葉も印象的でした。
コンビニこそが恵子が唯一生きられる場所なのだと思いました。
生きやすい場所で生きていってほしいです。


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慌ただしい出張

2016-08-06 18:14:31 | ウェブ日記
7月の後半から東京の立川に出張しています。
慌ただしい出張になり、海の日のあった三連休明けの週が特に忙しくなりました。
日を追うごとに残業時間が長くなり、土日も出勤になりました。
23時頃まで残業でさらに土日も出勤となると、精神的に参ってきます。
次の週に一日だけ代休になったのでそこでゆっくり休んで乗り切ることができました。

久しぶりに慌ただしい日々になった今回、やはり残業や休日出勤が続くのは良くないなと思いました。
日を追うごとに体力的にも精神的にも疲れてしまいます。
一段落ついた際にはしっかり休んで気分転換することが大事です。
先週の土日は休みになったので土曜日は気分転換に明治神宮と靖国神社の参拝に行きました。
そして神保町に行き先日芥川賞を授賞した「コンビニ人間」(著:村田沙耶香)の単行本が発売されていたので買いました。
その後は神保町の欧風カレー店「ガヴィアル」に行きお店のお勧めであるビーフカレーを食べ、夜は立川に戻ってきて昭和記念公園花火大会を見に行きました。
久しぶりにデジカメで花火の写真を撮ったので後でフォトギャラリーを作りたいと思います。
日曜日は芥川賞授賞作「コンビニ人間」(著:村田沙耶香)をカフェでじっくりと読みました。

今週も連日残業でしたが20時には終わっていたので深夜残業と休日出勤が重なっていた時よりは体力面と精神面の負担が少なくて済みました。
この土日も休みになったのでゆっくり過ごしています。
そして長く続いた立川出張も来週で終わります。
会社に戻ってからはまた慌ただしくなりそうなので気分転換を意識していきたいと思います。
上手に気分転換してストレスを溜め込まないようにしたいです。
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「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

2016-07-30 23:20:15 | 実用書


今回ご紹介するのは「幸せになる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)です。

-----内容-----
人々はアドラーの思想を誤解している。
自立とは「わたし」からの脱却である。
愛とは「技術」であり「決断」である。
人生は「なんでもない日々」が試練となる。
「愛される人生ではなく愛する人生を選べ」
「ほんとうに試されるのは歩み続けることの勇気だ」
人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?
アドラー心理学の新しい古典『嫌われる勇気』の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。
そして、どうすれば人は幸せになれるか。
あなたの生き方を変える劇薬の哲学問答が、ふたたび幕を開ける!!

-----感想-----
※「嫌われる勇気」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

前作「嫌われる勇気」のラストから三年後が舞台です。
青年は大学図書館を辞め母校の中学校の教師になっていました。
三年前に哲人との対話を通じて当初は否定していたアドラー心理学を絶賛するほどになった青年が、三年ぶりに哲人のもとを訪れた今回、まるで三年前に初めて哲人のもとを訪れた時のようにアドラーの思想をペテンであり害悪をもたらす危険思想だと言います。
この変貌ぶりには訳があり、生徒に対しアドラーの「ほめてはいけない、叱ってもいけない」を実践した結果、生徒が教師である青年を見くびるようになり教室が荒れてしまいました。
青年は「アドラーの思想は現実社会ではなんの役にも立たない、机上の空論でしかないのですよ!」と言います。
さらにアドラーの思想が通じるのは哲人のいるこの書斎の中だけだと言います。
「この扉を開け放ち、現実の世界に飛び出していったとき、アドラーの思想はあまりにナイーブすぎる。とても実用に耐えうる議論ではなく、空虚な理想論でしかない。あなたはこの書斎で、自分に都合のいい世界をこしらえ、空想にふけっているだけだ。ほんとうの世界を、有象無象が生きる世界を、なにもご存じない!」
青年は哲人にアドラー心理学は現実の世界では使い物にならないと詰め寄っていました。
そして前作と同じく青年の言い回しが面白いなと思います。
詰め寄る青年に対し、哲人は次のように言っていました。

「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています」
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています」

私はこれまでアドラー心理学の本は前作「嫌われる勇気」「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」(著:岩井俊憲)の二冊を読んでいますが、即座に感激して「生きることが楽になった」とは思わなかったです。
特に「勇気を持て」については体育会的な印象があり、企業などがそのまま体育会的な解釈をしてしまい、手っ取り早く「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている」と言うことができるため、都合よく社員への研修に使うのではと指摘したりもしました。

青年は決別の再訪を決意して哲人のもとを訪れていました。
これ以上アドラーの思想にかぶれ堕落してしまう人を増やさないため、哲人を思想的に息の根を止めると息巻いています。
青年が抱える喫緊の課題は教育なので、教育を軸に話が進んでいきます。
哲人は教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」だと言います。
そして教育の入り口は「尊敬」以外にはないと言います。
例えば学級の場合、まずは青年が子どもたちに対して尊敬の念を持つことから全てが始まるとのことです。

「目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです」
ありのままのその人を認めるというのは、私はできる場合と無理な場合があります。
例えば強権的で偉そうな人に対しては今のところありのままのその姿を認めるのは難しく、嫌な人だなと思います。
ただしアドラー心理学の「課題の分離」の考え方を使い、強権的で偉そうな人の性格はその人の問題であり性格を変えさせることなど無理なため、相手の性格を変えようとするのではなく自分が変わるほうが良いと考えるのは良い考え方だと思います。

哲人が使用した三角柱は興味深かったです。
その三角柱は私達の心を表していて、三つの面のうちまず二つには「悪いあの人」「かわいそうなわたし」と書かれています。
哲人によるとカウンセリングにやってくる人のほとんどはこのいずれかの話に終始するとのことです。
そして三つ目には「これからどうするか」と書かれています。
哲人によると私達が語り合うべきはまさにこの一点であり、「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」も必要ないとのことです。
「そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流す」と言っていました。
青年は「この人でなしめ!」と声を荒げていて、今作の青年は前作以上に言葉が特徴的だなと思いました。
私的にはたしかに過去よりも今であり、これからどうするかを見つめたほうが良いと思います。

問題行動の5つの段階も興味深かったです。
「第1段階 称賛の要求」
「第2段階 注目喚起」
「第3段階 権力争い」
「第4段階 復讐」
「第5段階 無能の証明」

第1段階の「称賛の要求」は、親や教師に向けて「いい子」を演じ、ほめられようとすること。
第2段階の「注目喚起」はほめてもらえないことで、「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考えること。
第3段階の「権力争い」は親や教師を口汚い言葉で罵って挑発して戦いを挑む段階。
第4段階の「復讐」は権力争いを挑んで歯が立たずに敗れた場合、相手が嫌がることを繰り返すことによって、憎悪という感情の中で自分に注目してくれと考える段階。
第5段階の「無能の証明」は人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる段階。
哲人によると第3段階の時点でかなり手強い段階とのことですが、問題行動の大半は第三段階にとどまっていて、そこから先に踏み込ませないためにも教育者に課せられた役割は大きいとのことです。

哲人の「「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する」という考えはそのとおりだと思いました。
また、「教育者は孤独な存在」という言葉は印象的でした。
誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていくとありました。
そこで、現場で働く教師としては生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだという貢献感を持ち、貢献感の中に幸せを見出すしかないとありました。

強さや順位を競い合う競争原理が行き着く先が勝者と敗者が生まれる「縦の関係」だとすると、アドラー心理学では協力原理による「横の関係」を提唱するとのことです。
誰とも競争することなく、勝ち負けも存在せず、全ての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味があるとありました。
そして「アドラー心理学は横の関係に基づく「民主主義の心理学」」だと言っていました。
ただ誰とも競争することなく勝ち負けも存在しないというのは、少し解釈を間違えると単なるゆとり教育になってしまうので注意が必要だと思います。

人間はその弱さゆえに共同体を作り協力関係の中に生きていることから、「共同体感覚は身につけるものではなく、己の内から掘り起こすもの」というのも印象的でした。
もともと持っているものとのことです。
そして「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼ぶ」というのも印象的な言葉でした。
「わたし」の価値を他者に決めてもらうのは他者への承認欲求であり依存とのことです。

「われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ!」と言う青年に対し、哲人は「おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう」と言います。
そして「その他大勢としての自分を受け入れましょう」と言います。
この「その他大勢としての自分を受け入れる」は、近年の私が意識しつつあったことです。
哲人は「「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのが本当の個性というものです」と言っていて、私はそこまで意識したことはなかったですが、この考えは良いと思うので意識していきたいと思います。
哲人が「無条件の信頼」についてかなり印象的なことを言っていました。
「あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です」
アドラー心理学のこの信じることの力押しは凄いなと思います。
私はとてもここまでは信じられないです。

物語のラスト、議論が終わって別れを迎えた時、哲人が青年にかけた言葉は印象的でした。
「この先あなたがどこにいようとも、わたしはあなたの存在を身近に感じ続けるはずです」
この先二度と会うことがないとしてもその存在を身近に感じ続けられるというのは、その人が人生に良い意味で大きな影響を与えたということで素敵なことだと思います。

岸見一郎さんのあとがきにアドラー心理学が悪用ともいえる扱われ方をされていたと書いてありました。
「特にその「勇気づけ」というアプローチは、子育てや学校教育、また企業などの人材育成の現場において、「他者を支配し、操作する」というアドラーの本意からもっともかけ離れた意図を持って紹介され、悪用ともいえる扱われ方をされる事例が後を絶ちませんでした」

悪用は前作「嫌われる勇気」を読んで思ったことでした。
アドラー心理学の「勇気を持て」は体育会的な面があるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と言うことができてしまうのです。
なので都合よく社員への研修に「勇気を持て」を使うのではと思ったら、やはり悪用されていたようです。
アドラーという心理学三大巨頭の名のもとに「勇気を持て」だけ言って無理やり都合の良い方向に変わることを迫るのは、もはや心理学ではなく単なる体育会論です。
せっかくの生きることを楽にするための心理学、悪用されないことを願います。
そしてそういった悪用してくる人と対峙した場合に備えて、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などでアドラー心理学の考え方に触れておくことは役立つかと思います。


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「プロカウンセラーの聞く技術」東山紘久

2016-07-27 23:50:20 | 実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)です。

-----内容-----
われわれは、真実の人間関係、嘘のない人間関係、信頼のできる人間関係をもちたいとつねづね思っています。
そのためには、相手の話を聞くことが必要になります。
「聞く」ということは、ただ漫然と耳に入れることではありません。
聞くことは理解することなのです(本文より)。

-----感想-----
本の帯に阿川佐和子さん推薦とあり、「この本を読むと、自分が今までどれほど人の話を聞いていなかったかに気がついて、思わず吹き出してしまう」とありました。
私は元々人の話を聞くのが好きです。
東山紘久さんは臨床心理士とのことで話を聞く専門家であり、話を聞く上で参考になることが沢山書かれていそうな気がしました。
なので自分の得意分野を伸ばすべく、この本を読んでみました。

P12「自分の話に耳を傾けてくれる人の言うことを、人はよく聞くものです」
これはそのとおりだと思います。
相手の言葉に耳を貸さず自分の意見ばかり好き勝手に喋っている人の話は聞きたくないです。

P16「消化できない話や納得できない話をじっと聞かされると、聞いた人が苦しむことになる」
母親から祖母や父親のぐちを聞かされ続けた子供についてを例にこのことが書かれていました。
これは私も経験があり、頻繁にぐちを聞かされるとうんざりとした気持ちになります。
ただし母親としても誰かにぐちを言わないとストレスが溜まり続けてしまうという問題があり、そこが厄介なところです。
母親か子供のどちらか片方に必ず精神的な負担がかかってしまいます。
本には「このことがプロのカウンセラーが必要とされる一番の理由です」と書かれていました。

P22「話がはずむためには、聞き手が話を肯定的に受け取ることが大切です。自分の話を否定的に聞かれていることがわかると、話し手は話す気がしなくなってしまいます」
これは私が普段自然にできていることです。
異様なことを言っていない限りは相づちを打ちながら肯定的に聞いています。
そしてプロのカウンセラーの場合は相手が異様なことを言ったり八つ当たり的な形でカウンセラーを非難してきたとしても相づちが打てるように鍛えられているとあり、そこが凄いなと思いました。

P29「相づちの高等技術、くり返し」
相手の話したことをくり返すことは、相手がただ聞いてもらった感じだけでなく、話の内容と自分の心情が理解されたと感じるため、素晴らしい相づちになるとありました。
これも普段特に意識せずに使うことがあります。
ただし本に書かれているような完全な形では使えていないようです。
くり返しの相づちは「明快に」「短く」「要点をつかんで」「相手の使った言葉で」というのが大切なポイントとのことです。
特に「相手の使った言葉で」は奥が深く、類似した内容でも話し手と違う表現をすると聞き手の解釈のように感じ、話し手は自分の言葉が正確には理解されていないと感じることがあるというのは興味深かったです。

P31「プロの聞き手は「わかる」「わかるわ」「よくわかる」という相づちは使わない」
これも興味深かったです。
相手の言うことがわかるというのは本当は至難の技で、「わかる」という相づちは聞き手が自分なりにわかったという自己満足の相づちとありました。
安易に「わかる、わかる」と相づちをくり返されると話し手は心のどこかで「そんなにわかられてたまるものか」という反発が起こるともあり、気をつけるべき点だと思います。
そして私の場合、「なるほど」とは言っても、「わかるわかる」とは安易には言っていないことに気づきました。
それは凄くよく分かるなという時にしか使わないです。
無意識の中で「そんなに簡単にはわからない」というのを理解していたのかも知れません。

P39「ここまで聞いたのだからとついでにもっと、と先を続けさせようとすれば、二人の人間関係まで壊れてしまう」
話をしていて、相手がちょっと話しすぎたと思い話をやめたのにしつこく聞こうとした場合のことです。
プロの聞き手はこれをよく分かっているとありました。
聞き手として話を聞く場合にも「引き際が大事」ということなのだと思います。
私は10代の頃は結構しつこく聞いてしまうことがあったのですが、20代になってからは相手が話したくなさそうなことは聞かないようになりました。
年を重ねて聞き手としての引き際を身につけたのだと思います。

P46「ぐちの聞き方は避雷針と同じ。自分にぐちを積極的に落としてもらう。そして自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」
これは相手の言葉を真っ正面から受け止めやすい私にとっては苦手とすることです。
なので苦手だということを認識しつつ、横にひょいっと受け流してあげることを意識するようにしています。
そして私の父がこれを得意としていることに気づきました。
自分にぐちを積極的に落としてもらおうとは思っていないと思いますが、「自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」が出来ているように見えます。

P52「昔の主婦はプロのカウンセラーと同じようなテクニックを持っていた」
昔の主婦の井戸端会議では次々交代で軽いぐち話をしながら、あまり深刻な話にはならないように「話を聞き流し、自分サイドに引きつけない」という知恵を持っていたとのことです。

P56「人間は話を聞くより話をするほうが好き」
これはそのとおりだと思います。
自分のことを話そうと思っているときは、心(頭)はすでに聞き手のモードから話し手のモードに切り替わってしまっているとありました。
「子どもや配偶者や身内や部下が悩んでいるときにも、聞き手モードからうっかり話し手モードにならないようにいましめておかなければ、悩みを聞いてやろうとするあなたの思いは役に立たない」というのが印象的でした。

P67「「私この間、⚪⚪のような目にあったのよ。どう思う」のような質問には、聞き手のあなたはほとんどの場合、答える必要はない」
形式は疑問文でも、聞き手に求めている反応が答えではない場合として紹介されていました。
そんな時は「同意するか、考えるためにちょっと間をおけばすみます」と書かれていました。
この聞き方は自然と身についているものでした。
私も「どう思う」と聞かれることがありますが、何か答えるか考え込むかすると必ず話がその先へと進んでいきます。
先に進むことが大事なので、「どう思う」に対して長々とではなく簡単に答えるのが良いと思います。

P85「聞き手は話し手より偉くはないことを自覚しているべきです。それでもついつい人の悩みを聞くと、自分がその人より偉いと感じ、助言をしてしまうことが多いものです。話し手との平等性を確保している聞き手は、尊敬していい人です」
これはかなり印象的でした。
悩みを話す話し手との平等性の確保は難しいことだと思います。
偉そうに助言するようなことがないよう、意識を持つことが大事です。

P91「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」
相手の気持ちで話を聞くのも言葉にすると簡単そうですが実際には難しいと思います。

P95「その人の心は、その人しかわからない」
これもそのとおりだと思います。
どんなに共感したとしても、完全に相手の心が分かっているわけではないです。

P133「「相手のことは相手のこと」が、温かい気持ちでできるためには、相手の心に対する理解が必要です。家族や友だちなど自分にとって大切な人を失わないためには、つねに相手を理解しようと心がけることが第一なのです。自分の立場を主張するのでなく、相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないことが大事」
相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないのは、母の愚痴に対してできていないなと思いました。
母が怒りながらこぼすぐちに対し、私も聞いているうちにその対象に強い怒りを感じるのですが、これはP91の「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」に当てはまると思います。

P137「評論家は正論を言い、相手に対しても正しいことをするように言います」「正しいことを言うのは評論家か傍観者」
これは正しいことを言う人が正しいとは限らないということです。
会社である人がある人に対し、「正しいことを言いますね」と言っていたことがあります。
これは褒めているのではなく、呆れているニュアンスがありました。
「こうすべきだ」と言った場合に、それが正論であり正しかったとしても、とてもそんなことをしている時間がない場合があります。
そんな時に自分がやるわけではない人が「こうすべきだ」と正論を言ったとしても、「そんなことは分かっているが現実的ではないからやめているのに、何を言っているんだこの人は。それならあなたが自分でやれ」と反発される可能性が高いです。
家庭でも同じように、例えば奥さんが旦那さんに近所付き合いの不満を言った場合に、「そんなことを言っても付き合いをしないわけにはいかないだろう」と正論を言ったとしても、奥さんはうんざりすると思います。
正しいことをひたすら言えるのは自分の身に降りかかっていないからだと思います。
相手の心情を考えることが大事です。

P154「話し手のリズムに合わせて、話しやすい返事を返す」
これは普段自然にできていると思います。
相手が話しやすいように、話のテンポを微妙に変えたりすることがあります。


P171「人間は頭で理解していても、感情が拒否するような行動はとることができない」
これは私も経験があります。
「こうすべきだ」と頭では理解していても、強い拒否感情があるとなかなか「こうすべきだ」ということを実行できないものです。

P176「部屋の違い一つで、話の内容が影響を受ける」
窓のない部屋で話をすると気づまりになり、全面窓の部屋も話しにくいものではあるものの話の内容は明るくなるとのことです。
たしかに部屋の雰囲気は大事だと思います。
窓のある明るい雰囲気の部屋のほうが自然と明るく話せると思います。


この本を読んでみて、結構普段できていることがあるなと思いました。
そしてできていないこともありました。
人の話を聞くのは好きなので、聞く力をより伸ばしていきたいと思います。


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矢場とん ひれとんかつ定食

2016-07-18 22:26:11 | グルメ
名古屋駅のショッピングやグルメが楽しめる「エスカ地下街」にある「矢場とん」というお店に行きました。
「矢場とん」は名古屋で最も有名な味噌カツのお店とのことです。
ここは物凄く人気があり、お昼の時間帯も夕御飯の時間帯もお店の前は大行列になっています。
ロースとんかつ定食とひれとんかつ定食が目を引き、今回はひれとんかつ定食を注文しました。



こちらがひれとんかつ定食です。
矢場とんでは定食を持ってきてから味噌ダレをかけてくれます。
矢場とんの味噌ダレは「みそかつ 双葉」に比べるとかなりサラサラとしていて甘さもやや抑えめになっています。
こちらの味噌ダレもかなり良いと思います。
ひれかつが分厚いのが印象的で、柔らかさと弾むような食感が合わさっていたのも良かったです。
このひれかつがサラサラとした味噌ダレとよく合い、ご飯が進みます。
何度でも食べたくなるタイプの味噌ひれかつなのでまた食べてみたいと思います。
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「流しのしたの骨」江國香織

2016-07-17 19:16:35 | 小説
今回ご紹介するのは「流しのしたの骨」(著:江國香織)です。

-----内容-----
いまはなにもしていず、夜の散歩が習慣の19歳の私こと子、おっとりとして頑固な長姉そよちゃん、妙ちきりんで優しい次姉しま子ちゃん、笑顔が健やかで一番平らかな‘小さな弟’律の四人姉弟と、詩人で生活に様々なこだわりを持つ母、規律を重んじる家族想いの父、の六人家族。
ちょっと変だけれど幸福な宮坂家の、晩秋から春までの出来事を静かに描いた、不思議で心地よくいとおしい物語。

-----感想-----
語り手は宮坂家の三女こと子。
こと子は19歳で、高校卒業後は進学や就職はせず東京のはずれにある実家にいて、深町直人という大学生と付き合い始めています。
夜中に散歩をするのがこの半年くらいすっかり習慣になっています。
長姉のそよちゃんは27歳、次姉のしま子ちゃんは23歳、弟の律は14歳です。
律は人形を作るのが趣味で、家でよく人形作りをしています。
母は食卓へのこだわりがあり、葉っぱや枝、松ぼっくりなどを料理とともに並べたりします。
食卓にそれらのものを並べるのは聞いたことがなく驚きました。
こと子はそんな母を「詩人なのだ」と形容していました。
父は物事が理に適うかどうかをとても重視していて、「法的に~」という言い方をよくします。

そよちゃんはおとなしい人で昨年お嫁に行ったとありました。
しま子ちゃんは派手で、短大を卒業後は小さな税理士事務所の事務員をしています。
毎月給料日になると家族みんなに何かしら贈り物を買ってくるという妙なところがあります。
さらに今まで二度自殺未遂をしています。

雨が降るとしんみりとした気持ちになる。そうしてそれを、私はとりあえず、淋しいと呼ぶことにしている。
この気持ちはよく分かります。
私も雨が降るとしんみりとした気持ちになります。

こまかい雨は音もなく降っていて、それでも葉っぱや土や空気が雨をうけとめるさわさわしたかすかな音が、そうしていると気持ちよく耳を濡らした。
部屋から窓の外を見ている時のこの描写も良かったです。
静かに降る細かい雨も、葉っぱや土に当たるとかすかに音がします。
子供の頃、しんみりとするその音を特に何も考えずにしばらく聞いていたことがありました。

こと子は淡白に物事を語ります。
冷たくはなくあくまで淡々としていて、凄く冷静だなと思いました。
また、子供たちはみんなそれぞれ変わっています。
長姉のそよ子は「大人しいが頑固」、弟の律は「人形作りが趣味」のように、それぞれに特徴があり、その特徴が後々物語に関わってくることになります。
父の「法的に」という言葉もしま子が取った予想外の行動への対処として後で登場しました。

「意気阻喪(そそう)」という言葉は初めて見ました。
意気消沈との違いが気になるので調べてみたら、「意気阻喪」は意気込みがなくなることに重点があるのに対し、「意気消沈」はむしろ感情的にふさぎこんでしまうことに力点があるとのことです。
意気消沈のほうがより気力がなくなってしまう度合いが強いのかなと思いました。

しま子の24歳、律の15歳の誕生日祝いを合同で家族でした時、こと子はそよ子の様子がおかしいのに気づきます。
心ここにあらずというふうにぼんやりしていたとあり、何があったのか気になりました。
こと子によると「そよちゃんというひとは、行動をおこすのに時間がかかるぶん、いったん行動をおこしたら超人的に頑固だ」とのことです。
やがてそよちゃんが行動を起こすのですが、その時にはもう結論が出ていて、考えを変える気はないようでした。

クリスマスが終わりお正月になり、新たな年が始まります。
こと子は2月で20歳になります。
律が学校に呼び出されるという問題が発生しました。
その際、校長先生に憤慨した父が校長のことを「文化果つる頭の持ち主」と言っていて、普段聞かない言葉なので気になりました。
文化的に終わっている頭という意味のようです。

こと子の淡々とした語りの中で家族それぞれに何かしらの出来事がありました。
重大な出来事もありましたがこと子の語りが淡々としていて、さらに家族もみんな特に慌てたりはせずに受け止めていたのが印象的でした。
みんな変わったところはありますが、いざという時にまとまれる良い家族だと思いました。


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