読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

ご挨拶

2017-12-31 23:59:00 | ウェブ日記
「読書日和」にお越しいただきありがとうございます。
このブログでは主に小説やエッセイのレビュー、街のフォトギャラリーなどを作っています。
以下のリンクから今まで作ったレビューとフォトギャラリーを見られますのでお気軽にご覧ください。
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あまり見かけない景色

2017-02-22 21:33:58 | ウェブ日記


写真は「リラックスとリフレッシュ」「日常の尊さ」「皇居ランナー」の記事と同じく、立春の2月4日、用事があって東京に出掛けた際の帰りに丸の内の皇居外苑で撮ったものです。
スマートフォンで撮った写真をアップしたらデータ取り込みが上手く行かなかったのか空に波動が生じたようになりましたが、実際には雲ひとつない澄んだ見事な青空でした
皇居外苑は東京丸の内の高層ビル群の前の広大なスペースに松の木が並ぶ景色が目を惹きます。
こういった景色はなかなか見る機会がなく珍しいなと思います。



そして突然高層ビル街が終わり広大なスペースになっているため、高層ビル街を背景に解放感のある場所を人が歩くという面白い景色が見られます。
これもなかなか見る機会のない景色です。
すぐ先が高層ビル街とは思えないようなのどかな雰囲気で、この差が印象的です。

そして写真の辺りは高層ビル街との距離感が絶妙で、近すぎて圧倒されることも遠すぎて物足りなく感じることもなく、丁度良い位置で見ることができます。
特に澄んだ青空の日はビル街、松の木達、青空の3つが揃ってかなり良い景色になります。
ビルをコンパクトに爽やかに感じるのはなかなかないことで、上手くこの景色を形作る一員になっているなと思います
澄んだ青空の日は寒さがなければしばらく日光浴をしながらここに居たいと思わせてくれる景色です
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カフェ・ド・サリューのワッフル

2017-02-21 19:57:05 | グルメ


以前寄った名古屋駅に隣接する百貨店「高島屋」の中にある「Cafe de Salut(カフェ・ド・サリュー)」に再び寄る機会があり、今回はワッフルを食べてみました。
コーヒーは前回と同じくサリューブレンドを頼みました。



ワッフルは抹茶のパウダーが少し振ってあり、表面はカリッとしていて中は柔らかいです。
少しもっちりもしていました。
黒蜜が付いていて、お好みでかけてくださいとのことだったのでかけて食べました。
これはなかなかワッフルと合っていたと思います。

私が頼んだワッフルには小倉、きなこのわらび餅、生クリーム、バニラアイスが添えられていました。
小倉はあずきの粒が大きめで、控えめな甘さで美味しかったです。
生クリームと一緒に食べても相性抜群で美味しかったです。

小倉の上にはきなこのわらび餅が載っていて、これはとても柔らかくて美味しかったです
口にするととろけていきました。
バニラアイスも濃厚な美味しさがあり、アイスのひんやりさがこのメニューの中で良いアクセントになっていました。

コーヒーのサリューブレンドは、前回の記事では「結構苦みを前面に出していた」と書いたのですが、意外にも今回はその時よりさっぱり目に感じました。
私が慣れたのか、それとも日によって苦みの度合いに少し差があるのかなと思います。
最初に飲んだ時の第一印象と違う印象を受けるのも面白いなと思います
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「臨床心理学入門 多様なアプローチを越境する」岩壁茂、福島哲夫、伊藤絵美

2017-02-19 15:58:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「臨床心理学入門 多様なアプローチを越境する」(著:岩壁茂、福島哲夫、伊藤絵美)です。

-----内容-----
臨床心理学的な問題意識の持ち方や考え方とは?
そのセラピーが基づいている理論とは?
その理論はどのような歴史や人間観をもっているのか?
それぞれの理論・アプローチの特徴と限界とは?
3大学派から気鋭の著者が集結。
常に更新されつづけていく臨床心理学の世界!

-----感想-----
私がこの本を手に取ったのは、著者の三人のうち二人が知っている人で興味を惹かれたからでした。
福島哲夫さんは「面白くてよくわかる!ユング心理学」などの本を読んだことがあり、文章が分かりやすくて好印象を持っています。
伊藤絵美さんは「電通の高橋まつりさん過労自殺事件」の時にツイッターでのツイート(つぶやき)が目に留まり、その名に興味を持ちました。
この二人が著者に名を連ねているのなら興味深く読めるのではと思い読んでみることにしました。

P5「臨床心理学に関心を持つ大きな理由の一つは、それが幸せになるためのきっかけを教えてくれるという期待である。」
私が臨床心理学に関心を持ったのは、まずユング心理学やアドラー心理学の本を読んで、自分自身を生きやすくすることに生かそうと思いました。
そしてユング心理学やアドラー心理学などの深層心理学を土台としているのが臨床心理学で、せっかくなので臨床心理学の本も読んでみようと思いました。
たしかに「自分自身を生きやすくすることに生かしたい」は、「幸せになるためのきっかけを教えてくれるという期待」と通じるものがあります。

P8「21世紀は心の時代だと言われ、さらにうつの時代だと言われるようになった。」
これは科学の発達により物質的には便利で豊かになっても、心の方はかえって圧迫を感じていることを意味しています。
こういった問題に対し、臨床心理学が貢献できることは数多くあるだろうとありました。
専門家でなくとも、自分自身を守るために臨床心理のことを知っておくのは有効ではと思います。

P26「臨床心理学では研究活動と実践活動の間の溝があることも指摘されてきた」
「臨床心理学において研究と実践をうまく調和させ、相互に高めるような関係を作りあげることは大きなテーマとなってきた。」とありました。
これは機械や物質ではなく人間という生き物の心を扱うため、実際にクライエントと向き合う場では研究活動での理論のとおりにはなかなかいかないということだと思います。
「臨床心理学ノート」という本の中で河合隼雄さんがこのページと似たことを言っていた気がします。



P52「パーソナリティ」
「パーソナリティとは、世界との関わりの中で人がとる持続的な考え方、感じ方、行動の仕方を指す。」とのことです。
私はその人の行動パターンや性格の特徴のことと認識しています。
このパーソナリティを測る方法として「質問紙法検査」と「投影法検査」があるとのことです。

P55「L尺度」
最も代表的なパーソナリティを測る質問紙法検査であるミネソタパーソナリティ目録(MMPI)の「妥当性尺度」の中に「L尺度」というのがあります。
これは「自分を好ましく見せようとする受験態度のゆがみを検出するため考案された項目群」とあり、自分の性格の印象を良くするために本来の自分とは違う選択肢を選んだとしても見抜かれるということです。
学校の入学試験や企業の入社試験にある性格検査も臨床心理学の知見をもとに作られているらしいので、あれも自分の印象を良くするように本来の自分とは違う答え方をしても見破られるのかも知れないと思いました。
「そのような思惑は最初からお見通し」ということであり、この辺りは怖いものだなと思います

P63「うつ」
気分障害の一つとしてうつ病が登場しました。
「うつは、成人がかかりやすい最も一般的な精神障害である」とありました。
さらに「うつは成人の自殺の原因のトップ」とありました。
これは企業の管理職の人などが「うつなど気分の問題。うつになるような人は根性がないんだ」などと言っているのがいかに的外れかを示していて、うつが自殺原因のトップになっていることを重く受け止めるべきだと思います。
私はこのような体育会系根性論の人達が自殺に追い込んでいる側面がかなりあるのではと思います。

P70「精神力動アプローチ」
「ジークムント・フロイトによって19世紀末に確立された精神分析と、その後、彼の後継者たちによって修正・追加された理論と方法を総称して、精神力動アプローチという」とのことです。
アプローチはクライエントに対してどのように心理療法を行っていくかの方法のことです。
ここからしばらくはフロイトの「精神分析学」の理論について解説されていました。
フロイト関連の本は「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」を読んでいたので戸惑わずに理論の解説を読んでいくことができました。
フロイトは人間の心の中の「無意識」を重視する姿勢を取ります。
また、最後のほうではアドラーの個人心理学(アドラー心理学)とユングの分析心理学(ユング心理学)についても少しだけ触れられていました。
この二人のうち、特にユングの分析心理学は明確に精神力動アプローチに属する心理学ですが、この本では代表としてフロイトの精神分析学を詳しく解説したようです。

P113「ヒューマニスティックアプローチ」
ヒューマニスティックアプローチは「人間」を中心とした心理療法とのことです。
まず、人間の存在とは何か、生きることの意味は何かということを問いかけた「実存哲学」というのがあります。
ヒューマニスティックアプローチはこの実存哲学に大きな影響を受けていて、人間を対象とし、人と人が接することを基礎として心理的な問題を扱うというのはどんなことなのか、そのあり方を見直すことから発展してきたとのことです。
また、アドラーの名前が精神力動アプローチに続きこちらにも出てきたのが印象的でした。

P119「クライエント中心療法」
ヒューマニスティックアプローチの代表的な心理療法としてカール・ロジャースの考案した「クライエント中心療法」が登場しました。
これは「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)で初めてその名前を聞きました。
「許容的で非審判的な関係において、クライエントを受容することを中心とした非指示的カウンセリング」とのことです。

P123「クライエントの心理状態を回復させるための非指示的カウンセリング」
クライエント中心療法はあくまでクライエントの心理状態を回復させるために、クライエントが自分自身の体験と向き合うのを助けるために「セラピストによる無条件の肯定的配慮、共感的理解、受容が重要になる」とありました。
これは単に話だけ聞いていれば良いわけではないことを意味しています。
ここを勘違いすると単に話を聞くだけのカウンセラーになるので注意が必要だと思います。

P154「認知行動アプローチ(認知行動療法)」
認知行動アプローチ(認知行動療法)は科学的で実証的な考え方や手法を重視することに大きな特徴があるとのことです。
認知行動療法も臨床心理学なので人間の「心」を対象とするのは同じですが、その際に人の心の奥深くをまっすぐ直接的に見ようとするのではなく、その人が置かれている環境、その人を取り巻く環境、その人に刺激を与えている環境に目を向けるとのことです。
客観性を重視しているようです。

P157「行動心理学」
行動心理学はジョン・ワトソンにより、「心理学が真に科学的であるためには、客観的に観察や測定が可能な「行動」を対象とするべきである」という考えのもと創始されたとのことです。

P161「トークン・エコノミー」
まず行動心理学を臨床に活用した「行動療法」があります。
この行動療法の技法の一つに「トークン・エコノミー」があります。
トークンは「代用貨幣」のことで、このトークンを報酬として目的行動の生起頻度を高めようとするのがトークン・エコノミーとのことです。
そして私たちが買い物の際によく使うポイントカードやスタンプカードの類もトークン・エコノミーに基づいているとあり印象的でした。
たしかにポイントが付くならとその店の常連になる傾向はあり、こんなところにも心理学が使われていたのかと思いました。

P162「行動心理学の行き詰まり」
行動心理学では、目に見えず測定のできない人間の意識を「ブラックボックス」と見なし、観察と測定の可能な行動に焦点を当て、そのメカニズムを解明しようとしますが、それだけだと人間の複雑な心の働きの解明にまではなかなか至ることができないため、行動心理学自体が行き詰まったとのことです。
私は人間の心を無味乾燥の機械のように扱うのは嫌いであり強引だと思うので、行動心理学が行き詰まったのは当然のような印象を持ちました。

P163「認知心理学の発展」
科学的・実証的に検証が難しいのでブラックボックス化されていた認知(意識を含む、人間の頭の中の働き)が、コンピュータ科学の発展によって科学的・実証的に検証できるようになり、その結果基礎心理学の世界では人間の情報処理の有り様に焦点を当てた認知心理学の研究が活発に行われるようになったとのことです。
行動心理学が「環境と行動」との関係性に焦点を当てているのに対し、認知心理学は環境からの刺激を人間の認知がどのように受け止め処理し、その結果としてどのような行動が生じるかというように、「環境、認知、行動」の関係性に焦点を当てています。

P164「認知療法」
アーロン・ベックという人が認知心理学に基づく認知療法を考案し、認知療法はベックの名前抜きではその発展について述べることができないくらい偉大な人とありました。

P168「認知行動療法」
1980年代以降、行動療法と認知療法が「認知行動療法」として発展・統合されていったとのことです。

P171「認知行動療法の躍進」
認知行動療法は世界的に広く活用されるようになり、日本でも2010年にうつ病に対する認知行動療法が保険点数化され、11年には国立精神神経医療研究センターに認知行動療法センターが設置されるなど、公的にも認知行動療法をさらに広め、活用しようとする動きが高まっています。

P183「認知行動療法の特徴」
まずあらゆる心理療法において、カール・ロジャースのクライエント中心療法が提唱した「傾聴」「受容」「共感」というセラピストのコミュニケーションのあり方は重要とありました。
そして認知行動療法の場合、それに加えてセラピストの方から積極的に質問するとのことです。
積極的にクライエントの体験について質問を重ね、クライエントの自己理解や気づきを促し、それを共有していきます。
そして問いを重ねるセラピストの有り様がクライエントに内在化されると、クライエント自身が困難にぶつかったときにそれにただ圧倒されるのではなく、「今、自分は何に困っているのか」「ここからどのように抜け出したらよいか」といった自問自答を通じて、落ち着いて切り抜けられるようになっていくとのことです。
ただこれは「とにかく質問すればいい」と勘違いして前がかりになって質問責めにしたのでは逆効果になると思うので注意が必要だと思います。

P193「統合的アプローチ」
精神力動アプローチ、ヒューマニスティックアプローチ、認知行動アプローチを統合し、より効果的なアプローチを追求することは可能なのかという問題について書かれていました。

P195「理論アプローチ間の対立」
「理論学派は、学派間の対立や他学派における発展への無関心という事態にもつながっている。自らの学派や理論アプローチ以外の文献や研究に対してほとんど注意を向けない臨床家も少なくない。また、他の理論アプローチを揶揄してステレオタイプ的な見方をとり続けることもある」とありました。
これは例えば認知行動アプローチ派の人が精神力動アプローチ派の人に「無意識なんてどうでも良いんだよ!認知と行動を見ろ」と馬鹿にしたりすることだと思います。
異なる学派同士は仲が悪い傾向にあるのかなと思いました
しかしその中でも様々な統合が試みられていったようです。


この本は大学の教科書にも使われているらしく、臨床心理学のことをかなり広範囲に渡って書いていました。
その中にあって各章の初めにある露木茜さんという人のイラストは親しみやすく、本へのとっつきにくさを減らしてくれていました。
私は一般の人が心理学図書のような専門的なものを読む時には案外こういうのが大事だと思います。
親しみやすさに助けられ最後まで読むことができて良かったです。


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「私たちの願いは、いつも。」尾﨑英子

2017-02-18 17:36:17 | 小説


今回ご紹介するのは「私たちの願いは、いつも。」(著:尾﨑英子)です。

-----内容-----
14歳の二倍も生きてんのに、私たち、どうしてこんなに人生に不器用なんだろう――。
中学で同級生だった、28歳の女三人。
設計士として「住まいを作る」仕事と向き合いながら、突如豹変した母親との関わりに悩む曜子。
結婚し、娘を保育園に通わせて幸せな日々のはずが、なぜか満たされない紀子。
優雅な実家暮らしだが、誰にも明かせない”秘密”を一人で抱えている朋美。
神社で不思議な「小さいおじさん」を見たとクラス会で朋美が話したことから、それぞれの日々が少しずつ変化し始めて……。
第15回ボイルドエッグズ新人賞受賞作。

-----感想-----
本当は明るく爽やかな青春小説を読みたかったのですが適度なものが見つからず、文庫本コーナーを眺めていた時にこの本が目に留まりました。
「14歳の二倍も生きてんのに、私たち、どうしてこんなに人生に不器用なんだろう」の言葉から見て重そうな気はしたものの、そんなに長くはなく興味も引いたので読んでみることにしました。
物語は曜子、紀子、朋美それぞれが語り手の物語が交代で進んでいきます。

仲代曜子はハウスメーカーに属する設計士で、7年建築の設計をしています。
中学二年生の時のクラス会があり、そのクラス会の場で当間朋美という人が「近所の神社で小人を見た」と言っていました。
朋美によると小人は人差し指サイズで白いランニングに白い股引という休日のおじさんスタイルだったとのことで、クラス会に来ていた人達からは「何だよそれー、いるわけないじゃん」などとツッコミを入れられていました。
曜子はこの場面を「また訳のわからない発言をして注目を集めていた」と振り返っていて、朋美とは中学二年生の時同じグループにいたのですが、曜子は朋美のそういう面が苦手です。

曜子の両親は離婚していて、さらに母とは不仲で、親を頼らない人生を歩みたくて手に職をつける道を選択したとのことです。
現在は実家を出て一人暮らしをしています。
そんなある日、曜子は兄の穣(みのる)に電話をかけます。
朋美と同じく中学二年生の時同じグループだった美貴の実家は飲食店をやっているのですが、その店に毎日母親が来ていることを美貴から聞いていました。
外食嫌いだった母が毎日美貴の店に行き、さらにお酒を飲まなかったはずの母が家でも毎晩酒を飲んでいるため、母の変わりぶりに曜子は不安を感じていました。

持田紀子はクラス会から一ヶ月ほど経った秋のある日、3歳の娘、茉奈とともに音無(おとない)神社に来ていました。
クラス会での朋美の「休日に家でゴロゴロしているおじさんみたいな小人を見た」という発言が印象に残っていて、その妖精がいるのかどうかを見に音無神社に来ていました。
紀子にとって朋美は憧れの存在でした。
紀子は「朋美と曜子はクラスで目立つグループに属していたが、当時から二人はそれほど仲良く見えなかった」と胸中で述懐していました。
音無神社での参拝で紀子は「気の合うママ友ができますように」とお願いをしていて、妖精を探しに来たというのは娘を退屈させないための口実でもあり、真の目的はこのお願いだったのではと思いました。
紀子は8歳年上の祥一と結婚して不自由なく暮らしていますが、仲の良いママ友がいなくて孤独を感じながら子育てしています。

曜子が実家に行って母親の荒れた生活ぶりを目の当たりにし、「ここに住む人は、自分を見失っている」と心の中で語っていたのが印象的でした。
自分の部屋に帰ってきてからは、レンタルしてきたお笑いのDVDを見ていました。
「何も考えなくていいし、適当なところでやめられるし、何より笑えるのがいい」という、お笑いへのこの考えは良いと思いました。
そしてそのすぐ後「小さく吹き出すことができれば、ああ、笑ってるんだな、私、と安心できた」とあったのにはどんどん過ぎていく毎日に対し感情がなくなっているような印象を持ちました。

朋美はクラス会の時に幹事をしていた河鍋(かわなべ)一郎とご飯を食べています。
クラス会の後河鍋が誘ってきました。
河鍋は次から次に色々な人の噂を話して聞かせ、朋美は他人のことばかり話す河鍋に呆れ気味でした。
このご飯の後、朋美は河鍋から付き合ってくれと言われますが、河鍋の告白の態度に呆れていた朋美は断ります。
また、朋美はクラス会が行われる前に大手出版社を辞めていて、クラス会で小さいおじさんのことを言ったのは、大手出版社を辞めたのを話すと周りからあれこれ聞かれて面倒だからとのことです。
その大手出版社で朋美は同僚の羽鳥壮介と別れていて、しかも「羽鳥はもうこの世にいない」とあったのが気になりました。

曜子は兄の穣と飲食店で飲んだ時、穣の衝撃の事実を聞かされます。
これは私も驚き、これが原因で穣は絵里という2歳年上の彼女と別れていました。
曜子は絵里について辛辣に評していて、「意地悪な目で見ていると我ながら思う」と胸中で語っていました。
紀子が「仲代さんのほうが美形だけど、何というか刺々しくて、雰囲気美人の朋美ちゃんのほうが男女ともにウケが良かった」と振り返っていたように、曜子には不愛想さや刺々しさがあります。

ある日の食卓で紀子は夫の祥一に「根っこがネガティブだ」と言われ、ムカついていました。
また、中学二年生の時の曜子達のグループのことを考えていて、このグループには曜子、朋美、美貴のほかに渡部まりなという子がいました。
このグループの中心的人物で、曜子と朋美の良いところだけを備え持っていたのがまりなとのことです。
ただ、紀子はまりなに酷い目に遭わされたことがあり、その嫌な記憶があるため、本当は憧れの朋美のいるこのグループに入りたかったのですがついに言えませんでした。
「今でも朋美はまりなと連絡を取っているのだろうか。まりなに憧れているのだろうか。まりなからメールをもらったら、すぐに返信するのだろうか」と、考えを巡らしていました。
そして「14歳の倍だけ生きたのに、まだそんなことをいじいじと考えてしまう自分は、やっぱり根暗なのかもしれない」と胸中で語っていたのが印象的でした。
これは気になってしまうのは紀子の性格なので、それで良いのではと思います。
そして気になってあれこれ考え出した時に、考えの渦に飲み込まれないように意識してその考えを止めてあげるのが大事だと思います。

保育園に茉奈を迎えに行ったある日、紀子は篤司という子の母親の小野寺妙子さんときっかけがあって仲良くなります。
これは読んでいて嬉しかったです。
紀子は東京の月島の運河の近くのカフェでアルバイトをしているとのことです。
さらに妙子も音無神社の「小さいおじさん」のことを知っていて、結構有名な噂になっているようでした。
二人は一緒に音無神社に行こうと約束します。

朋美には河鍋から電話がかかってきて、どうでもいい内容を次々と話してきていました。
河鍋はしきりに言い寄ってきますが付き合っている彼女がいて、口では現在の彼女と別れると言っていても「現在の彼女を切らないまま二股をかけられるのが目に見えていた」と、朋美は冷静に見ていました。
紀子からメールが来て、「朋美ちゃんは私の憧れ」と書いている紀子に対し、朋美は今の自分を自嘲していました。
そんな時、うっかり羽鳥壮介の携帯に電話の発信をしてしまったことから、折り返しの電話がかかってきます。
かけてきたのは羽鳥の妻でした。
朋美と羽鳥は不倫関係で、この妻からの電話でこの後どんな展開になるのか気になりました。

建築途中の家に依頼主が見学に来ていた時、大工の棟梁の北尾という人が曜子に興味深いことを言っていました。
「せっかく今の仕事してるんだから、いつかお母さんのために家を建ててあげるわってくらい、言っておくんだぞ」と言い、曜子が「私の稼ぎでは無理」と言うと、次のように言っていました。
「実際に建ててやらなくていいから、とりあえず言ってやるんだよ」
「実現しなくても、あの子はあんなことを言って口ばっかりだって他人に愚痴る楽しみを作ってやれんの。罪深いっていうのは、あんたが心苦しいってことだろう。それくらい引き受けてやろうよ、どうせ一銭もかからねえんだから」

これは印象的な言葉でした。
「実現しなくても、あの子はあんなことを言って口ばっかりだって他人に愚痴る楽しみを作ってやれんの」という考えは、無理だからと最初から何も言わずにその話題の接点をなくすより良いかも知れないと思いました。
曜子は穣との待ち合わせまでの時間潰しに寄ったベーカリーで紀子に遭遇します。
仲良くなった妙子とさらにもう一人新たなママ友がいて、紀子の日常が明るく楽しいものになってきていることが分かりました。

朋美の家には銀木犀があります。
金木犀に比べると香りも色も地味とのことで、金木犀は知っているのですが銀木犀は初めて聞きました。
朋美は母親と喧嘩ではないのですがギクシャクした雰囲気になりがちです。
羽鳥の妻から電話がかかってきた件の対応をしようとしていた時に美貴と遭遇し、「母親と一緒にいると疲れる。会話っていっても、向こうが話したいことを話して、こっちは聞いてやるって感じだし」というと、美貴は次のように言っていました。
「お母さんにしてみれば、ニート状態の娘が言われたくないことを自分が言わないようにするために、どうでもいいことを喋ってくれてんのかもよ」
「気を遣ってくれてんじゃないの、親なりに」
美貴は朋美を諭していて、その考えは朋美が一人で考えていた時には出てこない考えでした。
人に話すと自分とは違う視点での意見が聞けるのが良いと思います。

朋美は思い立って紀子に電話をかけます。
「音無神社に言ってからちょっとおかしなことがあってさ…」と言うと、紀子は「何だかわかんないけど、小さいおじさんのパワーだったりしてね」とあっけらかんと言っていました。
その言葉に朋美は不思議と納得していました。
クラス会の時、朋美は冗談で小さいおじさんのことを言っていたのですが、いつの間にか色々なことが起こっていました。

曜子は穣とともに美貴の店に行き、お酒をたくさん飲んでいる母親と会います。
ついに何か問題を抱えているであろう母親と正面から話す時が来ました。
穣は穏やかですが母親と曜子はどちらも不愛想で勝気な性格のためなかなか激しい展開になりました。

曜子、紀子、朋美の三人の物語はそれぞれ抱えている思いがあり、先の展開が気になりました。
内容紹介に「14歳の二倍も生きてんのに、私たち、どうしてこんなに人生に不器用なんだろう」とあったように、三人とも器用なタイプではなく、苦しい人生になっていました。
それでもその中でも三人とも目の前にある人生の困難と向き合い、この後の人生に希望が持てそうだったのが良かったです。


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コメダ珈琲店 一杯のココア

2017-02-16 19:02:20 | グルメ


写真は「コメダ珈琲店」のホットココアです。
コメダ珈琲店は愛知県を発祥の地とする喫茶店型のコーヒーチェーン店です。
昨年の春、広島の街を歩いている時に初めてコメダ珈琲店を見かけて寄ってみました。
最近では関東地方にも進出し始めているとのことなので、そのうち東京を歩いた時にコメダ珈琲店に遭遇することがあるかも知れないです。

店内には雑誌やスポーツ新聞が置いてあって、お店の側が最初から喫茶店のごとくリラックスしながら長居してもらって良いと考えているのが特徴です。
そのため、同じチェーン店でも「カフェ」のドトールやスターバックスなどとは店内の雰囲気に違いがあります。

私は冬場にコメダ珈琲店に行くとホットコーヒーかホットココアを頼むことが多いです。
そしてどちらもホッとひと息つけるのですが、よりホッとしたい時はホットココアを頼んでいます。
コメダ珈琲店のホットココアは写真のようにホイップクリームがたくさん載っています。
私はこれをスプーンで徐々に溶かしていきます。
ココアのほうはとても甘さ控えめになっているので、甘いホイップクリームが溶けるとちょうど良いココアになります。

寒い冬、疲れている時は温かなココアを飲むとだいぶ気持ちが落ち着きます。
時間の流れが穏やかになり、ゆったり過ごすのは良いものだと思わせてくれます。
またそのうち飲みに行ってホッとひと息つきたいと思います
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「「つい悩んでしまう」がなくなるコツ」石原加受子

2017-02-15 19:21:00 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「「つい悩んでしまう」がなくなるコツ」(著:石原加受子)です。

-----内容-----
ほんとうは私、どうしたいの?
もっと「自分の気持ち」を優先していいんです。
ムリしない、ガマンしない、周りを気にしすぎない!
人間関係も人生の選択もうまくいく一番シンプルな方法。
悩みスパイラルから抜け出す!「自分中心」心理学。

-----感想-----
石原加受子さんの本は2015年末に『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』を読んで以来2冊目となります。
軽いタッチの文章で気軽に書かれているので読みやすかったのを覚えています。

P21「相手にばかり囚われていたら、決して悩みは解決しない。」
『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』を読んだ時はまだアドラー心理学の本を読んでいなかったので気づきませんでしたが、この考えはアドラー心理学と似ていると思いました。
石原加受子さんはアドラー心理学を土台とする心理カウンセラーかも知れないと思いました。

P24「心の中で不満を抱きながらも、黙って相手に従ってしまう。」
この心のクセが悩みにつながっているとのことです。
たしかにこれでは心がモヤモヤとし、すっきりしない状態になると思います。

P26「自分中心心理学」
石原加受子さんは自分中心心理学を提唱しています。
これは考え方を見ていくとアドラー心理学の流れを汲んでいるように見えます。

P28「相手に変わるように求めるよりも、自分のために、自分を育てるほうが、悩みを解消する早道。」
「これが”自分中心”の発想」とありました。
やはりこの考え方はアドラー心理学をベースにしているなと思いました。
アドラー心理学でも「相手を変えようとしても無理なので、自分が変わるほうがよっぽど良い」としています。

P32「感情レベルで納得しているか」
「自分の気持ちや感情を脇に追いやったままで、適切な判断をすることはできません。なぜなら、あなたの”感情”がそれに抵抗するからです。」とあり、これはそのとおりだと思います。
間違いなく気持ちがもやもやとしてストレスが溜まっていく原因です。
そして「そんなことを言っても社会人なら感情が納得しなくても動かないといけない!」と条件反射的に食って掛かるようだと、だいぶ気持ちの余裕がなくなっているのだと思います。
この場合、納得がいかない状況下でただ黙ってストレスを溜め込むのではなく、何か自身のうんざりさを分かってほしいという言葉を出し(暴言ではなく)、「納得がいかない中で、ある程度気持ちに折り合いをつける」のが焦点になるのではと思います。

P41「悩みが消えたら」
石原加受子さんは時折相談者の方に「悩みが消えたら、あなたはどうなると思いますか?」と尋ねるとのことです。
この尋ね方はアルフレッド・アドラーがよくやっていた尋ね方で、このページを読む頃には「石原加受子さんはやはりアドラー心理学を土台にした考え方をしているな」と思うようになりました。

P49「自分中心心理学では、悩みは「私を愛し足りない」という、無意識からのメッセージと考える。」
「とても深く悩んでいる人は、それだけ、自分を愛してこなかったということ」ともありました。
これは自分の心の声に関心を持ってこなかったとも言えるのではと思います。
「納得いかない」「辛い」などの心の声を無視して走り続けていればやがては限界が来ます。

P61「「私」が心地よい生き方を選ぶ」
「他者中心の生き方は自分を苦しくさせる。自分中心の生き方は自分を楽にさせる。」とありました。
誰しも自分の人生を生きているのであって他者の人生を生きているわけではないので、当然自分中心の生き方のほうが良いです。
ただしアドラー心理学と同じく単に自分勝手に振る舞えば良いという間違った解釈にならないように注意が必要です。

P79「「もう、昔のことは、水に流して」などと言いますが、記憶そのものを消すことはできません。思い出せば、やっぱり、胸が痛むでしょう。」
さらに「「それを思い出すたびに、感情の波の幅が小さくなっていったり、痛みに打ちひしがれる時間が短くなっていく……」というように、次第に癒されていく自分を発見することができるでしょう。」ともありました。
これは以前書いた「記憶との付き合い」という記事で似たことを書いたことがあります。
嫌な出来事を完全に頭の中から消すことはできませんが、段々と揺れ幅は少なくなっていきます。

P84「この怒りは、どこからくるのだろう。何がつらいんだろう。どうすれば、私のこの感情を、解放することができるだろうか」
自分の心に目を向け、自分の気持ちを知るのは大切です。
これは近年の私が元々意識していることです。
モヤモヤしている時は自分の気持ちを認識できていない場合が多いです。

P112「「でも」ばかり言う人」
私も「でも」を連発する人に良い印象は持たないです。
他の言葉のほうが良く、この本では「じゃあ」「まず」のほうが良くないかとあり、たしかにそれらの言葉のほうが良いと思います。

P127「過去でも未来でもなく、今を生きる。」
「得たものを失う恐れ」を抱いている人は、いわば「未来の不安」の中に生きているとのことです。
また、他者中心に生きて自分を傷つけ、「過去の傷み」の中に生きている人もいるとのことです。
そして両者に共通して足りないのは「いまを生きる」ということとありました。
この「過去でも未来でもなく、今を生きる。」もアドラー心理学に出てきます。
気持ちが過去や未来にばかり行っていると現在が疎かになってしまいますし、過去の悔やまれることや未来への不安が出てきた時こそ、現在にしっかりと足を着けることを意識していきたいです。

P160「マイナス関係を結ぼうとしている人の見抜き方」
相手が難癖を付けたり否定したり、こちらの言葉を覆そうとしたり足を引っ張ろうとしたりする場合、その人は問題解決することよりも、こちらとマイナス関係を結びたいと望んでいるとのことです。
そういう人の見抜き方として、「話していると、イライラしてくる。腹が立つ。またかと思って、うんざりする。話した後で、ぐったりと疲れてしまう。もう二度と、話したくないような気分になる」というように、こちらが耳をふさぎたい気持ちになるとしたら、その人はマイナス関係を結ぼうとしていると見てまず間違いないとありました。
そのような人とは極力関わらないようにし、話さないといけない場合は相手のマイナスの会話に引きずり込まれる前に切り上げるのが良いと思います。

P166「自己主張は「相手を言い負かす」が目的ではない」
自分中心心理学では、自己主張は相手に言葉で争って勝つのが目的ではなく、「私を愛するために、私を解放するために、表現する」としているとのことです。
そして「すべて自分のためなので、表現すればするほど、「私自身が、ラクに、幸せに」なります。自己主張というよりも「自己表現」」とありました。
この自己主張の考え方は良いと思います。
相手を言い負かそう、言い負かそうとムキになっている時点で既に他者中心になっているので、常に「自分自身が楽に、幸せに」を意識していきたいです。

P173「引きずらないで相手に「聞く」」
相手に関係するもので心の中にあるものを、押し込んでおくのではなくそのまま言葉にして相手に聞いたほうが良いとのことです。
「あなたの悩みは、”聞く”ことで、一瞬にして、消えてしまうでしょう。」とありました。
これは聞くことによって、少なくとも心の中でずっと気になったままでいる状態よりは断然良いということだと思います。
ただし物事によっては聞かないほうが良い場合もあるので、そこはよく見極める必要があると思います。


この本も『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』と同じく専門的な言葉は使わずに分かりやすく書かれていました。
石村紗貴子さんという方のイラストもシンプルでいながら場面を分かりやすく描いていて、内容を理解するのに役立ちました。
気軽に読めるのが石原加受子さんの本の良いところだなと思うので、また興味を惹く本があれば気軽に読んでみたいと思います。


アドラー心理学の本の感想記事
「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健
「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎
「高校生のためのアドラー心理学入門」岸見一郎

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「こころの処方箋」河合隼雄

2017-02-14 19:39:11 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「こころの処方箋」(著:河合隼雄)です。

-----内容-----
人のこころの影を知り、自分の心の謎と向き合う。
たましいに語りかけるエッセイ55篇。
”私が生きた”と言える人生を創造するために。

-----感想-----
一つのエッセイにつき4ページで構成され、心理的なことを分かりやすい言葉で書いていました。

P11「決め付けについて」
「「わかった」と思って決めつけてしまうほうが、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札付きの非行少年だから更正不可能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。」
最後の「こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。」が特に印象的でした。
河合隼雄さんは心理学を「この子は⚪⚪だから△△に違いない」というような決め付けのために使ってほしくないと考えていたようで、これはとても大事なことだと思います。

P12「ふたつよいことさてないものよ」
「「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。」とありました。
この「ふたつよいことさてないものよ」は河合隼雄さんが好きな言葉、法則とのことです。
たしかに世の中なかなかよいことずくめにはならないなと思います。
良いこともあれば悪いこともあり、長い目で見ると両者が拮抗しているのかも知れないです。

P14「この法則の素晴らしいのは、「さてないものよ」と言って、「ふたつよいことは絶対にない」などとは言っていないところである。」
これは読んでいてたしかにと思いました。
時にはふたつよいことが揃うこともあります。
反対にふたつ悪いことが揃うこともあります。
ふたつ悪いことが揃う時は「今は流れが悪いな。この流れを変えよう」と意識し、ふたつよいことが揃う時は「今は良い流れだな。浮き足立たず、この流れを生かしていこう」と意識するようにしたいです。
長い人生の中で全体で見ると良いことも悪いことも半々くらいなのかも知れませんが、その中で少しでも良いことの比率を増やせたら嬉しいです。

P17「100%正しい忠告はまず役に立たない」
安全な場所から正しいことを言っているだけの愚かさが書かれていました。
己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
100%正しいことを言うだけなら誰でもできるのですが、それが役立つかどうかは別の問題です。
「その正しいことを実現するための具体的方策は?(頑張れ、根性でなど以外で)」となると、なかなか答えられない人が多いような気がします。

P29「言いはじめたのなら話合いを続けよう」
アメリカ人の夫と日本人の妻との間に生じた離婚事件で、夫の友人で妻の嫌いなタイプの人が居たとのことです。
ある日とうとう辛抱できなくなって、あの友人は大嫌いだと夫に告げます。
夫は反対せずにそれを聞いていたのですが、しばらく経って夫がまたその友人を家に連れ帰ってきます。
妻は激怒し、「この前あれほど、はっきりと嫌いだと言っておいたのに、また連れ帰ってくるというのは、自分の気持ちを無視している。これは、夫が自分を愛していないからだ」と主張します。
これに対し夫は次のように言います。
「妻が自分の友人を嫌いなのはよくわかった。しかし、妻はただあんな人は大嫌いと言うだけで、話を打ち切ってしまい、それではどうするのか話し合おうとしない。妻が彼を嫌いでも、自分は彼を友人として付き合いたいと思っている。ただ自分の気持ちを言うだけで妥協点を見出すための努力を払おうとしないのは、妻の方こそ愛情がないのではないか」
この夫の発言の中で「それではどうするのか話し合おうとしない」が印象的でした。
妻のほうは普段は「黙って耐える」という昔の日本人の美徳的な対応をしていて、夫の友人に対しては我慢仕切れなくなったため「大嫌い」と言いました。
しかしただ大嫌いと言うだけで「それではどうするのか」がないことを夫は指摘しています。
これを見て、安易に「これだから日本流は駄目なんだ。欧米流に変えるべきだ」とはしないのが河合隼雄さんの良いところだと思います。
黙っているのは辛いことだ。だからといって、発言すれば楽になるなどというものではない。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞き、話合いを続けるのは、黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。どちらをとるにしろ、人生というものは、それほど楽なものではないのである。

P42「河合隼雄さんの言葉の特徴」
「こんな話を聞くと、すぐに、だから人間は⚪⚪だと言う人がいる。」というような表現がよく出てきます。
この言い方は河合隼雄さんの特徴で、常に「決め付けずに一旦間合いを取る」ことを意識していたようです。

P53「100点以外はダメなときがある」
これは人生においてはたまにそんな場面があるとのことです。
夫が会社で残業し、疲れ果てて家に帰ると妻と子が浮かぬ顔をしていて、話を聞くと中学生の子どもが仲間に誘われて窃盗したのが露見して母親が学校に呼び出されたとのことです。
こんな時、「疲れているし、うるさいことだ。何とか早くすませて」などと考えるともう駄目とのことです。
たしかにこの場面でこのように考えてはダメで、100点の対応が必要な時だと思います。
仮に面倒そうな対応をすれば妻には失望され、子どもには大した親父ではないと思われるのではと思います。
また、「100点は時々で良い」ともあり、これもそのとおりだと思います。
常に100点を狙っていたのでは疲れてしまいます。

P59「マジメに休みを取れ」
日本人も昔よりは大分休みを取るようになったものの、「マジメに休みを取れ」などということになって、せっかくの休日を「有意義」に過ごそうなどと考えすぎ、休日は増えたがマジメさは変わらない、などということになりそうとありました。
マジメに休みを取れという考えは本末転倒です。
休みは気楽に休むためのもので、真面目に気を張って休むためのものではないです。

P69「心のなかの勝負は51対49のことが多い」
どうすべきか悩んでいるものごとをどちらかに決める場合は51対49で勝負が決まることが多いとあり、たしかにそんな気がしました。
悩んだ末、「こっちだ!」と決め、気持ちも完全にそちらに向かったと思っても、実際には無意識の部分ではどちらが良いかはほぼ五分五分に思っているとのことです。

P77「説教の効果はその長さと反比例する」
説教は長くなるほど効果もなくなっていくとあり、これはそのとおりだと思います。
説教が長引く原因として、説教で語られる話が何といっても「よい」話には違いないので、話をしている本人が自己陶酔するので長くなるとありました。
また、平素の自分の行為の方は棚上げしておいて、「よいこと」を話していると、いかにも自分が素晴らしい人間であるかのような錯覚も起こってくるので、なかなか止められないとありました。

P78「説教がなくならない理由」
「説教というものが、説教する人の精神衛生上、大いに役立つものであるからであろう。」とありました。
さらに「上司は上司なりに欲求不満がたまってくると、そのはけ口として部下に説教をする、というのが実状ではなかろうか。」とありました。
私はこんな時、これを素直に認められる人が、説教ばかりで嫌われているとしても、上司の器量を持ってはいるのだろうと思います。
そしてこれを素直に認められずに「俺はお前のためを思って説教しているんだ」と自身の正当性を主張するような人のことは、あまり信用する気にならないです。

P83「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」
「男女が互いに他を理解するということは、ほとんど不可能に近く、また、時にそれは命がけの仕事と言っていいほどのことであることを、よくよく自覚する必要がある。」とありました。
これは「理解するのはほとんど不可能だというのを分かった上で、なるべく理解するように努める」という気持ちが大事なのだと思います。

P87「人間理解は命がけの仕事である」
「うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。これはやはり「命がけ」と表現していいことではなかろうか。実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎるのである。」とありました。
これも「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」と同じく、理解するのは困難だというのを分かった上で、できる範囲で理解していくように努めるのが大事なのだと思います。
なので「私はこの人という人間を理解している」などと気軽に言うことはできないと思います。
その場合の理解しているはあくまで「私の尺度の中で理解している」となり、実際には理解できていない部分があるはずです。

P94「自立は依存によって裏づけられている」
「自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。」とありました。
自立しようという意識が強すぎ、必要な依存まで無理に断ち切るのは逆効果ということです。
とにかく誰かや何かに頼る(依存)のは悪だと決め付け何でも一人でやるべきとして暴走すれば、自立とは程遠い結果になると思います。

P118「アドラーの言葉」
河合隼雄さんはユング心理学の日本における第一人者なのですが、この本でもアドラーの言葉が出てきました。
アルフレッド・アドラーという人は、ノイローゼの人が相談に来ると、「あなたはもしノイローゼが治ったら何をしたいと思いますか」とよく尋ねたとのことです。
その人が「ノイローゼさえ治ったら、自分の職業にもっともっと打ち込みたい」などと答えると、アドラーは「あなたは仕事に打ち込むのを避けるためにノイローゼになっていませんか」と言ったとのことです。
ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、本当はそれを避けるためにノイローゼになって、それを嘆くことによって安定を保っているとのことです。
この「仕事に打ち込むのを避けるために、ノイローゼという症状になっている」という考え方は「目的論」と呼ばれ、アドラー心理学の根幹となっています。
アドラーの考え方は河合隼雄さんの他の本でフロイトほどではないですが引き合いに出されることがあり、自分の学派(ユング心理学)以外の心理学についても知っているという視野の広さは良いなと思います。

P133「その人の真実の欠点を指摘するとき、それは致命傷になる」
「言ってはならぬ真実を口にしたために、人間関係が壊れてしまった経験をお持ちの方は、多く居られることと思う。」とありました。
これは「お前の真実はこうだ!」と指摘するのが良いとは限らないということです。
黙っていたほうが良い場合もあります。
また「このことを知らず、ともかく真実を言うのはいいことだと単純に確信している人が居る。」とあり、そういう人がトラブルメーカーなのだと思います。

P176「家族関係の仕事は大事業である」
「社会的には大いに認められることをしているのに、息子一人をうまくできないことに悩む人達」のことが書かれていました。
これについて「職業や社会的なことに関する仕事は大変だが、家族のことなどは簡単にできるはずだという思い込みがあるのでは」とあり、なるほどと思いました。
そして家族関係の仕事は大事業だとありました。
これは以前読んだ「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)という本でも「プロのカウンセラーであっても、家族の話を聞く時は膨大な力を使う」とあり、やはり家族に関することは大変なのだと思います。

P21「知ることの落とし穴」
「「知る」ことは大切だが、ここにも落とし穴があることをつけ加えておかねばならない。それは人間のことに関して「知る」ことが知的な理解だけに終わっているときは、それはかえって危険な状態を引き起こすことになるからである。このような危険は、心理学の本をよく読んでいる「勉強好き」の人に生じがちなことである。」
これは私も心理学の本をよく読むので気を付けたいと思います。
本で学んだことをそのまま杓子定規的に「このケースは⚪⚪だから△△に違いない」などと決め付けるのは危険ということです。
人間は機械ではなく心を持つ生き物なのですから、本の理論どおりにはいかないことも多々あるということを常々意識しておくことが大事だと思います。


4ページで構成されたエッセイが55篇あり、どのエッセイも興味深く読めました。
文章も読みやすく書かれていて、心理的なことが書いてありながらも気楽に読めるのが良いです。
そして気楽に読める内容でいて文章には心に響く独特な魅力があり、題名が「こころの処方箋」となっているように自分自身の心にとって良い本だと思いました。


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皇居ランナー

2017-02-08 20:53:15 | ウェブ日記


写真は「リラックスとリフレッシュ」「日常の尊さ」の記事と同じく、立春の2月4日、用事があって東京に出掛けた際に丸の内で撮ったものです。
皇居外苑目の前の歩道で、たくさんの走っている人達に遭遇しました。
次々とランナーが走ってくるので、当初何かの市民マラソン大会でもやっているのかなと思ったくらいでした。
しかし市民マラソン大会なら大抵は車道を使うはずです。
ほどなく、走っている人達は「皇居ランナー」だと気付きました。

東京マラソンが「東京がひとつになる日」「市民マラソンの祭典」として毎年出場するための抽選の倍率が10倍を超えるような物凄い人気になり、この東京マラソン人気によって市民ランナーの数も増えています。
中でも皇居の周りは距離的にも東京マラソンに向けた日々のランニングに最適で、皇居の周りを走る「皇居ランナー」が増加しているというニュースを何年か前に見たことがあります。
そのニュースを知ってはいましたが、いざ皇居外苑に散歩しに行ってみると、まさか歩道をあんなに次々とランナーが走り抜けていくとはと驚かされました。
東京マラソン2017の開催日が2月26日で、開催が間近に迫ってランニングする人が一段と増えているのかも知れないです。

そして写真の看板が目に留まりました。
「ランナーの方々へ 皇居周辺の歩道はランナー専用ではありません。歩行者に気をつけましょう。」とあります。
看板の下の方を見ると、この看板を設置した連名が記されていて、麹町警察署、丸の内警察署、千代田区役所などの名前があります。
これは皇居の周りを走る皇居ランナーに対し、既に警察署や市役所に苦情が寄せられていることを意味しているのではと思いました。
人が大勢集まると、大抵の場合マナーを守らない人達が出てきます。
そのマナーを守らない人達が、自分達が勝手に皇居の周りの歩道をランニングコース化しているにも関わらず、歩道を歩く歩行者を邪魔者扱いして迷惑をかけているのではという気がしました。
そのような傍若無人な皇居ランナーを前にしたら、一般歩行者の中には「あいつらマジうぜー」と思う人もいるのではないでしょうか

私は「東京マラソン 仮装大賞なランナーたち」のフォトギャラリーを多数作っているくらいなので、元々ランナーには好感を持っているほうです。
ただしマナーは守るべきです。
もしマナーを守らない人がさらに増え警察署や区役所に寄せられる苦情も増えるようだと、皇居の周りの歩道でランニングすること自体が規制される事態になりかねないと思います。
マナーを守り、同時に「皇居ランナー」の品位を守り、一般歩行者に迷惑をかけないようにランニングして東京マラソンなどの市民マラソン大会に臨んでいってほしいです
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日常の尊さ

2017-02-07 20:50:55 | ウェブ日記


写真は「リラックスとリフレッシュ」の記事と同じく、立春の2月4日、用事があって東京に出掛けた際に丸の内で撮ったものです。
写真右奥がすぐ皇居外苑になっていて、「リラックスとリフレッシュ」の写真はそちらから撮りました。
そして皇居外苑のすぐ手前に公園広場があり、この写真はそこで撮りました。
快晴の日曜日の午後、風もそれほどなく柔らかな日差しでポカポカ陽気になり、公園内では日向ぼっこをしながらくつろいでいる人の姿がちらほらとありました。

この光景を見ていたら、日常の尊さというものが頭をよぎりました。
快晴の日曜日に小さな子供連れの家族が公園で遊んでいるというよくある日常なのですが、案外こういった日常は貴重なものなのだろうと思います。
次の日曜日にもまた同じような日常を過ごせる保障はないからです。

家族の誰かが体調を崩して寝込んでしまう場合もあるでしょうし、地震のような自然災害に遭う場合もあります。
そういったことが起きると写真と同じ日常にはならなくなってしまいます。
家族全員健康で天災にも遭わずいつもの日常を送れているのは尊いことなのだと思います。

なので日常がずっと続くとは限らない以上、今この瞬間の日常を楽しんでおくべきなのだと思います。
よくある日常ほど尊いものとし、大事にしていきたいです。
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