読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

ご挨拶

2017-12-31 23:59:00 | ウェブ日記


「読書日和」にお越しいただきありがとうございます。
このブログでは主に小説やエッセイのレビュー、街のフォトギャラリーなどを作っています。
以下のリンクから今まで作ったレビューとフォトギャラリーを見られますのでお気軽にご覧ください。
なおこのページはトップページに表示させるため日付を未来日にしています。

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キジバトの鳴き声

2017-03-28 18:03:32 | ウェブ日記



この前の日曜日は朝起きた時、窓の外からキジバト(山鳩)の鳴き声が聞こえてきました。
「ポーポポーッ、ポポー、ポーポポーッ、ポポー」とリズミカルに鳴きます。
窓の外からそんな鳴き声が聞こえてくる朝も良いものだと思います。

このキジバトの鳴き声は子供の頃からとても印象的なものでした。
私の実家は田舎なので、森や山がたくさんあります
そして実家にいると近くの森からキジバトの鳴き声が聞こえてくることがあります。
幼稚園や小学校低学年くらいの幼い頃に祖父について行った畑で、畑の奥の森から鳴き声が聞こえてきたこともあります。
母親や祖父から鳩の鳴き声だと教えてもらったのですが、公園などでのほほんとしているイメージのある鳩がこんな風に鳴くのだろうかと不思議に思ったものでした。

近年になって鳩にも種類があり、「ポーポポーッ、ポポー」とリズミカルに鳴くのはキジバトだということを知りました。
公園などでのほほんとしているよく見かけるハトはカワラバト(ドバト)という名前です。
キジバトの鳴き声はリズミカルでアルトボイスの鳴き声が耳に優しくもあり、鳴き声が聞こえてくると親しみが持てるのが良いなと思います
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雨の日

2017-03-26 14:18:30 | ウェブ日記
昨日見た天気予報では、今日の愛知はお昼頃から雨とありました。
しかし今日の朝起きた時に既に雨が降っていました
走る車のタイヤが道路の水を弾く音がしていたので、カーテンを開ける前から「これは雨が降っているな」という気がしました。
雨の日はカーテンを開けても朝日は見えず空が暗いため、どことなく憂鬱な気分になります。

今日は午前中のうちに文庫本の小説を買いに出掛けようかと思ったのですが、当初雨が降っているのを見て一気に行く気がなくなりました
やはり紫陽花の咲く梅雨の時期以外では、出掛ける気分になるのは晴れた時だと思います。
しかしその後、花粉症の私にとって雨の降る今日は出掛けるには好機かもと思いました。
雨の日は花粉があまり飛ばなくなります。
そして出掛けることにして書店の文庫本コーナーを見て回って一冊買い、後は日用品を買いました。

休みの日に雨なのは嫌なものですが、花粉の飛ぶ時期は助かることもあるなと思います。
またもうすぐ桜のソメイヨシノが咲くので、そんな週末は晴れてほしいと思います
そしてその頃には花粉もあまり飛ばなくなっていてほしいと思います。
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「本を守ろうとする猫の話」夏川草介

2017-03-25 17:31:27 | 小説


今回ご紹介するのは「本を守ろうとする猫の話」(著:夏川草介)です。

-----内容-----
お金の話はやめて、今日読んだ本の話をしよう。
高校生の夏木林太郎は、祖父を突然亡くした。
祖父が営んでいた古書店『夏木書店』をたたみ、叔母に引き取られることになった林太郎の前に、人間の言葉を話すトラネコが現れる。
君自身が旅を続けなさい。
メロスが最後まで走り続けたように。
『神様のカルテ』著者が贈る、21世紀版『銀河鉄道の夜』!

-----感想-----
「神様のカルテ」著者の夏川草介さんが初めてそのシリーズ以外の小説を書いたので、興味を持って読んでみました。

「序章 事の始まり」
高校生の夏木林太郎(なつきりんたろう)は幼い頃に両親が離婚し、さらに母が若くして他界したため、小学校に上がる頃には祖父の家に引き取られました。
その後はずっと祖父と二人暮らしでした。
ところがある日の朝、その祖父が亡くなってしまいます。
「夏木書店」という祖父が経営していた小さな古書店が残されます。

林太郎が書架に並ぶ書籍を眺める場面で、「堂々たる威儀と威厳をにじませて」という言葉がありました。
威厳はよく聞く言葉ですが威儀は聞いたことがなく、調べてみたら「いかめしく重々しい動作。立ち居振る舞いに威厳を示す作法」とありました。
威厳が見た目の雰囲気なのに対し、威儀は立ち居振舞いのことを言うようです。

祖父が亡くなり不登校になった林太郎を心配して、高校の一年先輩で友達の秋葉良太が夏木書店に様子を見に来ていました。
二人の会話を見ていると、林太郎はかなり淡々と喋り感情の読めないタイプのようです。
友達も良太以外にはほとんどいないとありました。
また、林太郎は今まで会ったこともなかった叔母の家に引き取られることになります。


「第一章 第一の迷宮「閉じ込める者」」
数日のうちに夏木書店を離れなければならない林太郎は書棚を眺めながら途方に暮れます。
そんな時、突然店の中で「ひどく陰気な店だな」と声がします。
驚いた林太郎が振り返ると、そこには一匹の猫がいました。
猫は言葉を話し、「わしはトラネコのトラだ」と名乗りました。
そして林太郎に「お前の力を借りたい」と言ってきます。
ある場所にたくさんの本が閉じ込められていて、その本を助け出すために力を貸せとのことです。

猫が人の言葉を話し、さらに力を貸せと言ってきていることに林太郎は戸惑います。
するとトラは次のように言っていました。
「大切なことは常にわかりにくいものだぞ、二代目」
「多くの人間がそんな当たり前のことに気がつかないで日常を過ごしている。”物事は、心で見なくてはよく見えない。一番大切なことは目には見えない”」

これはサン=テグジュペリさんの「星の王子さま」の引用とのことで、トラはかなり本に詳しいようです。

トラの雰囲気に祖父と似たものを感じた林太郎は戸惑いながらも力を貸すことにします。
案内された先はこの世のものとは思えない大邸宅でした。
その大邸宅には様々な飾り物が置いてあり、「世界中の物が手当たり次第、なんでも置いてある感じだね」と林太郎が言うと、虎が次のように言っていました。
「なんでもあるように見えて何もない」
「哲学も思想も趣味もない。どれほど外面は豊かに見えても、蓋を開けてみれば中身はただの借り物の寄せ集め。貧困のきわみと言うしかない」
なかなか哲学的なことを言う猫だと思います。

藍の着物を着た、幽霊のような雰囲気を持つ女性に案内され、大邸宅の中を進んでいく林太郎とトラ。
やがて行き着いたのは壁、床、天井の全てが白一色の巨大な空間で、そこには何十列もの白いショーケースがあり、その中身は全て本でした。
その一番奥には真っ白いスーツを着た長身の男がいて、この大邸宅の主です。
男はこれまでに57622冊の本を読んだと言っていました。
そして一度読んだ本は二度と読むことはなく、ショーケースの中に鍵をかけてしまっておくと言っていました。
かなり傲慢な話し方をする男で、読んでいて嫌な人だなと思いました。
「私のように時代をリードする識者は、常に大量の書籍を読み続けることで、己の知識や哲学を鍛え続けていく必要がある」などと言っていました。
男によって閉じ込められた本を解放するのがトラの願いで、林太郎は男と対決することになります。

林太郎はかつて学校を休みがちになりがむしゃらに夏木書店の本を読んでいた時に祖父からかけられた言葉を思い出します。
「たくさんの本を読むことはよい。けれども勘違いしてはいけないことがある」
「本には大きな力がある。けれどもそれは、あくまで本の力であって、お前の力ではない」

これは印象的な言葉で、大事なことだと思いました。


「第二章 第二の迷宮「切りきざむ者」」
林太郎の祖父はかなり立派な人物だったらしく、かつて、昔祖父と一緒に働いたことのある老紳士が夏木書店に来た時、「お前のおじいさんは、世の中のいろいろな混乱した問題を、少しでも良い方向に持って行こうと懸命に努力をしていた」と言っていました。
「力及ばず、志半ばにして、社会の表舞台から退場した」とも言っていて、どんなことをしていたのか気になりました。

再びトラが現れ、力を貸せと言います。
世界中の本を集めてつぎつぎと切り刻んでいる男がいるので、それをやめさせるのがトラの願いです。
その時、夏木書店に林太郎のクラスの学級委員長、柚木沙夜(ゆづきさよ)がやってきます。
林太郎とは正反対の活発な子で、第一章では不登校の林太郎のために連絡帳を届けてくれていました。
沙夜にもトラの話す言葉が分かり、持ち前の活発さで林太郎とトラが向かう先について行きます。

林太郎と沙夜とトラが行き着いたのは、多数の白衣の男女が忙しげに行き交う広々とした空間でした。
壁は書庫になっていて、膨大な数の本が並べられています。
そこは「読書研究所」と呼ばれ、読書に関する様々な研究をしている世界最大の研究施設とのことです。

果てしない下り階段を下りて行った先に「所長室」があり、丸々と太った恰幅のいい人物がいました。
男は鋏で次々と本を切り刻んでいました。
男は「読書の効率化」という研究をしていると言います。
「速く読むための研究」で、その手法は速読に男の開発した新技術を融合させた恐るべきものでした。
もはや本を本とも思わない無茶な読み方なのですが、男の言葉には意外と核心に迫るものもあります。
男の理論に押され気味の中、林太郎は祖父の「本を読むことは、山に登ることと似ている」という言葉を思い出し、男と対峙します。


「第三章 第三の迷宮「売りさばく者」」
冒頭で沙夜と良太が話していました。
先輩の良太がバスケットボール部部長とあり、さらに季節が冬なことから、良太は高校二年、林太郎と沙夜は一年かなと思いました。
沙夜は良太を「浮薄(浅はかで軽々しいという意味)」と評していてあまり良い印象を持っていないらしくつっけんどんな態度を取りますが良太は全く意に介していなかったです。

この話でもトラが力を貸してくれと言ってきて、今回も沙夜がついて行きます。
またトラは「第三の迷宮の主人は、いささか厄介だ」とも言っていて、今までより強敵のようです。
行き着いたのは、青空のもと両側に本を無造作に積み上げてできた壁がある場所でした。
そこを進んでいくと巨大な高層ビルがあり、入り口から出てきた女性が「世界一の出版社、「世界一番堂書店」にようこそ」と言っていました。

案内され社長室まで行くと、天井に巨大なシャンデリアがある高級感の漂う室内に、真っ白な頭髪の痩せた初老の紳士が待っていました。
とても丁寧な言葉を話すのですが、明らかな敵意を持ってもいました。
夏木書店のことも知っているらしく、「今時売れもしない難解な本を山のように並べて、自己満足にひたっている時代遅れのむさ苦しい古本屋でしょう。義理も責任も重圧もないお気楽な身分でまことにうらやましいですね」と露骨に喧嘩を売っていました。

このビルからもそして周りのビルからも、窓から次々と本が投げ捨てられる驚きの光景がありました。
その光景を社長は「今の現実の世界ですよ」と言っていました。
さらに社長は次のように言っていました。
「ここは天下の大出版社。毎日山のように本をつくり、それを社会に向かって売りさばく。そうして得た利益でさらに多くの本をつくり、また売りさばく。どんどんどんどん売りさばいて、また利益を積み上げる」
何だか一作品ごとの発行部数は落ちているのに発行する本の点数は増え、凄く作品の回転が早くなっている今の出版業界のことを言っているかのようです。
社長は丁寧そうに見えて傲慢な態度で本を売るための理論を言っていました。
「心理も倫理も哲理も、誰も興味がないんです。みんな生きることにくたびれていて、ただただ刺激と癒しだけを求めているんです。そんな社会で本が生き残るためには、本そのものが姿を変えていくしかない。敢えて言いましょう。売れることがすべてなのだと。どんな傑作でも、売れなければ消えるんですよ」
「本は消耗品」と言いゴミ同然に扱う社長に対し、林太郎は社長の言葉の中の矛盾に気づき立ち向かっていきました。


「第四章 最後の迷宮」
クリスマスイブの日、林太郎は叔母の家への引っ越しの日を迎えていました。
過ぎていく時間について、林太郎は次のように語っていました。
時間は容赦なく過ぎていく。そういうものだということを林太郎は肌で感じて知っている。どんな悲しいことや苦しいことや、理不尽なことが起こっても、時間が立ち止まって林太郎を待っていてくれるわけではない。流されるまま流されて、それでもなんとか今日までやってきたのである。
これは悲しいことや苦しいことや理不尽なことが起き不安定になった状態でも時間は止まって林太郎の回復を待ってはくれず、過ぎていく日々と向き合っていかないといけないということです。
ただ起きたこと自体は時間が過ぎたほうが受け止められるようになるので、こういった時期はあまり活発なことはせず、静かに日々を過ごしていくのが良いのではと思います。

既に引っ越しの準備を終えていた林太郎の前に、またもやトラが姿を現し力を貸してくれと言います。
かなり手強い相手のようで、珍しくトラの歯切れが悪かったです。

行き着いたのは一軒の小さな民家でした。
黒の礼服を着た初老の女性が待ち構えていて、林太郎と本について真剣な会話がしたいと言っていました。
女は「本についての理想と現実の違い」について問いかけてきました。
その内容は予想していなかったもので、この展開には驚きました。

この話では「世界で一番読まれている本」というのが出てきました。
それはどんな本なのかなと思い調べてみたら、どうやらキリスト教の聖書のようです。
たしかに世界中にキリスト教徒がいてしかも古くからの歴史もあるので、世界で一番読まれていそうな気がしました。


「終章 事の終わり」
祖父が亡くなって3ヶ月が経ちました。
トラが「青春ではないか」とからかっていた林太郎と沙夜の会話は最初の頃よりとても親しくなっていました。
この二人は性格は全く違っていてもよく相手のことを思いやっていて、いずれよき恋人同士になっていくのではと思いました。
そして林太郎も新たな心境で歩み出していました。


この作品を読んでみて、面白く読める小説だと思いました。
「神様のカルテ」という医療を題材にした小説を書いていた人がファンタジー要素のある小説を書くのは意外な気がしたのですが、なかなか合っているのではと思いました。
また他の作品が出たら読んでみたいと思います。


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白鳥庭園 青空に映える梅の花

2017-03-22 22:22:22 | フォトギャラリー
3月12日、名古屋の熱田(あつた)神宮に参拝した後、日本庭園の「白鳥(しらとり)庭園」に行きました。
熱田神宮に入ってきた時の東門の反対側にある西門を出てそのまま歩いて行きました。
結構距離があったのですが、天気が良く暖かな春の陽気だったので太陽の光を楽しみながらゆっくり歩いて行きました


--------------- 白鳥庭園 青空に映える梅の花 ---------------


白鳥庭園にやってきました。
さっそく入園します。


高い垣根が印象的な道。
向こうがどんな景色なのか気になります


青文字(アオモジ)。
芳香があることから爪楊枝の原料とされ、成熟した果実はレモンのような香りと、辛味があることからショウガノキの呼び名もあるとのことです。


黄色い花が太陽の光を受けてとても明るくなっていました


滝がありました。


「雄滝(おおたき)」と言います。


滝見四阿(たきみあずまや)。
ここで休みながら滝を見ることもできます。
澄んだ心境になれると思います


清羽亭(せいうてい)。
茶室であり、この日は茶会が開催されていて中には入れませんでした。


露地(茶庭)を見てみます。




これは何の花か気になるところです。




清羽亭を後にして先に進んでいきます。


清羽亭はこちらから眺めるとこのようになっています。


池の渡り廊下は風情があって良いと思います


池には白い鳥がいました。


白鳥庭園の名前にピッタリな鳥だなと思いました。


橋を渡ります。


橋からの眺め。




橋を渡って歩いていたらカルガモに遭遇しました。


なかなか愛嬌のある姿です。


紅梅の木がありました。


これから咲くようで、きっと鮮やかな姿を見せてくれると思います。


石の積み重ねられた池の淵。


小川のせせらぎ。


水も太陽の光が当たると輝いて、見ていると澄んだ明るい気持ちになってきます


築山(つきやま)にある梅の花。


白梅とピンクの梅がたくさん咲いていました






梅はバラ科なのですが、この梅の木は特にバラに通じる雰囲気があります。






この梅の木は特に印象的でした。


まず白梅の中に少しだけピンクの梅が混じっていました。


そして白い梅の花がとても可憐でした。




さらにメジロが花をついばんでいました。
春ならではの微笑ましい光景です

というわけで、白鳥庭園を楽しませてもらいました。
私は日本庭園が好きで引かれます。
落ち着いた雰囲気の中で木々や水の流れ、そして花を楽しめて良かったです


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「ユング自伝 Ⅰ -思い出・夢・思想-」編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子

2017-03-20 18:08:55 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「ユング自伝 Ⅰ -思い出・夢・思想-」(編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子)です。

-----内容&感想-----
ジークムント・フロイト、アルフレッド・アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、カール・グスタフ・ユングの自伝です。
この本は昨年の7月に買ったのですが当時は読む気力が出ず、そのまま読まずにいました。
今回は直前に読んだ「こころと人生」(著:河合隼雄) でユングの名前が何度も出てきたこともありついに読む気力が出たので読んでみました。
この本は基本的にヤッフェという人がユングに色々と質問して、その答えを書き留めて本にしています。
また幼児期の思い出についてはユング自らが書いたとのことです。
当時80歳を越えていて執筆するのはだいぶ大変だったようなのですが、それでも書きたい強い思いがあったのだと思います。
読み始めてみるとかつて初めてユングの本を読んだ時(ユング名言集)と同じく「やはり文章が抽象的だな」という印象を持ちました

「プロローグ」
「私は内的な出来事(心の中の出来事)にてらしてみる場合にだけ自身を理解することができる」
この時83歳になっていたユングは、「私の一生の外的な出来事(外の世界での出来事)についての回想は、大部分色あせ、消えうせてしまった」とも言っていました。
しかし内的な出来事については強く記憶に刻まれていて、ユングの場合は外的な出来事より内的な出来事のほうが人生において圧倒的に重大だったようです。
そしてこの自伝は内的な出来事を取り扱うとありました。


「Ⅰ 幼年時代」

「男性と女性への印象」
ユングは幼年時代、母(女性)には「あてにならない」という思いを持ち、父には「信頼感と無力さ」という思いを持っていました。
この印象が後年になって修正されたらしく、「男の友達を信用して失望させられたのに対し、女性は信用していなかったのにもかかわらず失望させられはしなかった」とありました。
失望させられた男の友達が気になるところでした。

「キリスト教への悩み」
ユングの家はプロテスタントのキリスト教を信仰していました。
しかしユングは幼い時にお祈りの際の言葉に感じた違和感から、キリスト教を心の底からは信じられずにいました。
本人は何とかして信じようとしたのですがどうしても心の底からは信じることができず、だいぶ苦しんだようです。

「3歳の時に見た悪夢」
「面白くてよくわかる!ユング心理学」(著:福島哲夫)にも出てきたユングが3歳の時に見た悪夢の話が詳しく書かれていました。
不気味な場所で男根神ファルロスに遭遇した夢で、それからずっとユングの心に強く刻まれることになり、65歳まで誰にも言わずにいました。
私の場合は、押し入れに隠れたらその押し入れを開けて鬼がこちらを見ている夢を見たことがあり、今でも忘れられないです。
強烈な夢は何十年経っても忘れられない場合があるのだと思います。


「Ⅱ 学童時代」

「神経症とは何か」
12歳の時ユングは学校帰りに級友に襲撃された事件がきっかけで発作を頻発するようになり、学校も休んでいました。
しかしある日、家の中で父と客がユングのことを話していたのを聞いてしまったのがきっかけで「こん畜生!発作なんか起こすもんか」という強烈な決意のもと、猛勉強を始めます。
その気迫によって段々と発作が起きなくなり、二、三週間後には学校に行けるようにもなりました。
この時の経験によってユングは「神経症とは何か」を知ったとのことです。
これは「神経症など根性の問題。根性で克服するんだ!」というような妙な解釈をしないように注意が必要だと思います。
ユングがこの時発作を克服したのは、自身の内側から沸き起こってくる爆発的なエネルギーが心身症を上回ったからだと思います。
それは本人の内側から自然に沸き起こらないと意味のないもので、外から「根性を出せ!」などと迫るのは逆効果です。

「神が望んでいるものは何か」
ユングは「自身に対して神は何を望んでいるのか」について、連日考えていました。
そしてついに「明らかに神さまもまた、私に勇気を示すことを望んでいられるのだ」という結論が出ます。
この結論が出るまで連日考え通していて、10代前半の学童がこんなことをやっているのは凄まじいなと思いました。

「悪魔についても研究」
この世界の有りようについて、神だけでは説明できないほど堕落した部分があると考えたユングは、「悪魔」もこの世界を形作っているのではと思うようになります。
そして父の書斎に行き連日悪魔について様々な本を読み漁っていて、この神や悪魔の謎を調べることへの熱意は尋常ではないと思いました。

「ユングの学童生活」
ユングの学童生活はホラ吹きやぺてん師呼ばわりされる辛いものでした。
あまりに天才すぎて言っていことが教師をも大きく上回っているような場合はこんな扱いを受けることがあるのだと思います。


「Ⅲ 学生時代」

「唯一の宝物」
私の自分についての理解は私のもっている唯一の宝物であり、最も偉大なものである。
この言葉は印象的でした。
私は「宝物」と聞くと何かしらの目に見える「物」や、あるいは人とのかけがえのないつながりなどを想像するのですが、自分自身の内面についての理解を「唯一の宝物」とする人は初めて見ました。
この本が自分自身の内面の動きを凄く丁寧に書いているのにも通じています。

「意識とは別のもの」
ユングは自身が見た印象的な夢について、「どこからそんな夢が出てきたのか」「なぜそれが意識に上ってきたのか」ということを考えます。
そして人間には意識以外にも何かがあることに気づきます。
「意識の光に照らしてみると、光の内側の領域は巨大な影のように見える」という考えを見て、この時にユングは、後の分析心理学(ユング心理学)でも大きく扱う「無意識」の存在を強く感じ取ったのだと思いました。

「精神医学の道へ」
「自然科学」と「比較宗教学」に興味を持っていたユングは、長い間悩んだ末に自然科学を選択し、大学の医学部に入学します。
そして就職をどうするかを考えるようになった時、ユングの前には内科で良い経歴を積んでいく誘いがありました。
しかしこの時ユングは、国家試験のために仕方なく読んだ精神医学の教科書がきっかけになり、精神医学に強く興味を持ちます。
ユングは「自然と霊(スピリット)との衝突が一つの現実となる場所が、ついにここにみつかったのだった。」と語っていました。
これは「自然科学」と「比較宗教学」の両方が一つになるのが精神医学であり、これこそが自らの天職だと悟ったということです。
しかしこの当時(1900年頃)、精神病の患者は隔離した病院に閉じ込めておくしかないという考えが主流だったらしく、そこに携わる精神医学者も変り者と見られたようです。
なのでユングの精神医学の道に進むという決断は回りから驚かれたり呆れられたりしていました。


「Ⅳ 精神医学的活動」

「当時の首里城とは違う治療姿勢」
ユングはスイスのチューリッヒのブルグヘルツリ精神病院で働き始めます。
当時は精神病者の心理は全く問題にされず、機械的に診断を下し、後は病院に入院させて終わりというのが主流だったのですが、ユングは「いったい何が実際に精神病者の内面では起こっているのか」に強い関心を向けます。
そして患者が今までどんな経験をしてきたかを知るために「連想検査」や「夢の解釈」という言葉が出てきていて、この頃に後のユング心理学の土台を作っていったのだなと思いました。


「Ⅴ ジクムント・フロイト」

ジークムント・フロイトはカール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラーとともに「心理学三大巨頭」と呼ばれていますが、当初精神医学の学会では変人として扱われ、誰にも相手にされていませんでした。
しかしユングは自身が患者と向き合ってきた経験から、フロイトの言っていることは概ねおかしなものではないと考え、学会でもフロイトを弁護するようになります。
ただし「あらゆる神経症が性的抑圧あるいは性的外傷に由っている」という考えについては、たしかにそういう事例もあるが、全部がそうではないと考えていました。
これが後にフロイトとの決別につながるのですが、最初にフロイトを弁護した時点で既にこの部分の考え方は違っていたのだなと思いました。

「決別を予感する言葉」
「しかし私は、私の権威を危うくすることはできないんだ!」
その瞬間に、彼(フロイト)は彼の権威を失ったのだ。
その言葉が私の記憶に灼きついた。
その中に、私たちの関係の終りがすでに予示されていた。
フロイトは個人的権威を心理の上位に位置づけていたのである。

権威主義な面を持っていたフロイトのこの言葉を聞いてユングは自身が間もなくフロイトと決別することになるのを予感しました。


「Ⅵ 無意識との対決」

「幻覚を見る」
フロイトとの決別後、ユングは恐ろしい幻覚を見るようになります。
大洪水がヨーロッパを襲ったり、海が血の色になったりするものでした。
この異様な幻覚を見たことについて、ユングは自分自身が精神病に脅かされているのだと結論づけます。
しかしその後すぐに第一次世界対戦が勃発し、ユングが見た幻覚はそれを暗示していたことに気づきます。
この経験から、ユングはこの幻覚を見せてきた自身の「無意識」について徹底的に分析、対決します。
この対決の中でユングは自身(男性)が無意識の中に持っている女性像(アニマ)と、その逆の女性が無意識の中に持っている男性像(アニムス)の存在を見出だしていました。
ユング心理学の重要な考えである「元型」についてもこの時の無意識との対決によって考えが確立されていきました。
自身の無意識との対決の様子は病的にも見えるもので、よく精神がおかしくならずに済んだなと思います。


抽象的に書かれている部分が多く、なかなかスムーズには読めませんでした。
しかし引きつけられる部分も結構ありました。
この続きの「ユング自伝 Ⅱ」があるので、またいずれ読む気力が出たら読んでみようと思います。


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熱田神宮に参拝

2017-03-19 21:51:16 | フォトギャラリー
3月12日、名古屋にある熱田(あつた)神宮に参拝に行きました。
ここには「三種の神器」の一つ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られています。
三種の神器は伊勢神宮の八咫鏡(やたのかがみ)、皇居内にある賢所(かしこどころ)の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして熱田神宮の草薙神剣のことです。


--------------- 熱田神宮に参拝 ---------------


熱田神宮にやってきました。
この大鳥居は東門で、私はここから入りました。


木々の間から差し込んでくる木漏れ日が凄く良かったです


いったん正門のほうに行ってみます。


こちらが正門の大鳥居です。
ここから本宮(拝殿)に向かって行きます。



少し寄り道をして、この小さな鳥居の奥に行くと、


上知我麻(かみちかま)神社があります。
尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」が祀られ、熱田の地主神とされています。
また「知恵の文殊様」として崇められ合格祈願に詣でる人が多い神社とのことです。


ここには「別宮 八剣宮(べつぐう はっけんぐう)」があります。
ご祭神は本宮と同じとのことです。




いざ、本宮へ。


二つ目の鳥居。


左手を見ると、


しめ縄のついた大木がありました。


「大楠」の木とあり、樹齢1000年とのことです。


古からの風格と、巨大な生命力を感じます。


三つ目の鳥居。
この奥に本宮があります。




授与所。
お守りなどを授与しています。


明治神宮を思い出すような拝殿前の木です。


こちらが熱田神社本宮です。
一般の方向けの拝殿となります。
そしてこの奥に本殿があり、草薙神剣が祀られています。
ご祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)で、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神(あまてらすおおみかみ)のことです。


拝殿の左手には 祈祷殿・長床(ながとこ)があります。


長床では神前結婚式が行われ、ちょうど結婚式が終わった直後で片づけをしていました。


新郎新婦がいました


授与所の奥には、


神楽殿があります。


ここでは初宮(はつみや)、七五三、厄年の厄除けなどを行っているようです。


満開の梅の花
この木は今まで一度も実をつけたことがないため「不実梅(ならずのうめ)」と呼ばれ古くから有名とのことです。
1529年頃の古図にも描かれていたとのことで、500年近い歴史を持つ梅です。


梅の花は桜の花に比べてポンポンと丸っこく咲きます。




白い梅の花、青空によく映えていました

というわけで、熱田神宮に参拝して神聖な気持ちになりました
三種の神器が祀られていることから分かるように、伊勢神宮に次ぐ高い格式の神社であり、参拝することができて良かったです。
緑と木漏れ日の雰囲気もとても良く、また参拝しに行きたいと思います

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「こころと人生」河合隼雄

2017-03-18 20:39:56 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「こころと人生」(著:河合隼雄)です。

-----内容-----
鋭い目で人生の真実を見抜くのびやかな子ども時代、心の奥深くに得体のしれぬものを抱えて苦しむ青年期、最も安定しているはずの時期に最も大きなこころの危機を迎える中年期、生きるということの意味を再び問いなおす老年期―。
人生のそれぞれの時期のこころの問題を、臨床家としての目がこまやかに温かくとらえた講演集。

-----感想-----
今は亡き臨床心理学者、河合隼雄さんの「四天王寺カウンセリング講座」での講演をアレンジして、子ども、青年、中年、高齢者とライフサイクルに合わせて4つの章で構成したのが本書です。
講座は一般の方向けの大学オープン講座のようなもので、お年寄りの方も結構聞きに来られていたようです。
読んでみると講演での言葉をそのまま文章にしていて、とても親しみやすく読みやすかったです。
まず冒頭の「はじめに」に次の言葉がありました。

P5「苦悩を通じてこそ、自分の新しい生き方を探し出したり、自分の人生の意味について新しい発見をされたりすることになる。」
これは「だから苦悩は良いことです。苦悩しなさい」と言っているわけではなく、「苦悩するのは嫌なものですが、苦悩に直面した場合、嫌なことはありながらも何かしら良い面もある」という意味合いと受け取りました。
たしかに苦悩に直面した場合、その後の考え方や人生に何かしら変化が出てきて、それが良い変化の場合もあるかなと思います。


「Ⅰ 子どもは素晴らしい」
中学二年生の女の子が学校へ行かなくなった例を挙げて講演されていました。

P33「自然科学は発達したが、子どもを自分の意思で学校に行かせることはできない」
河合隼雄さんに次のように言われた人がいるとのことです。
「先生、何とかならんのですか。これだけ科学が発達して、ボタン一つでロケットが飛んで人間が月へ行っている時代ですよ。うちの子どもを学校へ行かせるようなボタンはないんですか」
自然科学の力で物を動かすことはできても子どもを自分の意志で学校に行かせることはできないということで、河合隼雄さんは「ここが人間の素晴らしいところだと思うんです。」と言っていてこの感性がとても印象的でした。
人間の心は機械のように決まったパターンで動くわけではなく、日によって心の中は常に変わっていて、さらに一人ひとりが違う心を持っていて、その奥深さを尊重しているのがよく分かる言葉でした。

P40「そのとき、その人には、世の中がそういうふうに見えているわけです。ですからわれわれは、その方がそういうふうに思っておられるんだったら、とにかく一生懸命に聴かせてもらいましょう、と思ってその方の話を聴くわけです。」
この姿勢は凄いと思います。
一般の人だとすぐに「そんなことない」「それは違う」と反論したり諭そうとしたりする場面で、カウンセラーの人は相手の話を聴く姿勢を取り、これは言葉で書くと簡単そうですが実際にやるのは簡単ではないと思います。
また単に「うん、そうだね」と話半分で聞いているだけの状態とは違い、それを表すためにこのページでは聞くを「聴く」という字に変えているのだと思いました。
もし話半分で聞いているだけだと、相談に来られた方(クライエント)がそのような姿勢を敏感に察知して、二度と来なくなる場合があると思います。

P44「一週間に一度、それも一時間のカウンセリングに、意味はあるのか」
河合隼雄さんにこのように言った方によると、「人が変わるというのは大変なことで、人を変えようと思ったら、それこそいろいろと訓練しないと駄目なのに、そんな一週間に一時間だけ話しに来て、意味がありますか」とのことです。
河合隼雄さんは「たったの一時間ですけれど、一時間真剣に話をするということは、普段のわれわれの生活の中ではすごく少ないと思われませんか」と言っていて、これは私もそう思いました。
例えばカフェなどで一時間友達と雑談し、その中で「人生とは何か」というある人の悩みがポロッと出て少しそれについて話すのと、「人生とは何か」というその人が抱えている悩みについてカウンセラーと一時間話すのとでは、同じ一時間でも中身がだいぶ違います。
また、「人が変わるというのは大変なことで、人を変えようと思ったら、それこそいろいろと訓練しないと駄目なのに~」という言葉を見て、この方は「カウンセラーが訓練してその人を変えている」と思っているのだなということが読み取れました。
これについてはアドラー心理学の本が興味深いことを書いていて、「相手を変えようと思ってもそれは無理なので、自分が変わるほうが良い」としています。
これまでに読んだ心理学の本から見て、カウンセラーの方は自らの手で相手を変えようと訓練しているのではなく、相手が自分自身の心と向き合い自らの意志で考えるための手助けをしているのだと思います。

P54「まず親の心が落ちついていること」
「こちらの心が落ちついていなくて、「きょう、学校でどんなことがあったの」とか、「早く言いなさい」とか、そういう調子で話しかけると、「ううん、別に」と子どもは言います。あれは、何か言うと怒られると思うから「別に」と言っているのです。」とあり、なるほどなと思いました。
また、「ふーん」や「そうなの」など、落ち着いた聞く姿勢を取っていると、不思議なもので子どもはその側へ来てベラベラ喋るとありました。
急かすように聞くのは逆効果で、落ち着いて向き合ってくれたほうが子どもも話しやすいのだと思います。


「Ⅱ 青年期の悩み」
P77「大昔は青年という言葉はなかった」
大昔は「少年」という言葉はあっても「青年」という言葉はなく、「青年」は明治時代の中頃になってから登場したとのことです。
西洋の近代に出てきた青年期を大事にする考え方が日本にも入ってきて、明治の特に新しがりの人たちが、今まで「少年」と呼んでいたのを「青年」という新しい言葉を作って呼んだとありました。

P82「無気力学生」
高校生や大学生で、本当に何もする気がせず、「いつ死んでもいいんだけれど、死ぬのも面倒くさいし、まあ、生きてようかというぐらいの感じの学生」とのことです。
「「まあ、生きてようか」と思うと生きていられるというのが現代の特徴」とあり、これは印象的でした。
昔は必死になって食べ物を探さないと生きていられなかったのが、現代は豊かな時代になり、ところが豊かになったことでかえってそういう無気力の人が出てきたとありました。

P90「「近頃の青年が悪い」と言いたい人は、「近頃の青年を育てたのは誰か」というのをまず考えるべき」
これはそのとおりで、何かと「最近の若い者は~」と言いたがる中高年の人たちが思い浮かびました
河合隼雄さんは「誰が悪いんですか。われわれが悪いんです。われわれの年齢の者が」と言っていて、凄い人だなと思いました。
中高年の人たちは何かと「最近の若い者は~」と言いたがりますが、まず前提として、その中高年の人たちがバブル期の頃に好き放題やった結果がその後長く苦しむことになった日本という状況があります。
長く苦しむことになった日本では若い人たちが就職難で苦しんだりもして、バブル期の頃の若い人たちよりも暗くなり気味でした。
その状況を無視して若い人たちが暗くなり気味な点だけを見て「最近の若い者は~」と言うから、若い人たちから嫌われたり相手にされなくなったりするのではと思います。

P110「村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』」
「こころと人生」では河合隼雄さんが読んだ小説や本がよく出てきます。
その中で村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』が出てきたのが特に印象的で、私が約10年前の2007年の5月に読んだものでした。
「羊をめぐる冒険(上)」村上春樹
「羊をめぐる冒険(下)」村上春樹
河合隼雄さんはこの小説を深層心理学的に見てもかなり興味深い小説と考えているようで、主人公の青年のことや、青年と「羊男」の対話について私とは全く違ういかにも心理学者な読み取り方をしていて面白かったです

P115「青年期に現れる中年の悩み」
ユング心理学を創始したカール・グスタフ・ユングは「人生の前半の悩みと、後半の悩みとは違う」と言ったとのことです。
そして「人生の前半は「いかに生きるか」ということが凄く問題なのに対し、人生の後半は「いかに死ぬか」ということのほうが大事」とありました。
その前半の問題と後半の問題がガラッと変わるのが中年という時期とのことです。
そして河合隼雄さんは「その中年の悩みをもうすでに若いときからガツンとひっかぶっている人がいるんじゃないかと思う」と言っていて、まさに『羊をめぐる冒険』の主人公の青年のような、何か物足りない雰囲気の人とのことです。

P121「人間というのは面白いもの」
「人間というのは面白いもので、簡単にはつかまえられない何かひじょうに深いことに関心があるからといって、浅いことに関心がないわけじゃない。浅いことにも深いことにも関心があるのが普通です。ただ、深いことにつかまってしまうと、浅いことができなくなる。」とありました。
浅いことは学校に行ったり運動をしたりすることで、深いことは人生後半の「いかに死ぬか」のことなどです。
若くしてその深いことに捕まってしまうと、たしかに学校に行ったり運動をしたりする気力が出なくなることはある気がします。
そして「その深いことがちょっとわかってくると、今度は浅いこともおもしろいとなる。」とあり、これは頭ごなしに「学校に行け!」などと言ったのでは逆効果で、深いことがちょっと分かる手助けをするほうが浅いことをする気力を取り戻すのに効果的ということだと思います。


「Ⅲ 中年の危機」
P129「中年は危険な時期」
アメリカでは最近になって「中年の危機」が注目されるようになってきたとのことです。
これは人生の前半の悩みと後半の悩みが入れ替わる時期とあることから、それだけ不安定になりやすいのだと思います。
そして「中年の危機」を非常に早くから言っていた学者がいて、それがカール・グスタフ・ユングでした。

P135「人生の前半と後半」
人生を太陽の動きで表すと、前半は上っていくのに対し、後半は沈んでいきます。
「ユングは人生の後半は「沈んでいく」ということがいったいどういう意味をもっているのかを問題にする、これが実に大事なことだ。そして、中年は、その大変な課題に突き当たっているときなのだ、と考えた」とありました。
たしかにこんな課題にぶつかって悩み続けることになってしまうと、かなり不安定になると思います。
それほど悩まずに済めばそれが一番良いと思います。

P145「長生きによる悩み」
医学が発達して物が豊かになり、みんな長生きできるようになったのですが、それとともに、「老いて死んでいくという大変なことを、みんなが一人ひとりやらなくちゃならなくなった」とありました。
平均寿命が今より短かった時代は定年後に高齢になる人自体が少なかったので、老後の老いて死んでいくということについて悩む人も少なかったようです。
豊かになった分新たな悩みが出てきたということで、「こころの処方箋」という本で河合隼雄さんが言っていた「ふたつよいことさてないものよ」という言葉が思い浮かびました。


「Ⅳ 老いを考える」
P184「眼鏡を忘れた時」
新幹線で読む小説を用意しておいて、新幹線に乗って「さあ読もう」と思ったら、眼鏡を忘れてきたことがあったとのことです。
その時、「ああ、これは休めということや。そんなカンカンになって本なんか読まなくても、窓の外にきれいな景色が見えてるんだから」と思ったとのことで、この考えは凄く良いと思いました。
うんざりした気分で新幹線の時間を過ごすより、窓の外の景色を楽しむほうに気持ちを向けたほうが断然良いと思います。

P187「人間の成熟」
ユングは年を取ると何かも全部下がっていくのかというとそんなことはなく、「人間が成熟していくという点では、実は上がっていくんじゃないだろうか」と言ったとのことです。
体力や記憶力などは下がったとしても、人間の成熟度という上げていけるものがあるのは良いことだと思います。
そこにいると場を和ませてくれるお年寄りはいるもので、そういう人は人間の成熟度も高いような気がします。

P195「自分の世界」
ユングはさらに「私は、誰にも取られない自分のものをもっています」というふうな世界を本当につくれるのは、中年から老年にかけてではないか」ということを言っていたとのことです。
私はこの言葉を見て、縁側で庭の草木や空を眺めながらお茶を飲み、静かに時の流れを楽しむおじいさん、おばあさんの姿が思い浮かびました。
そんなお年寄りになれたら嬉しいです。


本を読んでいて、河合隼雄さんが講演しているのをそのまま聞いている気がしました。
それくらい言葉が楽しく親しみやすく、どんどん読んでいくことができました。
深層心理学を題材にした講座でこれだけ笑いを交えながら楽しく話せるのは凄いことで、こんな人の講座であれば聞く方も楽しく聞けて良かっただろうなと思います


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春眠暁を覚えず

2017-03-17 19:47:28 | ウェブ日記
春になるとよく聞くことわざに「春眠暁を覚えず」があります。
「春の夜は短く、また気候もよいので、つい寝過ごしてしまう」という意味です。
またその延長線上で、一日を通して眠いという意味合いでもよく使われます。

真冬の場合は朝寒くてなかなか布団から出られないのに対して、春は朝の寒さもそれほどではなくなります。
布団の中に入っていると真冬よりだいぶ心地良く感じます
その心地良さからなかなか起きられず寝過ごしがちになるのかも知れないと思いました。

私もこの3月は結構眠いなと感じる日が多いです。
夜、まだ寝ようと思っていない時間帯でもひどく眠くなることがあり、昼間も眠いと感じることがよくあります。
少し花粉症気味で目がしょぼしょぼしているのも関係しているかも知れないです。

一日を通して眠い時間が多いのは困りますが心地良く眠れる陽気になってきたのは嬉しいことです。
梅雨の時期になると夜は寝苦しくなるので、心地良く眠れる期間はそれほど長くはないです。
せっかくなので休日は早めに寝て心地良く眠る時間を長くしてみようかなと思います。
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心境の変化

2017-03-16 19:57:56 | ウェブ日記
私は漫画「ONE PIECE(ワンピース)」が好きで、連載している「週刊少年ジャンプ」で毎週読んでいました。
ところが、昨年の8月から週刊少年ジャンプを読まなくなりました。
その頃はちょうど忙しかった時期で、ふと読まずに過ごした週があり、そのままそれ以降もこの3月まで読まなくなりました。

「ONE PIECE」は過去にも少しの間読まなくなった時期があるのですが、半年もの間読まなくなったのは初めてです。
「まあ読まなくても良いかな」という気持ちになっていました。

漫画や小説など、字を読むもの全般を読まなくなったわけではなく、小説はこの半年の間もそれなりに読んでいました。
なぜ「ONE PIECE」だけしばらくの間読む気がなくなっていたのか、この心境の変化が今までよく分からなかったです。
この半年の状況として、一つは忙しい時に読む気力が出なくなったこと、もう一つは忙しい時期がひと段落した後も読む気力が出ず興味もなくなっていたこと、この二つに分けられると思います。
忙しい時期がひと段落した後も読む気力が出なかった期間は、今まで読んだことのない作家の小説は読んだのに「ONE PIECE」は読まなかったという状況になっていて、これは異例です。
この半年、どこか空虚な心持ちの日々が多かったので、その心境が「本来は毎週楽しみにしていたはずのONE PIECEを読まない」という状況となって現れていたのかも知れないと思います。

そんな中、先日ネットカフェに寄って「ONE PIECE」の昨年8月からの物語が収録された巻と、さらにはその後の最新までの物語が収録された「週刊少年ジャンプ」をまとめて読みました。
なので今週の「週刊少年ジャンプ」に連載されている最新の話まで追いつきました。
読んでみるとやはり「ONE PIECE」は面白かったです

しばらくの間読む気がなくなっていましたが、ひとたび読み出せば一気に面白くなるのが「ONE PIECE」です。
気が向けば来週の「週刊少年ジャンプ」で読み、向かなければまたまとめ読みをして、物語を楽しんでいきたいと思います
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