【11月11日(日)】
こいこいアイランド会館→竜門の滝→小平→坂丸峠→父不見山山頂→杉ノ峠→生利→万場
5時30分、宿泊先としてお世話になったお家を、御主人が運転する自動車で出発。
途中、小越(おごえ)の湧き水に寄り道してもらい、水を汲む。
神流マウンテンラン&ウォークの会場となっている万場に6時前に着いたぴすけとダーリンは
自動車で送ってくれた御主人に丁重にお礼を述べ、御主人とそこで別れた。
まだ薄暗いなか、スーパーコースのスタート地点へと向かう
スーパーコースのスタート地点には、既に多くの選手達が出走の合図を待ち構えており
ほかの選手達も、次々に集まってくるところだった。
6時、「ポワ~ン」という出走の合図と共に、一斉に走り出す選手達
なかには、まだスタート地点に到着していない選手もいて、慌てて駆け寄ってくるのが見える。
スーパーコースのスタートを見送ったぴすけとダーリンは
こいこいアイランド会館で、朝食用のお弁当を受け取ると
2階の食事用広間で朝食を済ませ、ロングコースの出走時刻を待った。
7時、「ポワ~ン」という出走の合図と共に、ロングコースの選手達が一斉に走り出した
7時5分、こいこいアイランド会館を後にして、父不見山(ててみえずやま)へと出発。
ちょうどスーパーコースの選手達が、1時間前に通ったルートと同じ道を歩き始める。
出走地点のすぐ近くの山肌には、龍門の滝がある。
しばらくは舗装路を歩くが、神流川沿いの明るい雑木林の中を歩く。
落ちたホオの葉で、地面が埋め尽くされている。
途中、ぴすけは、2枚重ねで履いている靴下と、登山靴との干渉が気になり
何度も履きなおしたため、小平の集落に到着したのが予想より遅れて、8時。
結局、何度履きなおしても干渉が気になり、右足のみ2枚の靴下のうち1枚を脱ぐことにした。
小平の集落を抜け、大会用の道標が指し示すとおりに進む。
この道は、古くは上州から小鹿野へ、そしてさらに秩父へ抜ける峠道として使われていた。
その名残もあるのだろう、大変歩きやすく、雑木林と針葉樹の植林帯のコントラストが美しい道だ。
9時15分、石祠のある坂丸峠に到着。
9時40分、これからの季節、天気が良ければ見晴らしがよさそうな尾根に出る。
尾根に出てから10分、9時50分に長久保の頭に到着。
摩利支天というのがどこを指すのか定かではないが
この長久保の頭を道標どおりに南下すると、石祠があるようで
そこに摩利支天が祀られているのかもしれないし、二子山か両神山が正面に望めるような
南面が開けた見晴らしの良いピークに出ることも考えられる。
リンドウが1輪だけ、寂しげに咲き残る。
10時13分、父不見山山頂に着く。
父不見山は、「ててみえずやま」・「ててみずやま」・「ててみえじやま」・「ててめえじやま」
・「ててめいじやま」などと呼ばれるようだが、書籍などでは「ててみえずやま」が主流のようだ。
ヤマケイオンラインによると、その山名には諸説があり
戦死した平将門の子が、父を慕って嘆いたことから「父不見山」となったという説
寺僧が我が子を捨てて逃げた際に後を追った子供がこの山で見失ったからという説
北側に流れる神流川を挟んで住んでいた武将の妻子が
戦に出た父の帰りを眺めていた方向にあった山という説
などがあるようだが、この父不見山と埼玉県境を挟んで東側にある城峰山にも
平将門にまつわる伝説や、「将門隠れ岩」とよばれる岩壁があるので
この辺り一帯には、平将門の言い伝えが、多く残されている地域なのかもしれない。
山頂からは、生憎の天気とあって、展望は利かなかったが
5分ほど下った場所からは、吉田川沿いの街並みがぼんやりと眺められた。
山頂から杉の峠に向かう道には、シロヨメナ(ヤマシロギク)がまだ咲いていた。
アセビの木も多く見かけたので、春は花が綺麗だろう。
10時40分、山頂から35分で杉の峠に到着。
ここから長久保川に沿って下る道は、小鹿野を経て秩父に至る峠道である。
この道も、かつては上州と秩父を結ぶ交易路として使われていた。
杉の峠から5分ほど下れば、作業道と登山道が別れる道標が現われる。
ここから登山道へと入り、少し行った三叉路で、お昼を食べる。
風はないものの、寒気が入ってきているのだろうか、冷え込みが増しているのがわかる。
ぴすけなどは、手がかじかんでしもやけ寸前
1箇所、沢を渡るところがあるが、水量も少なく沢の幅も狭いので、ぴすけでも大丈夫
12時30分、生利(しょうり)の集落に到着。
歩いて万場へと戻る。
万場の神流マウンテンラン&ウォークのゴール地点では
町のボランティアの皆さんや既にゴールした選手などがランナーに声援や拍手を送り
ぐんまちゃんも、次々とゴールするランナーを迎えている。
ぴすけとダーリンが万場に戻ってきた時には、K家のお嬢さんは既にゴールしていて
あとはK家の息子さんのゴールを待つのみとなった。
お嬢さんからの情報によれば、途中の持倉集落で
足を痛めてひっくり返っている弟さん(K家の息子さん)を見たとのこと。
「彼は根性あるから、きっと来る。第2回の時も走りぬいたし。」
「そうだね。でも心配だよ~。大丈夫かな…。」
K家の奥さんも、我々の隣で心配そうに待っている。
そこへ、痛めた足のハンディを感じさせない走りで、K家の息子さんが走ってきた
「待ってたよ~!」
思わず、声を掛けたぴすけは、息子さんとハイタッチ。
息子さんは、ゴールまで、疾風の如く駆けぬけた
さすが
完走、おめでとう
今回は、大会に出場できなかったダーリンだったが
ランナーの皆さんの走りに刺激を受け、性懲りもなくトレイルランニングへの意欲が再燃
さて、どうなることか、今後の動向が見ものである
ぴすけとダーリンは、大会で手配された17時発高崎行き直行バスに乗り込んだ。
K家の奥さんとお嬢さん・息子さんは、雨にもかかわらずバスを見送ってくださった。
来年の大会はどうなることかわかりませんが、春の新緑・ツツジの季節に
御荷鉾山から赤久縄山の縦走をしに、伺いたいと思います。
皆さんが温かく迎え、優しく見守り、雨にもかかわらず見送ってくださり、嬉しさひとしおでした。
ありがとうございました
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走ってしまうにはもったいない、と言ったら、嫌味になるかもしれませんが。
今日は袈裟丸の予定でしたが(14日)、昼からの超冬型予報に怖気づいて、おとなしく子守(孫守り)をしていました。それにしても今日はいい天気でした。
昔の交易路としての面影が偲ばれる、良い道でした。
自動車がなかった時代は、花嫁も尻端折りをしてこの道を歩いてきたそうです。
神流町では、この神流マウンテンラン&ウォークのために、廃れて荒れた道を整備して復活させたり、専用のトレイルを新たに作ったようです。
父不見山の峠道も、おそらく相当手入れをしたのだと思います。
袈裟丸、相当寒くなるのではと、心配していました。
見送られたのですね。
ああ、古地図持ってくりゃ良かった!と、後悔しましたが、後の祭り。
この神流マウンテンラン&ウォークでは、古道の復活や整備もしていて(もちろん、大会で使うためですが)、トレランに反対だった打田一さんも、そうした試みを高く評価して、トレランもいいもんだな~なんて、『山と渓谷』に書いていましたよ。
私が今興味を持っている峠道は、雁坂峠と十文字峠。甲武信岳を組み込んで、歩いてみたいです。