ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

父からのメール

2008-11-08 19:06:34 | 日常
先日行った金峰山での尾骨損傷の、その後の経過を聞いてきた父に
返事と共に写真を添付して、メールで送った。
金峰山に行く前に、体調の悪い母を見舞いに実家に行った折
父と金峰山の話題になり、高校生のときに登ったと懐かしがっていたからだ。
その父から、返信のメールが届いた。


「懐かしかったよ:
 金峰山の写真懐かしく拝見。
 樹林帯を抜けた時初めて出会った岩稜が金峰山でした。
 黄花石楠花が咲いていました。
 五丈石のしたで沸かしたコーヒーは濾過が出来ず、
 粒々の入ったまま飲んだことを思い出しました。
 当時は、ポリフィルムなど無い時代でマッチを油紙に包んで持ち歩いたものです。
 足は地下足袋でした。
 行き交う登山者の中には着茣蓙を背負った姿もありました。
 瑞垣山も懐かしい山です。
 紅葉の中を登りましたが八ヶ岳が正面に見えました。
 落ち葉を蹴散らしながら下山しました。
 高校時代を思い出させてくれて有り難う。」


時代を感じる内容だ
私は過去に民俗関係の仕事をしていたのでわかるが
私と同年代でも、油紙や着茣蓙なんてちんぷんかんぷんの方もいるだろう。
父は、私が幼いとき、山に登ることを教えてくれた。
初めての登山は小学校2年生の秋、群馬県の荒船山だった。
当時は、特急あさまに乗り、途中の横川駅で釜飯を買い
小諸駅で小海線に乗り換えた。
小海線の中込駅からバスに乗り、終点の荒船山荘前で降りると
そこから物見岩を経由してその日の宿である神津牧場へ向かった。
物見岩では、横川駅で買った釜飯を食べた
お腹が空いていたことも、屋外であったこともあるのだろうが
横川の釜飯のおいしさに、衝撃を受けた
今思えば、父は、あの重い釜飯をわざわざ背負って歩いてまでも
私に釜飯を食べさせたかったのだろう。
父は、随分といろいろなお店にも連れていってくれたし
今まで食べたこともないような、新しい料理を食べさせてくれた。
現在、大切なものとなっている登山も料理(味覚)も、父から譲り受けたものだ。



こう書くと、メールの内容といい
なんだかと~っても良い父親のように見えてしまうのだが
実はこの後、トホホな顛末が待っているのだった…(つづく)





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