ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

やっと、やっと…

2017-06-17 21:52:06 | 日常

2012年の夏に急激に悪化したパニック障害。
私の場合は、覚醒している時には発作が起きず
就寝後1時間から1時間半後に発作が起きる睡眠時パニック障害だった。
よくよく考えてみると、それまでテント生活をしている時に限って
夜になると息ができずに目が覚めて、猛烈な動悸と手の痺れ
寒気とめまいと焦燥感に苛まれることが度々起きていたが
山から下りるとそんなことは起こらなかったし
それがパニック発作だという自覚もなかった。


ところが、2012年の夏だけは、吾妻でのテント生活の後
山から下りても症状は治まるどころか、ひどくなっていった。
息ができずに夜中に突然跳ね起きると、心臓が破裂しそうなくらいの動悸
手が痺れて寒気で震え、なんとか起き上がると平衡感覚が狂っている感じで
フラフラというかフワフワとしか歩けず、とにかく息が苦しくて
いっそのことこのまま気絶するとか、死んでしまった方が楽になるのにと、いつも思っていた。
それが毎晩、しかも、寝ついて1時間から1時間半後に起きる。
発作は10分くらいで鎮まるが、その後しばらく起きて気持ちを落ち着かせ
やっと寝つくと、また1時間後に発作が起きることの繰り返し。
夜に熟睡できないので、朝は朦朧としているし、昼間も疲れて猛烈にだるい。
夜に寝られない分、昼寝をしてみようと思って座椅子にもたれかかってみても
少しうとうとし始めると昼間でも発作が起きる。
食欲もなくなり、疲れが半端ではないため、外出するのも命懸け。
群衆も怖かったが、眠らなければ発作が起きることはなかったため
なるべく普段の生活をしようと心掛け、体に鞭打って外出もしたし買い物にも行った。
しかし、近所のスーパーで買い物中に、陳列棚に並ぶ品物を見ていたら目が回り始め
吐き気とふらつきで立っていられなくなり、壁にもたれかかったり、道を這いながら
なんとか家に帰ってきた時は、とうとう外出が困難になったと思わざるを得なかった。
最悪だったのは、最初にかかった近所の精神科で
夢を見ていないといくら話してもわかってもらえず
夢を見て暴れているレム睡眠障害だと診断され、通院する度に薬が増えていったこと。
思い切って病院を変えたところで、睡眠時パニック障害と診断され
徐々に薬を減量しつつ、病院で勧められた認知行動療法のクラスにも通ってみたりして
良くなったりぶり返したりを繰り返しながら、5年を掛けて寛解した。
薬の減量もとてもつらいものになってしまい、死にたい欲求を押さえるのに必死だった。


13日(火)の通院で、医師から
「これまで粘り強くやってきましたね。定期的な通院は、今日を最後にしましょう。
  でも、これからも好きな時に来ていいんですよ。
  心配なことがあったら、いつでも来てちょうだい」
と言われ、やっと、やっとこの日が来たのだと感じた。
私の場合、アレルギー症状とパニック発作にかなり関連性があるようで
今でも急性のアレルギー症状が出た夜は、なんだか怪しい雰囲気になるのだが
発作が起きることはなくなったし、自力でやり過ごすこともできるようになったと感じている。
いまでも面白いなと思うのは、2013年に吾妻小舎の小屋番として赴任していた7か月間
薬は常時服用していたものの、パニック発作が起きたのは、赴任した日の夜1回きりで
その後の7カ月間は一度も発作が起きなかったのであった。
水が簡単に手に入らない時期があっても、電気がなくても、風呂がなくても
常設電話もなく、郵便も宅配便も届かず、ネットがつながらなくても
朝早く起きて夜遅く寝る仕事でも、大繁盛でてんてこ舞いでも
時々ちょっと困ってしまうようなお客様がいらしても
きれいな水と空気のある場所で、厳しい自然が時折垣間見せる美しさに慰められていたのだろう。
山の中での貴重な7カ月間の生活を経験できたばかりか
その後も、そこに行けば、まるで故郷に帰ったかのように感じられる山小屋があって
私はとても幸せ者だ。



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4 コメント

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いいお医者さんに出会えて (芝刈り爺さん)
2017-06-18 15:13:51
やっぱりいい医者っていますよね。転院正解、、良かった、良かったです。また具合悪かったら、、おいで下さいね、、という言葉ありがたいですよね。まあ無理せずにぼちぼちですね。吾妻小舎、、行ってみたくなりました。それでは。
 追伸 私も初老の鬱??腰痛性鬱??でも薬常用は、、何故か嫌で。。まあでも今のところ、くすぶりつつ近場の山歩きを安定剤にしてますけど、、。
まあお互いにご自愛ご自愛で!
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医師選びは難しい (ぴすけ)
2017-06-19 00:17:00
芝刈り爺さん、病院選び、医師選びは難しいですね。
かかってみないとわかりませんし、体調が猛烈に悪い時に病院を変えることは、私にとってはかなり難しく感じられましたし。
近くの病院でさえやっとの思いで行っているのに、病院を変えた場合は電車に乗って駅から15分歩かなければならなかったので、まず、そこまで行けるのだろうかと、とても不安でした。

芝刈り爺さんも、心身ともに大変でしたね。
体と精神面は、どちらかが絶好調の時にもう一方が絶不調ということはめったになく、密接に連動していて、どちらかが絶不調になるともう一方も引きずられるようにして不調になっていき、うっかりすると負のスパイラルに陥ります。
芝刈り爺さんも、徐々に症状が和らいできたとのこと。
なによりです。
またゆる登山に連れて行ってください。
私は吾妻小舎から出動命令が来て、23日から10日間あまり、小舎に滞在します。
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おめでとうございます(^^) (ぽぴ)
2017-06-23 16:08:47
粘り強い取り組みによる 定期的通院からのご卒業、おめでとうございます(^^)
なんにせよ区切りや節目というものは、その時その時までの お疲れさま♪です。
小さなご褒美、大きなご褒美、自分にあげながら、少しずつ歩いてく感じです(^^)

ぴすけ様の大いなるパワースポット吾妻小舎での滞在。任務でもあり、ご褒美でもあり、労働でもあり、癒やしでもあり…でしょうかね。
お気をつけて、行ってらっしゃいまし✨
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のんびり行くしかないんだよね (ぴすけ)
2017-07-04 22:32:01
ぽぴさん、薬を飲まなくなり、通院もなくなって、ずいぶん負担が軽くなりました。
薬の副作用で太った分も、薬をやめた途端に減って、元に戻りました。
でもね、まあこれも寛解であって、完治ではない気がします。
怪しい夜もあります。
でも、なんとかしのげるようになりました。
焦っても仕方がない、のんびり行くしかないのだ、と思っています。

吾妻から帰って少々驚いたことがあります。
実は、4月に夜行バスを利用して旅行した時にバスの中で受動喫煙に遭い、それ以来悪化していた体調がさらに悪化し、タバコ以外の臭いにも強く反応が出るようになってしまいました。
咳喘息は治らないし、柔軟剤や化粧品の臭いで頭痛や吐き気もして、外出が恐怖でしたが、空気のきれいな吾妻で10日間あまりを過ごしていたら、体調も良くなったのか、タバコや香害に曝されなかったからなのか、埼玉に帰ってから臭いに対する耐性が復活しました。
いかに下界の空気が、妙な臭いで溢れ返っているかということだと思います。
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