ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

北海道にもいた愚かな知事

2011-08-18 15:39:20 | 日常

古川康佐賀県知事と少々質は異なるが、ここにもそれに引けをとらぬほど愚かな知事がいたのかと
呆れて二の句が継げないのは、高橋はるみ北海道知事のこと。


そもそも、高橋はるみ知事は国に対し、7月14日に泊原発3号機(北海道泊村)に関する質問状を出し
その回答を受けてから「初めて(営業運転再開の)検討がスタートする」と表明していた。
北海道電力も国からの回答が届き、道の理解を得てから
営業運転に向けて最終検査を受けるのが最善、と考えていたようだが
国は道に回答を示すと同時に最終検査を受けるよう再度求めた。
北海道電力は、「最終検査を受けるのは法令に基づく事業者の義務」と判断し
申請手続きを取らざるを得なくなったとして
9日、定期検査中で調整運転している泊原発3号機の最終検査を申請した。
これによって国が、11日にも泊原発3号機の営業運転を認める可能性が出てきたことに対し
高橋知事は9日夕方に臨時会見を開き
「我々への回答と同時に北電に(最終検査を)受検しろと指示を出す。地元軽視で、甚だ遺憾だ」
と、政府の対応を強く批判した。
質問状で3号機を営業運転中の原発と同じに扱う理由について政府の統一見解を求めていた高橋知事は
最終検査の申請の際、法令上は道の同意は不要だが
「丁寧な地元との対話が重要だというのが世の中全体の流れだ」と強調し
約1か月間、政府の回答を待ち続けていたというのだ。
回答内容について高橋知事は、「精査して考え方を整理する」と話し
営業運転再開の是非も、「このままプロセスが進めば、(地元の判断は)全く意味がない」として
判断を示さなかった。
そして17日、高橋はるみ知事は記者会見で、掌を返したかのように
「国において最終検査の手続きを行うことに異議はない」と述べ、原発に対する国の安全対策を評価し
泊原発3号機の営業運転再開を容認する考えを正式に表明した。


私は当事者ではないので、一部始終を知っているわけではないが
上記のような報道内容から想像するに、これって自分を組織に投影して肥大化した結果
「俺は会社だ」と勘違いして、ちょっとしたことでも耳にしていないことがあれば
「俺は聞いていないぞ」と怒ってへそを曲げる愚か者管理職と似ていないか
高橋知事の場合、「地元とは、私のことですわ」なんだろう。
まあ、知事だから、北海道民を代表しているわけで
「知事=北海道」はあながち間違いだとは言えない面もある。
しかも、2011年4月の知事選挙で他の3候補に大差をつけて圧勝       
九州にある、原発を抱えているどこかの県とそっくりだ
選挙結果によれば、北海道有権者の約41%の支持を集めた計算になり、しかも3選
7月に県知事選挙で当選した某埼玉県知事とは信任度が違う
それだけ道民から信任されているのだ。
「地元とは、私のことですわ」と思っても不思議ではない
その地元(=知事=私)にお伺いを立てることもせず、国は北電に指示をするなんて
「地元(=知事=私)軽視で、甚だ遺憾だ」し、「丁寧な地元(=知事=私)との対話が重要」なのに
これでは「地元(=知事=私)の判断は全く意味がない」と、地元(=知事=私)として御立腹
ということなのだろう。
本当の意味での地元(道民>泊原発周辺住民)の意見など聞くまでもなく
地元(=知事=私)の意思は決まっている。
でも、「俺は聞いていないぞ」とへそを曲げられると困る地元(=立地町長)もいることだし
「一応地元(=立地町長)には聞かなくちゃ」ということなのだろう。
もちろん地元(=立地町長)もOKに決まっている。


この度の福島第一原発の事故で、原発推進派だった福島県知事を始め立地町や周辺行政区の首長は
被害者面をして攻撃の矛先が自分に向けられないよう、国や東電を攻撃しているが
北海道は決してそのようなことにはならないと、道民は安心して大船に乗っていられるではないか
何かあったら、「地元(=知事=私=高橋はるみ)」がすべて引き受けてくれるはずだ。
この際、放射性廃棄物も、「地元(=知事=私=高橋はるみ)」に引き受けてもらおう。
「北海道を愛するみんな」のために、「子どもたちの未来のために」原発を稼動させる知事を選んだ
北海道民よ
投票行動を恥じるなら、今からでも遅くはない。
高橋はるみ知事のリコールを



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
no will (noga)
2011-08-18 15:59:16
意思の自由は、行動の自由の基礎になる。
民主的な方法により個人選びをすることにより、社会の意思決定 (決断) をすることにする。特定の個人行動に自由を与えることにする。

個人に意思がなければ、せっかく個人選びをしても、社会の意思決定(決断)は行われない。
各人に意見はあっても、社会的に問題を解決するには至らない。
だから、社会には、政治問題が山積している。

意思は未来時制の内容である。
日本語には時制はなく、日本人には意思がない。
日本人は、意思薄弱に見える。指導力に欠けている。
全てをさせられ体験としてのみ語る。自己の意思を高らかに示すことはない。
能動がないから、日本人の精神には閉塞感がある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
返信する
得票率約41%は (ぴすけ)
2011-08-18 20:14:59
nogaさん、民主的な方法によって選ばれた高橋北海道知事も、裏を返せば59%の人は支持していないわけです。
便宜上、多数の支持を得た者が代表者となる取り決めによって、実態は過半数が支持していない知事が道を代表して意思決定をしている。
これは、高橋知事を支持した有権者が、自らの投票行動を恥じるのであればもちろん立ち上がるべきであるし、むしろ支持しなかった有権者こそ怒りを表明し、立ち上がらなければなりません。
少し厳しい言い方になりますが、あの福島原発の惨状を知りながら、道民も泊原発の営業運転を許したのですから、それなりの覚悟を持っているのだと私は受け止めています。
将来子供達に、「なぜあんな危険な物を動かしたのだ。」と聞かれて、大人は説明できるのでしょうか。
将来子供達に放射性廃棄物の山を残して、自分たち大人は目先の贅沢や便宜を追い求めることに、恥ずかしい思いはないのでしょうか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。