ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

種蒔き兎に見送られ

2011-04-10 23:54:14 | 日常

4月7日(木)、仕事から帰って食事を終え、パソコンを開いた。
未読メールのなかに、友人からの「遠藤さんの訃報」というタイトルを見付け、愕然とした。
メールには、「たった今、吾妻小舎の遠藤守雄さんが亡くなられたと連絡が入りました。」とあった。
その日は珍しく早く帰っていたダーリンにその旨を告げ、メールをくれた友人に電話をかけた。
私もダーリンも心がざわつき、何かに手をつけることができず、ただうろたえるばかりで
ちょっとしたパニック状態に陥っていた。
かなりショックを受けたため、私は腹痛が出てしまったのだが
なぜか神経だけが研ぎ澄まされて、目が爛々としているような有様だった。


遠藤さんは若い時からの病と闘いながら、吾妻小舎の管理人として数多くの登山者を迎え
心のこもったもてなしで登山者の疲れを癒し、次の山行へと送り出してくれた。
我々は、吾妻小舎での楽しいひと時と遠藤さん御夫妻のお人柄が忘れられず
その何たるかが知りたい一心で手紙を書き、「修行」と称して無理を言って
吾妻小舎にお手伝いを申し出た時、遠藤さんは「真剣な人には真剣に応える」とおっしゃって
受け入れてくださった。
お手伝いに伺ってから5日めの夜には、吾妻小舎の管理人になってからの話や心構えなどを
「いつか話す機会があったらと思っていた」とおっしゃって、我々に話して下さった。
あの夜のことは今でも忘れられないし、遠藤さんの一言一句が心に刻まれている。
その後も無雪期にはお客としてもお手伝いとしてもお邪魔していたのだが
昨年は、父が他界したり、自分自身の子宮筋腫の手術があったりして
吾妻小舎に伺うことができなかったのだ。
そのことは、本当に悔やまれてならない。


メールで教えてくれた友人から、遠藤さんの通夜と告別式の日程を聞いて
これは紛れもない事実で、なにがなんでも福島に行こうということになった。
9日(土)の9時過ぎに自宅を発ち、東北自動車道を一路福島に向かった。
約3時間半で福島に到着し、18時30分から執り行われた通夜に参列。
10日(日)は9時からの出棺前の読経とお見送り、14時からの告別式に参列。
遠藤さんと縁のある、大勢の方が弔問にみえた。
ひょんなことから遠藤さんの御友人の男声4名に混じり
献歌(『遥かな友に』と『ふるさと』)を歌えたことも、私に出来ることとして大変有り難かった。
福島では、震災のみならず、福島第一原子力発電所の事故の影響を現在進行形で受けている。
今後どのように推移するのかは予断を許さない状況にあるが
遠藤さんが遺された浄土平の有形無形のものに会いに、私はまた浄土平を訪れるだろう。


「吾妻の峰に春風吹いて 種蒔き兎消える頃 朝日を受けて 天に映え」と詠われた
『ふるさとのやま吾妻山』の歌詞ではないが、まだ消えない種蒔き兎に見送られ
吾妻小舎の管理人・遠藤守雄さんは旅立たれたのである。
遠藤さん、無理矢理お手伝いに伺いましたが、小屋の仕事を1から教えてくださり
感謝しています。
遠藤さんの教えは、私の心にしっかりと刻まれています。
「またおいで。いつ来たっていいんだよ。」そう言ってもらえて、私は幸せでした。
遠藤さんありがとう。
痛みのない世界で、ゆっくり体を休めてください。



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