ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

落としたい!

2011-06-04 11:28:44 | 日常

何か書きたいと思っていたが、腹が立って腹が立ってうまくまとまらず
今に至ってもまだはらわたが煮えくり返り、怒髪天を衝いている内閣不信任の一連の騒動
マスコミは、あの一件が永田町特有の話であるかのように仕立て上げ
街頭インタビューなどでそれらしき方向で応えてくれた意見を垂れ流しているが
なんのことはない。
ああしたゴタゴタや言動不一致、集団の中で周りの顔色を見ながらいかに多勢に付くかに腐心し
自分のことも顧みず誰かのせいにしたり、大切な話し合いの時に逃げたりする
ああいう行いは、どこにだってある。
つまりは、我々選挙民のレベルが反映され、我々に利息が付いて還元されているだけなのだ。
国会議員を選んだのは、我々でしょ
我々の代表だもんね


私は、菅(以下、敬称略)の肩を持つわけではないが、彼は辞めないなどと一言も言っていない。
「俺は辞める気はない。」と、菅が周辺に洩らしたと一部で報道されているが
公の場では、「一定の目処がついたら辞める。」と言っているのだ。
それを、皆それぞれが自分の思惑で6月いっぱいだの、せいぜい8月だのと
いわば手前勝手に都合よく解釈しているだけで
「一定の目処」を原発事故のステップ2だとする菅のことを、そしることなど出来ない。
鳩山よ、そんなに菅を辞めさせたかったのなら、不信任案に賛成すれば良かったのだ。
ほかの議員も同様に、菅が駄目だというのなら、賛成票を投じれば良かったのだ。
党を割ることを防ぎたかったとか言い訳がましく言っているが、既に内部は割れているではないか。
この一連のゴタゴタを、民主党が一致団結しての大芝居だとする見方もあるようだが
復興政策や補正予算に一致団結出来ないのに、芝居なら団結出来るというのもおかしな話だ。


国会議員を選んだのは我々だけど、私は小沢も鳩山も原口も輿石も…選んでいないぞ
今まで1度も欠かさず投票義務を果たしてきたが、比例代表は別として
私の票はごくごく一部の地方公共団体の議員選挙以外は、尽く死票となっている
現行の選挙制度では、少ない駒の中から議員を選ぶことは出来ても
破廉恥極まりない彼らを落とすことは出来ない。
その選択は、破廉恥極まりない立候補者が立候補する選挙区の選挙民に委ねられている。
ここがどうにも歯がゆい。
最高裁判所裁判官の国民審査のように、選挙の時に落選させたい候補者に
×が付けられないものだろうか。


それにしても、鳩山という人には笑わせられる
菅のことを「うそをついてはいけません。」などと言い、「ペテン師まがい」とまで罵っているが
ではあなたはどうなのかね?
普天間基地移設問題の時の「腹案」はどこにあったのか教えてほしい。
総理大臣経験者が退任後あれこれと口を挟むのはよろしくないから
次期総選挙には立候補しない、と言っていたのは、なんだったのか教えてほしい。
「政治家同士の言葉は重い。」と鳩山は言うが、ではあなたの言葉はなんだったのか教えてほしい。
そうか
普天間基地移設の「腹案」も、次期総選挙への不出馬も
「政治家同士の言葉」ではないからね。
それらは「国民への言葉」だから、鳩山にとっては舌先三寸。
笑っちゃうね


みんな、もっと真剣に選挙について考えよう。
我々の投票行動の結果が、今日の姿を映し出しているのだ。
ただ、私の手の及ばぬ所で選出された破廉恥極まりない議員に、なにも出来ないことは
本当に悔しい。
選挙で彼らを落としたい



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11 コメント

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no politics (noga)
2011-06-04 11:44:32
日本人には、世界観がない。
それで、人々には、社会の行き着く先に想いを寄せる習慣がない。
だから、政治問題に関心がなく、その解決策にも関心がない。
「指導者は、何もしないのが最大の貢献である」とか、「指導者には、いますぐ辞めてもらいたい」といったものばかりが考えとなる。
現在の指導者を助けて長持ちさせ、改革の効率を少しなりとも上げるといった考え方はない。
より良い指導者を推薦することもなく、より良い政策を提案する能力もない。

どうして現在の指導者を退陣に追い込むかに頭を使っている人が大勢いる。
問題解決の能力はないが、事態を台無しにするだけの力を持った人がいる。
それで、各首相の政治生命は結果的に甚だ短い。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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この程度の国民にこの程度の政治家 (ぴすけ)
2011-06-04 21:25:22
nogaさん、ようこそおいでくださいました。
一人一人が、何を目指すのか、どこに行くのか、どの山に登るのか、それさえ自覚せぬまま漂うように生き、あまつさえ政党も国民に何を目指すのか、どこに行くのか、どの山に登るのかを明示しない(できない)有様。
これで政党政治といえるのか疑問です。
自分がリーダーだったらどうするかという具体案を提示しないまま、相手方の出来ないことをあげつらい激しく糾弾したり、辞めるといったのに一向に辞めなかったり(辞めるという言葉を、脅しとして使う人もたくさんいます)、自分も過去に同じことをしていたにもかかわらず、相手方がしたことには自分のしたことも忘れて激しく責めるようなことは、集団に属すと日常茶飯事のようにそこここで起きています。

結局は、国民の民度と同レベルの政治家しか選べないのです。
政治家にとっては、国民の民度が低い方が御しやすい。
自分より上を行ってもらっては、御しにくいばかりですから。
一流の人は、一流の人と共に行動しますが、二流の人は三流の人と行動を共にすることを好むのと同じです。
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日本は民主主義? (ガブ)
2011-06-05 01:52:02
ぴすけさんこんばんは。

かなりお怒りですね。

民主主義なのに、国民主権なのに、なぜ望まぬ総理が続けられるのでしょう?管総理を望んでいる人がいて、望まぬ人より多いのでしょうか?議会の結果は国民の意思と同じでしょうか?

どうもそう思えない。日本は民主主義ではないと思うのです。

そもそも、封建から民主化という流れには、抑圧による人心の圧縮があり、圧縮の圧力がピークに達して民主化運動や革命が起きるのだと思います。

日本は、与えられているのですね。圧縮がピークに達することなく、見せかけの民主化を果たす。

もともと日本人は、言葉遊びに長けていることが裏目となり、「言葉の解釈」という伝家の宝刀で約束を破る。原発は作るし軍隊は作るし、武力も持っている。だからうまくすり抜け、人心の爆発にまで至りにくい。

さらに「生かさず殺さず政策」により、国民総中流意識などという茶番劇にまんまとのせられる。

林文子横浜市長のニュースを観てはっとする。横浜市では、託児所など環境が整い、待機児童がいなくなるとのこと。林市長曰く、「選択と集中です」と。

なるほど、日本人はこれが弱い。大昔は百姓一揆などがあれども、抑圧に爆発して民主化を選択したことが無い。そのリスクも味わっていないし、勝ち取ったカタルシスも味わってない。

民主化は多数決の論理が基本となり、何かを選択すれば必ず誰かがリスクを負う。選択とは、誰かの不利益を生むことで、それでも選択しなくてはいけない。

だが選択できないのが日本。なにかを選択すると、そのリスクを負う人たちの側にたち「判官贔屓的に」マスコミが騒ぎ立て、選択者を攻撃する。

日本人の一人一人は素晴らしい人が多いと思うのですが、なぜか政府には一人もいない?

政党を作り、大きく育てる過程で、手法を間違っているのだと思う。

政党を大きくすることのみに重きを置き、個人の政治理念は調整する。特に後援団体の利益を中心に置く。いくつかの派閥、会派をまとめて党を大きくする。その派閥、会派などにそれぞれ後援団体がいて、それらの利益を中心に置き、不利益になる法律は作らない。それも調整。そして調整。またまた調整。これが民主主義なのでしょうか?

昔の英和辞典のはしりのような本に書いてあった。「なんデモクラシ良いが良い」。なんて単純明快。デモクラシーは、人が暮らしよいものでなければ、いけないのですね。

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選挙区抽選制 (ぴすけ)
2011-06-06 17:32:10
ガブさん、日本の国政は間接民主主義ですので、地方自治体の首長を選ぶ直接民主主義と比べたら、「なんでそうなるの?」となってしまうことが多々あると思います。
自民党政権の時の「密室政治」とか「談合政治」が成り立ってしまうのも、間接民主主義だからではないでしょうか。
記事に書きましたが、確かに私は小沢も鳩山も選んでいませんが、彼らの選挙区の選挙民から「私達だって、あなたの選挙区の○○も、埼玉から立候補している枝野も選んでいない!フン!お相子だよ。」と言われてしまえばそれまでなのかなと考えています。
国会議員は国の代表であって、地域に利権や利益を誘導するものではないと、選挙民も認識するべきです。
後援会の理念なき後援は、当選者を堕落させます。
選挙制度も、最高裁判所裁判官の国民審査のように選挙のときに×をつける方式や、選挙区制を全国区或いは比例代表制にしてしまう方式や、間接民主主義ではなく直接民主主義を採用すること(ということは、大統領制ということになるのかな)など、いろいろと考えましたが、現時点での私の考えは選挙区抽選の小選挙区制ということで落ち着いています。
「ふざけるな!」と言われそうですが、至ってまじめです。
国会議員の職務を純粋に遂行するため、利権や利益誘導が出来ないように、立候補する選挙区は公開の元、抽選で決定します。
そのうえ、地域性を勘案する必要もなくなりますから、これによって1票の格差を極力少なくすることも可能になると考えられます。
もちろん、その選挙区で解決しなければならない問題があれば、国政に従事すると共に周辺選挙区から選出された国会議員や地方公共団体の議員・首長等と協力して任期中に解決できるよう働き、次の選挙の際には前選挙区の選挙民によって任期中の評価(評価項目については、統一したものを作成する)を受け、それを公開します。
利権やしがらみがなければ、全選挙区での評価が低い立候補者に、あえて投票する必要がないと思います。
選挙区が抽選で決められれば、現職であれば国会議員の「職務」として任期にどれだけ仕事をしたか、新人であれば具体的にどのように「職務」を遂行しようとしているのかを、利権やしがらみから離れて判断できるのではないでしょうか。
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いやはやごもっとも (芝刈り爺さん)
2011-06-06 19:57:32
国民以上の政治家はいないんでしょうね。
みなさん、選挙区やらで当選なさっているんですから。呆れて、ついでに自己嫌悪です。もっとも私も現行小選挙区では死票を生産していますが。

イギリス、フランス、アメリカ、それぞれ革命や独立から、200~300年。かの国々の民主政治が素晴らしいとも思いませんが、成熟した感じは持っています。我が国は150年、まだまだ途上国。特に地元の利益優先の現行選挙制では、高邁な政治など望むべくもなく、オラノ家の前の道を何とかしてくれ、というレベルなのでしょう。それもまた必要な生活政治でしょうが。巨大な財政赤字、この国の未来を憂いますが、それこそどうなるやら。

先日、福島、南会津の山に行きました、山の中で誰にも会わず、ふもとの温泉もカランとして、これも風評被害でしょうか。みんなで暑さに耐えて恐ろしい原発を減らしましょうね。
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まさに、成熟が必要です (ぴすけ)
2011-06-06 21:11:22
芝刈り爺さん、「成熟」とは政治にも、人間にも必要ですね。
私は、『大人にならずに成熟する法』(中央公論新社)という本を持っていますが、(「大人」をどう定義するかは話が長くなるので割愛します)「成長」より「成熟」を考えるべきだと感じます。
ただし、「成熟」を考えるには、既にそこそこ「成熟」していることが必要かと…
あとは、個人的にどんなに立派でも、どんなに良い人でも、集団になった途端に周りの顔色を見ながら予定調和を図り、長い物に巻かれるようにしか生きられないのでは、立派でも良い人でもないように思います。
「空気を読む」「空気が読めない」とは、「癒やされる」と同じくらい私が嫌いな言葉ですが、空気を読む必要がどこにあるのでしょうか。
「空気を読む」ことと、周囲に迷惑を掛けないこととは違うし、場の雰囲気を壊すこととも違うと思うのですが…。
今の政治も人間も、幼稚な感じを受けずにはいられません。
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成熟ですか。 (ガブ)
2011-06-07 19:26:09
ぼく自身は、今もこの後も成熟は出来ないんだろうなと思っています。妙にじじくさく、子供っぽいのです。

ライフサイクルに異常を来しているのだと思う。事故言及。

さて、一票の格差について、ぼくも一案あります。

選挙区などは、変えても変えなくても良い方法。

国会での議決権に係数を設けるのです。

つまり、得票数が係数。

そして、係数に上限と下限を作る。

より多くの人に支持された「人」は、議決権も1.5倍とか。

国会が少し面倒になりそうですが、政党でなく人という点。一人一人の権利を、平等に扱う点。

いいと思うんだけどな。
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成熟した子供を目指しましょう (ぴすけ)
2011-06-08 23:42:17
本来は、「大人」とはなんぞやという議論から始まり、定義しなければいけないのかもしれませんがここは割愛して、成熟した子供を目指せば良いのではないでしょうか。

さて、国会での議決権に係数を掛けるというご提案ですが、国会での議決に係数を掛けることと、国会議員を選出する際に生じる1票の格差とは別物であって、係数を掛けたことで解消されるとは思えないのです。
なぜなら、1票の格差が3倍の選挙区から当選した議員が、係数(ここでは仮定ですので、単純に3倍とします)を掛けたことで国会での議決権を3票持ってしまったら、3票全てが賛成もしくは反対のどちらかに入ることになります。
1票の格差をなくせば、かつて1票の格差が3倍あった選挙区からは3人の国会議員が選出されることになり、3人は1票ずつを各々の考えで賛成もしくは反対に投じることになります。この場合、3票が同じ意見になることもありますが、1対2もしくは2対1で割れることもあります。
となると、単純に議決権に係数を掛けただけでは、人口の多い都市部の選挙区から選出された議員の意見にかなり傾く可能性があります。
現在でも、1票の格差があることによって人口の少ない選挙区の意見を生かせるとして、容認論を唱える人もいるくらいです。
係数を掛けることによって1人の議員が複数票の議決権を持ち、一方の意見に多数票を投じるということは、偏りを生じ、危険なことのように思います。
やはり、素直に1票の格差をなくすことを目指すか、完全に比例代表制(これも名簿の順位に関与できず、どこに行くのか提示できない体たらくの政党名を書くのは至難の業ですが)にしてしまうかしかないのでは?

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ウ~ン、そんなことはないか… (ぴすけ)
2011-06-08 23:52:23
1票の格差をなくすことは、都市部の議員が増えるのではなく、人口の少ない選挙区の議員が減ると考えるべきか…。
あ~、難しい。
しかし、選挙区は違っても、国会議員の職務を考えた場合、他選挙区であっても必要なことは実行しなければならない(はず)。
もし、自選挙区のことしか考えられないようであれば、選挙制度を変えることで利権誘導できないようにし、しがらみをなくすしかないのでは?
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人の望みの喜びよ (ガブ)
2011-06-11 13:09:24
少し複雑でしたね。

一人一人の投票(意志)が議決に正しく反映され、望む立法を実現する方法だと思います。

しかし、不安要素もあります。

選挙まで大変な人気を集め、多くの得票を得て当選。その後、言葉のあやを駆使して、選挙までとまったく違う考えの議員になるケース。これはまず、一人の議員が持てる議決権に上限を設けることが必要。専制を避けるため。つぎに、今も起きている当選後の方向転換に、規制をかける。マニュフェスト違反にも規制。

なかでも、議決権の上限が一番難しい。折角の平等性が損なわれる事もあるからです。

環境の整備も必要です。多数決の精度を上げると、資本主義経済で大きくなった企業や、宗教団体などに関係する票が多数になる可能性があります。

これにはまず、政治献金を全廃する必要があります。そのうえで、公金から必要額を支給。分配率は、得票数により判断。また、政教分離は厳しく規制。

残る問題は、有権者が正しい判断を出来るかどうかです。経済、外交、福祉など、レクチャーしてくれる手段?機関?が必要です。

と、こんな内容なのです。この内容には、少数多数の問題は無いのです。
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