ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

竹寺・子ノ権現ハイキング

2015-01-14 23:05:21 | 登山(奥多摩・奥武蔵・秩父)



東飯能駅→小殿バス停→竹寺→豆口峠→子ノ権現→吾野駅


先日買った登山靴の履き慣らしと、今年の歩き初めを兼ねて
厄病消除に御利益のある竹寺と、足腰守護で有名な子ノ権現天龍寺をつないで歩くことにした。
6時46分、最寄り駅を出発。
途中、大宮駅で川越線に、川越駅で八高線に乗り換え、8時40分に東飯能駅に到着。
8時54分発の名郷行きバスで小殿バス停に向かう。
飯能駅からやってきたバスは既にほぼ満席で、かろうじて空いていた席に座ることができた。
昨年5月の棒ノ嶺登山の時も、バスは満席どころかすし詰め状態で
国際興業が撤退しなければならない理由がどこにあるのか不思議に思うほどだったが
平日の日中などは、乗客も少なくなるのかもしれない。

小殿バス停でバスの乗客はほとんど降りた。
ぴすけの外は、20名は優にいるグループだった
これはなんとしてもこのグループより先に歩き出さなければならない
そそくさと身支度を整え、鳥居観音の横顔を見ながら、9時40分、小殿バス停を出発。

竹寺への道は、スギやヒノキの植林帯を抜ける道だ。
これぞ、西川材となる木々だろう。
歩き始めて調子も出てきたかという頃、10時30分にあっけなく竹寺に出る。
竹寺とは通称で、正しくは医王山薬寿院八王子という。

境内の裏手に出たようで、まずはすぐのところにあった牛頭天王本殿に参拝する。

本来なら、この茅の輪をくぐってから本殿に参拝となるのだろうが、本日は逆。
境内を15分ばかりうろつき、10時45分に境内裏手の登山道に戻り、子ノ権現を目指す。

11時8分、「神送り場」の解説板が立つ豆口峠に到着。
よく手入れされた植林帯の尾根道を登り詰めると、伊豆ヶ岳方面からの道が合わさる。
そうなれば子ノ権現はすぐそこだ。

開けた尾根からは、伊豆ヶ岳(右)、小御岳(中央)、武川岳(左奥)が望める。
境内を進み、11時55分に本堂前に到着。
まずは本堂に参拝する。

足腰の守護に霊験あらたかと言われる子ノ権現では
本尊に履物を奉納して願をかける習わしがあるそうで、この鉄の草鞋は重量が2tもあるそうだ。
何度見ても、台座にはめ込まれた「信念」の文字に、ちょっと笑ってしまうのはぴすけだけだろうか。

巨大な鉄の草鞋があるかと思えば、かわいい願掛け草鞋がたくさん奉納されている。
今日は時間もたっぷりあるので、見晴らし台のある奥院まで上がってみることにする。

鐘楼堂から本堂を見下ろす。
遠望する山々は大持山方面だ。
先の参拝者が梵鐘を撞いていたので、ぴすけも一つ撞かせてもらった。
ごーーーーんーんーんーんーーー
近くで聞くと、とんでもなく大きく聞こえてびっくり

奥院の南にある、見晴らし台からの眺め。
境内をうろつくこと15分、12時10分に吾野駅を目指して出発。

門前の二本杉は樹齢約千年と言われる立派なものだが、かなり痛々しい。
この二本杉は、天龍寺開山の子ノ聖が、箸代わりに使ったスギの枝をここに挿し
それが成長して大木になったと伝えられている。
そういえば、大霧山周辺のダイダラボッチ伝説でも
箸を立てたのが二本木峠だと言われていたな、などと思い出した。
子ノ権現からの下りは、浅見茶屋という店から吾野駅までは舗装道路歩きである。 12時40分、滝不動と呼ばれる不動堂兼集会所を通過。
順調に歩みを進め、吾野駅には13時20分に到着。

駅のベンチには
「飯能産の西川材を使用しています」
と彫られている。
西川材のベンチに腰かけて電車を待つ間、今日は座って休むことは一度もなかったので
疲労回復の点からも、座って休むことが一度くらいはあっても良いのではないかと考えた。
実は、今日は歩行中のエネルギー補給を、特製行動食とアミノ酸系ドリンクだけにしていたのだ。
30分に一度程度のペースで、ちょっと立ち止まって、ボトルに入れた行動食を口に運び
ハイドレーションで給水しているだけなので、休憩は全くしていないのと同じだった。

そんなことをボケーッと考えているうちに、14時37分、西武秩父線がホームに入ってきた。
西武秩父線で東飯能駅まで乗り、朝来た時と逆の経路を採り、帰宅。



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