道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

南京にて

2006-03-19 22:38:45 | 旅中
講演には行けなかったが、その後でホテルを訪ねて行って、
酒を飲みながら師匠と話した。

師匠は講演で、どうやら芸術的な失敗をしたらしい。
すなわち、日本の歌舞伎について語ろうと、まずDVDを再生しようとしたのだが、
ケースを開けてみると……カラっぽ。

やむを得ず、アドリブで講演の内容を全部変えてやったらしい。

こういう時に出せるもちネタを持っているというのは、さすがである。


この失敗、そもそもは師匠が北京の自宅にDVDを置いて来てしまったことに始まる。
そして、それに気付いた師匠が、住みこみの弟子に頼んで北京から持って来させたのだが、
二人ともケースが空である可能性など全く考えず、弟子は中身を確認せずに、
北京からはるばる空気を運んで来たというワケである。

DVDのケースに入れ忘れ、持って来るのを忘れ、確認を忘れ、
2人の三つの過失によってこそなされる失敗であった。

そして、そんな失敗をしても、終わった後で秘書に電話して、
"Oh, my God!"の発音練習をしている師匠って、なかなかファンキーであると思う。

人生只合揚州死

2006-03-19 22:06:30 | 旅中
「十年一覺揚州夢、贏得樓薄倖名」という杜牧の歌が好きなので、
以前から揚州に行ってみたいと思っていた。

今回、師匠の講演を聴こうと思って南京に行ったのに、
師匠の覚え違いで日付が違って、聴けなかった。
一日時間が空いてしまい、せっかくなので揚州に行ってみることに。


揚州とは、春秋時代からあった歴史ある街で、
隋唐から数百年以上、江南の経済的中心地であった商業都市でもある。
現在では昔ほど著名な存在ではなくなっているが、
運河沿いに植えられた柳の青が伝統建築の白に映える、非常に美しい街である。

この地の観光名所としては、痩西湖が有名で、入場料は80元(1000円強)とかなり高いが、
なかなか趣がある。

しかし、もっとも素晴らしいのは、个園だと思う。
个園は、竹が多いことで有名であるが、その直線と、柳の曲線、
通路や橋の丸みと岩の角ばりが組み合わされ、変化に富んで、見るものを飽きさせない。
また、建築物もよく練られた構成で、どこに立ってどの方向を眺めても、全てが絵になる。
「誰知竹西路、歌吹是揚州」ではないが、ここで音楽でも奏でられたら、どんなに幸せであろうか。

「人生、揚州で死ぬに限る」とはよく言ったものである。

"...it was."

2006-03-19 21:19:23 | 言葉
友人に、"Monster in Law"という映画を見せてもらった。

私は英語はほとんど聞き取れないので、下の中国語字幕を見ていたのだが、
たまに聞き取れる言葉もある。

嫁が姑の服を汚してしまったシーンがあったのだが、
"Is it expensive?"という嫁の言葉に対して、
姑は、
"...it was..."
と答えていた。

友人の解説によると、過去形であるのは、すなわち、買った時は高価な服であったが、
汚れされてしまった今は高価ではなくなったことをさりげなく言っているという。

中国語には過去形はない。
よって、このニュアンスを伝えようとすれば、訳はかなり長くなってしまい、
簡潔でさりげない言葉にはならない。

やはり、英語というのは、使いこなせば、なかなかクールな言葉であると改めて思う。

個人情報

2006-03-19 21:04:41 | 旅中
列車待ちでベンチに座っていると、向かいのおばさんが「档案袋」と書いてある茶色の袋を何個か持っていた。

「档案袋」というのは、中国における究極の個人情報というべきものである。
すなわち、各個人について、学校や職場・地域での評価や活動、親類や交友関係、
出身階級、所属階級、などあらゆることについて書かれた情報が詰まっている。
これを、その人が所属する学校や職場などが保管し、ことあるごとに情報を付け足し、
転職や引越しなどで所属が変われば、档案袋もそれに伴って新しい所属のところに運ばれる。
所属団体、政府、警察などが必要に応じて見るものであるが、本人は見ることができない。

そんな恐ろしいものであるのだが、駅のおばさんたち、
何食わぬ顔で持ち歩いていた。
きっと、所属変えになった人のものを列車で新しい所属先に届ける役目だったのであろうが、
しかし、こんな重要書類を、周りの人に知られるような方法で運んでよいものだろうか。。

上海の街中でもそんなおばさんを見つけたので、近くにいた友人に訊いてみたら、
「なんで。運んでるんでしょ?」
というような反応。
「他の人に見られるような運び方したら危ないじゃん!」
「あー。確かに、それはよくないかもね」

……うーん。。

不爬長城非好漢

2006-03-13 13:46:33 | 旅中
師匠に会うために、一路北京へ。
北京では師匠の家に泊めてもらった。
広い高級マンションに家政婦さんまでいて、中国の高給取りは格が違う。

今まで2回ほど北京に来たことはあったが、未だに長城に登ったことはなかった。
一度は行くべきであろうと思い、着いた次の日の朝に観光バス乗り場に行く。

長城というのは名前の通り、非常に長い城壁であり、観光地となっているのは複数箇所ある。
もともとその中の「金山嶺」というところに行きたかったのであるが、
バスが出ていなかったので、やむなく一番行きやすい「八達嶺」に行くことに。

八達嶺に行こうとバスを探していたら、「明十三陵・八達嶺、往復50元」という看板がある。
さっそくそのバスの場所を訊いてみたら、そのおじさんが、ワゴン車まで連れて来て、
「人を集めて大きなバスに連れて行くから、まずこれに乗って」という。
……窓が黒ガラスなのが怪しさ丸出しなんですけど。。。

その後、道端で夫婦一組とおじさん一人、おばさん一人を拾って、出発……って、このワゴン車?!
さすがにみんな怪しさを感じて、夫婦で成都から来ている人が、運転手に質問する。
そこで、まず喫茶店のようなところに連れて行って、そこにいたおばさんが我々に説明をする。
そのおばさん、やたら口がうまいので、我々も反論できず、納得したふりをして出発。

客は5人、乗組員は運転手とガイドの2人。
客はみんな納得したふりをしているが、ワゴン車のナンバーを控えるのは忘れない。
なかなか緊張感のあるツアーである。

午前中は、なんだかよく分からないアトラクションに連れて行かれる。
子供だましみたいな水族館やらお化け屋敷やらで60元(約1000円)。
その後も歴史資料館やら漢方薬やらお土産屋やら、いろんなところに寄り道。

極めつけは昼食。メニューがやたら高くて、ご飯一杯がなんと30元(400円強)。
上海人のおじさんは何も食べずに店を出て、もう一人おばさんも出て、私もそれに付いていく。
すると、運転手が、しょうがないなぁという顔をして、15元(200円強)のランチバイキングに連れて行く。
味は大したことはないし、10元以下が相場のようなメニューだが、まぁ仕方ないから食べる。
帰ってくると、成都人の夫婦は高い店で食べたらしく、二人で300元(4000円強)はかかった模様。

どうやら、運転手とガイド、いろんな店からお金をもらって、
観光客をそこに連れて行っているようである。

そんなこんなで、午後はまともになって、明の万暦帝の地下宮殿や、万里の長城といった定番コースへ。

長城、下から見ると大したことがなさそうだったので、勢いよく登っていったのだが、
春一番が強くて、他の人は全員ダウン。
一人で長城を目指すも、たどりついたと思ったらまだ上があり、
その上に到着してもまだ先に続いていて、延々と歩いてようやく到着。
……うーん、これは、モンゴル人も満州人も、征服する気をなくすなぁ。

長城観光の時間は一時間、行きで40分使ってしまったので、帰りは走って下る。
気温が低いのと空気も薄めなのとで、なかなか大変であった。
毛沢東の「長城に登らなければナイスガイではない」という言葉を少し実感できた気がする。

結局、このツアー、少人数でみんな仲良くなり、なかなか楽しいものであった。
余計なところに連れて行かれて、出費がかさんだが、もとが50元でガイド付きなのだから、
安いものであったと思う。

怪しいツアーに参加というのも、日本ではなかなか経験できない貴重な体験であった。

中国語でも「警察」と書く

2006-03-13 13:07:48 | 旅中
日本でのニュースを見ていれば、「中国人」というと「犯罪組織」のイメージもあるかもしれない。
実際、広州などでは、やはり犯罪が非常に多く、夜に出歩くのは危険である。

しかし、北京など多くの都市は治安が非常にしっかりしており、
上海では夏の夜に女性が一人で路上に簡易ベッドを設置して寝ていたりする。
東京よりもずっと治安が良いと言えるだろう。

何が問題なのかというと、貧富の差と食い扶持の問題なのである。
西部からの出稼ぎの人が、仕事を見つけられなかったり失業したりして、
食べていけなくなって犯罪に走ることが多い。
ゆえに、上海などでも「駅前は外地人が多いから危ない」という言い方がされるのである。
およそ、東京で、いわゆる「三国人」の犯罪が多いのも同じであろう。
多くは、本国で貧乏で、出国して出稼ぎに来ても職がなくて、犯罪組織に入るというものであろう。

ところで、ここ南京は、中国の中でも治安はかなり優れているらしい。
警察が非常にしっかりしていて、犯罪組織が南京に来たとたんに一斉検挙されることもあり、
自然に犯罪組織も近寄らないとか。

そんな話を聞いて、南京の警察はそんなにすごいのか、と若干畏怖の念を抱いたのであるが、
先日、バスに乗っていたら、バスの運転手、パトカーに向かって、
「ププー!! プププーっ!!!」と思いっきりクラクション。

……まぁ、のどかなところである。

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館

2006-03-13 12:56:54 | 旅中
いわゆる「南京大虐殺記念館」である。

バスにのって市の西の方に行くと、うっかり乗り過ごしてしまった。
外から見るとあまり仰々しくない施設である。

入ってみれば、様々なモニュメントが立ち並ぶ。
この辺りは日本の市民平和運動みたいな感覚である。

資料館に入ると、掘り出された人骨やら、写真やら、日記やらが展示されている。
広島の原爆祈念館ほどではないが、なかなか生々しい。

中には「日本軍に性行為を強要された」証拠の写真に、
「大和撫子が身も心もサーヴィス」という看板を写した若干間抜けな資料もあったし、
同じ写真を何回も使いまわしていることが多かったりもする。
しかし、捏造されたような資料は見られないし、
日本軍将校の日記や、当時金陵大学(現在の南京大学)にいた西洋人の記録も展示され、
きわめて公正なものである。

また、何回も繰り返される標語は、日本で言われる「反日教育」的なメッセージではなく、
「過去の恥を振り返って未来への教訓にしよう」
「平和のために尽力すべきである」
「政治が混乱して国が弱まればこのような憂き目に遭うのである」
という三点であり、最後の言葉はむしろ国民党を非難する意図が見られる。

ただ、小学生の寄せ書きのようなもので、
「日本商品を排斥すべきである」
「日本人はみんな変態だ」
「日本人を抹殺すべきだ」
などというものが見受けられた。

やはり、いわゆる「反日教育」的効果があることも否定できない。
しかし、これは施設そのものではなく、小さな子供を連れて来る人たちの問題であろう。

南京にいれば、話している相手が日本人と分かると、
「大虐殺は実在したと思うか?」と聞いてくることもある。
やはり私は「あったと思う」と答える。
当時の情勢を考えれば、なかったと考える方が難しい。
また、最近のニュースを見て、日本人にそういう質問をしたくなる中国人の気持ちも理解できる。

ただ、難しいのは、その後、「小泉首相や靖国神社についてどう思う」
という質問をしてくる彼らに対して、真摯に答えて、逆に中国の政治について質問すると、
「今はバスの中だからそれは言えない。人前では政治の話はできない」
……人に訊いておいて、それはないだろと言いたくなるが、これが中国の現状なのである。

人治の弊害

2006-03-07 18:22:47 | 旅中
昨日はかつての恩師の家で、夕飯をご馳走になった。
彼女は著名な大学の教師で、地位も収入も非常に高い。
しかし、家で料理をしているのをみたり、話したりしていると、
良い意味で、普通のおばさん、という印象を受ける。

もっとも、一昨年、日本語をまったく話せないのに一人で日本に派遣されて、
大学で我々に中国を教えながら、一人でアパートに住んで、自分で買い物をして、
電車に乗って、一年間生活していたのだから、やはり尊敬すべき人である。

そんな先生と一年ぶりにあって、色々な話をしたのだが、、

「ところで、南京駅から、旅館までタクシーでどのくらいかかった?」
「途中渋滞だったのと、旅館がわかりにくいところにあったのとで、
2時間かかって、100元(1元は約13円)以上しました」
「そりゃ、ボラれたよ。だって、南京のタクシーは距離で計算するんだから、時間は関係ないよ」
「えー!」
「上海とかは時間も計算に入れるけど、南京は違う。
でも、外地人(南京以外の人)はそんなの知らないから、ボるんだよ」

そう、外国人だからではなく、外地人だからボるのである。

また、税金の話になった時、
「日本では、どの地方に住んでも、課税率はほぼ同じなんだよね?」
「ええ。中国では違うのですか?」
「中国だと、地方によって、全然違う。同じくらい経済が発達していても、
政府の意思によって、全然課税率が違う」
「そんなの不公平じゃないですか」
「そう。きっちり法律で決めていないから、
その時その時の政府の方針で、すぐ変わっちゃうのよ」

ここ中国では、何事も「ルール参照」ではなく、
「その時その時の人間の都合」によって物事が決められるのである。
それは良く言えば柔軟であり、悪く言えば不透明なのである。

西の国から

2006-03-07 18:05:16 | 旅中
春休みを利用して、一昨日(日本時間では昨日)から中国にいます。

「一昨日(日本時間では昨日)」とあるが、中国と日本の時差は一時間。
こんな微妙な時間に中国についたのだが、時間帯のみならず、
トラブルまであって、さあ大変という到着であった。

まず、成田で夜の9時出発予定だったのが、30分ほど遅れる。
その後、約3時間程経って、機内アナウンス。
「ただいま、上海浦東空港は濃霧のため着陸ができず、杭州空港に着陸致します」

夜遅くでほとんどの機能がすでに停止している杭州空港、少ない人数で作業するから、
乗客みんな荷物待ちで1時間半ほど待機。
その後、航空会社が上海に行くバスを3台手配したのだが、乗客があふれて、
かつ荷物も多くて、なかなか乗り切らない。

私はどうせ南京に行く予定だったので、バスに乗らなくていーやと思っていたのだが、
乗務員が「乗れる、大丈夫」と力強く言ってくれるので、半ば無理やり乗る。

その後バスで2時間ほどで、上海の市内に到着、乗客放り出される。
時刻は朝5時前。それから旅館に泊まってもお金の無駄というもの。
私は幸い(もしくは「無謀にも」)、もともと宿を予約していなかったので、
ネットバーで時間を潰して、朝8時くらいに列車に乗って南京へ。

こういう時に、中国人は強い。てきとーなのである。
予定がいくら乱れても動じない。
空港の職員たちも、動揺せずに応対している。

試しに、
「飛行機が上海でなく杭州に到着した証明書を発行してくれますか?」と訊いてみたら、
「なんか紙を出して。書いてあげるから」
そこで、てきとーなプリントの裏紙を差し出したら、、書いた。平然として。
「あー、じゃあ、あなたの身分と名前も最後に書いてください」
「あいよ」
……ハンコも押してない。

日本でだったら、
「空港の機能がただいま停止しておりますので、証明書を発行するのは後日まで云々」
と困った顔で応対するところであろう。

およそ国家ごとに、法が物事を定める割合と人が定める割合とは異なる。
中国は、人治の割合が非常に高いのである。

にっぽん

2006-03-04 20:44:08 | 言葉
「日本」という漢字、どう読みますか?
こんな特集が今日の朝日新聞(2006年3月4日朝刊)に載っていた。

以前から、「日」の読み方に「に」というものはないのだから、
どうして「にほん」という読みがあるのかと疑問に思っていた。

この記事によれば、
促音の「っ」をかな表記するようになるのは室町時代からだったため、
それ以前は「にほん」と書いて「ニッポン」と発音していた。
それが、室町以降は「にっぽん」と書くようになったのだが、
逆に昔ながらの書き方である「にほん」をそのまま「ニホン」と誤読する者が現れ、
それが定着して「日本」を「にほん」と読むようになったとか。

これはなかなか合点のいく説明である。かつ、おもしろい。

「女王」「十点」も、個々の漢字の読みから言えば、「じょおう」「じってん」であって、
「じょうおう」「じゅってん」は誤読というべきであるが、定着している。

言語とは、原則のみでは説明できないこうした変化があり、まさに生きているのである。
「近頃の日本語の乱れは云々」ということを言う人もいるが、
その人だって若い頃は、年配の人に同じことを言われたのではなかろうか。

国立国語研究所が2010年までにコーパスを完成させる計画を発表したが、
その後も10年ごとくらいの頻度で何度もやって欲しいものである。


ところで、「にほん」は「にっぽん」からの誤読で発生したとあるが、
「にっぽん」とは「日」と「本」を呉音で読んだ発音である。

しかし、宗教語以外の熟語は、漢音で読むのが普通である。
ならば、「日本」を漢音で「じっぽん」という読み方だってありえるのではないだろうか。
むしろ、"Zipang(ジパング)"というのは、この「じっぽん」から来た言葉ではなかろうか。