道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

時には仕事を休んで

2006-03-03 17:52:03 | 街中
今日は、パンを買いに三軒茶屋まで歩いてみた。

駒場から南に歩いていくと、そこは坂の多い閑静な住宅地。
様々なセンスの一軒家が立ち並び、地形の変化も多く、車の通りは少ないので、
なかなか楽しいお散歩コースである。

たとえば、とある一軒家、門に表札が三枚かかっていて、それぞれの下に一つずつインターホンがある。
各部屋対応なのであろうか。

また、「左右」という人の事務所も発見。
本名だとすると、なかなか変わった名字である。

時に、坂の下の信号機を見下ろし、遠くの神社と思われる森を見やり、
あるいは町全体を眺めて見るのはなんともいえない楽しさである。

そんなこんなで目的地到着。
茶沢通りからちょっと入ったところにあるパン屋ぴすとーれ

砂糖や添加物を使わず、あらゆる材料にこだわって焼くから、素朴な味である。
かめばかむほど味わい深い……というより、かなり硬いので、必然的にたくさん噛むことになるのだ。
これこそまさに「硬派」と言うべきであろう。

そんなパンを公園の中で食べて、人なつっこいネコと遊んでから、
東急世田谷線で帰ることに。

世田谷線を見た友人の言。
「バスみたい」

私もそう思う。それは、良い意味として。

君が代よ

2006-03-02 00:50:17 | 政事
そんな覚えめでたき君が代、最近国歌となったが、なかなか問題があるようである。

先日も、新宿東口で、
「君が代に対して起立を拒む教師に育てられた子供が、今、親を刺したりするのだ! 日教組は日本を解体しようとしているのだ!」
などと主張していた者がいた。

私は右派ではないが、教師が君が代斉唱に従わないのは問題だと思う。

まず、君が代を起立して歌わせること自体が思想良心の自由に反するという主張には理解を示したい。
そして、ガイドラインやら住民台帳やらと一緒で慌しかった法律制定の経緯にも不満がある。
私自身、こんな法律はくだらないと思う。「国歌斉唱」はいつも「国歌静聴」している。

しかし、決まってしまったことである。
「強制はしない」とはあったが、生徒に歌わない自由があっても、教育者たる教師にそれが認められるのだろうか。

学校の教師というのは、学問的知識以外に、生徒たちに社会の中で集団生活していく術を教える者でもある。
生徒個々人の自由が多少制限されても、クラス全体の安定とまとまりのために、決まり事を遵守させている。
そんな教師が、自らの理念に反するから、もしくは法律自体があまりにくだらないからといって、
その決まり事に従わない姿勢を見せたら、生徒はどう思うであろうか。

どさくさまぎれとはいえ、仮にも「国民の代表」機関たる国会が決めたことである。
決まりがイヤなら、法律改正案なり違憲立法審査なり、変えるために働きかけるのが参政権を持つ国民の権利かつ道義的義務である。
決まった内容がイヤだからといって従わないだけなら、駄々っ子と変わらない。
そして、実際に廃止のために努力している人間であっても、廃止されるまではその決まりに従うのがルールである。


自分の正義を貫くということは素晴らしい。

しかし、社会に出て生きていく際に、理不尽でも決まり事に屈服しなければならない時があるということを、
君が代という題材によって、生徒たちに身をもって教えるのも教育の一環ではないだろうか。