道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

杏の花の咲く頃は

2010-03-19 12:07:04 | 旬事
近くの通りに立ち並ぶ杏が、今年も咲いている。
梅や桜はもとより、同じ時期に咲く木蓮や雪柳よりも地味ながら、
私はこれを見ると春が半ばに差し掛かったことを感じる。

日本の春の象徴といえば何といっても桜だが、
桜一つで3ヶ月間を代表するわけではあるまい。
(2月から咲いている河津桜なんてのもあるけれど)



私にとって、春の到来は、梅である。
厳しい寒さが続く合間、少しそれがやわらぐ日があると、
どこからともなく生温い香りが漂ってくる。
花を見ても特段何も感じないが、
この生温い香りに、春の訪れを感じる。


そして、上記のように、今この時期に目にして、
もう冬に引き返すことなく、春が進んでいることを知るのが、
杏の花である。

太く直線的な枝にびっしりくっついて咲き、各樹ごとに咲き方がまちまちで、遠目ではたいして興趣が感じられないのだが、よくよく一つ一つの花を見れば、まぁ綺麗なものではある。
かつて梨の花について「なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ」なんて言った人もいたけれど、杏の花もこれに近い。

杏が咲き出すと、そろそろ外で飲み会をすることもできるようになる。
何も桜の時期まで待つ必要はない。
暖かくて、花が咲いていて、そこに酒飲みがいれば、
花見の成立条件は満たしている。
もっとも、酒を飲むのに本来口実など要らないのだが、
そこで花や歳時記を使うのが、東洋文化の雅と謂えよう。


では、桜というのは、何なのだろうか。
寒桜や河津桜のように寒い時期にさりげなく咲くものもあるが、
ソメイヨシノや八重桜のように華やかに咲く類を眺めると、
私は春の爛熟を感じる。

辺り一面ピンク色の中で、人々が異様な盛り上がりを見せる。
ある一つのものが完全に熟し切り、終焉に差し掛かる際の趣がある。
盛り上がってはいるのだが、そのまま盛り上がり続ける雰囲気でもなく、
どこか終わりを見据えたような、妙な寂しさを覚える。

実際には、桜が散った後も、春は少しだけ続く。
しかし、徐々に、夏の健康的な緑の新鮮な気配が、
爛熟し切った春を押しやって行く。


日本は四季の移り変わりがはっきりしている、と言われるが、
春一つの中でも、その移り変わりが楽しめる。



ところで、この時期に中国北方を旅行すると、また一味違う。
梅も桃も杏も桜も海棠も、同時に咲いている。
厳しい冬が去って、一気に百花斉放の本格的な春になる。
故に、中国で梅を見ても杏を見ても桜を見ても、
あまり特別な感慨は覚えない。

しかし、中国にも、日本の桜に相当する花があるという。
それが、牡丹である。

「落尽残紅始吐芳(残紅落ち尽くして始めて芳を吐く)」

他の花々が散った後、春の最後の最後に堂々と咲く。
まさに真打登場といったところだろう。

牡丹の季節は四月中旬。
さすがにこの時期に中国に行くわけにはいかないのだが、
一度、見に行きたいものである。

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