道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「天下難事必作於易」

2011-04-05 11:05:16 | 政事
 東京電力は、事後の対応としてはよく頑張っていると思う。
 「隠蔽」と言われながらも情報を小出しにし、当初自衛隊や米軍の援助を待たせておいたのも、結果論として非難することはできるが、彼らなりの判断があったのであろう。下請会社の若い作業員たちで決死隊を組んだのも、東電職員や重役たちはあまり入ったことが無いために内部のことをよく把握していないからであろうし、結果的に被曝事故が起きたのも、普段から無用心で計器を無視した作業をしていた慣れがあったためであり、今回に限った問題ではないだろう。
 門外漢の我々があれこれ口出しして、彼らの足を引っ張るべきではない、ということについては、特に異論も無い。もっとも、「国民が一致団結して未曾有の有事に立ち向かい」、「責任感ある東電及び勇敢なる作業員たちを称讃する」というネット上の雰囲気には、少し付いていけない。

 しかし、コトが起こる前に何とかできなかったのだろうかと、よく思う。
 「想定外」と言うが、スマトラ沖で起こっても、東日本では起こらないと見なしたのだろうか。
 「1000年に一度」と言うが、それは、今日起こるかもしれないし1000年後に起こるかもしれないということに過ぎない。
 要するに見通しが甘かったということである。

 今回は外部電源が全て流されてしまったために対処が遅れたわけだが、そもそも、非常時に電気がないと操作できない仕組みというのは、危うい。機械で最も信用できるのは手動のメカニックであり、電気式はそれに劣る(電子系統は更に落ちる)。
 そして、どうしても電気式が必要だったというならば、せめて外部電源を二つ用意すべきであった。それは単に二台持っておくということではなく、一方を沿岸に置いたら一方は丘の上に、一方がディーゼルなら一方が太陽光か何かで、という意味である。これが非常時のための備えというものであろう。
 住民たちを納得させるための安全神話に、自分たちが騙されてしまったのだろうか。

 最も不可解だったのは、40年も経ったら建て替えなり何なりすべきだったのではなかろうか。「40年も前のものでよく頑張った」ということを言う者がいたが、そういう問題ではない。原発の建物は文化財でもギネスブックでもない。
 そもそもはもっと早く廃炉にする予定で建てたものだったそうだ。しかし、安全に停止して、安全に処理するには莫大な費用を必要とし、かつ原発施設を安全に保管できるような場所(通常は地下深く)が日本には見つからない。そのために、無理無理操業を続けて来たという(これは10年も前から反原発団体が主張して来た問題)。直近でも廃炉にするかどうかの検討がなされたが、枝野氏が操業続行を決めていた(もちろん、枝野氏・民主党政権だけの責任ではなく、その前の自民党政権の責任でもある)。余談だが、東海村の原発は、「バケツでウラン」の事故後に廃炉を決めたが、まだ処理は完了していない。
 動かし続けるのであれば仕方ないが、それならばせめて老朽化した施設を直すことはできなかったのか。

 先日、たまたま、地震問題を専門に扱う建築学者に会う機会があったので、その点を訊いてみた。回答は至って簡単なものだったが、問題は極めて難しいものであった。
 曰く、「改修の必要性は、専門家はみんな分かっていた。改修していたら、今回のような事態が起こる可能性はかなり低かった。しかし、原発は絶対に安全だ、と言い続けて来たために、身動きが取れなくなっていた。改築をしようとしたら、その間に何か起こったらどうするんだ、改築中は普段と違って100%安全ではなくなるではないか、という反論が起こる。政府・東電と住民との間で、極めてアンハッピーな関係があり、その結果、お互いに不利益を被ることになった」とのこと。
 そうすると、単に「絶対安全」と言うだけで、住民への説明責任を怠ったツケが来た、ということか。もちろん、改修を納得させるのは極めて難しいのであるが。

 100%安全ではない。だからこそ普段から備えなければならない。一つ一つの原因は簡明だが、それらへの対処を怠ると、いつか複雑にして難しい事態が生ずる。もっとも、日頃からそうした簡明な小さなことを見つけて対処していくには、稀有な才能が必要なのかもしれない。しかし、それを心掛けるべきではあろう。

 天下の難事は必ず易きより作(おこ)る。

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