徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

香港

2013年12月13日 | 旅行

家内が香港に行ったことがないので一度行きたいとノタマウので3泊4日で行ってきました。

この時期は本当なら夜景が一番冴える筈なのですが、異常気象のせいで1,2月に発生するはずの霧が12月から出ていてあまりすっきりとはしていませんでした。でも地震の無い場所に立つ高層ビル群には呆れるね...

香港に来たら食べるしかないわけですが、

当方、人品があまり高級に出来ていないので結局一番旨いのは麺屋で食べる$30くらいのワンタン麺。エビのブリブリ雲呑と細麺とスープが堪りません

市場には活気があります

夜の金魚街ではディスカスが$70で袋に入れられてぶら下がっていました。

日本はまだまだ人気があるようで、奇妙な日本語が結構目に付きます

香港でとても残念なのは東洋のカスバ、九龍城が1994年に取り壊されてしまったこと 今はキレイな公園になっていますが、在るあいだに行って見たかったなあ....

公園入り口にある、かっての九龍城のミニチュア

在りし日の九龍城

今残っているのはゲートの鉄筋コンクリートだけ

香港もなかなか面白いところでした しかし、家内と行くと買い物をする場所が多すぎて極めて危険な地域でもあります。

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九龍寨城 Wiki  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%BE%8D%E5%9F%8E%E7%A0%A6#.E5.8F.96.E3.82.8A.E5.A3.8A.E3.81.97

1898年イギリス清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借。九龍城砦は新界地区に所在していたが、例外として租借地から除外され清の飛び地となる。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となる。


1941年から1945年日本軍による香港占領期間中に、近隣の啓徳空港(旧香港国際空港1998年に移転のため廃止)拡張工事の材料とするため城壁が取り壊された。1940年代中国内戦と、1949年中国共産党率いる中華人民共和国の樹立により、香港政庁の力が及ばないこの場所に中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化する。

1960年代から1970年代には高層RC構造建築に建て替わるものの、無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに半ば放置された環境から「東洋のカスバ」(アルジェのカスバ参照)、「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。しかし1984年英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定すると1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させる方針を発表。

1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、その後すぐに行われた再開発後に九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) が造成された。