「遭難フリーター」という映画が一部で評判になっているらしい。
監督の岩淵氏は、現役の派遣労働者で自分と仲間を撮りためて作品にしたのだという。
ただ、そこにあるのは多少の事情はあるにせよ「自分で選んだ道」であり、日常に埋没しかけた中、何かを表現する人になりたいという思いを取り戻してフィルムにぶつけたのだという。
作中で入る彼のモノローグ。
「俺は誰に負けた? 俺は誰の奴隷だ? 勝手に俺の気持ちを代弁するな」
記事によれば、岩淵監督はこの台詞を「自分は自分の意志で今の生き方を選んでいる。苦しさを社会のせいにしたくない」と挿入したのだという。
もちろん、「有識者」の方々が言うように、派遣労働者に社会の弱者という側面はあるのだろう。
他人をしたり顔して勝手な物差しで量るってのは、実に傲慢な行いだと思う。
社会をマクロな目で分析する事と、個人のドラマを仕立て上げる事はいっしょではない。
世間で言う「つらい境遇」にいる人のTVドキュメンタリーに時として反感を覚えてしまうのは、その人の幸せや悲しみを無視して、「お気の毒にねえ」で済ませてしまうような撮り手の思惑が見え隠れするからだろう。
なんて事をつい考えてしまった。
監督の岩淵氏は、現役の派遣労働者で自分と仲間を撮りためて作品にしたのだという。
ただ、そこにあるのは多少の事情はあるにせよ「自分で選んだ道」であり、日常に埋没しかけた中、何かを表現する人になりたいという思いを取り戻してフィルムにぶつけたのだという。
作中で入る彼のモノローグ。
「俺は誰に負けた? 俺は誰の奴隷だ? 勝手に俺の気持ちを代弁するな」
記事によれば、岩淵監督はこの台詞を「自分は自分の意志で今の生き方を選んでいる。苦しさを社会のせいにしたくない」と挿入したのだという。
もちろん、「有識者」の方々が言うように、派遣労働者に社会の弱者という側面はあるのだろう。
他人をしたり顔して勝手な物差しで量るってのは、実に傲慢な行いだと思う。
社会をマクロな目で分析する事と、個人のドラマを仕立て上げる事はいっしょではない。
世間で言う「つらい境遇」にいる人のTVドキュメンタリーに時として反感を覚えてしまうのは、その人の幸せや悲しみを無視して、「お気の毒にねえ」で済ませてしまうような撮り手の思惑が見え隠れするからだろう。
なんて事をつい考えてしまった。