「VOICE OF LOVE ~愛の力~」 ~魅惑の新星 藤澤ノリマサ

2008-11-30 | Music
Pop-opera for younger generation?

あとちょっとだけPatrizioは置いといて・・・

先週からハマりにハマっている、ちょっとおもしろいアルバムがあるんです。

11/26発売されたばかりの、
魅惑の新星ヴォーカリスト、藤澤ノリマサ君の「VOICE OF LOVE ~愛の力~」

オペラとポップスとの融合、いわゆる「ポップ・オペラ」と呼ばれるジャンルですが、
なんていうんでしょう、もしかして「次世代オペラ」?




1. ダッタン人の踊り(歌劇「イーゴリ公」より)
2. VINCERO-ビンチェロ-(歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」)
3. Cross Heart(イタリア古典歌曲「カロ・ミオ・ベン」より)
4. 旅立ちの光(歌劇「蝶々夫人」第2幕より「ある晴れた日に」)
5. 君が待つ家-AVE MARIA-(シューベルト「アヴェマリア」より)
6. 太陽の女神(歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」)
7. 本当の景色(ガブリエル・フォーレ「パヴァーヌOp.50」)
8. 幻影(連作交響詩「わが祖国(モルダウ)」より「ヴァルダヴァ」)
9. 君の後ろ姿(歌劇「真珠採り」第1幕より「耳に残るのは君の歌声」)
10. 願い(「リュートのための古風な舞曲とアリア」第三組曲「シチリアーナ」)
11. 僕の太陽(ナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ」)
12. その日まで(管弦楽のための行進曲「威風堂々」)
13. 未来への道(ピアノソナタ第8番「悲愴」より)

※ こちらで試聴とビデオクリップの視聴もできます。



日本人の私たちにも馴染みの深い曲が、1曲1曲、今風に斬新にアレンジされ、
その1つの曲の中でも途中で歌い方や表情をまったく変えているの。

声楽家の父、音楽の先生を母にもち、武蔵野音大で基礎を学んだ実力派。
ポップス部分の声をもっとクラシカルにした方がという批評もあるみたいだけど、
甘~くて高めの一風アイドルのような歌声が、
次の瞬間スケールアップ、本格テノールとなって華麗に歌い上げていく、
そのギャップこそセンセーショナル!

そのヴォーカルは、おごることなく自然体で伸びやか、耳に心地よく爽やか、
見た目ちょっと頼りなげなのに、心の奥深くまでぐんぐん入りこんでくるから不思議です。
嫌味や不自然さがないのは、持って生まれた品の良さからくるのかしら・・

また、ほとんどが日本語で歌われていますが、
13曲中10曲がノリマサ君自身によるオリジナル日本語歌詞、
これがまた素晴らしいんです。
繊細かつ情熱的・・まさしく「愛の力」を歌っているの・・もう胸キュンキュン

ビリー・ジョエルが好きなんだそうで、
詞が素敵に書けるのは、同じく素晴らしい感性があるのでしょう。
(このラストの悲愴の第二楽章は、
ビリー・ジョエルも「This Night」(今宵はフォーエヴァー)で引用してます)

ただいま「ダッタン人の踊り」の、
「静寂と闇の中で 心研ぎ澄ませば 聴こえるよ愛の詩(うた)が」・・
ここ、マイブームなの。
大自然の中で気持ちよさそうに堂々と歌い上げているビデオクリップの彼の姿、
何を見据えて歌っているのかしら・・
ピュアなだけに無限の可能性を感じちゃいます。

このアルバム、特にオペラ通の方には賛否両論なのかもしれませんが、
日本の新星、これから楽しみです。

Mi sta appassionando!

さらにイタリアの巨匠との出会い ~Ennio Morricone(エンニオ・モリコーネ)と

2008-11-27 | Music
It was a distinct honor for Patrizio to meet maestro Ennio Morricone.

そしてもう1人・・
イタリアの巨匠、Ennio Morricone(エンニオ・モリコーネ)との素晴らしい機会が・・
こちらも11月のものです。
この時Patrizioはこのマエストロから直々にアドバイスをいただいたんだそうです。
どんなアドバイスかしら。
いつかPatrizioに曲を提供してくれたら素敵ですネ。




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「イタリアの巨匠 ~Ennio Morricone(エンニオ・モリコーネ)」

                             Grazie mille, Toshimiさん!


今やイタリア映画だけでなく世界中のスクリーンを彩る映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ。
今まで彼が携わった映画は460ほどとも言われています。
彼自身正確な数字はわからないらしい、それほどモリコーネの映画における功績は
多大なものがあります。

イタリアが生んだこの名作曲家エンニオ・モリコーネは、1928年ローマ生まれ、
父はジャズ楽団や劇場などで幅広く活躍していた有名なトランペット奏者です。
エンニオ少年は、そんな父の影響で、幼い頃から楽団や無声映画の音入れの現場等に出入りし、
音楽に親しんで育ちました。
わずか6歳で作曲を始めるという非凡な才能を発揮し、
トランペット習得のため10歳でローマのサンタ・チェチーリア音楽学院に入学します。

この学院に学んだ10数年が、彼の音楽人生の基礎を築きます。
彼の才能に気づいた師の勧めで作曲の道に進むことになったエンニオ、
クラシックはもとより、軽音楽や歌曲もこなして作曲の才能を開花させ、
18の頃にはローマの劇場から劇用歌曲の依頼も受けるようになり、
学生の身に関わらず、作曲家として注目されるようになっていきます。
平行して、父の属するバンドでトランペット奏者としてジャズを演奏、
あらゆる分野の音楽を学びます。

折しも第二次大戦後の変革のとき、音楽の世界にも新しい波が押し寄せ、
今までの旧態依然としたクラシック音楽からの脱却が試みられていました。 
エンニオもこの新しくて自由な曲作りの手法を吸収消化し、
作曲家としての進歩を遂げていきます。

もちろんポピュラーの分野も忘れず、
ラジオ番組の音楽を担当するなどして、1954年26歳で学院を主席卒業する頃には、
イタリアの音楽業界で「カンツォーネも書ける現代音楽作曲家」として、
すでに名を知られるようになっていました。
そして1960年にはいよいよ映画音楽の世界に足を踏み入れます。
他人の楽曲のアレンジなどの下積みから、徐々に頭角をあらわすエンニオ。

彼の映画音楽が一躍世界中に知れ渡るきっかけとなったのは、
セルジオ・レオーネ監督とマカロニ・ウエスタン
(これは日本で命名されたイタリアのウエスタン映画の呼称)との出会いでしょう。
黒澤映画を軸にした『荒野の用心棒』に起用され、映画は空前の大ヒット、
それと共にモリコーネの名は世に広く知られることとなります。

エンニオは、この破天荒なウエスタン映画をさらに印象強いものとする
独特な音楽を作り上げました。
鐘や口笛や歌詞の不鮮明なコーラスを用いる、など、
彼の音楽はそれまでただ美しく滑らかだった映画音楽の業界に大きな衝撃を与えました。

才能を生かした自己主張のクラシック音楽作曲とは全く異なり、
‘映画に沿い映画を盛り上げるための音楽作り’という道に、
最初は戸惑うことも疑問視する声もあったというエンニオ。
しかし彼はそこに彼流の表舞台を見出していったのでしょう。
ここからエンニオ・モリコーネの映画音楽の世界が始まったのです。

当時イタリア音楽界の第一人者はニーノ・ロータ
(ゴッド・ファーザー、ロミオとジュリエット等)と言われていました。
あくまでも美しい旋律と哀愁漂うその作風で、
たしかにロータはイタリア音楽界をリードした作曲家です。
そのロータと人気を二分するモリコーネは、
美しさとともに奇抜で独特な技法を取り入れ、あらゆるジャンルの映画に携わり、
それぞれに見事なまでに相応しい曲をつけていきました。

その他代表的なものをいくつか挙げてみました。



続・夕陽のガンマン』(1966)
口笛、ジューズ・ハープ、エレキ、人声などを多様、独特な世界を作り出しています。

『ウェスタン』(1968)

シシリアン』(仏1969)
巨匠アンリ・ベルヌイユの超一級作品を飾った美しくもどこか冷たい非情さが際立ちます。

『死刑台のメロディー』(1970)
フォーク歌手ジョーン・バエズと共演。

天国の日々』(1978)
初めてハリウッドデビュー。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)
Il Divoのニューアルバム「The Promise」収録の「アイ・ニュー・アイ・ラヴド・ユー」
(世界の夜明け)は、この映画の「デボラのテーマ」として知られています。

ミッション』(1986)
「ガブリエルのオーボエ」は、かの曲「ネッラ・ファンタジア」として、おなじみです。

これらの心に沁みる美しい旋律の曲はあまりにも有名ですが、
エンニオはまったく別のジャンルの映画にも参加しています。

たとえば、SFカルトムービーの最高峰と今でも称される傑作、
ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』(1982)ご存知でしょうか?
このホラー映画もなんとモリコーネが曲を手がけ、
恐怖感と緊迫感をこれ以上ないほどに高めています。
あの優しいメロディーラインとは、一味もふた味も違うホラー・サウンド!

そして、やはり極めつけは、
ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)でしょう。
シチリアの小さな村の映画館を舞台に、
少年サルヴァトーレの友情、青春、恋、
そして映画への熱い思いを描いた映画史に残るこの名作は、
モリコーネの音楽なしには語ることはできません。
音楽大生だった息子のアンドレアも、「愛のテーマ」を提供、
共同作業で感動の世界を完璧なまでに作り上げました。
こちらはラストシーンです。



『海の上のピアニスト』(1998)も記憶に新しいですね。
トルナトーレ監督の作品はニューシネマ以来ずっとモリコーネが担当、
生涯を船の上で過ごした天才ピアニストの物語と全編に流れる情感溢れた楽曲の数々が、
観る者の涙を誘いました。
こちらは数ある名曲の中で、私がもっとも好きなシーンです。

「Playing Love(愛を奏でて)」



これらはほんの一握り、彼の手がけた作品は枚挙にいとまがありません。
80年代から現在に至るまで、
もはやモリコーネは世界中の映画界にとってなくてはならない存在となり、
イタリア国内は勿論のこと、ヨーロッパでの彼の地位と名声は不動のものとなりました。
国内外で映画関係各賞を多数受け、
映画界だけではなく文化面での活躍と貢献を認められた彼は、
1995年にはイタリア大統領から国家勲章を受けるという名誉までも手にしました。

あまり知られてはいませんが、
エンニオは単に映画音楽だけではなく、コンサート用の楽曲も多数手がけ、
さらにポール・アンカやシャルル・アズナブール、ミルバ等多くのポップス歌手にも
数多くの楽曲を提供しています。
2003年に日本の某局の大河ドラマを手がけたことも当時話題を呼びました。
その活動域の広さが伺えますね。

モリコーネは単に映画音楽の巨匠のみならず、
現代音楽すべての世界での大家である、ということなのでしょう。
作曲家モリコーネは、後世に残る偉大な芸術家に相違ありません。


                 
イタリアを愛するエンニオは、
どれほどアメリカで仕事が増えようと決してローマから離れようとせず、
今でも作曲に没頭する毎日だそうです。
80歳のエンニオ・モリコーネ、
これからも変わらずに素晴らしい映画音楽の世界を私たちに届けてくれることでしょうね。


Il mio musica cinema favorito è 'La leggenda del pianista sull'oceano'

Patrizioにまた素晴らしい出会いが~Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)と

2008-11-22 | Music
I'm so happy for Patrizio about this great opportunity!

PatrizioとJonとの夢のようなツーショットの感動がまだ冷めやらず・・・

Patrizioにまた素晴らしい出会いがありました。



Jonとのツーショット同様、今月に入ってからのものです。
Tony Renis(トニー・レニス=「Quando, Quando, Quando」の作曲者です)が、
PatrizioにAndrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)を紹介してくれたみたい。
でもホントに初対面?だとしたら意外でした!

ボチェッリは1958年トスカーナ生まれの「神の声」と称される盲目のテノール、
4月に来日公演もありましたね。行かれた方いらっしゃいますか?
ボチェッリは今ワシントンにいます。
まさしく今11/21~11/22、Washington National Operaで、
かの三大テノールの1人Plásico Domingo(ブラシド・ドミンゴ)の指揮により、
Rossini(ロッシーニ)のミサ曲を歌っています。
Patrizio、もしかしたら観に行くのかナ?

三大テノールと言えば、半年くらい前のイギリスでのアンケートで、
「イギリス人が選んだ過去20年で最も記憶に残った文化的な出来事」の1位に、
FIFAサッカーワールドカップ、1990年イタリア大会の開幕前にローマで行われた、
その三大テノールのコンサートが選ばれたんです。
その後ワールドカップの恒例行事となり、2002年日韓大会まで続きました。

FIFAといえば、もちろんPatrizioも!
次の南アフリカ大会で「Stand Up」を歌う姿を見たいです!
岡田JAPANも行けるといいなァ・・。
・・そういえばボチェッリの失明の原因、サッカーでしたね・・


オペラ界の巨匠、故Luciano Pavarotti(ルチアーノ・パヴァロッティ)と、
イタリアポップス界のZucchero(ズッケロ)に見出されただけあって、
「The Opera Album - Aria」のようなクラシック系や、
「Romanza」のようなクロスオーバーやポップス系も素晴らしいボチェッリですが、
このたび50歳のバースデーを祝い、(Patrizioや私と同じく9月生まれ!)、
先月ヨーロッパでリリースされた最新スタジオアルバムの日本盤が
来年1/21にいよいよリリースとなります。

「Incanto」(インカント=魅惑)


こちらの日本盤はナポリで収録されたインタビューのDVD付きです。

1. Amore Così Grande
2. 'O Surdato 'Nnammurato(恋する兵士)
3. Mamma(マンマ)
4. Voglio Vivere Così
5. Santa Lucia(サンタ・ルチア)
6. Funiculi Funicula(フニクリ・フニクラ)
7. Because
8. Vieni Sul Mar!(海に来たれ)
9. Granada(グラナダ)
10. Era de Maggio(五月だった)
11. Marechiare(マキアーレ)
12. E Vui Durmiti Ancora(シチリアの朝の歌)
13. Non Ti Scordar di Me(忘れな草)
14. Pulcinella(プルチネッラ)

そのアルバム「Incanto」より「Because」
アメリカで10/31に放送されたTV番組「Oprah Winfrey Show」にて


同じく「Oprah Winfrey Show」より「The Prayer」
ピアノはスーパー・プロデューサーのDavid Foster(ディヴィッド・フォスター)




Patrizioの素晴らしい交友関係、どんどん広がっていきますね!
イタリア人のアメリカでの活躍、嬉しい限りです。
周りがPatrizioを放っておかないでしょうし、
これからも名誉ある機会が更に増えることでしょうね!
Patrizioにどんな輝かしい未来が待っているのかしら!
ずっとPatrizioらしく、自分の思う道を自分のスタイルで進んで行って欲しいです。

Una Vita in Musica!

これは夢?・・なんてなんて素晴らしいツーショット!! :'-D

2008-11-16 | Bon Jovi
It's such a dreamy shot of my great fav entertainers together!!

信じられない!!
これは夢??!!
こんなことってある??!!



Patrizioと一緒にいるのは、
つい最近、こちらでも究極のラヴソングをご紹介したばかりの、
アメリカのロックバンドBon Joviのフロントマン、Jon Bon Jovi!!

これは先月くらいのニューヨークでのものなんです。
Patrizioは、Jonのことを、
「Italian American Rock Icon Giovanni Bongiovi alias(別名)Jon Bon Jovi」
って紹介してます。

Jon Bon Joviっていわゆる芸名です。
Giovanni Bongiovi(ジョヴァンニ・ボンジォヴィ)って、Jonのイタリアでの本名なの。
(Jonのパパはシシリー出身)

Jonが生まれたのはアメリカのNew Jersey州で、
アメリカでの本名は、パパの名を受け継いでJohn Francis Bongiovi,Jr.といいます。
(パパはJohn Francis Bongiovi,Sr.)
このFrancisというのは、
同じくNew Jersey州出身のフランク・シナトラの本名Francis Albert Sinatraと同じなんだって、
Jonがインタビューでよく言ってました。

4年前にElvisのジャケットを意識したこんなプレミアムボックスも発売されたの。
デビュー以来の未発表曲を集めた、いわゆる「グレイテスト未発表コレクション」です。
ゴージャスでしょう? 4CD+1DVDなので聞きごたえもたっぷりです!
(Jonは左上です、念のため)






PatrizioとJonははElvisの話もしたかしら!
それにしても、やだ、この2人、どうして一緒にいるの・・・?
何度見ても信じられない~~・・

Patrizioは私がBon Jovi大好きって知ってるので、
Jonによろしく言ってくれたらいいんだけど・・


Bon Jovi 「Thank You for Loving Me」 in Roma, Italy



Incredibile!! Che begli uomini!!

育ててくれた想い出のポーランドにて ~「Che Sara」(ケ・サラ)

2008-11-15 | Patrizio - lyrics(songs from albums)
Beautiful 「Che Sarà」 in Poland, from first int'l album 「THE ITALIAN」



当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の故郷ポーランド、
Patrizioがそのポーランドで、
ローマ法王と85000人の前で素晴らしい歌声を披露したのは17歳のとき。
まだウィーンのハイスクールに通っていたPatrizioでしたが、
ポーランドをすっかり魅了し、オファーを受けレコーディング契約、
そして学校のない週末にはポーランドでステージをこなす為、
ウィーンとポーランドを行き来し、勉強と両立していた日々。
デビュー10年前のことです。

そしてこの映像は、デビュー半年後、
2005年9月2日~4日の3日間にわたってポーランドのSopot(ソポト)で行われた、
「The Sopot International Song Festival」でのPatrizioです。
最終日の9/4、トップを飾っての登場でした。
まだ初々しさが残りますが、
エンターティナーとしてのPatrizioを育ててくれたポーランドへの名誉ある凱旋、
Patrizioったら美しい上、オーラもたっぷりでしょう?

「Che Sarà」


画面から行かれなかったら、 こちら  からも行けます。


この曲はあまりにも有名ですよね。
1971年のサンレモ音楽祭で注目をあびたカンツォーネです。
かの「Il Mondo」を歌ったJimmy Fontana(ジミー・フォンタナ)も作曲に加わっています。
作詞は「Nel blu, dipinto di blu」(Volare)のFranco Migliacci(フランコ・ミリアッチ)。

PatrizioのCDでもそうですが、
冒頭のイントロでイタリア南部の風景が目の前に広がりませんか?
そしてこの「青年」の、当時の先のみえない不安とやりきれない気持ちを、
Patrizioはつぶやくように歌いはじめます。

重工業地帯として発展していくイタリア北部と貧しかったイタリア南部の経済格差。
生きるために故郷を後にし、新しい仕事を求めて街に出なければならない悲しい現実。

不安、孤独、これからどうなってしまうんだろう・・
ところが・・
Amore mio・・Patrizioは立ち上がり、ここから曲が転調していきます。
この「青年」は、
自分には故郷と共にあるかけがいのないもの、守りたいものにあらためて想いを馳せ、
どんどん前向きになっていくように感じませんか?
そしてさらに転調していきます。
きっと大丈夫、明日になればなんとかなる、きっとうまくいくさ!って。



「Che Sarà」  (英題にすると「What will be?」)

Paese mio che stai sulla collina
disteso come un vecchio addormentato
la noia, l'abbandono, il niente son la tua malattia
paese mio ti lascio io vado via

Che sarà, che sarà, che sarà
Che sarà della mia vita chi lo sa
So far tutto o forse niente, da domani si vedrà
e sarà, sarà quel che sarà

Gli amici miei son quasi tutti via
e gli altri partiranno dopo me
Peccato perché stavo bene in loro compagnia
ma tutto passa, tutto se ne và

Che sarà, che sarà, che sarà
Che sarà della mia vita chi lo sa
Con me porto la chitarra e se la notte piangerò
una nenia di paese suonerò

Amore mio ti bacio sulla bocca
che fu la fonte del mio primo amor
ti do L'appuntamento dove e quando non lo so
ma so soltanto che ritornerò

Che sarà, che sarà, che sarà
Che sarà della mia vita chi lo sa
So far tutto o forse niente, da domani si vedrà
e sarà, sarà quel che sarà



 (注)個人的には、「The Italian」の歌詞カードの解釈とは違って、
    もっとポジティヴでドラマティックな歌だと思っているの。
    なのでこれは「Kaori訳」です。

丘の上に静かに広がる僕の故郷よ 
まるで眠っている老人のようだ
退屈・・無気力・・何もないこの故郷よ
僕ももう行かなきゃ

Che sarà, che sarà, che sarà
これからどうなってしまうんだろう 
何だってできるのか それとも何もできないのか
明日になればそれもわかるさ
どうせなるようにしかならないから

仲間はもうこの故郷を去ってしまった
残りもみんなすぐ発つだろう
やりきれないよ
すべてが遠い過去になってしまうのか

Che sarà, che sarà, che sarà
人生どうなるのか そんなの誰にもわからない
ギターを持って出かけよう
夜泣きたくなったら
この故郷の葬いの歌でも弾くことにするよ

Amore mio・・
愛する人よ 口づけしよう
君は初恋の泉だった
今度いつ会えるかわからないけど
約束する 必ず戻るよ 必ずね

Che sarà, che sarà, che sarà
人生何が起こるかなんて誰にもわからない
大丈夫 明日になればきっとうまくいくよ!
なるようになるものさ!





Patrizioのグルーヴィな波動、ソウルフルですよね!

物事には終わりもあるけど、それが新たな始まりでもあるんだ。
人生何が起こるかわからない、けどなんとかなるものだよ。
今はうまくいかなくても、先がみえなくても、
明日になればきっといいことが待ってる。
ほら、笑ってごらん、Sorridi:)) 君はじゅうぶん頑張ってるよ!

Patrizioがそうメッセージを送ってくれてる気がしない?

Tomorrow is another day!

Domani è un altro giorno!

Patrizioがミケランジェロ?! :O

2008-11-11 | Patrizio
The result of forum competition 'in 3 words sum up Patrizio'

以前こちらでもご紹介した、
「Patrizioを3語で表現する」というこの公式フォーラムでのコンペティション
11/7に〆切られ、エントリー総数134通の中から3人のWinnerが選ばれました。


第1位 「Michelangelo of Music」(音楽界のミケランジェロ)

第2位 「Instinctively Passionate Virtuoso」
         (天賦の才能を持つ情熱的な超一流の音楽家)
    
     「Perfect Admirable Talented」
         (完壁で見事な才能を持つ人)

何だかとっても大きなスケールでPatrizioを褒め称えていますよね。
個人的には、ミケランジェロと対比させるのは、あまり・・

審査をしたのは、たぶん、
イギリスのサンデータイムズ社(新聞社)の編集者の方です。
そして1位の方には賞品として、
2005年3月14日、ロンドンのThe Criterion Theatre(クリテリオン・シアター)で行われた、
Patrizioのコンサートプログラム、
2位の2人には、Patrizioのサイン入りポストカードが送られるんですって!


ちなみに、私がエントリーしたのは、

「Luxurious Velvet Baritone」でした。

初めてPatrizioの歌声を聴いたその瞬間のことを忘れられないし、
今でも、きっとこれからもずっとPatrizioの歌声は私にとって特別だし、
まずどうしても声のことを書きたかったの。

Luxuriousって、いわゆる豪華絢爛っていう意味じゃなく、
なんていうんでしょう、
「もったいないほど上質で十分満足を得られるもの」、
Velvetは、
「優しく柔らかく暖かく艶やかで、そして情熱的に私を包みこんでくれる、
芯から心地よくてずっと触っていたい手放せないもの」
Baritoneは、「深く豊かな表現力をもつ歌声の人」
っていう意味で使いました。

たった3語に、詰め込めすぎ?!

要するに・・
Patrizioの歌声(特に低音が好き!)をずっとずっとずっとず~~~~っと聴いていたいの・・
ということで

あと他にエントリーに迷ったのは、
「Treasure from Italy」(イタリアが生んだ世界の宝物)
「Sweet-scented Italian wine」(熟成中の馨しいイタリアン・ワイン)とか、かな。
シンプルだけど、でも本当にそう思うの

Patrizio, Spero che ti piaccia..

Patrizioも大好きなBon Jovi:*) ~ラヴ・ソングも素敵なの~♪

2008-11-10 | Bon Jovi
「I really like Bon Jovi」

Patrizioが最近よく口にするBon Jovi、
Patrizioに「I really like Bon Jovi」って言わせたBon Jovi!
以前からこのブログをご覧くださっている方はもうご存知かと思いますが、
私のBon Joviファン歴、実は長いんです!
語りだしたら止まらないので、ちょこっとだけ・・ね

1984年にデビューしたBon Jovi、火がついたのはなんと日本でした!
(私がファンになったのは1992年頃かな)
デビュー当時の人気を支えたのは日本のファン。
そしてそれをよく知っているJonたちは、今でも日本のファンをとっても大事にしてくれています。
ワールドツアーを日本からスタートさせてくれたり、
ニューアルバムを世界に先駆けて日本で先行発売してくれたりもします。
きちんと態度や言葉で堂々と示してくれるJonのそういう誠実なところ、大好き!
それにBJほどクリーンで家庭的なロックバンドはいないんじゃないでしょうか!
RomanticでPositiveな曲を書けるソングライターとしてのJonも大好きです。
PatrizioファンでしかもBon Joviファンってあまりいらっしゃらないと思うので、
この機会にちょこっと見てみてくださいネ。
ラブソングも素敵なんです。



私が一番好きなBJラヴソング
アルバム「These Days」(1995)より、「This ain't a Love Song」(Band only version)

私の解釈としては、とっても深いんです、この歌・・
「この想いは一体何なんだろう、愛なのか、それともただの同情なのか・・でも愛してる・・」
ライヴで生で聴かせて、Jon・・


画面から見られなかったらこちらから http://jp.youtube.com/watch?v=JnIv50OIr-A

(大意)
薔薇が枯れていく様をちゃんと見ておくべきだった
君の瞳に映る夏の終わりに気づくべきだった
君のGood nightという言葉 ほんとはGood Byeっていう意味だったんだね
お笑いだね 君のことは何でもわかってると思ってた
毎晩泣いて泣いて どうにもたまらない夜
君が僕を狂わせたんじゃないって自分に言い聞かせてるんだ
もし君への愛が失われたとしたら
もし君を想って泣くことがなくなったとしたら
僕が間違ってたっていうことなのか
だってそんなのラヴソングじゃないから
今僕が感じている心の痛みが 君を想い続ける理由だとしたら
僕は間違っているのかもしれない
こんなのラヴソングじゃない・・



そしてBJバラードの定番中の定番
アルバム「Cross Road」(1994)より、「Always」(Band only version)
これもなかなかライヴで聴けません。



(大意)
ここにいるロメオが血を流しているよ でもきっと誰にも見えないんだろうな
君がいなくなってから 雨が降り続いてる もう溺れてしまいそうだよ
ずっと闘ってきたけど 肝心の君がいなくちゃどうしようもない
今はラヴソングさえ歌えないよ
もう僕ははだめなのか?これで終わってしまうのか?
愛しているよBaby・・Always・・
ずっとそばにいるよ 永遠にね・・Always・・
君が残していった写真 今じゃ別世界の思い出にすぎない
一緒に笑ったね 一緒に泣いたね 
もう一度この指で君の髪に触れたい kissしたい 抱きしめたい
あいつが君を抱き寄せてささやく言葉 
それは僕がささやくべき言葉なんだ 永遠にね
君に泣けと言われたら泣く 死ねと言われれば死ねる
僕の顔を見て 君のためなら何でもできるよ
もう一度だけチャンスをくれないか
一緒に探そう 夢を 太陽が永遠に輝く場所を
もしも星が朽ちても 空が消えてなくなっても たとえ言葉を失ったとしても
命尽きる時は必ず君を想う 
君だけを愛しているよ・・Always・・
ずっとずっと・・Always・・



そして元気になる歌
アルバム「Crush」(2000)より、「It's My Life」

このJonの心からの叫びは、
昔からのBJを知っているファンに、Jonについてきてよかったってあらためて思わせたし、
同時に新しい世代のファンも獲得することとなりました。



(大意)
この歌は失意の人のためじゃない
信念のないところに捧げる祈りなんかない
大勢の中のただの1人にはなりたくない
みんな聞いてくれ 今から俺が叫ぶことを

これが俺の人生さ!
今なんだよ 今を精一杯生きよう
開かれたハイウェイのようにね
フランキー(シナトラのことです)も言ってただろ
I did it my way ってね
命ある限り精一杯生きようよ
それが俺の生き方なんだ
明日がもっとつらくても大丈夫
LuckすべてがLuckyなものとは限らないんだから
チャンスは自分でつかむものだよ
人生いつ何が起こるかわからない 準備はいいかい?
自分らしく生きよう 負けないで あきらめないで


Patrizioはどんな歌が好きかしら。
Patrizioも今聴いてるかもしれないって思うと、なんか嬉しいです


Spero che Le piaccia..

2009年もやりたいこといっぱい!OMG!;)))

2008-11-07 | Patrizio - article & interview
Patrizio and his dolce vita.


クリーブランドで8月~10月の3号に渡って連載されたPatrizioの記事、
最終章です。
もうすでにご紹介済みでご存知の内容もあるかと思いますが、
省かずにPatrizioの言葉すべてをご紹介しておきますネ。


「La Gazzetta Italiana, Ohio, Oct 2008」より

「Patrizio and his dolce vita」

「最後となる今回のインタビューでは、Patrizioの音楽に対する姿勢、
そして今後のプランを聞いてみました。彼の人生って、とってもDolceです。」
                    (記事:Francesca V. Mignosa)

                      
これまでの2枚のアルバムは、オリジナル曲よりも、
イタリアのスタンダードや、伝統的なナポリ民謡がたくさん収録されているのね。
年齢的にまだ若いあなたがなぜこういうスタイルを選んだの?

イタリアの音楽って、
Puccini(プッチーニ)や Verdi(ヴェルディ)みたいなアリアだけだって
まだまだ思われててね、
それかVolare(ヴォラーレ)や O Sole Mio(オー・ソレ・ミオ)だけだとか。
これって、イタリア人がピザとパスタばかり食べてて、
アメリカ人もラップやカントリー、ハンバーガーだけって思われてるのと同じだよね。
僕たちイタリア人の文化にも、他にもっともっとたくさん素敵なものがあるんだよ。
これまで多くのイタリアの歌が世代を超えていろいろな言語で歌われて、
それがそのままワールドヒットとなったからね、
そのせいか、元はイタリアの歌なのにそれを知らない人が多いんだ。
例えば「You don't have to say you love me(原曲はIo Che Non Vivo)」とか、
「A Man without love(原曲はQuando m'innamoro)」とかね。
イタリアの歌手でいることは、
Caruso(カルーソ)や Pavarotti(パヴァロッティ)、Mario Lanza(マリオ・ ランザ)のように、
クラシック音楽を歌うことだって思われていることもまだまだ多いんだよ。

そんなわけで、ここが一番言いたいとこなんだけど、
僕はイタリアやイタリア人に対する人々の認識を変えたいんじゃなくて、
何かを付け加えてもらって幅広く知ってもらえたらって思う。
Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)や、他に最近はイタリア人に限らずだけど、
オペラの歌手たちがイタリアのオペラを生き生きと守っているのと同じで、
僕の場合は、子供の頃からずっと慣れ親しんできたMassimo Ranieri(マッシモ・ラニエリ)や、
Adriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)やSergio Bruni(セルジオ・ブルーニ)、
Toto Cutugno( トト・クトゥーニョ)のようなイタリアやナポリ出身のシンガーたち、
それにTony Bennett(トニー・ベネット)やDean Martin(ディーン・マーティン)、
Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)のような
イタリア系アメリカ人エンターティナーたちの素晴らしい要素も大事にしたい、
ロマンティック・シンガーの素敵なイメージを守っていきたいと思っているんだ。

これまでの2枚のアルバムにイタリアの代表的な歌を多く入れたのは、
そういうジャンルの音楽やイタリアの伝統を世界中の人に楽しんでもらいたかったし、
若い世代にも紹介していけたらという想いからだよ。
それが「A new school crooning entertainer」、
シンプルにそれがPatrizio。
ある意味トレンドなんだよ。時代は巡り巡っているんだからね。

今までいろんなアーティストと一緒にお仕事してきたんでしょう?

そうだね、この15年間の間で一番思い出に残っているのは、
Tom Jones(トム・ジョーンズ)かな。
ロンドンのRoyal Albert Hall(ロイヤル・アルバート・ホール)での
チャリティ・イベントだったんだ。
彼の個性、歌声、才能は素晴らしいとつくづく思うよ。


(ロイヤル・アルバート・ホールでのPatrizioの映像は、
ファーストアルバム「The Italian」日本盤のDVDで少し見られますよね!)

近い将来、誰と一緒にお仕事したい?

Celine Dion(セリーヌ・ディオン)や Natalie Cole(ナタリー・コール)だな。
本当に才能豊かなシンガーだよね。
他に、女性カントリー・シンガーやR&B divaと歌ってみるのもいいんじゃないかな。

将来、歌いたい会場ってどこかある?

Madison Square Garden(NYのマディソン・スクエア・ガーデン)、
僕の素晴らしいオーケストラと一緒にね。
Julio Iglesias(フリオ・イグレシアス)や、Elvis(エルヴィス)、Sinatra(シナトラ)がしたようにね!

これから来年にかけてはどんな予定?

今レコーディング中のサードアルバム(2009年リリース予定だよ)は、
僕にとって特に重要なものなんだ。
なぜかって? クオリティをキープしていかないといけないからね。
情熱、愛、そしてポジティブなエナジーを精一杯アルバムに注いでいるところなんだ。
素敵なミュージシャン、素敵なスタジオ、そして才能ある素晴らしいチームと一緒にね!
アルバムは素晴らしい仕上がりになる、約束するよ!
まだ内緒にしておきたいけど、来年も忙しくなりそうだよ!
CDをリリースしたら、ライブコンサートのDVDも作りたいし、
それになんといってもツアーだ!
OMG! やりたいこといっぱいだよ!


Continua così, Patrizio!

「Patrizioを3語で表すとしたら・・」 ~公式フォーラム・コンペティション

2008-11-02 | Patrizio
in 3 words sum up Patrizio!


(Photo:Grazie Toshimi!)クリックしたら少し大きくなります!

今、公式フォーラムでちょっとしたコンペをやってるんです。

お題はこれ、「Patrizioを3語で表すとしたら・・?」

エントリーされた答えの中からベストアンサーに選ばれたものには素敵な賞品が!
2005年3月14日、ロンドンのThe Criterion Theatre(クリテリオン・シアター)で行われた、
Patrizioのコンサートプログラムなんです。
レアでしょう?

このコンサートは、イギリスでのPatrizioの最初のコンサート。
しかも、2月28日にイギリスでファーストアルバムが発売されてから
たった11日間でゴールドディスクを獲得し、
そのディスクがこのコンサートの時にPatrizioに送られたという、
Patrizioにとって特に思い出深いコンサートです。
イギリスのソプラノdiva、Katherine Jenkins(キャサリン・ジェンキンス)が
ゲストとして参加しました。

PatrizioとKatherine Jenkins(2005年3月14日)



このコンペ、〆切が11/7なので、まだ日があるようで、でももうすぐ!
エントリーは1人1つ限定なので、迷っちゃって迷っちゃって・・。
審査員はたぶんイギリスのどこかの編集者です。
Patrizioのこと、ちゃんとわかってくれてる人なのかしら!

でもでも、もしかしてPatrizioも見るかもしれないと思うと、ドキドキ・・。

Mi lasci il tempo di rifletterci un po'..