近事変々

思いつくまま、気の向くまま綴る「おとりん」のサイトです。
※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

暖かな一日、水仙がひっそりと咲いていた。

2007-01-30 17:41:27 | 花好きずき
 きょうは雲ひとつない青空が広がり、気温も上がって暖かい一日だった。
近くの食品スーパーに買物に行ってきたが、途中にあるマンションのコーナーに水仙がひっそりと咲いていた。
 この辺では、ここともう少し先の家以外では、まったくといっていいほど水仙を見かけない。
うちの水仙も咲いてはいるが、小さな株で1~2本しか咲いていないので見映えはよくない。






初雪の予報は外れて暖かく、梅の花もほころびていた。

2007-01-24 17:29:00 | 花好きずき
 きょうは、天気予報では初雪になるかもしれないとのことで、朝のうちはどんよりと曇っていたが、案に相違して昼過ぎからは雲も切れ陽が射してきた。
気温もかなり低い予想だったが、暖房も必要ないくらい暖かくなったので助かった。
ちょっと出たついでに近くの公園を覗いたら、白梅もかなり梅の花もほころびていた。
一番下の紅梅は、その公園から少し離れた家の庭先に咲いていたものである。








このユッカ蘭は二度咲きなのかしら?

2007-01-23 15:54:09 | 花好きずき
 きょうは気分を変えようと、いつもの散歩コースを別のコースに変えてみた。
いつもよく咲くユッカ蘭のある家の前を通ったら、ユッカ蘭が見事に咲いていた。
枯れた花茎もあるので春先にも見たと思うのだが、このユッカ蘭は二度咲きなのかしら?
ユッカ蘭は青葉の頃か秋口に咲くはずなのだが、二度咲きにしてはかなり時季外れである。







【(ユッカらん)】

・竜舌蘭(りゅうぜつらん)科。
・学名 Yucca gloriosa
Yucca : ユッカ属
gloriosa : 立派な,華麗な
・開花時期は、 5/25頃~ 6/15頃。
(二度咲き→ 9/25頃~11/25頃)。
・アメリカ大陸原産。1596年にイギリスに渡り、日本へは
明治中期に渡来。
・葉は先端が尖り、固い。
・白い、おわんを逆さにしたような花がたくさん咲く。
一つ一つの花が重いため、花柱が倒れてしまうこともある。
(いくつか目撃したことあり)
・春と秋に二度咲きする。秋の花は、9月下旬頃から咲き出す
ものと、11月になってから咲き出すものに分かれるようだ。
・英名は「Spanish dagger」で”スペインの小刀”の意味。
剣状の葉っぱに由来する。
中国名は「鳳尾蘭」で、「鳳凰」の尾のような形をした蘭、
という意味。
・別名 「厚葉君が代蘭」 (あつばきみがよらん)。
学名が「Yucca gloriosa」で「gloriosa」がそこから
「立派な、栄光ある」という意味があり、立派な和名
がつけられた。

(出典:「季節の花300」)

また昭和が遠のく、「あゝ上野駅」の井沢八郎さん逝く。

2007-01-19 11:45:26 | 近事変々
井沢八郎さん死去…闘病1年3か月愛娘の誕生日に ― スポーツ報知

「あゝ上野駅」のヒット曲で知られる歌手の井沢八郎(本名・工藤金一=くどう・きんいち)さんが17日午後11時18分、食道がんのため都内の病院で死去した。69歳だった。2005年9月に食道がんを患い入院。約1年3か月に及ぶ闘病生活も実らず、帰らぬ人となった。井沢さんの長女で女優の工藤夕貴さん(36)は、17日がバースデー。最期をみとることができなかったが、同日朝に対面。「父は私の誕生日を祝うために頑張っていてくれていたのかもしれない」とホームページに心境をつづった。

 井沢さんは、妻で声優の工藤美代子さん、親族らにみとられ、静かに息を引き取った。

 井沢さんは一昨年9月に食道がんを患って入院。手術を受け、一度は退院したが、昨年5月にがんのリンパ節への転移が発覚。その後は、放射線治療・免疫療法を続けるなどして闘病生活を送ってきたが、11月に再入院していた。



MIDIカラオケおやじの唄/「ああ上野駅」

「おとりんの一言」

 歌手の井沢八郎さんの訃報に接し、「また昭和が遠のく」という思いを強くした。
「あゝ上野駅」は1964年(昭和39年)に発表され大ヒットした井沢さんの代表曲であり、地方の中学校卒業生が「金の卵」とよばれ、集団就職で上野駅に降り立つ風景を歌ったものである。
昭和39年といえば東京オリンピックの年でもあり、高度経済成長たけなわの時期でもあった。
私らの年代は、ただただ懐かしさを覚えるものだが、こうして昭和の歴史が遠のいていくことには一抹の淋しさがある。

井沢さんのご冥福をお祈りします。合掌。

やっぱり引っ掻き傷ができたバラの剪定(枝折り)

2007-01-16 13:26:41 | 花好きずき
 今朝方は曇り空だったがだんだんと晴れてきて、いまはやや風があるものの比較的暖かい。
かみさんにバラの剪定(枝折り)を頼まれたので、暖かいうちにと取りかかったのだが、やっぱり引っ掻き傷ができてしまった。
 徒長枝がすごいし太い枝のトゲは危ないので皮手袋をして始めたのだが、ある程度枝折ると手袋をしていてははかどらないし、細い枝なら大丈夫だと思ったのが甘かった。
ほとんど終わりかけたころに、左手の甲に引っ掻き傷ができていて、薄く血がにじんでいたのである。
 たいしたことはないが、バラの剪定はこれだから困るし、かみさんが手を出さないのも当然のことである。








なんと、桜が咲いていたよ。

2007-01-15 08:54:28 | 花好きずき
 今朝はここのところの暖かさとは裏腹にかなり寒い。天気予報を見ても全国的に気温が低めになっている。
 ところで、きのうの散歩は赤塚の松月院前を通るコースを歩いたのだが、大宮バイパスのすぐそばにある家の桜が咲いていた。
五分咲きかそれ以上に見えたので冬桜なのかも知れないが、確かめるすべもないので写真を撮っただけで通り過ぎた。 






小鳥たちも生きるのに必死なのだ。

2007-01-14 09:41:03 | 近事変々
 うちのまわりはまだ緑がたくさんあるので、身近に小鳥たちの姿が見られる。
中でも一番のいたずら者でもあるオナガはよく来ていたが、去年の秋ごろから小鳥たちの様子がおかしい。
エサが少ないからだとは思うが、家庭菜園の葉物がついばまれているのである。
以前はそんなことは滅多になかったのだが、ブロッコリーやチンゲン菜などはご覧のような無残な姿になってしまった。
近くの区民農園にも小鳥たちが群がっていることが多いし、農家の畑では一面にネットを張っているところもある。
人の世も殺伐とした事件ばかりで住みにくいが、小鳥たちも生きるのに必死なのだという思いを強くした。









オナガ/Yahoo!きっず図鑑

「板橋七福神巡り」道中録 ― その5 (最終回)

2007-01-13 09:27:44 | 民俗・行事
 「板橋七福神巡り」も残るはあと二つとなり、旧中山道の板橋宿へと歩を進める。
次の観明寺(恵比寿神)へ行くには、西光院のすぐ前にある南町交差点を渡り、しばらく歩くと中丸町交差点のところで
川越街道にぶつかる。
川越街道を横断してなおも歩いていくと、こんどは東武東上線の踏切に出る。
踏切を渡って左のほうへ行けば大山駅だが、そのまま真っ直ぐに行くと板橋都税事務所の前に出る。
ここを右折するとすぐに山手通りの交差点である。山手通りを渡り、そのまま歩道を歩いていくと国道17号(中仙道)の
交差点に至る。
交差点を越えて直進すると旧中山道にぶつかるが、ここも右折するとすぐに観明寺の入口である。
西光院からここまでは40分弱の道のりである。

入口脇には格子戸に閂で守られている庚申塔があるが、都内最古といわれるもので、板橋区有形文化財に
指定されている。









恵比寿神は本堂左手の部屋に安置されているが、サッシの引戸が少ししか開いておらず、隙間から写真を撮った。






観明寺の拝観を済ませれば、あとは文殊院(毘沙門天)を残すのみである。

観明寺を出て旧中山道を少し行くと旧中山道仲宿の交差点となるが、ここの歩道際に「中山道板橋宿」の石碑と
高札が建っている。






さらに進んで行くとスーパー・ライフの前に出るが、そのすぐ先を右折するとマンションの反対側に文殊院の山門がある。

文殊院は山門も本堂も立派な造りで、見た感じかなり格式の高いお寺のように思えた。








毘沙門天は本堂拝殿の真後ろに安置されていたので、よく見ることができた。






 文殊院で「板橋七福神巡り」は満願となった訳なのだが、江古田からは2時間半ほどかかっており、延べ4時間半ほど歩いたのでさすがに足の裏や股の付け根が痛くなってしまった。
やはり、「自転車で回るべきだったかな」という思いを抱きながら文殊院をあとにした。

「板橋七福神巡り」道中録 ― その4

2007-01-12 09:03:17 | 民俗・行事
 12時を過ぎていたので、能満寺で寿老人を拝観したあと日大芸術学部・江古田校舎の前を通り、西武池袋線の
踏切を越えて江古田駅前の商店街まで行き、中ほどにある大衆食堂で昼食をとりながら一休みした。
1時少し前に店を出て、川越街道の熊野町交差点近くにある西光院(大黒天)を目指す。

西武池袋線に沿って歩きながら旭丘一丁目で踏切を渡り、長崎六丁目の信号のところに出る。



ここから左の方へ道なりに進んで行くと、しばらくして右手に千早高校が見えてくる。

その少し先を右折して千川駅前の交差点へと進む。
 (写真は横断してから江古田方面をみたものである)



千川駅前の交差点を渡り、道なりに歩いていくと高松小学校の前に出るが、ここから5分ほどで西光院の門前となる。
江古田駅前からは約40分の道のりである。

西光院の入口には立派な石碑が立っていた。



山門脇には板橋区指定の天然記念物であるシイの古木が聳えている。






大黒天は本堂の左手にご開帳されていた。




「板橋七福神巡り」道中録 ― その3

2007-01-11 09:40:22 | 民俗・行事

 西光寺をあとにして次の能満寺(寿老人)へ行くわけだが、能満寺は西武池袋線の江古田駅近くにある。 
「板橋七福神」の一つがなぜ練馬区にあるのかというと、もとは板橋区だった所が昭和22年に分離され
練馬区になったからなのである。

西光寺を出てすぐに「ロード大谷口」という通りに出るので、ここを右折する。




しばらくすると、板橋高校先の交差点に出る。
ここは六差路になっていて、一番右端の道を行くはずだったが直進してしまった。




すぐに地下鉄千川駅近くにある千川通り・要町三丁目交差点に出る。




 実は、コースを間違えたことに気がついたのは、この交差点を横断してしばらく歩いてからだった。
本当ならば豊島高校の裏手を通るはずだったのだが、左手に見えた学校が千早高校だったからである。
コースを修正するため、千早高校前の信号を渡って右側の路地へ入り、豊島高校の塀沿いに歩いて本来のコースへ戻った。
間もなく、和菓子造り一筋に360年余の歴史を持つといわれる「両口屋是清」の敷地が右手に見えてくる。
この少し先を右折、住宅街のせまい路地を不安げに進んで行くと、右手に少し入った所に能満寺の入口があった。
かなり疲れた感じもしてきたので、時計を見たらもうすぐお昼になるところであった。

能満寺入口の一角には千川地蔵菩薩が祀られ、赤い幟がはためいていた。




山門は古めかしく、門前の案内板は積もった埃を竹箒で払っただけのような感じであった。






本堂はやや狭い場所にあったが、新築されてからさほど経っていないように見えた。




「寿老人」は、本堂手前の竹垣の門をくぐった右手の建物の中に安置されていた。