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近事変々

思いつくまま、気の向くまま綴る「おとりん」のサイトです。
※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

寒椿 (かんつばき)もそろそろ終りかな・・・。

2006-11-30 09:52:20 | 花好きずき
きょうは予報によると曇りから晴れで、降水確率が30%という
ことだったが、少ない雨の方が当たってしまったようだ。
朝のうちからかなり大粒の雨が降っており、道路全体も雨で濡
れて光っている。

 晴れた日に見る寒椿は、分厚い葉の光沢も花びらも陽射しに
映えているが、散りかけた花に雨が当たると、とたんにみすぼら
しくなってしまう。
かなり前から咲いている寒椿もそろそろ終りを迎え、時は師走へ
と進んで行く。
















【寒椿(かんつばき)】

・椿(つばき)科。
・学名 Camellia sasanqua cv. Fujikoana
Camellia : ツバキ(カメリア)属
sasanqua : サザンカ(日本名)
Camellia は、17世紀のチェコスロバキアの
宣教師「Kamell カメル」さんの名にちなむ。
・開花時期は、11/25頃~翌2/10頃。
・濃い紅色が鮮やか。八重咲き。
・花は1枚ずつ散る。
・公害に強い。道路と歩道の間の植え込みなどに
よく植えられる。

・山茶花とは、葉っぱも花も開花時期もほぼ同じで
なかなか見分けがつかない。
(学名的にもほとんど同じ)

(出典:「季節の花300」)

会津・東山温泉一泊の旅 ― その4

2006-11-29 08:47:58 | 近事変々
 「大内宿」の散策を終え、会津鉄道「湯野上温泉駅」から一駅先にある
「塔のへつり」へと向かった。ここが最後の見学地だったが、国の天然記
念物に指定されているという奇岩の林立には圧倒された。
吊橋を渡って岩穴のある所まで行けるのだが、橋幅は広いものの吊橋だけ
あってかなり揺れるし、手すりがないのでおっかなびっくり渡った。
 虚空蔵菩薩が祀られているお堂の一部は修繕工事が行われていたが、内
部はほの暗く、祭壇の前は乱雑でお世辞にも敬虔な気持ちになれる場では
なかった。
祠の上部にも出られるのだが、足場の悪い石段を登らなければならず、降り
る時には鎖を握り締めて降りてきた。
吊橋を往復して、写真を撮ったりしているうちに見学時間は終わってしまい、
帰路のバスに乗り込んだ。
 途中、ツアー恒例の買物休憩ということで、りんご製品を売る「菓茶寮
林檎庵」という物産店に立ち寄った。
その後は車窓から夕暮れの景色を見るとはなしに見ながら、一路、東北道
をひた走り新宿へと向かった。
東北道はさほど混んでいなかったが、都心に入ってからはノロノロ運転で、
走っては止まり、止まっては走りの連続、新宿に着いたのは午後8時をかな
りまわっていた。
















【塔のへつり】[岬・海岸・断崖]

 国の天然記念物に指定されている塔のへつり。
 「へつり」とは、方言で「川に沿った断崖、急斜面」のこと。100万年以上
という長い年月の浸食と風化によって大川の断崖が削られてできた奇岩、怪石
の景観だ。
象塔岩[ぞうとういわ]、獅子塔岩[ししとういわ]、鷲塔岩[わしとういわ]
など名がつけられた12の岩(塔の岩)があり、吊橋のたもとに虚空蔵菩薩[こ
くぞうぼさつ]が祭られている。
岩の下には遊歩道がつくられ、吊橋を渡って侵食された部分を巡ることができる。
駅からでも徒歩で往復約30分。

(出典:「Yahoo!トラベル/国内観光・温泉地ガイド」)

会津・東山温泉一泊の旅 ― その3

2006-11-28 08:35:51 | 近事変々
 東山温泉に一夜の宿を取り、二日目は宿とは目と鼻の先ともいうべき場所に
ある「会津武家屋敷」の見学からスタートした。
「会津武家屋敷」は、会津藩家老・西郷頼母(さいごうたのも)邸を中心に、代官
所であった旧中畑陣屋や直径4mもの水車を擁した藩米精米所、茶室などの歴
史的建造物を集めたもので、武家社会の暮らしぶりをうかがい知ることのできる
施設である。
 家老屋敷はさすがに広く、将軍御成りの間や書院、広々とした台所なども見
られたが、戊辰戦争の折、一族の婦女子21名が自刃して果てた悲しい最後が
人形で再現されていた部屋では、その無念に思いをはせ、直視することがはば
かれるような感じだった。
 続いて会津西街道の宿場町である「大内宿」に向かった。
「大内宿」は会津若松から国道121号線を湯野上温泉郷近くまで南下し、山
あいの道を奥に入ったところにあるのだが、宿場入口の駐車場に着いた時には
小雪が舞っていた。
幸いにして、雪はすぐ止んで陽がさしてきたが、萱葺き屋根の家が連なる宿場
町は、山際の突き当りまでさほどの距離もなく、ひなびた田舎の村のようであ
った。
 ここでは、本陣跡を復元した「町並み展示館」を見学したり、散策しながら買物
や昼食を済ませたのだが、どの家も民芸品などの物産店となっており、食堂を
併設している家も多く、すっかり観光地と化してしまっていた。

  【小雪の舞っていた大内宿】



  【萱葺き屋根の連なる宿場風景 】



  【大内宿本陣跡の説明板】



  【物産店のたたづまい】



  【大内宿最奥部の様子】



  【「湯殿山」を祀った最奥部の食堂】



  【「大内郵便取扱所跡」に建つ当時のポスト】



  【木製の大鳥居】



  【用水路脇に祀られたお稲荷様】



  【大根が干されていた軒先】


会津・東山温泉一泊の旅 ― その2

2006-11-27 10:14:53 | 近事変々
 「会津酒造歴史館」を見学後は東山温泉へ直行となり、宿泊先の「御宿 東鳳」
というホテルに3時半頃に到着した。
早めに展望風呂を楽しむという企画だったのだが、夕食後のオプション、「鶴ヶ城
ライトアップツアー」を申し込んでいたので、風邪を引くといけないと思い夕食前の
入浴はやめにした。
夕食時には舞台で白虎隊剣舞と民謡ショーが演じられ、熱燗を飲みながら観賞した。
 午後8時になってホテルのマイクロバスに分乗、夜の鶴ヶ城見学に繰り出した。
鶴ヶ城(若松城)は戊辰戦争の攻防で荒れ果てたまま明治7年(1874年)に天守閣が
取り壊され、昭和40年(1965年)に現在の姿に復元されたものである。
足元はかなり暗かったが、ライトアップされた鶴ヶ城は、闇の中にその勇姿を浮かび
あがらせていた。(本当は昼間見たかったのだが・・・)
本丸の敷地内には鶴ヶ城をモデルに土井晩翠が詞を構想したとされる「荒城の月」の
歌碑もあった。
 「ライトアップツアー」から戻り、冷えた身体を東山温泉の湯船で温めたあと、早めに
床にもぐり込んだ。












【『荒城の月』 (こうじょう・の・つき)】

土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲

春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
  千代の松が枝(え)分け出でし 昔の光今いずこ

秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし 昔の光今いずこ

今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
  垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌う(うとう)はただ嵐

天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
  映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月

 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

※参考リンク※

「会津戦争」/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

会津・東山温泉一泊の旅 ― その1

2006-11-26 10:37:04 | 近事変々
 11月23日、かみさんと会津若松の奥座敷・東山温泉に一泊する
バスの旅へと出かけた。
新宿駅西口から東北自動車道・磐越自動車道をひた走って4時間弱、
最初の目的地、会津藩校「日新館」のそばにある「楽故亭」という物産
店に到着。
ここで、会津名物の「わっぱ御膳」の昼食をすませ、白虎隊の隊士も
学んだという藩校の内部を見学した。
 江戸時代の会津藩の学校「日新館」は、1803年に人材の育成を
目的に設立され、幕末には多くの優秀な人材を輩出したといわれる。
日本武士道の根源を教えたといわれるだけあって、日常の礼儀作法
に始まり、学問は天文学まで、武道においては馬術、水練、弓道、砲
術まで、ありとあらゆる分野に及んでいた。
 内部を見学して、広大な設備はもとより、箸の上げ下ろしから始る礼
儀作法をはじめ、木馬や天文台まで備えた設備に、藩校としての確固
たる信念に触れたような気分を味わった。
 この後は、会津の銘酒「宮泉」の醸造元に併設されている「会津酒造
歴史館」を見学、ほんのちょっぴりだが辛口の銘酒を味わってきた。

 【永楽大康獅子】(青白石という大理石で造られた日新館の守護神)
  


  【日新館南門】



 【日新館の外塀】



  【左:大成殿(講堂)、右:大学】



 【水練水馬池と武道場(正面の建物)】



 【木馬場(左の建物)】



 【天文台から見た磐梯山】



 【天文台から見た会津村の慈母観音像】


ピラカンサスの実がびっしりとついていた。

2006-11-25 09:21:57 | 花好きずき
 時節柄、朝晩の冷え込みは厳しくなりつつあるが、きょうも
青空がいっぱいに広がっている。
 23日から会津・東山温泉への一泊ツアーに行ってきたのだ
が、こちらの報告はひとまずおくとして、先頃、散歩道に鈴なり
になっていたピラカンサスの実を見ていただきたい。
 うちにも長年実のつかなかったピラカンサスがあり、ようやく
数十年ぶりに実をつけたものの、この夏に枯れてしまった。
それだけに、よそのピラカンサスがびっしりと赤い実をつけて
いると、なにやら嫉妬心めいた感情がこみ上げてくる。












【ピラカンサス】

・薔薇(ばら)科。
・学名 Pyracantha angustifolia(橘擬)
Pyracantha coccinea (常盤山櫨子)
Pyracantha : トキワサンザシ属
angustifolia : 幅の狭い葉をもつ
coccinea : 紅色の,緋紅色の
Pyracantha(ピラカンサ)は、ギリシャ語の
「pyro(炎)+ acantha(刺)」が語源。
火のような真っ赤な実をつけ、
枝にはいっぱいとげがあるところから。
これに「ス」がついて「ピラカンサス」。
・開花時期は、 5/10頃~ 5/末頃。
・花は白。花よりやはり、秋になる実が目立つ。
・中国名は「火棘(かきょく)」。
・別名 「橘擬」(たちばなもどき)→オレンジ色の実。
     中国南西部原産。
     「常盤山櫨子」(ときわさんざし)→赤い実。
     ヨーロッパ東南部原産。

(出典:「季節の花300」)

近所で見かけたユリオプスデージー

2006-11-22 11:57:39 | 花好きずき
きのうに続いて晴天がひろがり、先日の寒さと段違いの暖かな
日和である。
先ほど空を見上げたら、飛行機雲が二筋、三筋と流れていた。
 きのう、近所でユリオプスデージーの花を見かけた。
寒さに強いといわれる黄色の花は、陽射しに映えて生き生きと
していた。







【ユリオプスデージー】

(Euryops daisy)

・菊(きく)科。
・学名 Euryops pectinatus
Euryops : ユリオプス属
pectinatus : 櫛(くし)の歯状の
Euryops(ユリオプス)は、ギリシャ語で
「大きな目を持つ」という意味。
花の姿形に由来する。
・開花時期は、 9/25頃~翌5/末頃。
長い間咲き続ける。
・南アフリカ原産。
1972年にアメリカから輸入された。
・花は咲く前は白い房に包まれている。
・葉っぱはおじぎ草に似ている。
・比較的寒さに強い。過湿を嫌う。
・「ユリオプスデイジー」とも読む。

(出典:「季節の花300」)

しゃこばサボテン (デンマークカクタス) が咲き出した。

2006-11-19 09:09:32 | 花好きずき
 きのうの日中は晴れていくぶん暖かだったが、きょうから
また天気は下り坂で、昼ごろには雨が降り出すようだ。
 
 先日、うちのしゃこばサボテンがいつになく見事な花を開
いたので、陽に当ててやった時の写真である。
赤系とピンク系の混植だが、まだ蕾がびっしり付いており、
世話をしていたかみさんも少し自慢げだった。













【蝦蛄葉サボテン(しゃこばサボテン)】

・サボテン科。
・学名 Zygocactus truncatus
(Schlumbergera属 との説もあり)
Zygocactus : ジゴカクタス属
truncatus : 切られた形の
Zygocactus(ジゴカクタス)は、ギリシャ語の
「zygos(対をなす)+ cactus(サボテン)」が語源。
ふしぶしに、対になった刺状突起があることから。
・開花時期は、11/10頃~翌1/10頃。
・ブラジル原産。明治時代に渡来。
・茎は四方に垂れ下がる。
・花は茎先に段々に咲く。咲き始めが見事。
色はピンクや赤。
・茎が、海老に似た「蝦蛄(しゃこ)」
(寿司ネタで有名)に似ているところから命名された。
また、ことわざで「蝦蛄で鯛を釣る」
(少ない元手で大きな利を得ること)というのがある。

・別名 「クリスマスカクタス」、
クリスマスの頃に咲くサボテン、の意。
「デンマークカクタス」。
・「蟹葉(かにば)サボテン」に似ているが、蟹葉サボテンは
茎部分にはとげとげがなく、開花時期は2~3月頃で蝦蛄葉
より遅いので区別できる。

(出典:「季節の花300」)