近事変々

思いつくまま、気の向くまま綴る「おとりん」のサイトです。
※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

大菊の輪台付けは割と面倒な作業

2007-10-30 08:11:14 | 花好きずき
 きのうの朝、カミさんが「きょうは何をするの?」と声をかけてきた。さしたる用事もなかったので、「別に・・・」とあいまいな返事をしたところ、菊の輪台付けをやってくれないかということだった。
カミさんが育てている大菊にもようやく蕾が膨らんできて、首をかしげているものもあるので、そろそろ輪台を付けてやらないといけないようだ。
 大菊の輪台付けは割と面倒な作業だが、断る理由もないのでしぶしぶ始めた。
お昼少し前から始めたのだが、福助造りの鉢が20余、三本仕立ての大鉢が15ほどあるので、昼飯を挟んで日が沈むまでやったが、三本仕立ての半分ほどが終わったところであたりが薄暗くなってしまった。
 きょうもいい天気になりそうだが、残りの輪台付けを終わらせないと何をすることもできないので、もう少ししたら始めようと思っている。

 

茶箱を分解するのは容易ではなかった。

2007-10-28 17:55:16 | 近事変々
 きょうは、夕べの嵐が過ぎ去り綺麗な秋晴れとなった。
床の抜けた押入れに茶箱が2個入っていたのだが、中身を出してみたら内側に貼ってあるブリキの板に錆が浮いていた。これでは使い物にならないので壊すことにしたが、釘がたくさん打ってあるし、釘自体も錆付いているので容易ではなかった。
 ブリキの板も縁の所はステープルが打ち込んであって、いちいちコジリ起こさなければ取れない仕掛けになっていた。
まずは、蓋の方からマイナスドライバーを駆使してステープルを抜き、ブリキの板を剥がした。
蓋の方は一枚板なので簡単だったが、箱の方はブリキの板も箱状に半田付けがされており、箱から引き出すのにちょっと抜きにくかった。
 ブリキの板を剥がした後、箱の分解に取り掛かったが、釘が打ってある所で板が割れてしまい、大半はゴミと化してしまった。
通りがかりの人が門扉の所から覗きながら、「それって、茶箱ですよね」と珍しがっていた。
昔は着物などを入れるため湿気の入らない茶箱が重宝されていたし、うちの茶箱もその当時、お茶屋さんからわざわざ買ってきたものだが、いま時は茶箱なんて使う家はないことだろう。

かれこれ20年、雑誌類の重みで押入れの床が抜けていた。

2007-10-25 19:58:26 | 近事変々
 きのうの朝、カミさんが押入れに入れてある小間物入れの引き出しが開かないといって来た。見に行ってみると、押入れの床がかなり斜めになっているために、引き出しが開かない状態になっていた。
もう、かれこれ20年くらい押入れの奥の方は手付かずで、ボール箱やお菓子の缶などがうず高くしまいこんであったのである。
 カミさんがいうには、物を入れ始めた頃から床がミシミシいっていたそうで、「たぶん床が抜けている」ので、思い切ってボール箱やお菓子の缶などを全部出して見てほしいとのことだった。
埃と格闘しながらやっとの思いで押入れの中を空っぽにして驚いた。床が完全に斜めになっていたのである。敷き物やその下に敷いてあった新聞紙を剥がしてみると、下のベニヤ板もボロボロで、奥の方の桟は完全に外れていた。
こうなったらしょうがないのでないので、ありあわせの材料を集めて半日がかりで修理した。
 その後も大変だった。ボール箱やお菓子の缶などをひっくりかえして、不要なものを捨てようということになったが、なにせ、20年くらい手付かずだったので、いちいち何が入っているか調べなくてはならなかったのである。夕食後までかかって整理した物は、半分ほどは不要な雑誌や書類、貰い物のタオルなどだった。
 きょうも、きのうの続きで押入れの上段のほうを整理したが、やっぱり一日がかりでやったにもかかわらず、半分ほど残っている。もう、いい加減うんざりである。
出す時は簡単だが、いざ仕舞う段になると数倍かかることをイヤというほど思い知らされた。

川越まつり(その5)・・・まつりのハイライト「曳っかわせ」

2007-10-24 07:22:46 | 民俗・行事
 提灯に明かりを灯した山車が、次々と連雀町の交差点に引き入れられ、2台、3台、5台と向き合ってお囃子が急ピッチで叩き合われると、踊り手の身振り、手振りも次第に大きくなる。
舞台が回転するたびに観衆から拍手と歓声が上がり、いやが上にも興奮のるつぼと化すハイライトシーンである。
交差点の外からしか写せないような状況だったので、個々の山車の説明は省略するが、賑やかな「曳っかわせ」の雰囲気は分かってもらえるのではないだろうか。
















川越まつり(その4)・・・「宵山」の山車飾り

2007-10-23 17:45:31 | 民俗・行事
 夕方になると、一番街通り・札の辻交差点から中央通り・本川越交差点までのメイン会場には、15台の山車が提灯に灯を入れて飾られる「宵山」が始る。
それぞれの山車の舞台ではお囃子をバックにした手踊りが際限なく続けられ、見物人の拍手やフラッシュの光が飛び交う。
 メイン会場の通りを二度、三度と行き来していると、どんどん人並みがふくらみ、すれ違うのがやっとという場所もあちこちに出来て、写真を撮るのも楽ではなかった。
全部の山車を写せたわけではないが、昼間の「山車揃い」とはまた違った雰囲気を目の当たりにすることができた。

   【仙波町「仙波次郎」の山車】



   【新富町二丁目「鏡獅子」の山車】




   【中原町「重頼」の山車】



   【野田五町「八幡太郎」の山車】




   【六軒町「三番叟」の山車】



   【連雀町「道灌」の山車】




   【末広町「高砂」の山車】



   【大手町「鈿女」の山車】




川越まつり(その3)・・・市内寸描

2007-10-23 07:45:47 | 民俗・行事
 市役所前での「山車揃い」が終わったあと、夕方までには間があるので、菓子屋横丁、時の鐘、一番街通り、大正浪漫夢通りなどをぶらついてみた。
どこもかしこも屋台の店が並び、行きかう人々は買い食いや、掘り出し物の買物を楽しんでいるようだった。

   【大正建築の象徴「埼玉りそな銀行」】



   【ご存知「時の鐘」】






   【夕暮れが迫る「大正浪漫夢通り」】



   【一番街通りに陣取る志多町「弁慶」の山車】



   【志多町「弁慶」と脇田町「家康」の儀礼打ち】



  【御会所の囃子連舞台】




川越まつり(その2)・・・山車舞台の競演

2007-10-22 15:51:03 | 民俗・行事
 最初は市役所前での「山車揃い」だが、おおぜいの人並みに揉まれながら写真を撮って歩いた。
それぞれの山車の舞台では、お囃子と手踊りが繰り広げられており、見物人からは大きな拍手が送られていた。

   【新富町二丁目「鏡獅子」の山車】



   【南通町「一本柱万土型」の山車】



   【脇田町「徳川家康」の山車】



   【大手町「鈿女」の山車】

   この踊り手は小学生のようだったが、剣玉はプロ級の腕前で拍手喝さいであった。





   【川越市「猩々」の山車】   



   【志多町「弁慶」の山車】

   こちらのおかめさんは艶っぽい仕草で愛嬌を振りまき、なかなか可愛らしかった。



「山車揃い」、「宵山」、「曳っかわせ」、十分に堪能してきた川越まつり。

2007-10-22 09:46:06 | 民俗・行事
 20日の土曜日は川越まつりの初日だったが、よく晴れて絶好のお祭り日和となり、人出もかなり多いように思われた。
 最初は、かって知ったる道々を通り抜け、「山車揃い」の会場である市役所前に行ったが、山車が出揃う前から人、人、人で混雑していた。あたり一面の人込みを見ると、川越まつりの人気のほどがよくわかる。
8台の山車が次々と会場に引き入れられる「山車揃い」は壮観であり、山車ごとの舞台での踊りも多彩であった。
勢ぞろいのあとに川越市長の挨拶があり、各屋台が順繰りにお囃子を披露したあとは、それぞれの御会所に向けて引き出されて行った。
 夕方までの間、弁当を食べたり、菓子屋横丁などに足を運んだりして時間を潰した。
日が落ちてから「宵山」を見物、メイン会場の一番街通り、中央通りを15台の山車が提灯に明かりを入れて展示され、お囃子と踊りをじっくりと見ることができた。
写真を撮りながら何度か往復するうちに人出が増してきて、すれ違うのもやっとという状況になってきたが、おおかたの山車は見ることができた。
 最後は川越まつりのハイライトともいうべき「曳っかわせ」を見るため、去年と同じ連雀町の交差点で待機していたが、7時過ぎには山車が4台も5台も鉢合わせし、舞台がクルリ、クルリと回るたびに観衆からどよめきの声が上がった。
それぞれの屋台のお囃子も急テンポの調子になり、いやが上にも興奮する瞬間である。「曳っかわせ」は、祭り好きには、自分も曳き手に混じっているかのような興奮を覚える場面である。
混雑もひとしお、時々、人並みが押しくら饅頭のように崩れそうになり、立っているのがやっとという有様だった。 
 帰りが遅くなるので、まだ「曳っかわせ」が行われている本川越駅前の交差点を横目に見ながら帰ってきたが、何度行っても川越まつりの素晴らしさは変わらない。
ことしは一人で行ったので、隅から隅まで十分に堪能してきたが、ほとんど半日立ちっ放しだったので、さすがに疲れて、帰り際には腰が痛くなってきてしまった。

   【市役所前の「山車揃い」】





   【川越市長の開会あいさつ】



   【大手町の山車・・・天鈿女命(あめのうずめのみこと)】



   【志多町の山車・・・武蔵坊弁慶と草刈童子】



   【新富町二丁目の山車・・・鏡獅子】



   【中原町の山車・・・川越太郎重頼(しげより)】



   【元町二丁目の山車・・・山王(さんのう)】




【脇田町の山車・・・徳川家康】



【川越市の山車・・・猩々(しょうじょう)】


意義のある2007年、巨人三連敗でCSシリーズ敗退。

2007-10-21 08:59:00 | 花好きずき

眠ったまま3連敗!原巨人終戦…セCS第2S・第3戦 ― スポーツ報知

◆セCS第2S・第3戦 巨人2―4中日(20日・東京ドーム) 

 5年ぶりにセ・リーグを制した巨人が中日に3タテを喫して、日本シリーズ出場を逃した。先発・高橋尚が4回、ウッズに3ラン、7回には谷繁にソロを浴びた。打線は二岡が2回にソロを放ち、4回には小笠原の適時打で追い上げたが、届かなかった。
原監督は「意義のある2007年だった」と、この悔しさを胸に、来季の日本一奪回を誓った。レギュラーシーズン2位の中日が、2年連続日本シリーズ出場となり、1950年に始まった同シリーズに初めてリーグ優勝チーム以外が出場することになった。

 腰を手に当てたまま、険しい表情でグラウンドを見つめた。歓喜に沸く中日ナインを、原監督は目に焼き付けた。今季最後の会見は、ミーティングをはさみ、試合終了20分後に始まった。悔しさを胸に秘め、しばらく考えてから切り出した。「粘り強く戦いましたが、短期決戦でジャイアンツの力を出せなかった。最後の最後まで応援してくれたファンのみなさんには大変、感謝しています」ペナントレースから通算して147試合目、苦汁の思いを交えて、ファンへの感謝の言葉を口にした。


Gエンド…リーグ優勝が泣く3連敗 ― スポーツニッポン(gooニュース)

第3戦の「試合結果」はこちら ― 巨人軍公式サイト

「おとりんの一言」

 高橋(尚)を立てて最後の望みをかけた第3戦、2回裏に二岡の先制ソロHRで幸先よくリードした。
しかし、、4回表、それまで無安打に抑えていた高橋(尚)が、一死後、井端にデッドボール、続く森野にヒットを打たれ一死一、二塁、ここで迎えた4番・ウッズにライトスタンドに叩き込まれ1―3と逆転されてしまった。その後も二死満塁まで迫られたが、投手の中田にまわり、なんとか追加点は免れた。
 4回裏、谷の四球と小笠原のタイムリーで1点を返し2―3としたが、7回表、一死後、高橋(尚)が谷繁にソロHRを打たれて2―4と再びリードを広げられた。
巨人打線も、7回裏、8回裏と必死の反撃を試みたが無得点に終り、最後は岩瀬に抑えられ3連敗を喫してしまった。
 原監督は、「短期決戦で巨人の力が出せなかった」と述べたが、対決までの14日間のブランクも大きかったし、1番打者の高橋(由)が故障して出られなくなったのも痛かった。
日本シリーズへの進出はならなかったが、5年ぶりに優勝を飾った事実はいささかも消えない。
残念さは残るが、巨人にとっては、これで意義のある2007年が終わったということである。

秋の陽に映える真っ赤なサルビア

2007-10-20 10:23:00 | 花好きずき
 夕べの雨も上がって穏やかな晴天の陽射しが降り注いでいるが、どうやら一週間ぐらいはお日様が見られそうである。
初夏から初冬まで咲き続けるサルビアだが、真っ赤な色の花は、やはり秋の陽射しに映えているほうが様になる。
 うちの玄関先にもサルビアが咲いているのだが、これまで何度となく写してみたものの、どれもイマイチで載せられなかった。
先日、前谷津川緑道を散歩していた時に白花のサルビアを見つけたので、一緒に載せてみたような次第である。













【サルビア】

・紫蘇(しそ)科。
・学名 Salvia splendens
     Salvia guaranitica(グアラニチカ)
     splendens : 立派な、きらめいた
 Salvia(サルビア)は、ラテン語の
 「salvare(治療)」「salveo(健康)」が語源とされる。
 この種の植物は薬用になるものが多いことから。
・6月頃から11月頃まで開花。ずいぶん長い間咲き続ける。
・花の中のほうには蜜があり甘い。
・別名 「緋衣草」(ひごろもそう)。
    「スプレンデンス」 → 学名から
・セージ、アメジストセージも、サルビアの一種です。

(出典:「季節の花300」)