いろいろあって前回の打ち合わせに行けなかったのですが、今回も博物館で打ち合わせ。
「早めに行って本町を案内してもらいましょう」と連絡が入り
おおたかの森情報観光センターのKさんに案内していただきました。
『葛飾県印旛県史跡の碑』陽が当たると反射して文字がよく見えません
明治時代の初めに葛飾県と印旛県が成立し、一時期流山に県庁が置かれました
流山市博物館と図書館の敷地内には『葛飾県印旛県史跡の碑』が建っています。
博物館から市役所方向に向かい、お食事をするなら・・・「本町は月曜日火曜日お休みのお店が多く金・土・日だと開いているお店が多い」とKさん。
予約していただいた Cafe&Bal蔵ごごろの2階へ
雑穀米とサラダに8種類のデリから3種類を選びます
さて、そろそろ歩き始めます。
浅間神社は、ジャズフェスティバルでよく訪れましたが・・・
浅間神社は江戸時代の初め富士信仰のため根郷の鎮守様として・正保元年(1644)年建立、祭神・木花開邪姫命(このはなさくやひめ)と伝えられているそうです。
浅間神社の裏手にある富士塚
西深井の浅間様、東深井の駒形神社にも富士塚がありますが規模が大きくてびっくり!!
境内には、船頭さんの力石・・・江戸川を行きかう船の船頭さんがこんな大きな石で力自慢をしたんですね
常与寺
敷地内に「千葉師範学校発祥の地」の石碑があります。境内のみ見学可。
1872(明治5)年8月の学制の発布のころ、流山は下総9郡「千葉、印旛、埴生、葛飾、相馬、岡田、豊田、結城、猿島」を行政区域とする印旛県の県庁所在地でした。官員が月給の一部を献金して、明治5年9月に開設した学校が、流山村常与寺の「印旛官員共立学舎」です。共立学舎は、現在の千葉大学文学部の前身となりました。共立学舎は学制により新設される小学校の模範であり、小学教員になろうとする人々(伝習員)は、ここで教授の内容・方法を習得したのでした。
令和5年に建立された 御影石・鬼瓦・赤欅の柱が目を引きます
「紙平」 江戸時代旧製紙業から醤油醸造業に転じたと記されています。
江戸川の土手まで来ました
令和5年11月26日に開通する、埼玉県三郷市と千葉県流山市を結ぶ延長約2.0km の有料道路が見えます
「お茶したいけど、今年の花火大会の頃にクラフトビールを提供するお店が出来たようだ」という情報を基にお店を探します。
見つかりましたが残念ながら今日はお休みでした
さて、そろそろ戻りましょうか。
博物館で打ち合わせの時間まで待ちます
打合せをした後、企画展「近世流山の13枚」を鑑賞
一人で来た時は企画展だけ見て帰りましたが、今回はみんなで鑑賞してから常設展も見学。
初代ビリケンさんの足を触って、来年のイベントの成功を記念して、移り変わる流山の景色を写真でみたり・・・
本町を案内していただきぶらぶら、新しい発見と打ち合わせと盛りだくさんの日でした。