おんらく館~のこぎりものには福がある~

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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

2014-08-27 | 
ちょっと前に読んだ本です。
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著 講談社現代新書

かつて日本のキツネが暮らしている地域では、人がキツネにだまされるという話は日常のごくありふれたもののひとつだった。
それも、そんなに昔の話ではない。
いまから五十年くらい前の二十世紀半ばまでは、特にめずらしいものではなかった。
ところが1965年頃を境にして、日本の社会からキツネにだまされたという話が発生しなくなってしまうのである。

という書き出しで始まるこの本。

その「なぜ」を手がかりに、
1965年頃になにがあったのか、それまでと何が変ったのか、日本人の歴史と風習~人間の歴史観、

そういったものを丁寧に読み解いていきます。


このタイトルで検索すると、本の感想等が結構拾われます。
興味のある人は、まずそれを読んでみてもいいかもしれませんが、
要約してるため、本書よりなんだか難しい~感じに書かれている気もします。。。(苦笑)


全体の流れは割愛してしまいますが、

自分が特に目を引かれたのは、

明治時代、近代技術を導入するために、山奥の村に外国人がしばらく暮らした。
当時の村人は、キツネやタヌキやムジナにだまされながら暮らしていた。それがありふれた日常
それなのに外国人たちは、けっして動物にだまされることはなかった。
だから「外国人はだまされなかった」という「事件」が不思議な話としてその後も語り継がれた。

というくだり(第4章の冒頭)


「遠野物語」なぞも、そういったものだったのだろうか?・・・


いずれにせよ現在の日本人には取り戻せない感覚なんだろうな、
と思って読み進めていたんですが、

最近読んだ伊福部先生の「福祉工学への招待」の中で

先輩研究者のI氏という話が出てきます。

I氏はあるときから宗教を立ち上げ、数十人もの信者が集まるようになっていました。
著者もしばしば誘われ、儀式にも付き合いました。
あるとき預言者が「札幌の郊外に人類を助けるためのUFOが降りる」といい、
そのうわさが広がり、著者も半信半疑で見物に参加し、一生懸命になって観測しました。
著者には見えなかったんですが、
信者たちは皆、よく見えた。心の中に鮮明に映し出された。といっていたそうです。


これも、キツネにだまされていた頃の人たちと同じ心理現象なのでしょうか?

もしそうであれば、日本人はまだ「キツネにだまされる」という「こころ」を持ち合わせているのかな??


ものすごくピンポイントに摘み上げてしまったので、本の良さは伝わってないと思いますが、

人の心の奥深さを垣間見れる面白い本でした!







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