日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(547)「括弧」と「返り点」(Ⅳ)。

2020-03-10 18:41:36 | 返り点、括弧。

―「昨日(令和02年03月09日)」の「記事」を補足します。―
(01)
(ⅰ)我地必丙下二中一上乙漢甲天也。
に於いて、
(a)「原則」として、「からへ」読む。
(b)二 は、一 を読んだ「直後」に読む。
(c)下 は、上 を読んだ「直後」に読む。
(d)丙 は、乙 を読んだ「直後」に読む。
(e)乙 は、甲 を読んだ「直後」に読む。
(f)地 は、天 を読んだ「直後」に読む。
従って、
(01)により、
(02)
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「一」である。
 5番目に読まれるのは、「二」である。
 6番目に読まれるのは、「上」である。
 7番目に読まれるのは、「下」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「甲」である。
10番目に読まれるのは、「乙」である。
11番目に読まれるのは、「丙」である
12番目に読まれるのは、「天」である。
13番目に読まれるのは、「地」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
然るに、
(03)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
(ⅱ)我地必丙下二中一上乙漢甲天也。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)である。とする。
従って、
(03)により、
(04)
「地」=「非」
「丙」=「求」
「下」=「以」
「二」=「解」
「一」=「文」
「上」=「法」
「乙」=「解」
「甲」=「文」
「天」=「者」である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
に於いて、
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「文」である。
 5番目に読まれるのは、「解」である。
 6番目に読まれるのは、「法」である。
 7番目に読まれるのは、「以」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「文」である。
10番目に読まれるのは、「解」である。
11番目に読まれるのは、「求」である
12番目に読まれるのは、「者」である。
13番目に読まれるのは、「非」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
然るに、
(06)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことと、「同じ」である。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(ⅰ)我文法解文者也。といふ「 漢文 」に対して、
(ⅱ)  丙二 一上乙 甲天  といふ「返り点」が付くのであれば、
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。といふ「 漢文 」に於いて、
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「文」である。
 5番目に読まれるのは、「解」である。
 6番目に読まれるのは、「法」である。
 7番目に読まれるのは、「以」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「文」である。
10番目に読まれるのは、「解」である。
11番目に読まれるのは、「求」である
12番目に読まれるのは、「者」である。
13番目に読まれるのは、「非」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
従って、
(07)により、
(08)
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。といふ「漢文」は、
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭  といふ「順番」で、「訓読」される、ことになる。
然るに、
(09)
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
といふ「順番」の中には、
(ⅳ)n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」は、存在しない。
然るに、
(10)
(ⅳ)① ② ⑪ ⑦ ⑬ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭ であれば、
(〃)     ⑦ ⑬     ⑥        であるため、
(ⅳ)    6+1<6+7>6
といふ「順番」が、存在する。
然るに、
(03)(08)(10)により、
(11)
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
(ⅱ)  地   丙 下 二    一 上 乙    甲 天 
ではなく、
(ⅲ)我 必 求 以 非 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。
(ⅳ)① ② ⑪ ⑦ ⑬ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
であるならば、「返り点」は、
(ⅳ)    丙 二    一 乙    甲 
である。
然るに、
(12)
〔説明〕一・二点をはさんで返る時は上・下点で返る。上・下点をはさんで返る時は甲・乙点で返る。甲・乙点をはさんで返る時は天・地点で返る(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁改)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
(ⅳ)                
のやうな「返り点」は、実際には、存在せず、そのため、「漢文訓読」に於いて、
(ⅳ)① ② ⑪ ⑤ ③ ④ ⑩ ⑧ ⑨
といふ「順番」が、現れることは、ない
然るに、
(14)

従って、
(14)により、
(15)
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ウ)上、中、下
(エ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(オ)天、地、人
に於いて、
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ の、
(〃)レ  レ  レ  レ  レ は、「一つ上の字に、返り」、
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ の、
(〃)  一  上  甲  天  に関しては、
(イ)(ウ)(エ)(オ)と、「同じ」である。
然るに、
(16)

従って、
(16)により、
(17)
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
であっても、「一二点」は、「上にだけ返り」、「返った後で、戻る」ことはない。
従って、
(09)~(17)により、
(18)
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ウ)上、中、下
(エ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(オ)天、地、人
からなる「返り点」が表す「順番」の「集合」の中に、
(ⅳ)n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」は、存在しない
然るに、
(19)
(ⅱ)① ⑬{② ⑪[⑦〔 ⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)]⑫}⑭。
に於いて、
⑬{ }⇒{ }⑬
⑪[ ]⇒[ ]⑪
⑦〔 〕⇒〔 〕⑦
⑤( )⇒( )⑤
⑩( )⇒( )⑩
といふ「移動」を行ふと、
(ⅱ)① ⑬{② ⑪[⑦〔 ⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)]⑫}⑭⇒
(〃)①{② 〔 (③ ④)⑤ ⑥〕⑦ (⑧ ⑨)⑩]⑪ ⑫}⑬ ⑭=
(〃)①<②<③<④<⑤<⑥<⑦<⑧<⑨<⑩<⑪<⑫<⑬<⑭。
従って、
(08)(19)により、
(20)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
(ⅱ)我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
(ⅱ)我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(21)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
(ⅱ)我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
に於ける、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
(ⅱ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「 漢文補足構造」と、
(ⅱ)「日本語補足構造」を、表してゐる。
従って、
(22)により、
(23)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「漢文補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読語順」を、表してゐる。
従って、
(22)(23)(24)により、
(24)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
(ⅱ)我は必ずしも中文を解する法を以て漢文解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ風に、「訓読」したとしても、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「補足構造」は、「不変」である。
然るに、
(25)
(ⅰ)「補足構造」以外の
(ⅱ)「主語述語、修飾語、並列語」に関しては、「漢文語順」と「日本語語順」は、「等しい」。
従って、
(24)(25)により、
(26)
例へば、
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
(ⅱ)我は必ずしも中文を解する法を以て漢文解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ風に、「訓読」したとしても、
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「漢文構造(シンタックス)」を壊してゐる。といふ、ことにはならない
従って、
(26)により、
(27)
過則勿憚改、この「論語」「学而」編の句を、過則改、と返り点をうち、過テバ則チ改ムルニ憚カレと読むのは、原形の破壊である。コウ ツヱ ホ ダン カイ、と読んでこそその原形である(勉誠出版、「訓読」論、2008年、225頁)。
といふことには、ならない
然るに、
(28)
・・・・・われわれの読む中国の古典、その本来の面目は、何よりもまずそれが中国語であることである。ゆえにまずあくまでも中国語として読まれねばならない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、225頁)。
然るに、
(29)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
われわれの読む中国の古典(漢文)、その本来の面目は、何よりもまずそれが中国語である。
とは言ふものの、実際には、「漢文中国語は、別物」であり、それ故、「漢文(中国の古典)」は、中国語ではない


(547)「括弧」と「返り点」(Ⅳ)。

2020-03-10 18:41:36 | 返り点、括弧。

「括弧」と「返り点」(Ⅳ)。
―「昨日(令和02年03月09日)」の「記事」を補足します。―
(01)
(ⅰ)我地必丙下二中一上乙漢甲天也。
に於いて、
(a)「原則」として、「からへ」読む。
(b)二 は、一 を読んだ「直後」に読む。
(c)下 は、上 を読んだ「直後」に読む。
(d)丙 は、乙 を読んだ「直後」に読む。
(e)乙 は、甲 を読んだ「直後」に読む。
(f)地 は、天 を読んだ「直後」に読む。
従って、
(01)により、
(02)
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「一」である。
 5番目に読まれるのは、「二」である。
 6番目に読まれるのは、「上」である。
 7番目に読まれるのは、「下」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「甲」である。
10番目に読まれるのは、「乙」である。
11番目に読まれるのは、「丙」である
12番目に読まれるのは、「天」である。
13番目に読まれるのは、「地」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
然るに、
(03)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
(ⅱ)我地必丙下二中一上乙漢甲天也。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)である。とする。
従って、
(03)により、
(04)
「地」=「非」
「丙」=「求」
「下」=「以」
「二」=「解」
「一」=「文」
「上」=「法」
「乙」=「解」
「甲」=「文」
「天」=「者」である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
に於いて、
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「文」である。
 5番目に読まれるのは、「解」である。
 6番目に読まれるのは、「法」である。
 7番目に読まれるのは、「以」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「文」である。
10番目に読まれるのは、「解」である。
11番目に読まれるのは、「求」である
12番目に読まれるのは、「者」である。
13番目に読まれるのは、「非」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
然るに、
(06)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことと、「同じ」である。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(ⅰ)我文法解文者也。といふ「 漢文 」に対して、
(ⅱ)  丙二 一上乙 甲天  といふ「返り点」が付くのであれば、
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。といふ「 漢文 」に於いて、
 1番目に読まれるのは、「我」である。
 2番目に読まれるのは、「必」である。
 3番目に読まれるのは、「中」である。
 4番目に読まれるのは、「文」である。
 5番目に読まれるのは、「解」である。
 6番目に読まれるのは、「法」である。
 7番目に読まれるのは、「以」である。
 8番目に読まれるのは、「漢」である。
 9番目に読まれるのは、「文」である。
10番目に読まれるのは、「解」である。
11番目に読まれるのは、「求」である
12番目に読まれるのは、「者」である。
13番目に読まれるのは、「非」である。
14番目に読まれるのは、「也」である。
従って、
(07)により、
(08)
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。といふ「漢文」は、
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭  といふ「順番」で、「訓読」される、ことになる。
然るに、
(09)
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
といふ「順番」の中には、
(ⅳ)n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」は、存在しない。
然るに、
(10)
(ⅳ)① ② ⑪ ⑦ ⑬ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭ であれば、
(〃)     ⑦ ⑬     ⑥        であるため、
(ⅳ)    6+1<6+7>6
といふ「順番」が、存在する。
然るに、
(03)(08)(10)により、
(11)
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。
(ⅱ)① ⑬ ② ⑪ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
(ⅱ)  地   丙 下 二    一 上 乙    甲 天 
ではなく、
(ⅲ)我 必 求 以 非 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。
(ⅳ)① ② ⑪ ⑦ ⑬ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑫ ⑭
であるならば、「返り点」は、
(ⅳ)    丙 二    一 乙    甲 
である。
然るに、
(12)
〔説明〕一・二点をはさんで返る時は上・下点で返る。上・下点をはさんで返る時は甲・乙点で返る。甲・乙点をはさんで返る時は天・地点で返る(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁改)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
(ⅳ)                
のやうな「返り点」は、実際には、存在せず、そのため、「漢文訓読」に於いて、
(ⅳ)① ② ⑪ ⑤ ③ ④ ⑩ ⑧ ⑨
といふ「順番」が、現れることは、ない
然るに、
(14)

 

 
 

従って、
(14)により、
(15)
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ウ)上、中、下
(エ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(オ)天、地、人
に於いて、
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ の、
(〃)レ  レ  レ  レ  レ は、「一つ上の字に、返り」、
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ の、
(〃)  一  上  甲  天  に関しては、
(イ)(ウ)(エ)(オ)と、「同じ」である。
然るに、
(16)

従って、
(16)により、
(17)
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
であっても、「一二点」は、「上にだけ返り」、「返った後で、戻る」ことはない。
従って、
(09)~(17)により、
(18)
(ア)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(イ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ウ)上、中、下
(エ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(オ)天、地、人
からなる「返り点」が表す「順番」の「集合」の中に、
(ⅳ)n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」は、存在しない
然るに、
(19)
(ⅱ)① ⑬{② ⑪[⑦〔 ⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)]⑫}⑭。
に於いて、
⑬{ }⇒{ }⑬
⑪[ ]⇒[ ]⑪
⑦〔 〕⇒〔 〕⑦
⑤( )⇒( )⑤
⑩( )⇒( )⑩
といふ「移動」を行ふと、
(ⅱ)① ⑬{② ⑪[⑦〔 ⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)]⑫}⑭⇒
(〃)①{② 〔 (③ ④)⑤ ⑥〕⑦ (⑧ ⑨)⑩]⑪ ⑫}⑬ ⑭=
(〃)①<②<③<④<⑤<⑥<⑦<⑧<⑨<⑩<⑪<⑫<⑬<⑭。
従って、
(08)(19)により、
(20)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
(ⅱ)我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
(ⅱ)我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(21)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
(ⅱ)我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
に於ける、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
(ⅱ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「 漢文補足構造」と、
(ⅱ)「日本語補足構造」を、表してゐる。
従って、
(22)により、
(23)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「漢文補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読語順」を、表してゐる。
従って、
(22)(23)(24)により、
(24)
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
(ⅱ)我は必ずしも中文を解する法を以て漢文解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ風に、「訓読」したとしても、
(ⅰ){ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「補足構造」は、「不変」である。
然るに、
(25)
(ⅰ)「補足構造」以外の
(ⅱ)「主語述語、修飾語、並列語」に関しては、「漢文語順」と「日本語語順」は、「等しい」。
従って、
(24)(25)により、
(26)
例へば、
(ⅰ)我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
(ⅱ)我は必ずしも中文を解する法を以て漢文解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ風に、「訓読」したとしても、
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「漢文構造(シンタックス)」を壊してゐる。といふ、ことにはならない
従って、
(26)により、
(27)
過則勿憚改、この「論語」「学而」編の句を、過則改、と返り点をうち、過テバ則チ改ムルニ憚カレと読むのは、原形の破壊である。コウ ツヱ ホ ダン カイ、と読んでこそその原形である(勉誠出版、「訓読」論、2008年、225頁)。
といふことには、ならない。
然るに、
(28)
・・・・・われわれの読む中国の古典、その本来の面目は、何よりもまずそれが中国語であることである。ゆえにまずあくまでも中国語として読まれねばならない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、225頁)。
然るに、
(29)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
われわれの読む中国の古典(漢文)、その本来の面目は、何よりもまずそれが中国語である。
とは言ふものの、実際には、「漢文と中国語は、別物」であり、それ故、「漢文(中国の古典)」は、中国語ではない


(546)「ド・モルガンの法則」と「含意の定義」と「対偶」。

2020-03-10 12:37:28 | 論理

(01)
①(であって、である。)といふことはない
②(であって、である。)といふことはない
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
①(Pであって、Qである。)といふことはない
③ Pならば、 Qでない
に於いて、
①=③ である。
(03)
②(Qであって、Pである。)といふことはない
④ Qならば、 Pでない
に於いて、
②=④ である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
③ Pであるならば、Qでない。
④ Qであるならば、Pでない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(05)
①(Pであって、Qである。)といふことはない。
②(Qであって、Pである。)といふことはない。
といふことは、
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
⑥  Qでないか、Pでないか、少なくとも、その一方である。
といふことである。
然るに、
(06)
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。然るに、Pである。故に、Qでない。
⑥  Qでないか、Pでないか、少なくとも、その一方である。然るに、Qである。故に、Pでない。
といふ「推論(Disjunctive syllogism)」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
③  Pであるならば、Qでない。然るに、Pである。故に、Qでない。
④  Qであるならば、Pでない。然るに、Qである。故に、Pでない。
といふ「推論(Modus Ponendo Ponens)」も、「妥当」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
③ Pであるならば、Qでない。
④ Qであるならば、Pでない。
⑤ Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
⑥ Qでないか、Pでないか、少なくとも、その一方である。
に於いて、
③=⑤ であって、
④=⑥ である。
従って、
(05)(08)により、
(09)
①(Pであって、Qである。)といふことはない。
②(Qであって、Pである。)といふことはない。
③  Pであるならば、Qでない。
④  Qであるならば、Pでない。
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
⑥  Qでないか、Pでないか、少なくとも、その一方である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
従って、
(09)により、
(10)
「記号」で書くと、
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
③    P→~Q
④    Q→~P
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(11)
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
に於いて、
①=②=⑤=⑥ は、「ド・モルガンの法則」である。
(12)
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
③    P→~Q
④    Q→~P
に於いて、
①=②=③=④ は、「含意の定義」である。
(13)
③    P→~Q
④    Q→~P
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
③=④=⑤=⑥ も、「含意の定義」である。
(14)
「二重否定律(DN)」により、
③    P→~Q
④    Q→~P
に於いて、
③=④ は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(15)
(ⅰ)
1  (1)~(P&Q)  A
 2 (2)  P     A
  3(3)    Q   A
 23(4)  P&Q   23&I
123(5)~(P&Q)&
       (P&Q)
12 (6)   ~Q   35RAA
1  (7) P→~Q   26CP
(ⅲ)
1  (1) P→~Q   A
 2 (2) P& Q   A
 2 (3) P      2&E
12 (4)   ~Q   13MPP
 2 (5)    Q   2&E
12 (6) ~Q&Q   45&I
1  (7)~(P&Q)  26RAA
従って、
(15)により、
(16)
① ~(P&  Q)
③    P→~Q
に於いて、
①=③ である。
従って、
(16)により、
(17)
P=Q
Q=P
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② ~(Q& P)
④    Q→~P
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(18)
(ⅲ)
1  (1)    P→~Q   A
 2 (2) ~(~P∨~Q)  A
  3(3)   ~P      A
  3(4)   ~P∨~Q   3∨I
 23(5) ~(~P∨~Q)&
        (~P∨~Q)  24&I
 2 (6)  ~~P      35RAA
 2 (7)    P      6DN
12 (8)      ~Q   17MPP
12 (9)   ~P∨~Q   8∨I
12 (ア) ~(~P∨~Q)&
        (~P∨~Q)  29&I
1  (イ)~~(~P∨~Q)  2アRAA
1  (ウ)   ~P∨~Q   1DN
(ⅴ)
1     (1)   ~P∨~Q   A
 2    (2)    P& Q   A
  3   (3)   ~P      A
 2    (4)    P      2&E
 23   (5)   ~P& P   34&I
  3   (6)  ~(P& Q)  25RAA
   7  (7)      ~Q   A
 2    (8)       Q   2&E
 2 7  (9)   ~Q& Q   78&I
   7  (ア)  ~(P& Q)  29RAA
1     (イ)  ~(P& Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)    P      A
     エ(エ)       Q   A
    ウエ(オ)    P& Q   ウエ&I
1   ウエ(カ)  ~(P& Q)&
            (P& Q)  イオ&I
1   ウ (キ)      ~Q   エカRAA
1     (ク)    P→~Q   ウキCP
従って、
(18)により、
(19)
③   P→~Q
⑤ ~P∨~Q
に於いて、
③=⑤ である。
従って、
(15)~(19)により、
(20)
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
③    P→~Q
④    Q→~P
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
に於いて、
①=③=⑤ であって、
②=④=⑥ である。
然るに、
(21)
「交換法則(commutative law)」により、
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
に於いて、
①=② であって、
⑤=⑥ である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① ~(P&  Q)
② ~(Q&  P)
③    P→~Q
④    Q→~P
⑤   ~P∨~Q
⑥   ~Q∨~P
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
①(Pであって、Qである。)といふことはない。
②(Qであって、Pである。)といふことはない。
③  Pであるならば、Qでない。
④  Qであるならば、Pでない。
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
⑥  Qでないか、Pでないか、少なくとも、その一方である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
といふことは、「日本語」としてだけではなく、「命題計算(Propositional calculus)」としても、「正しい」。
然るに、
(11)により、
(24)
①(Pであって、Qである。)といふことはない。
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
に於いて、
①=⑤ は、「ド・モルガンの法則」である。
然るに、
(25)
①(Pであって、Qである。)といふことはない。
⑤  Pでないか、Qでないか、少なくとも、その一方である。
といふことは、
①(Pが本当であって、その上、Qも本当である。)といふことはない
⑤  Pがウソであるか、または、Qがウソであるか、または、PとQの、両方ともウソである。
といふことである。
然るに、
(26)
①(Pが本当であって、その上、Qも本当である。)といふことはない。
⑤  Pがウソであるか、または、Qがウソであるか、または、PとQの、両方ともウソである。
に於いて、
①=⑤ であることは、「当然」である。
従って、
(27)

のやうな「ベン図」を使って説明される、「集合のド・モルガンの法則」と異なり、「命題論理としてのド・モルガンの法則」は、「極めて、当り前のこと」を、述べてゐるに、過ぎない。