―「先ほど(令和02年03月02日)」の記事は、「下書き」に戻します。―
(01)
1(1)~(P&~Q) A
1(2) ~P∨ Q 1ド・モルガンの法則
1(3) P→ Q 2含意の定義
(ⅱ)
1(1) P→ Q A
1(2) ~P∨ Q 含意の定義
1(3)~(P&~Q) 2ド・モルガンの法則
従って、
(01)により、
(02)
① ~(P&~Q)
② P→ Q
に於いて、
①=② であって、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(02)により、
(03)
③ ~(~P&~Q)
④ ~P→ Q
に於いても、
③=④ であって、この「等式」も「含意の定義」といふ。
然るに、
(04)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の短命を惜しむ。
とする。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ~(P&~Q)=(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)といふことはない。
② P→ Q = 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)(04)により、
(06)
③ ~(~P&~Q)=(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)といふことはない。
④ ~P→ Q = 賈島の才能を愛さないならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(07)
① 誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
③ 誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
に於いて、これは、「反語」である。
然るに、
(08)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② であって、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
④ ~P→ Q =賈島の才能を愛さないならば、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
といふのであれば、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
ではなく、
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
でなければ、ならない。
然るに、
(11)
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不愛其才而惜其命薄=
① 臨レ死之日、家無ニ一銭一、惟病驢古琴而已。当時、誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時、誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① (死)臨之日、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時、誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時、誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
然るに、
(12)
③ 死に臨んだ日に、家に一銭の貯金なく、ただ病気にかかったロバと古琴だけがあった。その当時、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、85頁を参照)
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
② P→ Q =賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しむ。
といふのであれば、
③ ~(~P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
であってはならず、
① ~(P&~Q)=誰が(賈島の才能を愛して、賈島の命が短いことを惜しまない)ことがあろうか。
でなければ、ならないものの、その一方で、多久弘一先生の「訳」は、
③ ~(~P&~Q)=誰が{その(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない}ことがあろうか。
となってゐる。
従って、
(13)により、
(14)
③ ~(~P&~Q)=誰が{その(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまない}ことがあろうか。
といふ、多久弘一先生の「訳」は、「誤訳」である。
然るに、
(04)により、
(15)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の短命を惜しむ。
であるため、
P=愛(其才)
Q=惜(其命薄)
であるし、加へて、
不=~
而=&
である。
従って、
(16)
① 不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
であるならば、
① ~(P&Q)
である。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&
(P&Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅱ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
12 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(17)により、
(18)
① ~(P& Q)
② P→~Q
に於いて、
①=② である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
① 不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕。
であるならば、
② P→~Q
である。
従って、
(19)により、
(20)
① 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
であるならば、
② ~(P→~Q)
である。
然るに、
(07)(08)により、
(21)
① 誰[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
は「反語」であるため、
① 誰[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
の場合は、
① 不[不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕]。
である。
従って、
(11)(20)(21)により、
(22)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P→~Q)
といふ「命題論理」に、相当する。
従って、
(15)(22)により、
(23)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P→~Q)=(賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
といふ「意味」である。
従って、
(05)(23)により、
(24)
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
① ~(P&~Q)=(賈島の才能を愛して、 賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
ではなく、「正確」には、
① ~(P→~Q)=(賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない)といふことはない。
といふ「意味」になる。
従って、
(24)により、
(25)
① 誰不愛其才而惜其命薄=
① 誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
といふ「漢文・訓読」は、
① 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(12)により、
(26)
多久弘一先生は、
① その才能と短命を哀惜した。
してゐるため、
多久弘一先生の「解釈」では、
② 誰もが、 賈島の才能を愛し、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(27)
① 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
② 誰もが、 賈島の才能を愛し、 誰もが、賈島の短命を惜しむ。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(11)(12)(27)により、
(28)
いづれにせよ、多久弘一先生による、
③ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命が短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を哀惜した。
による「訳」は、「誤訳」であると、言はざるを得ない。
(29)
「漢文」は、「ラテン語やギリシャ語」とは「対照的」に、「命題論理」のやうな「書き言葉」であるため、「命題論理」は、「漢文法の一部」である。