(01)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
といふことは、
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
といふことである。
然るに、
(02)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
といふことは、
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
といふことである。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「日本語」で考へる限り、
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
「命題計算(Propositional calculus)」の記号で書くと、
① ~(P& Q)
② P→~Q
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&
(P&Q) 14&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(ⅱ)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
12 (4) ~Q 13MPP
12 (5) Q 2&E
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(05)により、
(06)
① ~(P& Q)
② P→~Q
に於いて、
①=② であって、この「等式」を、「含意の定義」といふ。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 14&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 29&I
2 (イ) ~~Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&
( P& Q) 2エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q カDN
(ⅲ)
1 (1) ~P∨~Q カDN
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
2 (6) ~(P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78&I
7(ア) ~(P& Q) 29RAA
1 (イ) ~(P& Q) 1367ア∨E
従って、
(07)により、
(08)
① ~(P& Q)
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=③ である。
従って、
(09)
① ~(P& Q)
② P→~Q
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)(04)(09)により、
(10)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「日本語」で考へても、「命題計算」で計算しても、両方とも、「正しい」。
然るに、
(11)
① ~(P& Q)
③ ~P∨~Q
に於いて、
①=③ であって、この「等式」を、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(03)(11)により、
(12)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=③ である。といふことを、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(12)により、
(13)
「命題論理」としての「ド・モルガンの法則」は、
「 集合論 」としての「ド・モルガンの法則」とは異なり、極めて、「当り前」である。
然るに、
(09)(10)により、
(14)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② P→~Q = Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(15)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
② と、
③ は、「同じこと」である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
といふ「等式」は、
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
といふ「等式」と、「同じ」である。
従って、
(14)(17)により、
(18)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② P→~Q = Pが真であるならば、Qは偽である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(19)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
② Pが真であるならば、Qは偽である。
といふことは、
①(PであってQである)といふことはない。
② Pであるならば、Qではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① ~(P& Q)=(PであってQである)といふことはない。
② P→~Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(21)
④ 學而不思則罔(論語、爲政、十五)。
④ 學&~思→罔(学びて思はざれば則ち罔し)。
がさうでやうに、
「而」は「&」であって、
「不」は「~」であって、
「則」は「→」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① 不(P而 Q)=(PであってQである)といふことはない。
② P則不Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の薄命を惜しむ。
とする。
従って、
(22)(23)により、
(24)
① 不(P而 Q)=(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
② P則不Q = 賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(25)
②〈反語〉誰カBセン [読み]誰カセンヤ〔ヤ〕
[訳]誰がBしようか、いや誰もBしない。
[例]誰不レ愛レ子乎。[読み]誰か子を愛せざらんや。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、226頁を参照)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
① 誰不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
② 誰P則不Q =誰か賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
といふのは、「反語」であって、
①=② である。
然るに、
(27)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
① 誰不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。) といふことはない。
② 誰P則不Q =(賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(29)
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不愛其才而惜其命薄=
① 臨レ死之日、家無ニ一銭一、惟病驢古琴而已。当時、誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時、誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① (死)臨之日、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時、誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時、誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
従って、
(23)(28)(29)により、
(30)
誰不下愛ニ其才一而惜中其命薄上=
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
といふ「漢文・訓読」は、
② 誰P則不Q=(賈島の才能を愛するならば、誰もが、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない。
といふ「意味」になる。
従って、
(23)(30)により、
(31)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄命を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(32)
賈 島(か とう、779年(大暦14年) - 843年8月27日(会昌3年7月28日))は、中国・唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。幽州范陽県(現在の河北省保定市涿州市)の出身である。
(ウィキペディア)
従って、
(32)により、
(33)
賈 島 は、63歳か、64歳のときに、死んだので、当時としては、「短命」であるとは言へない。
然るに、
(34)
【薄命】天から與へられた命の薄いこと。宿命の拙いこと。ふしあわせ。不運。薄福。薄倖。
(大修館、大漢和辞典)
従って、
(33)(34)により、
(35)
賈島 は、「薄命」といふよりも、むしろ、「薄幸」である。
従って、
(29)~(35)により、
(36)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄幸を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(37)
「最近の記事」にも書いた通り、例へば、「計算(07)」は、
(ⅰ)
1 (1) 不( P而 Q) A
2 (2) 不(不P如不Q) A
3 (3) 不P A
3 (4) 不P如不Q 3如I
23 (5) 不(不P如不Q)而
(不P如不Q) 14而I
2 (6) 不不P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) 不Q A
8(9) 不P如不Q 8如I
2 8(ア) 不(不P如不Q)而
(不P如不Q) 29而I
2 (イ) 不不Q 8アRAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P而 Q 7ウ而I
12 (オ) 不( P而 Q)而
( P而 Q) 2エ而I
1 (カ)不不(不P如不Q) 2オRAA
1 (キ) 不P如不Q カDN
(ⅲ)
1 (1) 不P如不Q カDN
2 (2) P而 Q A
3 (3) 不P A
2 (4) P 2而E
23 (5) 不P而P 34而I
2 (6) 不(P而 Q) 25RAA
7(7) 不Q A
2 (8) Q 2而E
2 7(9) 不Q而Q 78而I
7(ア) 不(P而 Q) 29RAA
1 (イ) 不(P而 Q) 1367ア如E
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(37)により、
(38)
「漢文」といふ「集合」は、その「部分集合」として、「命題論理(Propositional logic)」を含んでゐる。
従って、
(01)~(38)により、
(39)
「命題論理(Propositional logic)」は、「目に見える形」で、「漢文の文法」の「一部」である。
然るに、
(40)
ラテン語であっても、「命題論理(Propositional logic)の規則」に従はないわけには、行かない。
然るに、
(41)
「漢文」も「命題論理」も、「語順」は「自由」ではない。
然るに、
(42)
ラテン語は語順が自由
「ラテン語は語順が自由」と言われます。具体例をみてみましょう。
Cultūra animī philosophia.はどう訳すか?
(cultūra,-ae f.耕作、耕すこと animus,-ī m.精神 philosophia,-ae f.哲学)
動詞estが省かれていて、主格が2つ、属格が1つあります。「主格Aは主格Bである(est)」というのが文の骨組みです。英語でいえばSVCの構文です。「Cultūraはphilosophiaである」としても、その逆でも文法的にはどちらでも構いません。問題はむしろanimīをどちらの名詞にかけるか?です。文法的にはどちらにかけても間違いではありません。
(山下太郎のラテン語入門)
従って、
(41)(42)により、
(43)
「語順が自由でない」といふ点に於いて、 「漢文」 は「命題論理」の「仲間」であって、
「語順が自由である」といふ点に於いて、「ラテン語」は「命題論理」の「仲間」ではない。