日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(241)「二項述語における量記号の変換の規則」の説明(Ⅱ)。

2019-05-29 16:53:25 | 論理

(01)
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
とする。
然るに、
(02)
真理表(Truth table)」により、
① P∨Q∨R
であるならば、
① P、Q、R
の内の、「少なくとも、一つ」が、「真(本当)」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
に於いて、例へば、
①               (愛db&愛eb&愛fb)
が「真(本当)」であるとする。
従って、
(01)(03)により、
(04)    
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
①(愛db&愛eb&愛fb)=少年dは少女bを愛し、少年eも少女bを愛し、少年fも少女bを愛す。
といふ、ことになる。
然るに、
(05)
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
① 少年dは少女bを愛し、少年eも少女bを愛し、少年fも少女bを愛す=(愛db&愛eb&愛fb)。
といふことは、
① すべての少年(dとeとf)は、共通の、ある一人の少女(b)を愛す。
といふことに、他ならない。
然るに、
(06)
真理表(Truth table)」により、
② P&Q&R
であるならば、
① P、Q、R
といふ「3つ」が、「真(本当)」である。
従って、
(01)(06)により、
(07)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
に於いて、
②(愛da∨愛db∨愛dc) は「真(本当)」であり、
②(愛ea∨愛eb∨愛ec) も「真(本当)」であり、
②(愛fa∨愛fb∨愛fc) も「真(本当)」である。
然るに、
(02)により、
(08)
例へば、
②(愛da∨愛db∨愛dc) が「真(本当)」であるならば、
②「dはaを愛するか、dはbを愛するか、dはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
同様に、
(09)
②(愛ea∨愛eb∨愛ec) が「真(本当)」であるならば、
②「eはaを愛するか、eはbを愛するか、eはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
同様に、
(10)
②(愛fa∨愛fb∨愛fc) が「真(本当)」であるならば、
②「fはaを愛するか、fはbを愛するか、fはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
従って、
(01)(07)~(10)により、
(11)
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
②「dはaを愛するか、dはbを愛するか、dはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
②「eはaを愛するか、eはbを愛するか、eはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
②「fはaを愛するか、fはbを愛するか、fはcを愛するか。」の内の、少なくとも一つは、「真(本当)」である。
といふことは、
① すべての少年(dとeとf)は、ある少女(aかbかc)を愛す。
といふことに、他ならない。
従って、
(01)(05)(11)により、
(12)
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
といふことは、
① すべての少年(dとeとf)は、共通の、一人の少女(aかbかc)だけを愛す。
② すべての少年(dとeとf)は、共通とは限らない、ある少女(aかbかc)を愛す。
といふ、「意味」になる。
cf.
 All the nice girls love a sailor.
(すべてのすてきな女の子は、水夫を愛している)
という文を取り上げてみよう。この文は、「どのすてきな女の子も、水夫を誰か愛している。アリスはジョーを愛し、メアリーはバートを愛し、デスデモーナはビリーを愛している」という意味にもとれるし、また、「どのすてきな女の子も、一人の特定の水夫を愛している。その水夫の名前は、ジャック・タールである」という意味にもとれる。論理学では、この二つの異なる構造をはっきり示す、厳密な表記を提供してくれるのである。
(ジーン・エイチソン著、田中晴美 田中幸子訳、入門言語学、1980年、92頁)
然るに、
(02)(06)により、
(13)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
の内の、例へば、
①(愛da&愛ea&愛fa)
が「真(本当)」であるならば、
① 愛da は「真(本当)」であり、
① 愛ea も「真(本当)」であり、
① 愛fa も「真(本当)」である。
然るに、
(02)により、
(14)
① 愛da は「真(本当)」であり、
① 愛ea も「真(本当)」であり、
① 愛fa も「真(本当)」であるならば、「∨I(選言導入)」により、
①(愛da∨愛ea∨愛fa) は「真(本当)」であり、
①(愛db&愛eb&愛fb) は「真(本当)」であり、
①(愛dc&愛ec&愛fc) は「真(本当)」であり、
そのため、「&I(連言導入)」により、
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
は「真(本当)」である。
然るに、
(13)(14)により、
(15)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
の内の、
①(愛db&愛eb&愛fb)
が「真(本当)」である場合も、
①(愛dc&愛ec&愛fc)
が「真(本当)」である場合も、いづれにせよ、
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
は「真(本当)」である。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
に於いて、
① が「真(本当)」であならば、
② も「真(本当)」である。
然るに、
(17)
① P&Q&R=PでQでRである。
であれば、「&E(連言除去)」と「∨I(選言導入)」により、
② P∨Q∨R=PかQかRである。
であるが、
② P∨Q∨R=PかQかRである。
であるとしても、
① P&Q&R=PでQでRである。
ではない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
に於いて、
① が「真(本当)」であるならば、
② も「真(本当)」である。が、
② が「真(本当)」であるならば、
① も「真(本当)」である。ではない
然るに、
(01)(18)により、
(19)
{xの変域が、三人の少女}={a、b、c}
{yの変域が、三人の少年}={d、e、f}
であるとして、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
は、それぞれ、
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}=あるxは少女であって、すべてyについて、yが少年であるならば、 yはxを愛す。
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}=すべてのyについて、yが少年であるならば、あるxは少女であって、yはxを愛す。
といふ「論理式」に、一応、「対応」する。
然るに、
(20)
(ⅰ)
1  (1)∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)} A
 2 (2)   少女a&∀y(少年y→愛ya)  A
 2 (3)   少女a              2&I
 2 (4)       ∀y(少年y→愛ya)  2&I
 2 (5)          少年b→愛ba   4UE
  6(6)          少年b       A
 26(7)              愛ba   56MPP
 26(8)          少女a&愛ba   37&I
 26(9)       ∃x(少女x&愛bx)  8EI
1 6(ア)        ∃x(少女x&愛bx)  129EE
1  (イ)   少年b→∃x(少女x&愛bx)  6アCP
1  (ウ)∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)} 1UI
といふ「計算」は、「正しい」。
然るに、
(21)
(ⅱ)
1  (1)∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)} A
1  (2)   少年b→∃x(少女x&愛bx)  1UE
 3 (3)   少年b              A
13 (4)       ∃x(少女x&愛bx)  23MPP
  5(5)          少女a&愛ba   A
  5(6)          少女a       5&E
  5(7)              愛ba   5&E
の場合は、これ以上、「続けよう」が無い。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
の場合も、
① が「真(本当)」であるならば、
② も「真(本当)」である。が、
② が「真(本当)」であるならば、
① も「真(本当)」である。ではない
然るに、
(23)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
の場合は、「少年が一人もゐない」場合も、「真(本当)」である。
従って、
(24)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
といふ「二項述語論理式」と、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
といふ「書き方」とは、「完全に、一致する」といふ、わけではない
然るに、
(25)
1  (1)∀x{鼻x&長x→ ∃y(象y& 鼻xy)}   A
1  (2)   鼻a&長a→ ∃y(象y& 鼻ay)    1UE
 3 (3)   鼻a&長a                 A
  4(4)          ∀y(象y→~鼻ay)    A
  4(5)             象b→~鼻ab     4UE
  4(6)            ~象b∨~鼻ab     5含意の定義
  4(7)                      ~(象b& 鼻ab)    6ド・モルガンの法則
  4(8)         ∀y~(象y& 鼻ay)    7UI
  4(9)         ~∃y(象y& 鼻ay)    8量化子の関係
13 (ア)          ∃y(象y& 鼻ay)    23MPP
134(イ)         ~∃y(象y& 鼻ay)&
                ∃y(象y& 鼻ay)    45&I
1 4(ウ) ~(鼻a& 長a)               3ウRAA
1 4(エ)  ~鼻a∨~長a                ウ、ド・モルガンの法則
1 4(オ)  (鼻a→~長a)               エ含意の定義
1  (エ)   ∀y(象y→~鼻ay)→(鼻a→~長a)  4オCP
1  (カ)∀x{∀y(象y→~鼻xy)→(鼻x→~長x)} エUI
1  (〃)すべてのxと、すべてのyについて、yが象ならば、 xがyの鼻でないならば、xが鼻ならば、xは長くない。 エUI
1  (〃)すべてのxと、すべてのyについて、yが象であって、xがyの鼻ではなく、  xが鼻ならば、xは長くない。 エUI
然るに、
(26)
{象、兎、キリン}が{yの変域(ドメイン)}であるとして、
③ すべてのxと、すべてのyについて、yが象であって、xがyの鼻ではなく、xが鼻ならば、xは長くない。
といふことは、
③ xが象の鼻ではない鼻(兎やキリンの鼻)であるならば、xは長くない。
といふ、ことである。
然るに、
(27)
③ xが象の鼻ではない鼻(兎やキリンの鼻)であるならば、xは長くない。
といふことは、
③ 鼻長い。
といふ、ことである。
従って、
然るに、
(28)
1     (1)象は鼻が長い。                        A
1     (〃)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1     (〃)すべてのxについて、xが象であるならば、有るyはxの鼻であって長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。 A
 2    (2)兎の耳は長く、兎の耳は鼻ではない。              A
 2    (〃)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
 2    (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、有るyはxの耳であって長く、すべてのzについて、zがxの耳ならば、zはxの鼻ではない。 A
  3   (3)有る兎は象である。                      A
  3   (〃)∃x(兎x&象x)                      A
  3   (〃)あるxは兎であって象である。                 A
1     (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2    (5)   兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za)  1UE
   6  (6)   兎a&象a                       A
   6  (7)   兎a                          6&E
   6  (8)      象a                       6&E
1  6  (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  47MPP
 2 6  (ア)      ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za)  58MPP
1  6  (イ)      ∃y(鼻ya&長y)               9&E
 2 6  (ウ)      ∃y(耳ya&長y)               ア&E
    エ (エ)         鼻ba&長b                A
     オ(オ)         耳ba&長b                A
1  6  (カ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  9&E
1  6  (キ)                    ~鼻ba→~長b   カUE
 2 6  (ク)                 ∀z(耳za→~鼻za)  ア&E
 2 6  (ケ)                    耳ba→~鼻ba   クUE
     オ(コ)                    耳ba        オ&E
 2 6 オ(サ)                        ~鼻ba   ケコMPP
12 6 オ(シ)                         ~長b   キサコMPP
     オ(ス)             長b                オ&E
12 6 オ(セ)             長b&~長b            シス&I
12 6  (ソ)             長b&~長b            ウオセEE
123   (タ)             長b&~長b            36ソEE
12    (チ)~∃x(兎x&象x)                     3タRAA
12    (ツ)∀x~(兎x&象x)                     チ量化子の関係
12    (テ)  ~(兎a&象a)                     ツUE
12    (ト)  ~兎a∨~象a                      テ、ド・モルガンの法則
12    (ナ)   兎a→~象a                      ト含意の定義
12    (ニ)∀x(兎x→~象x)                     ナUI
12    (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。   ナUI
12    (〃)兎は象ではない。
従って、
(25)~(28)により、
(29)  
③ 鼻長い=∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ 象長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
である。
然るに、
(30)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
といふ「書き方」を、仮に、『といふ書き方』とする。
従って、
(24)(29)(30)により、
(31)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
といふ「論理式」に相当する、『といふ書き方』が、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
である。といふことからすれば、
③ ∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「論理式」に相当する、『といふ書き方』も、あるに、違ひない。
然るに、
(32)
「慣れれば」どうかは、分からないものの、「慣れたこと」がないため、
③ ∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「論理式」に相当する、『といふ書き方』は、直ぐには、「思ひ浮かばない」。
加へて、
(33)
① 少女為全少年為所愛=∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② 少年皆有其所愛少女=∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
③ 鼻は象が長い   =∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ 象は鼻が長い   =∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
は、「左辺」は「言語」で、「右辺」は、「人工言語」であるが、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
は、「言語」といふ「感じ」が、しない
加へて、
(34)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
③ ∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理式(自然演繹)」は、「我々が、日常的に用ひる、推論の規則」に従ふ「形」で、作られてゐる。
然るに、
(35)
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
のやうな『といふ書き方』は、「真理表(Truth table)」によって、
① が「真(本当)」であるならば、
② も「真(本当)」である。が、
② が「真(本当)」であるならば、
① も「真(本当)」である。ではない
といふことを、示してゐるものの、このやうな「機械的な方法」は、「我々が、日常的に用ひる、推論の規則」に従ってゐるとは、言ひ難い。
然るに、
(36)
「我々が、日常的に用ひる、推論の規則」に従ふ「論理学」と、「さうではない論理学」を「比較」すれば、
「我々にとって、望ましい論理学」は、「前者」の方であるに、違ひない。
従って、
(30)(33)~(36)により、
(37)
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀y{少年y→∃x(少女x&愛yx)}
③ ∀x{鼻x&長x→∃y(象y&鼻xy)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
のやうな「述語論理式」を、
①(愛da&愛ea&愛fa)∨(愛db&愛eb&愛fb)∨(愛dc&愛ec&愛fc)
②(愛da∨愛db∨愛dc)&(愛ea∨愛eb∨愛ec)&(愛fa∨愛fb∨愛fc)
のやうな『といふ書き方』に、全面的に「置き換へる」ことは、たとへ、それが可能()であったとしても、「好ましいやり方」であるとは、言へない。