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体罰の問題

2013-01-12 10:36:12 | 日記
教師の体罰による生徒の自殺が問題になっている。

テレビではキャスターが問題の根深さをしきりに言っているし、
マスコミの反応も体罰の問題に関しては、賛否両論わかれるようだ。

しかし概して大人は、
「我々の時代にも体罰はあった。でも我々の頃とは体罰の性質がちがう。
生徒の心に傷を与えるようなものではなかったし、実際、我々の時は
生徒自身も体罰によって心に傷を負うようなヤワではなかった。」
といっているように思える。

確かに我々の時代は体罰はあった。そしていじめもあった。
我々の時代にも、自殺する生徒はいたが、いろんな心の悩みが複合的に
あったのだと思う。精神的な威圧も含めて部活の先生に恐れおののいている
生徒もいたし、いじめで自殺した者もいた。

学びには人それぞれのタイミングがあると思っている。
高校生~受験の頃まで私は計算が大嫌いだったが、いまでは数学の本など
興味本位で読んでいるし、大体商売をやっているのでお金の計算は好き嫌いに
かかわらず、毎日行わざるを得ない。

スポーツだってそうだ。30才を過ぎて地域のバスケットボール同好会に入る
人もいる。

私自身は中学の頃は野球部で、高校の時は陸上部とそれほど血反吐をはくくらい
スポーツをやっていたし、けつバット、ビンタは当たり前、マラソンの練習の
時は教官が竹刀とメガホンをもってバイクにまたがって、市内を追いかけ回された。
(今考えると、教官はどうやってバイクを運転していたんだろう、まるでサーカスだ)
まあ、それぐらい猛烈にやっていたし、毎日が部活のことを考えると憂鬱だった。

今になって、「昔のあの厳しい特訓の経験が活きている」と思っているかというと、
それは全くない。正直、

「なんだったのだろう」

くらいにしか思っていない。貴重な時間を無駄にしたとすら思っている。

もちろん、こんな考え方をする私自身がひねくれ者なのだとは思うが、
私には「古きよき時代」を懐かしむ感性はない(ってかそんな考えは排除する)。

別に後悔しているわけではない。そして若者がスポーツに打ち込んだり、恋をしたり
することを否定するつもりもない。

でもそれは長い人生における、たったの数年間の話だ。
絶対にそれが人生のすべてではあり得ない。

青春時代の恋愛、能力、コンプレックス…。悩みが尽きないのが人間だと思うが、
どんな人だって、今という時間と冷静に比較をすれば、「どうでもよい」と
思える時が必ずくる。

人間いくつになったって、学びもあれば、スポーツもできる、恋愛だってできる。

まして、高校という限られた3年間、インターハイに出場したとかしないとか、
そんな経歴は、私からいわせれば、そして40才も過ぎれば

「だから、なんなんだよ」

程度のことだ。

まして、校内でアメを食べていたくらいで、ガムをかんでいたくらいで、
授業中にアクビをしていたくらいで、生徒を罵倒したり、体罰をしたり、
ただでさえ、繊細な子供の心を傷つけるなど、まるで何かにとりつかれた
もののやることだ。

不確定性の現代において、我々に求められているのは変化だと思う。
我々自身の価値観すらその対象である。だから、教育だって変わって当然なのだ。

古い物差しで今を計ったところでなんの意味があろう。
これからもどんどん二極化は進む。「変われる人」と「変われない人」。

「自分たちの頃は…」などとあいも変わらず、古い価値観と今を比較する
ことでしか物事を判断できないことこそ問題だ。

体罰にたよらなくても、人は表現できるはず、愛をそして今を懸命に生きることの
大切さを。

自分の人生における過去を否定しろとはいわない。
でも「古いやり方」という執着はとりはらわれなければならないと思う。




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