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世界平和

2013-06-29 11:42:04 | 日記
今日は久しぶりにブログを更新することにします。

ここ1ヵ月ほど、仕事におわれてまったく時間があくことが
なかった。書きたいとは思いつつも全く手がつけられず、
ズルズルと今に至ってしまった。

仕事がない時はない時で、落ち込んでいるので全く書く気が起こらず、
仕事に追われているときには物理的に書く時間がない。
結局、適度な仕事の中で精神的に充実していないとなかなか書けない。

ただし、私のブログを一体何人の人が読んでいるのかは知らないが、
少なくとも自分がブログを書くという行為には自分なりの特別な意味が
あると思っている。だから意志をもって書くべきだと思うに至った。

実はブログに書きたいネタというのは沢山あるのだが、
いくらネタ帳にメモ(私の場合はポストイットに書き込んでおく)に
書いておいても、思いついた時ではないかぎり、いざパソコンにむかうと
書く気がしなくなるというか、全く思いつきで別のことを書いている。

そして今、全く書きたいことがない(笑)ので、ある日の日記を読み返してみた。


今日、ふと、起業したばかりの頃の気持ちを思い起こした。
あの時は、社会にたいしてすべて自分の力で立ち向かっていかなきゃ
ならないと、ある種の期待で胸をふくらませていたっけ…。
今となってみると、毎日資金繰りに追われて、お客からしかられて
翻訳者からは疎んじられて、なんとも面倒くさい。
結局、自分は自由になりたかったんだよね…。
十分自由を謳歌しているじゃないか…。誰にも頼らず、誰の考えにも
従わず、自分の考えたように行動し、生きているはずじゃないか…。
でも何かがちがう、しっくりこない、これはちがうぞ、自分のゴール
じゃないぞ…。



自由とは何なのだろう…。自由を実感する時っていつだろう…。

最近それは、

「人や世界に期待ぜず、自分自身が内側から輝くことにのみ
専心する、そのことに対する覚悟(意図)、つまり本来の自分を思い起こすこと」

のような気がしている。

つまり本来的に人間は自由だ。


人は世界をそして自分を含めた周囲の人々を自分の「思うようにすることが
できる」ことが自由であると思いがちだ。
でもそれは人間が目指すべき本当のゴールではないと思う。
それはただのゲームだ。ゲームである以上、勝者がいれば敗者がいる。


「世界を変えたい」と思っても世界は変わらない。

世界中の運動家がフェイスブックなどで集結し、大声をはりあげ、
時に警官隊と衝突し、時に暴徒と化し、略奪をし、車に火をはなち、
ひっくりかえった車のうえで、専制君主のはねられた首につばをはき、
旗をふりまわす…。
それが本当の自由だといえるのか?

「じゃあ、お前はどうするのだ」という声がきこえてきそうだ。

私は祈る…。

たった一人の「平和への祈り」の方が大きな影響力をもつと私は信じる。
世界がそれを思い起こす時がきている。私はそう思う。



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