OMTインフォメーション

翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

SMOKIN' AT THE HALF NOTE/Wynton Kelly Trio & Wes Montgomery

2012-02-25 13:12:36 | 日記
「聴かずに死ねるか」


『SMOKIN' AT THE HALF NOTE/Wynton Kelly Trio & Wes Montgomery』

ジャズ・ギタリストを志す人にとって、このアルバムを聴いたことがない人は
もぐりだと思う。もちろんジャズ・ギターに興味のない人でも十分に楽しめる
ウィントン・ケリーのピアノも最高だ。

スリリングでスイング感に満ちている。スピード感抜群、なによりもエレガント。

ウェスはオクターブ奏法やソロの後半に展開する超絶テクニックのコード奏法が
やはり有名であるが、私個人としては、そういうクライマックまで高めてゆく
段階のシングルトーンの扱いが半端ではなくかっこよくて好きだ。

本当にエレガントでスムーズで流れるような華麗な演奏だ。
これ以上美しいラインを誰が作れるっていうんだ!

思うにあまりにもラインが美しすぎて、彼以降のギタリストは、自分のオリジナリティ
にたどり着くためにはどこか「無骨」な演奏をせざるを得ない。

ウェスの演奏には開発、発展の余地があまり残されていない。
唯一の成功例はジョージ・ベンソンのオクターブ奏法だろう。

あれは、実際にすごい。私のギターの師匠はジョージ・ベンソンの演奏を聴いて、
オクターブ奏法を使うのをあきらめたほどである。

ともあれ、ウェスの上記のアルバムをパット・メセニーなどはラインを覚えて
しまうくらいに聴き込んだようだ。

彼は以前、日本のテレビ番組「音楽は世界だ(司会:タモリさん)」に出演した時、
一番尊敬するギタリストはウェス・モンゴメリーだと言っていた。

私の感覚ではパット・メセニーはジム・ホールから多くの奏法や発想を
学んだように思う。
それでも実際にパット・メセニーの演奏を聴くと、非常にスリリングでスピード感が
あり、そういうところが彼が受け継いだものなのだと思った。

話をもとにもどすが、「If You Could See Me Now」のウェスはすごい。
ひたすらすごい!!

今このアルバムをかけながらこの記事をかいているが、本当にはっとする演奏が
随所にあり、その度に手がとまってしまう。

おかげで今日の記事は脈絡のないものになってしまった(笑)。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Pat Martino/The Early Years 再び

2012-02-17 17:42:08 | 日記


『Pat Martino/The Early Years』

上記の楽譜集についてブログで書きたくなったのでネットから
画像をダウンロードしようと(自分の持っているやつはもう表紙がボロボロ
なので…)検索すると、なんとこのブログが検索の上位にあがってきた。

なんと以前に書いたことがあったね…。(すっかり忘れていた)

この楽譜はPat Martinoの初期のレコーディング作品曲を集めたものであり、
採譜を担当したのはあのSteve Khan(この人自身が偉大なギタリストである)。

ギタリストだけでなくミュージシャンは、誰もが「優れた自分の語法」を
もっている。
例えば、ジョー・パスなどは「バップの象徴」的に扱われることが多いが、
ジョー・パスの語法をもってギターを弾けば、やはりジョー・パスになってしまう
(当たり前だ!!)。

パット・マルティーノは私にとって、フレーズ着想の模範であり、
彼こそがバップを象徴しているミュージシャンである。

たぶん、私のビバップの捉え方が間違っているのかも知れない。
でもやはり私にとっての出発点はパット・マルティーノであり、それが
バップであろうがなんであろうがどうでもいいよ。

ともかく、上記の本は、音がとめどもなくあふれてくるような彼のスタイルを
よく表現している曲が集められていて、今でも自分の演奏の着想のヒントに
参照することがある。

彼の演奏って本当にアーティキュレーションが見事というか、とめどもなく
フレーズが流れてゆくので、ある部分を切り取って自分のフレーズの足しに
するなどということができない。
だからもっぱら、考え方と指板の捉え方、ポジショニングを参考にしている。

もうひとつ採譜者がSteve Khanであることも魅力のひとつだ。
時々、やたらと細かい表現の譜面を見ることがあるけど、実際ミュージシャンが
意図的にではなくやっていること、モタリだとか、タメだとか、そこまで
譜面で表現する必要はないと私は思う。
その点、Steve Khanは実にツボをおさえた、シンプルな採譜に徹している。

もちろんタブ譜はついていないので、やはり原曲を聴き、レガートの感覚や
ギター独自の奏法である、プリング・オフ、ハマリング・オン、スラー、
ピッキングのダウンアップの感覚などをつかむのがよい。

パット・マルティーノのアーリー・イヤーズってったら、もう何十年も前
である。だから現代のギタリストの奏法と比較すれば、やはり彼のスタイルも
「古くさい」ということになるのかも知れない。
そして実際にパット・マルティーノが考えていたことは非常にシンプルなことだと思う。

でもだからこそ自分にとっては「自分ならどう弾くか」ということを考えるための
最高の素材となり得ているのかも知れない。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

清水 誠先生

2012-02-10 17:40:57 | 日記
今日、量子物理学の本を読んでいたら、ふとアインシュタインとベルグソンの
相対性理論についての論争のことを思い出した(ってなんて俺は変態的なことか)。

さっそくインターネットで検索してみると、
---------------------------------------------------------------------------
PDF]
アインシュタインとベルクソン

e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/archive/data/j4102-17/for_print.pdf

ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - クイック ビュー
アインシュタインとベルクソン 清水 誠. ニュートンの古典物理学においてそれが用いる空間概念と時間概念は、. それらがわれわれの日常的知覚経験を裏書きするということがあって、そ. のまま哲学においても使用されることになっている。例えばカント哲学な ...
---------------------------------------------------------------------------

とある。
これはいい!
何がいいかというとPDFデータであることがいい。
大体、哲学論争は「なにをいっているのかわからん」ことがほとんどで、
少なくとも私のような素人は2,3回読んでようやく内容が理解できる。
ネットのページだと、どのような検索経路を踏まえたかを覚えておかないと
二度とそこに行きつけなくなるのだ。

とさっそくこの論文をダウンロードして読んでみた。

論文のタイトルや著者のことはそっちのけで早速内容を読んでみると、
なんと20年前はちんぷんかんぷんであったこの二人の巨星のやり取りが
わかる(気がする)ではないか。
まあ、多分7割も理解していないだろう(私が苦手な数式もでてくるしね…。)

それでも面白かった。十分に興味をもって読んだ。

論文の著者は誰かと思い、ページの最初に戻ると「清水 誠」とあった。
何をかくそう、この方は私の恩師である。

師とは院生の頃の2年間、毎週一対一の講義をうけていた。
内容はベルグソンの『時間と自由』だった。
もちろん、フランス語の原文を読むのである。

私の稚拙なフランス語の能力では、哲学論議とはならず、まるで
読解の授業だった。上記の書籍は岩波文庫から出版されていたが、
数年後に訳文を読んだが、それでもさっぱりわからんかった。(笑)

私が額に汗して一生懸命フランス語を読み解いているうちに、
師はコクリ、コクリと居眠りを始める。そういうことが多々あった。
もうかなりのご高齢であったし、誰もが私の講読しているところを
見たら、眠くもなるわい!(笑)。

先生は温和でおっとりとした方であったが、内面非常な厳しさをもっていた。
先生の業績を私ごときが語るすべはないのであるが、彼の思想の行きついた先には
「メルロ・ポンティ」がいたと認識している。
一度でいいから、先生にメルロ・ポンティについて教わりたかった。

(…)

先生、2009年にお亡くなりになっていたのですね…。

先生、私はダメな生徒でしたが、今でもなんとかかんとか生きています。
そして今でも懐かしむように、小難しい哲学書を読んでいますよ。
私が卒業するとき、無言のまま真っ先に手を差し伸べてくださったのは清水先生でした。

「君がさっき話していたこと、君は「これは幻想かも知れない」といっていたが、
もしかしたら、そこにこそ真実があるのかもしれないね…。」

と言ってくださったこと、いまでも心の励みに生きています。

世間からの評価などいらない。
批判されても馬鹿にされても相手にされなくてもいい。
そんなことどうでもよくなってきた…。

へん!!、俺は俺の信じた道をいくんだ…。

先生、ありがとうございました。
そして心よりご冥福をお祈りいたします。



翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

あまりに人間的な

2012-02-06 17:57:36 | 日記
今日は異業種の方とアライアンスに関する打ち合わせをしてきた。

それにしてもみんな厳しい状況にあるようだ。

その会社も一昨年の夏に立ち上がったばかりなのだが、やはり会社は
1期目より2期目、2期目よりも3期目が大変なものらしい。

お互い「去年は怠けていたから、今年はどんどん営業しよう、一件でも
よいから多くのお客と話をしよう」と誓い合った(笑)。

そういう発言をしている人をそこここできくが、みんな会社設立後、
1~3年くらいのところばかりだ。経営者の誰もが直面する悩みなのかも知れないと
思うが、我々はリーマンショック以降に立ち上がった会社であり、
バブルどころか、全くうまみというものがない時代に始めてしまったせいか、
だいたいにおいて社会に期待などしていない(笑)。

今は不器用に、猪突猛進的に突き進んでも仕事は絶対に取れない時代であり、
我々にとって職人的なこだわりなど邪魔なものでしかない。
結局はお得意様に頼って生きていくしかないわけで、お得意様をつくることに
必死になっている我々としては「そんな悠長なことをいっている場合ではない」
ということなのだろう。

もちろん、私は「真面目さ」を否定するつもりはない。
しかし、真面目さで自分を擁護し、目の前の可能性を閉ざしてしまうことには、
甚だ疑問を感じる

とにかく、「仕事をもってくること」、「社員(自分)に給料を払うこと」が
我々にとっての最大の関心事である。残念だがこだわりなど「二の次」である。

私の業界(翻訳)は、いわゆるB to B(企業間)取引がほとんどで、まして大手の孫請けなどやらないことが多い。どこも口ぐちに「翻訳の敷居を低くする」などといっているが、
真面目に実行しようとしている会社はまずないといってよい。

私はこういう時代、こういう状況だからこそ、そこにトライしてみたいと思っている。
だから、孫請けもやるし、翻訳会社だけではなく、いろんな会社(異業種)と
提携しようとしている。

よく設立当初はOMTという会社名についていろいろ聞かれた。
その当時は、適当に「「私の名前+翻訳」の略ですよ。」とごまかしていたが、
実はいくつかの自分の願いを込めてつけた。MTという言葉から連想される意味を
考えれば業界の方なら容易に想像できるだろう。

私の夢は「言語の壁を越えて、世界がコミュニケーションし、そして戦争や差別の
ない平和な世界が訪れること」である。

そのためには、MTの開発、あるいは世界の共通言語(英語)化と並行して自国文化、
言語を守ること、そして翻訳という仕事のポピュラー化が必要だと思っている
(今のところ…)。

一応、私の中ではそれらは統合されている(今のところ… 笑)。

そういう意味では今日のミーティングは有意義だった。
すごく視野が拡がった。

私は完全な人間ではない。仕事が立て込んできても、逆に仕事がなくっても、
ついつい視野を極端に狭めてしまう癖がある。

あまりに人間的な、ならぬ「あまりに猪突猛進的な」(なんだ自分のことか… 笑)。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

おっかさんの子守唄

2012-02-04 16:06:08 | 日記
随分以前のブログで私の大先輩で大尊敬するミュージシャン、
本名カズトさんの歌を評して、

おっかさんの子守唄

といったことがある。
後でちょっと失礼だったかなと思い、後日飲み屋で謝罪したのだが、
本名さんは、

「最高のほめ言葉だよ」

といってくれたのでホッとした。
(その後、彼はおつまみでたのんだ私の大好物「ちくわの磯辺揚げ」を
私の分まで食べてしまったので、やはり怒っていたのでは…(笑))

今、ゆうぞうさんが先日のライブ、「本名カズト 三人会」の模様を
Youtubeにアップロードしている。リンクのはり方がよくわからんので調べておくが、
Youtubeで「本名カズト」と検索すれば、確認できると思う。

そのライブは私も観に行っていた。

やはり本名さんはいい。ギターの今井さん、キーボードの恩田さんもいい。
実にいい…。

もう何度もYoutubeを観ているが、あまりによすぎてため息がもれる。

ある曲中、分厚いメガネをかけて頭をゆらゆらとゆすりながら、
最後には「かっこいい…」とため息交じりの声を発し、周りから失笑をかっている
ちょーみっともない奴がなにをかくそう、この私である(笑)。

そんな話はともかく、やはり本名さんの歌は「おっかさんの子守唄」だと思った。

聴く者ののハートに飛び込んでくるやさしい歌、切ないメロディー。
もしかしたら、本名さんは自分のためにこの歌を書いてくれたのではないか、
私だけのために歌ってくれているのではないか…(絶対ない! 笑)。
でもそんなことを思ってしまうほどに歌が真に迫っている…。

本名さんの歌には万民にうけいれられる何かがあると思う。
私はポピュリズムをあれこれいう立場にはないが、それは祭典やイベントの
ように会場を満員にしたり、熱狂の渦にまきこむようなものではなく、
さりげなく、そして一人ひとりに語りかけてくるような、そんなポピュリズム。
現代のポピュラーソングにはないもの。

最初から意味もなければ、メッセージもなく、おまけに何言ってるのかも
わからんようなもの、さもなくば、ちまちましていて「どうでもいいよ、そんなこと…」
と思ってしまうくらい卑近なもの、あげくのはてに「あり得んだろう?」
といいたくなるような大言壮語(やるんだったらブルース・スプリングスティーン
みたいに、一時代のアメリカをしょってみろ!)が巷にあふれている。
いい加減だなあ、と思う。

そうじゃなくて、なんか「しょいこんでいる」っていうか…。
人のかなしみ、さみしさ、切なさ、うれしさ、よろこび、愛情…。
そういうものをしょいこんでるような…。そういうポピュリズム。

自分で歌を書いたことのある人ならわかると思うが、それを人前で歌うことには
すごく勇気がいるものだ。
でも人は愚直で、不器用で、鈍くさくて、カッコ悪い歌を好むものなのかも知れない。
もちろんこれは本名さんの歌のことではない(そんなこといったらブッ飛ばされる 笑)。
そんな意味ではなく、本名さんにはそれに動じない潔さがある、という意味。

今月から本名さんもレコーディングに入るようだ。
いまから楽しみである。

本名さん、完成したら七掛けでお願いします(笑)。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト