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浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく

2013-01-23 17:02:42 | 日記
最近読んだ本、


『浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』(生島 淳)

とても面白かった。この本で私がバンクーバー・オリンピック以来、
抱いていた疑問のいくつかが解けた(まだすべてではないが…。)

生島氏の取材はバンクーバー・オリンピック女子ショート・プログラムに
おける浅田真央選手とキム・ヨナ選手の点差の開きに対する違和感から
始まった。

私の疑問のひとつは、あれほど芸術性の高い演技をした浅田真央選手の
演技に対する評価である。
浅田選手はフリー演技で確かにジャンプをミスしてしまったが、
キム・ヨナ選手は完璧ともいえる演技をみせた。しかしたとえ浅田選手の
ミスが得点にひびいたにせよ、それを補ってあまりある芸術性をもっていた
ことは明らかであり、正直私がいままでみてきたフィギュアスケートの中でも
「もっとも美しい」と感じたものだった。

「フィギュアスケートは芸術性(少なくともバンクーバー・オリンピックの審査員は)
を全く理解していないのではないか…」

もうひとつの疑問はなんといっても、

「キム・ヨナ選手はなぜあれほど高得点を得られるのだろう」である。
バンクーバー・オリンピックは完璧な演技であったことは間違いないが、
そこにいたる、シーズン中では、彼女がたとえ転んでも高得点をとることが
不思議でならなかった。
オリンピックが始まる前からキム・ヨナ選手の金を確実する人もいた。

上記の本でそうした疑問はある程度まで解消されたと思う。

私らのような素人はオリンピックにおける演技のみを比較しがちだが、
スケート選手、そしてコーチ、振り付け師、またそれをとりまく人々にとっては
何年も前から戦いははじまっているのだ。

また競技を評価する審判員が人である以上、主観的要素は絶対にぬぐいされない。
審判員に対するアピールはシーズン中からすでに始まっており、それが「構成点」
という「変動相場」を形成してゆくのだ。

彼らは実に長い時間とお金をかけてプログラムを構成してゆく。

生島氏は、

端的に言うと、いまのフィギュアスケートというのはISUジャッジング・
システムに対して、各陣営が「模範回答」を作る競争になっている。
いちばん、美しい回答をした選手が表彰台のてっぺんに上がる。

と言い切っている。

選手の技量も重要だが、それ以上にコーチ、振り付け師などそれをとりまく
人々、そして戦略とプレゼンテーションが重要である。

浅田選手のコーチであったタラソワ氏は振り付けも担当できるほどの
高い芸術性をもっていた人だった。しかし彼女がもっともコーチとしての
力を発揮できたのは、ISUジャッジング・システムに変わる前までだ。
ISUジャッジング・システムが導入されたのはトリノ・オリンピック以降であり、
金メダルを獲得した荒川静香選手は、大会直前に自身のコーチを
タラソワからモロゾフに交代させたのも、新しい加点システムに対応しきれない
タラソワに不安を感じたからだという。

浅田選手は「模範回答」を作る競争においてキム・ヨナ選手に敗れたのだ。

フィギュアスケートは競技である。芸術性という主観的な要因を取り込むには
現行のジャッジング・システムには限界があるのだろう。
もちろん、このシステムはこれからも改変されてゆくことだろう。
生島氏は来るべきソチ・オリンピックにおける、ロシアの復活、バレエ、つまり
より芸術性の高い要素が再び見直されるであろうことを予見している。

考えてみれば、私が感じていた疑問はフィギュアスケートのルール、つまり
評価システム(いかにして点数をとるかというゲーム的要素)を理解していれば
生じ得なかったのかも知れない。

また、最近キム・ヨナ選手が復活し今期最高得点をあげたこと、かなりミスが
あったようで、いろいろとテレビなどでも彼女の得点を疑問視する動きも
みられるが、ちゃんと演技をみているわけではないので、私としてはなんともいえない。
キム・ヨナ選手、復活宣言する前の活動や復活後、どのようなスタッフと組み、
どのようなプログラムで演技にのぞんだのかがわからないので…。

要するにいろいろな要素が密接にいりくんでいるわけで、現行のジャッジ・システム
だけがすべてではないし、人やお金がいろいろと動いていないわけがない。
買収も絶対にないとはいいきれない。

まあ、少なくとも、この本を読んだことによって、フィギュアスケートの魅力が
半減したかといえばそうでもない。

先ほども書いたが、ISUジャッジング・システムはすでに前のオリンピックから
導入されていたものだし、浅田選手にしてみれば、十分理解していたはずだ。
しかしながら、彼女はトリプル・アクセルにこだわり、芸術性にこだわった。
当然、彼女の中にも葛藤があっただろう。
そういう中で彼女がかけた可能性、選択した道を私は日本人として本当に誇りに
思っている。

選手たちには申し訳ないが、勝つことよりも美しい生き方はあると思う。



翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

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2 コメント

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真央ちゃんとトランサーフィン (ちょここ)
2013-05-07 14:58:30
はじめまして、ちょここと申します。最近になってやっとゼランドさんを知り迷いに迷って最初の一冊を買ったばかり
す。

まだ全部よんでいませんが…【振り子】の存在にびっくりと同時に振り子にいいように振り回されていた自分は腑に落ちます。

そして、思ったのは浅田真央選手のことです。彼女も振り子に足を引っ張られているのではないかと…


私は2003年ころに子供と浅田真央選手の試合を見に行ったことがあります。
リンクサイドの手すりのそばでショートプログラムを演じる真央ちゃんを観て思ったことは〔この子は異次元のスケーター〕スケートと相思相愛、リンクの氷にもまわりを取り巻く空気にも愛され祝福されるオーラ?を感じました。

その後の真央ちゃんの活躍は日本中世界中の知るところですが、スコアは199点を出したあたりで停滞するどころかキムヨナ選手に200点超えされてしまい、真央ちゃんのスコアは伸びなくなってしまいました。

私個人の想像では得点について何かしらの力が働いて
いて、それが5,6年くらい続いていますがトランサーフィンを使って真央ちゃんの正当な評価につながる方法があるのかなぁと思い検索していたらこちらに辿りついたしだいです。

とりあえずはゼランドさんの著書、読んでいきます。


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ありがとうございます (OMT)
2013-05-15 14:48:52
ちょここさん、コメントありがとうございます。
しばらくブログをさぼっていたのでコメントに気が付くのがおそくなりました。

「トランサーフィン」は日本で出版されているものは全部読みましたが、何度も読み返さないと本当に難解ですよね。
ただ、「鏡の「超」法則」(シリーズの4冊目)はおもしろいですね。読み終わった後、背中がゾクゾクするくらい感動しました。

浅田選手に関しては「トランサーフィン的に」考えたことはありませんでしたが、確かに「現状を打開する」ヒントがあるかも知れませんね。

私個人としては浅田選手の大ファンであり、バンクーバーでのあのマグマの上をひらひらと舞う蝶のような、情念のこもった、迫真の演技をもう一度観たいと願うだけです。

浅田選手の評価が高まることはうれしいですが、得点のからむゲームにあまり興味はありません。

ちょここさんが言われるように、「スケートと相思相愛」の真央ちゃんがもどってくるといいですね。

ありがとうございました。
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