OMTインフォメーション

翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

Wayne Shorter/NATIVE DANCER 聴かずに死ねるか その2

2011-11-30 17:06:10 | 日記
Wayne Shorter/NATIVE DANCER 聴かずに死ねるか その2


『Wayne Shorter/NATIVE DANCER』

聴かずに死ねるか、その2弾として上記のアルバムをセレクト。

前回紹介のカート・ローゼンウィンケルのアルバムに
『reflections』というのがあって、その中で、掲題アルバムの
「Ana Maria」が演奏されている。Ana Mariaとはウエインの元妻の名前である。
ともかくこの曲を初めてきいたのがカートの演奏だったのだが、
本当に衝撃的だった。

この世にこんな曲(音楽)があるのか…!!

さっそく、原曲を探るべく、即座にウエイン・ショーターの演奏に
いきついたのだが、なにしろこの曲はコードが複雑である。
全然コードが把握できない。ハービー・ハンコックなどが盛んに用いた
「アッパー・ストラクチャー・コード」いわゆる分数コードが
頻出する。要するに2つのコードがいっしょになったようなものなので、
サウンドの骨子がつかめず、自分としては全くアプローチできない。

Youtubeでピアニストやらギタリストの演奏を観たが、特に独奏では
テンションのみを処理したり、コード名がつけられないような押さえ方を
しているし、ピアノはいろんな音が混じりすぎているし、バンドだと
各自がコード・サウンドを分担しているので、ますますごんぐらがってきた。

おぅ~、へるぷみぃ~!!!(誰かマジで教えて!!)

ともかく、このアルバムはすばらしい。
ウエイン・ショーター、ハービー・ハンコックはもとより、
なんといってもMilton Nascimennto(ミルトン・ナシメント)が王者のごとく君臨し、
巨星のごとく光輝いている。

ブラジルの巨人、ボサノバではないもうひとつのブラジルの体現者。

ミルトン・ナシメントといえば、パット・メセニーとのコラボが有名だが、
ミルトンとの邂逅によりパットの世界観は180°変わったといっても過言ではない。
そのアルバムこそが、

『Pat Metheny Group/STILL LIFE (TALKING)』

このブログの読者にはなじみ深いいわゆる「ホワイト・アルバム」(ゆうぞう命名)
である(笑)。

話をもとにもどすと、この『Wayne Shorter/NATIVE DANCER』、アルバムタイトルである
「ネイティブ」が示す通り、とても土着的なサウンドである。
「LILIA(リリア)」という曲などは、ミルトンがまるで呪文をとなえているようである。
呪術的である。ヴードゥー的である。
それが、ブラジルの輝く太陽のもと、さわやかに吹き抜ける風のようなサウンドと
渾然一体化している。

永劫回帰。
アルチュール・ランボーが始原的なものをめざし、「イルミナシオン」という
まるでダイヤモンドような輝きをもつ作品を生み出したように、
一見、先端的な理論である「アッパー・ストラクチャー・コード」も本来の人間の
サウンド(倍音構造から明らかなように)、土着的な、始原的なサウンドを追いかける
過程の中で発見されたもののような気がしてならない。
「ネイティブ・ダンサー」というタイトルがそれを象徴している。

いつもネタにして笑っている、ゆうぞうさん命名の「ホワイトアルバム」、
パット・メセニーの『STILL LIFE (TALKING)』の中に、彼(ゆうぞうさん)は、
始原的な、太陽の光のごとく、「真っ白にかがやく光」を見ているとするなら、
かれの感覚もあながちウソではない、というかすごい「真実」を言い当てている気が
してくる。

(あらへん、あらへん…(笑)。)


がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Kurt Rosenwinkel/THE REMEDY 聴かずに死ねるか その1

2011-11-27 16:34:18 | 日記
聴かずに死ねるか その1



『Kurt Rosenwinkel/THE REMEDY - Live at the Village Vanguard』

カート・ローゼンウィンケルについては、もう何度もこの
ブログの中で紹介してきた。

もはや、日本だけではなく、全世界的に有名なギタリストである。
残念なことに(何がじゃ!)私より若い(ちょっとだけ…、まあほとんど同世代)。

まだ若手のギタリストの中にはいろんなスタイルのいろんな凄い奴が
ゴロゴロいるんだろうと思うが、彼のスタイルが自分の趣向にあっているのだろう、
はじめて彼の演奏を聴いた時はすごい衝撃が走った。

彼が生み出すメロディ・ラインは音程感覚が独自で一見奇抜さを感じるが、
その正確無比さ、ヴォイスとともに奏でられるギターのトーンの心地よさ、
そのスピード感などすべてにおいて私の想像するものの上をいっている感じ、
自分の価値観や観念のより上の観念、より抽象度の高い観念上に乗っかっている
感じだ。抽象度が高いということは表現のエリアが広いということである。
シンプルで、解りやすいラインを弾きながら、そういうことを感じさせてしまう
とてつもない人だ。

数多くのアルバムをすでにプレスしているが、上記のものはとりわけ凄いと思う。

ジャズというジャンルに限定することなく、ロック、ブルース、カントリーなど
すべてのギター少年(青年、中年…)にお勧め。
人の好みはそれぞれ。どういう評価があってもよいが、一度体験されて損はない。

内藤陳さんの本に『読まずに死ねるか』という本があったが、今後このような
形でこのブログでとり上げていきたい。

タイトルは、
「聴かずに死ねるか」(笑)。


がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

ブルース・セッション

2011-11-24 17:30:45 | 日記
私はブルース・ミュージシャンである。

ブルースを楽しむやり方のひとつにセッションというものがある。
うまい人も、そうでない人もてんでに楽器をもちより、
みんなで音を出し合って楽しむ、そういう楽しみ方は、ロックでは
なかなかできない、ブルースやジャズ特有の楽しみ方である。

やはりギタリストが圧倒的に多いので、ギターの人はなかなか自分の
出番が回ってこない。
反面、ベースやドラムの人は希少であるがゆえ、出番が多いというか
ほとんど「出ずっぱり」である。
中には本当はギタリストなのに、ベースやドラムが少しできるからという
理由で借り出され、延々と不本意にも不得意な楽器を弾かされる気の毒な
人もいる。

ブルース・マンの多くはこうしたセッションに足繁く通い、自分の腕を
みがくのである。
人前で演奏すること、人と合わせて演奏することなど学ぶことは多い。

ところが、私はこのセッションが苦手、というか好きではない。
もちろん、自分としてはそれなりに楽しんではいるのだが、どうも
歌合戦的なノリが好きになれない。

私にとっては、出来の良い演奏をすることよりも、みんなと楽しく演奏する
ほうが快適なのだろう。
そしてみんなと楽しく演奏するためには、やはりそれなりの回数をこなす必要がある
と思う(時折、10年以上も前からいっしょにやっていたと錯覚してしまうほど、
相性バッチリの人もいるけど)。そして相手にあわせる必要もあるしね。

相手にあわせるというと、妥協を強いられるように思ってしまう人もいるかも
しれないが、うまい人とは「相手にあわせてもしっかり自分を表現できる人」だ。
また私が知るかぎりで、すばらしいミュージシャンはみな自分のバンドのサウンド
をとても大切にしている。

また、よく訓練されたバンドなら、セッションだと滅多には得られないような
「高み」に到達することもある。

ひとたびそこに喜びを得てしまうと、なかなか元には戻れないのだ。

上手いかどうかというより、むしろいっしょに演奏する人との相性なのだと思う。

セッションだと相手を選ぶのは「反則」だが、反面バンドにおいては一緒に演奏する
相手を選らばないことが反則であり、それこそが愚かしい行為だ。

せっかく一緒に演奏するんだから、お互いが楽しまないとね。


がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

あまりに「ジャズ的」な… Jim Hall/LIVE!

2011-11-20 14:26:39 | 日記
またしても久々のブログ更新、ひとつひとつのブログ記事が長すぎて
あんまりちゃんと読んでいる人がいないことが先日判明した(笑)ので、
今後は短めにそして簡潔にやることにした。

いきなりのCD紹介、

『Jim Hall/LIVE!』

いわずとしれたジャズ界の大御所、ジム・ホールのアルバム。
彼にはいろんな名盤があり、このブログでも何度も紹介してきたが、
個人的な趣向としてはこのアルバムがもっとも「ジャズ的」であり、
いちばん気にいっているものだ。

彼が学生にギターを指導する際によく用いる「モチーフ理論」。
端的にいうなら、ひとつの音楽的発想をもとにそれを曲中に展開してゆくもの。
これにより少なくとも自分の演奏を意識的にコントロールしてゆくことができる。

メロディーというものは、偶然的に「向こうからやってくる」ものである。
すぐれたミュージシャンとは「耳のよいミュージシャン」であることに他ならない
のだが、それに「ついてゆく」ことは並大抵のことではない。
すべてを「その場の発想」で演奏してのけるミュージシャンはほとんどいない。
どんなミュージシャンにも「ストック」というものがあり、それとその場の
着想をバランスよく配列して演奏が成り立っている。

キース・ジャレット、ハービー・ハンコック、パット・メセニー、ジョン・
スコフィールドなどは、尽きることない着想にしっかりテクニックが
ついていっている類まれなミュージシャンであるが、そういうジョンスコにしても
「シーケンス・パターンの練習はすごくやる」と雑誌のインタビューでいっていた
くらいなので、まあ「普段は基本的な練習をして、本番で新記録をめざして跳躍する」
イシンバエワみたいなものなのだろう。

って何の話だっけ?(笑)
ともあれ「着想」と「コントロール」というものは常に拮抗しているものであり、
ジム・ホールの「モチーフ理論」はそのバランスを保つのに、有効な発想だと思う。

しかし、これはとても難しいことだ。
ひとたびバランスがくずれ、着想の要素がうすまってしまうと、中身のない方法論
だけが目立つ演奏になってしまう。

このアルバムでのジム・ホールの演奏はその辺のバランスが大変に心地よい。
尽きることのない音楽的発想(モチーフ)がきれいなメロディー・ラインに
昇華している。

現代ギタリストの雄、Kurt Rosenwinkelの演奏を聴いていてもジム・ホールの
影響を感じることがある。もちろん、彼のハーモニー、メロディーは真の意味で
独自であると思うが、それでも確かに方法論的継承のサインは読みとれる。

ジャズという音楽がジャンル的な枠組みの中でムードやフィーリングを継承する音楽
であった時代はとうに過ぎ去った。
ジャズにおいてはフィーリングは特定の音階やコードではないし、彼らにとっては、
先人のメロディーやハーモニーなどどうでもよいことなのだ。それは先人に対する
リスペクトがないという意味ではなく、ジャズは常に新しい、フィーリングやハーモニー
を創造すべき音楽だということだ。

私にとって「ジャズ的」であるとはそういうことだ。
(ってまた、小難しいことをグダグダと述べてしまった(笑))


がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

学びとは

2011-11-10 14:20:38 | 日記
学びとは私にとっては、

1)その真意をとらえること、
2)実践すること

という二つに集約されるものと考える。


大好きな楽曲にしても、本にしても、お経にしても(笑)、
何度も繰り返し、繰り返し読んでいるうちに、そこに表現されて
いる意味とは、別の意味が突然目に飛び込んでくる、というか
浮かび上がってくることがある。

心理学の本などで老婆と貴婦人の、あるいはウサギとアヒルの絵を
ご覧になられた方もいるだろう。

いままで醜い老婆の絵にしか見えなかったものが、ある時突然美しい貴婦人の
顔に見えてくる、というこの上なき(笑)感動…。
(ウサギがアヒルにかわったところでそんな感動はありませんから(笑))。

結局、どちらか一方が見えれば、それが真実だといっているのではなく、
それらの二つ(あるいはそれ以上)の要素を同時に認識し得てはじめて、
その真意が理解できる。

真意を見据える作業とは、さまざまな思考の中からどれか一方を選ぶということ
ではなく、全ての意味合いを内包する「ある何か」を抽象的にとらえるということだ。

実は人間にとっては、これは至難の業である。
心はかならず、どちらかの側面に偏るものだからだ。
結局、「心を開いてものごとにあたる」ということに尽きるのだろうが、
それはとても難しい作業だ。だから繰り返す。
これは実に根気のいる作業だ。
中には何度読んでもその真意がみえないものもある(こちらの理解力不足、あるいは
思い込みの壁を超えられないだけかも知れないけど。)

この抽象化ができたら次に大切なことは、それを自分なりに実践すること、
もちろん、シンプルな言葉でそれを表現することも実践のひとつだと思う。

自分なりのやり方ができないうちは、結局まだ真意が捉えきれていないということだ。

思うに私の人生は常に「思い込み」と「そこからの脱却」(つまり違う側面がみえる
ということ)の繰り返しだった。これからもそんなことを繰り返すんだろう。

よく人から考えすぎといわれるけど、自分でも本当にそう思う(笑)。

本当に何度もこのブログで紹介しているのだが、今日もまたこの本を紹介する。



私のような商売人にとって、ましてこんなご時世を生きている人間にとって
「行き詰まり」は日課のようなものである(笑)。

そして苦しい時にいつも思い出したようにこの本を読む。

「成功法則」って書くとそれだけで、敬遠されることが多いし、実際偽物や
ひどい内容の本も沢山あるけど、この本はいい。10年前に読んで、
古本屋に売って、また買い直して…、(笑)

もう7、8回は読んだかな…。(何回行き詰れば気がすむんだ!?(笑))

「困ったことは起こらない」

困った状況になったら(笑)、いつも自分にそうつぶやいている。

読むたびに新しい発見がある(気がする)。

以前は意識して繰り返し読むようにしていたが、2、3回目あたりから
全く頭に入ってこなくなるので、今は「思い出した時に、無理せず、何度でも」
でやっている。

学びにはタイミングがあるということか…。


がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト