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音楽とのかかわり

2010-02-27 18:06:42 | 日記
昨日、都内でライブ演奏をしていた。
浅田真央選手のこともあり、なんとなく胸がいたい思いを
引きずりながらのライブだった。
そのくらい、浅田選手の涙はインパクトがあった。

そんな話はともかく、自分はもう20年以上、ライブ活動
を続けている。私はれっきとした務め人なので、仕事の
合間ということになるのだが、我ながらよく続くと思う。

自分の周りに才能のある人達は沢山いた。
でもみんな、さっさといいところまでいって、それから
就職して、結婚して、子供ができて、そしてやめていった。
「続けることも才能」というが、
要は、音楽に対する執着がなくせないだけのことだと思っている。

今日も相変わらず仕事をしていた。
自分のように自宅が仕事場の人間は、仕事のオン、オフの切り替えが
難しい。
自分としては、コンビニによくいく。
仕事が終えたご褒美と運動不足の解消のためである。

そして今日もコンビニへ。

いつもは聞き流すことが多いのだが、今日は店内に流れている
音楽に耳を傾けてしまった。

アイドルの歌とかが多いのだが、今日の音楽は70年代フォークソング
みたいな歌だった。

こんなん、今はやっているのかしら…。

声だけを聞くと、泉谷さんか、まごころさんか、エレカシの宮本さんかな…。

うーん、よくわからない。

でもいい歌だった。

買い物カゴを手にもちながら、いろんな情景が思い浮かんだ。

わるいことに、その映像の中に先日死んでしまった友人が出てきてしまった。

楽しそうに笑っている映像だ。

もうだめだ…。

なんと不覚にもコンビニの店内で涙があふれてきてしまった。


しょうがないので、商品を選んでいるふりをして涙が止まるのをまった。
それだけでは、100%怪しいので、目の前の品物をとりあえず買い物カゴに入れた。

なんと、フィッシュソーセージ「どでか!」である。
(全く、アホか…)

なにくわぬ顔をしてレジにいき、清算をすませて、ガラス張りの自動ドア
に映る自分の顔をチラッと見た。

「ゲーッ、泣きっ面にしょんべんじゃ!!」

馬鹿は死ななきゃ治らないというが自分の音楽とのかかわりは
死んでもきれないのかもしれない。


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アロマポット その2

2010-02-25 18:04:45 | 日記
先日のブログでアロマポットのことを書いたが、

とうとう買ってしもた…。



電気式のアロマポットである。
水をそそいで、スイッチを入れると香りのついた蒸気がでてくる、
という仕組みだ。

しかも、ライトがつく。
(そうだよね、アロマポットのよさは、香りとそれから光だもんね。)

さらにすぐれた点はタイマーまでついているのだ。

これはちょーうれしい!

これで前回の「蝋燭問題」は解決した。


ただし、しばらく使ってみると、やっぱり天然素材のアロマも
よかったなー、と思う。

蒸気を噴霧するものと、ジワジワとオイルを揮発させてゆくのとでは
香りの質が違う気がする。
それに、お気に入りだった「スイートオレンジ」がなんかシャープさに
欠いている気がする。
オレンジを焼くのと煮るのとの違いか…(どっちもやりませんって!)。


まあ、それでもこの新しい「アロマちゃん」(私がつけた名前)は、
かなりご機嫌の代物である。

部屋を出る前に、ちょっとかけておく、ということができる。
それに、以前はしっくりいかなかった「ティートゥリー」がここでは
活きてきた気もするしね。

いろいろ使い分けてみるのも楽しい。


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女子フィギュア

2010-02-23 23:26:49 | 日記
いよいよ明日、女子フィギュアスケートのショートプログラムが始まる。
今回の記事はなんとしてでも、それが始まる前にアップしておきたい。
そう思って、ついさっき、仕事を終えたばかりでヘトヘトなのだが、
もうちょっと、がんばってみる。

本日、プルシェンコがオリンピック委員会に正式な抗議文を提出する、
というニュースが流れていた。

彼は4回転ジャンプを成功させたにもかかわらず、それにトライしなかった
ライサチェックが金メダルを獲ったことに対して、採点に関しての異議申し立て
をしている。

正直な感想をいうと、確かに彼は4回転ジャンプを成功させてはいるが、
客観的、また総合的な面からみて、どう見てもライサチェックに分があると
思う。

演技評価のポイントはは難しい技にトライする、しないではなくやはり総合的な
「美しさ」であると思う。

そういう意味ではプルシェンコにとって3年間のブランクは大きすぎる。
いくらジャンプを決めたとしても、技が強引すぎて、ちっとも人を惹きつけない。

まあ、終わってしまったことに対してとやかくいうすべはないが、
私が問題にしたいのは、この「美しさ」という、なんとも主観的な採点基準が
女子フィギュアにおいて、その人の人生を左右しかねない重大な結果をもたらす、
ということにある。

キム・ヨナ選手は完璧な技術と演技力で、金メダル候補の筆頭であることには
かわりはない。

オリンピック・イヤーを迎える、昨年の彼女の演技の中に、ジャンプを回避して、
それでも自己最高得点をマークしたという時があった。
私はとても不可解な感じがした。
どれほどその後の演技、その他の演技が優れていたにせよ、失敗は失敗である。
しかも、チャレンジして失敗したのならともかく、ジャンプをやめて最高得点である。
トライしないでまとめる人間と、トライして失敗する人間のどちらが美しいのか。
審査員の主観的な判断であるにせよ、心の美しさが反映されていないのは
はたしてオリンピックとして相応しいのだろうか。

「勝つために」

という言葉が今回のオリンピックを象徴している。
結局、戦略が一番で美しさを追求することは二の次の話なのだ。
本当の意味での「美しさ」への追求はむなしい努力にすぎない。

先日、NHK番組で浅田真央さんの特集をやっていた。
病床の中、満足のできる指導もできず、それでもやっとの思いで、
真央さんを指導しているタラソワコーチの涙が印象的だった。

「真央、あなたは世界で一番強い子よ」

スランプの真っ只中、タラソワは進言した。

「真央、ジャンプをすてる?」

彼女はジャンプと演技力、どちらも捨てない道を選んだ。
そして、オリンピック前の最後の競技でほぼ完璧な演技を見せた。

これはものすごいことだと思う。

「勝負の世界に番狂わせなし」という。

今回のオリンピックでキム・ヨナ選手が1回ころんだとしても、
彼女の勝利は確実であろう。

しかし、私の中では、すでに浅田真央がナンバーワンである。
比類なき心の強さと類稀な技、こういう選手はもう二度と現れないと
思う。

いまの時代、金メダルなんか、全く価値はない。

浅田はもっとスケールが大きい。
だから、そんなもんほしがらんでよろし、
本当にそう思う。


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クロのなき声

2010-02-22 18:03:25 | 日記
先日、ふと気がついたことなのだが、

家でかっている猫はどいつもこいつも
「にゃー」となかない。

ダリアは、「あー!」だし、

ココは、「がー!」、

ポピーは、その名のとおり「ぴー!」となく。

クロにいたっては、「わん!」である。
時に彼は「わおー、わんわん!」となく。
これでもれっきとした猫である。

ここに挙げた4匹中、後の2匹はいずれも拾ってきた猫だ。

ポピーは生まれて数ヶ月という時に自分が拾ってきた。
ダンボールに入れられ1日中なき通していた上に、風邪をこじらしていたので
家につれてきたときは、もう喉がかすれてしまい。声になっていなかった。
元気になってようやく、声が出るようになったが、結局、
「ぴー」になってしまった。

クロ(本名はガスパール)はなくどころか、今日にも峠を迎えるという
瀕死の「ボロ雑巾」状態だったので、
まさか彼が10キロをこえる巨大猫になり、しかもでかい体で、
ドタドタと走り回り、一方でノラ根性が抜けきらず、私を見ると
すっとんで逃げ、しかも、「わん!」と犬のようになく猫になるとは
思いもしなかった。



先日、電話で翻訳者の方と話しをしている時、

「わんちゃんですか?」

といわれた。説明が面倒くさかったので、

「そうです。」

と答えてしまった。(本当、ごめんなさい)

彼は巨体なので、ロフトのはしごを上るのもままならない。
(他の猫は猿のように起用に上り下りするのだが…。)

一度、ポピーを追い掛け回し、ロフトに逃げ込まれて、はしごの下で、

「わおーん、わおーん」

とないていた。

よっぽど悔しかったのだろう…。

そういうクロももう3歳くらいか…(ひろってきたのでようわからん)。


今も「わん、わん!」とないて、また、家のなにかをすっ倒しては、
ドタドタやっている。

時に、彼が楽しそうにうたを歌っているように思える時がある。


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サービス業

2010-02-21 15:24:29 | 日記
以前、ある有名なラーメン屋に入った。

その頃は日本中空前のラーメンブームがおきていた時で、
日本中でいろんなラーメン屋がしのぎをけずっていた。

いわゆる「こだわりのラーメン屋」というやつで、
店内にも、そしてお店の外にもズラッと行列ができているところだ。
お店によっては行列についているお客様にメニューを見せて
あらかじめ注文をとっておくというスタイルのところもあったが、
そこのお店はカウンターに着席したと同時に店員が注文を聞きに来る、
というスタイルだった。

あるお客がまだ、カウンターに着く前に、

「ラーメンください」

といったところ、

「ぐちゃぐちゃ、いわないでもらえます?!
こちらから聞きに行くんだから…」

と店員のたもうた。

傍で見ていて、ものすごくいやな気分になった。

たかだかラーメンごとき…、あんなお店、二度と行かない。

私はおいしいラーメンは時折たべたいと思うが、
ゆっくりご飯を食べたい性質なのでちょっとでも行列が
できているともういやになってしまい、食べることすらあきらめることもある。
(もちろん、ひととの付き合いの時はがまんしているけど)


昔は、店主が頑固者で、初めてのお客にはとっつきにくいお店というのが
沢山あったのだと思う。
そういう「粋」を楽しむのも、おそらく風情のひとつではあっただろう。

現代はどうか…。
先日、全国展開をしているカフェに入ろうとカウンターにならんいたのだが、
1階がどうも満杯状態なので、

「2階はあいてますか」

と店員に確認したところ、

「自分で見てきてもらえます!?」

といわれた。

悔しいが実際、見に行くと満席ですわる場所がない。

それなのにその馬鹿店員は、次のお客に、

「店内でお召し上がりですか?」

とやっていた。

もう、これは詐欺に近い。


(…)要するに、昔から日本のサービス業はちっとも変わっちゃいないのだ。

「いらっしゃいませ」を「こんにちは」に変えたところで、
それは店主の価値観の押し付けにすぎない。

こんな不況でも、食産業だけは賑やかだという。
でもマスコミが取り上げているのは、おいしい店よりも格安のお店ばかりだ。

日本人は本当の意味でサービスを理解できていないのだ。
一流メーカーですら「プロダクトアウト」からは抜けきれていない。
ただ、大規模なコマーシャルをぶつばかりだ。

「マーケットイン」という言葉がもてはやされて早久しい。
結局、言葉上だけの問題だったのか。

最近、ぱったりと声を掛けてくれないお客様の懐を察知してか、
それとも離れて行っちゃったことに全く気がついていないのか、
ただ、現状を嘆いたり、社会や政治のせいにしたところで、
どうにもなりませんよ!


昔の酒屋にならって、御用聞きでもしたらどうか…。


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