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歯に激痛が走る

2013-07-27 10:10:42 | 日記
先日、パンをかじっていたら、右の奥歯に電気のような激痛が走った。

水を飲んだりするとキーンとしみる(気がする)。
しばらくは、痛みで少しジンジンする(気がする)。
頭や首、そして目、アゴまで痛みが拡がっている(気がする)。

私は子供の頃から歯があまり丈夫でなく、また、考えてみれば
最後に歯医者にいったのは、2009年だし、そろそろ虫歯ができて
いても仕方がない。

これでは仕事に集中できないので、早速歯医者に予約を入れると
今日の4時頃ならあいているという。

結局、仕事は後日にまわして、今日歯医者に行くことにした。

炎天下、何度か道に迷いながら、ようやくたどり着いた歯医者さん、
歯をけずるあの「キーン」という音、また奥歯の下には未だ親知らずが
埋まっており、不発弾をかかえているような恐怖間でストレスはマックスに。

レントゲンを撮り終えて、治療椅子に腰をおろす。
頭部がゆっくりと下げられる。施術台の照明がまぶしい。

小さな頃に扁桃腺切除の施術をされた時のことを思い出す。
あの真っ白な照明、全身麻酔のガス、目がまわり、執刀医の輪郭が
ぼやけてゆく、そして一面が真っ白に…。


「どうしましたか?」という歯医者さんの声にハッと我に返る。

「昨日、パンをかじっていたら、激痛が走りまして…」

「歯が欠けたの?」

「いえ、欠けてないと思うんですが、水がしみるんです。」

「今、ジンジン痛む?」

「まあ、水を飲めば多少…」

「うーん、レントゲンをみる限り、どこも悪くないんだけど…、
まあ、一応見せて。」

えーっと、ここかな?」

「うーん、ちがいます。」

「ここかな?」

「うーん、ちがいます。」

「ここかな?」

「うーん、ちがいます。」

「…、一体どこよ?」

「うーん、わかりません」(笑)。


どこにも虫歯らしきものは見当たらなかった。
驚くことに、昨日の激痛がいつの間にか消えている。

結局、歯石をとってもらってその日の治療は終わる。

知覚過敏なのだろう、ということだった。

治療の後の看護婦さん、

「今回で、治療は終わりです」

この言葉が私には「もう二度と冷やかしに来るな、このアホ!」
と言われている気がした。

それにしても、こんなことってあるのか。
私にとって、あの激痛は確かに本物だ。
それとも私は夢をみていたのか…。

今となってみると、その痛みはどこへやら…。
冷たい水を飲んでも全くしみないし、本当に不思議だ。

それにしてもあの激痛はなんだったのだろう、
と今でも首をかしげている。


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あの時の感動

2013-07-22 17:39:40 | 日記
最近、ネットラジオを聴いていたら、美しいメロディが流れてきて、
それがあまりに感動的な曲だったので調べてみるとMal Waldronの
「Soul Eyes」という歌だった。

ジョン・コルトレーンも演奏しているらしいが、とりあえずYoutubeで
検索してみると、渡辺貞夫さんのラジオでの演奏がアップされていたので
聴いてみた。

渡辺さんの演奏もリリカルで素晴らしいものだったのだが、渡辺さんのソロの後の
ギターのソロがが素晴らしかった。アップロードした人のコメントだと
共演者は不明ということだ。

あまりに素敵な演奏なので、何度も聴きなおしているのだが、
確かに素晴らしい。ただ、最初に聴いた時の印象が一番強烈だった。

ラジオ放送での生ライブで何度も聴き返してもすばらしい演奏をすることは
とてつもなく大変なことだと思う。

生演奏は消え去ってしまうものゆえ価値があるのかも知れないと思った。

反面、その時に我々が受けた印象というものは肥大化し、より美しいものと
して記憶されてゆくことがある。

私自身、中学生の頃ラジオから流れてきた音楽、その感動が忘れられなくて
今でもズルズルと音楽をやり続けている気がする。

いつもあの感動に少しでも近づきたいと思ってやっている。
そしていつも「まだまだだ…」と思っている。
記憶が拡大化してゆくにつれ、そのハードルは高くなっているのかも知れない。
でも、それでいいと思っている。

私には10年前と同じ演奏をしている人の理由(わけ)がわからない。
同じ曲をやっていても同じアプローチはあり得ない、と私は思う。

10年前よりもテクニックは向上しているだろうし、フレーズの引き出しも増えた。
コードも沢山知っている。
でもそんな自分を進化したのだとは、とても思えない。

逆に最近はもっともっと拙(つたな)く、そしてシンプルに演奏できたらなあと思う。

あの時の感動に忠実であるために…。


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消しゴムはんこ

2013-07-19 17:42:42 | 日記
今、消しゴムはんこに凝っている。

こっているといっても2、3日に1回仕事の合間に
やっているだけだけど、これがすごい気晴らしになる。

私は彫刻教室に通っているのでこんなのおてのものと思いきや、
木とは随分勝手がちがう。

ただし、ゴムなので曲線は彫りやすい。やわらかいので、
素材をきゅっと丸めて一気にストンと刃を入れたりする。

ただしやわらかいゆえに、ディテールを彫ることが至難の業である。
また刃と刃を合わせることが難しい。木だと多少刃があわなくても
木目にそって落とすことができるのだが、ゴムだと最後の最後まで
しっかり刃をあわせないと、そこが彫り残しになってしまう。

今日はこれを彫ってみた。



完全にひらきなおりの「漫画調」である。

実はこの猫という素材は、我が家にはゴロゴロしているのだが、
なかなかじっとしてくれないのでデッサンが難しい。
しかたなく写真におさめようとするのだがなかなか狙った表情を
してくれない。うまく写真がとれたにせよ、それを紙に描写する段階で
あまりにリアルタッチで、とてもじゃないがハンコにするには
私にはハードルが高すぎるのだ。

猫の可愛らしさ、生意気なところ、悪意、計算高さなど諸々の「猫らしき」
要素をまったくもって表現できない。

もう亡くなった方で、似顔絵を上手にはんこでつくる人がいた。
(うーん、名前が思い出せない)
やってみるとわかるが、あの人の技術ははっきりいって神業に近い。

あの人が彫ったら、やっぱりそういうとこまで表現できるんだろうな…。

話はかわるが、漫画に登場する猫もさまざまだ。

手塚治虫さんは、恐ろしいくらいに猫の描写がうまい人だと思う。
漫画という静止した画像にもかかわらず、猫の立ち振る舞いから、表情、
そして心の中まで表現してみせる感覚、あれは本当にすごいことだと思う。

その他、小林まことさんが描く、マイケルもかわいらしくて好きだ。

ますむらひろしさんが描く、猫はいわゆる漫画的ではなく自然な描写だ。
それが「アタゴオル」という世界にとってもマッチしている。
特にあの人の描く「ひでよし」は秀逸だと思う。

彫刻としては日光の「眠り猫」が有名だ。

あれは実は眠っているのではなく、獲物を狙っているところだそうだが、
私にとって、そんなことはこの際どうでもよい。

それよりもかぎりなく難しい「猫」という素材を、あれほど豊かに表現し得て
いるということが驚異的だ。

今昔物語絵巻などに登場する、鳥や猿にしても、あの描写はすごいと思う。

彫刻教室に通うようになって、ようやくそういうことが理解できるようになった。

私のようなズブの素人のセリフではないが、
やっぱり何でも自分でやってみないとわからないものだ。


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期日前投票

2013-07-17 17:48:39 | 日記
今週の週末は用事があるので、今日は仕事の合間を見計らい、
期日前投票を済ませてきた。

今回の参院選だが私が住んでいる鎌倉市ではそれほど選挙活動が
盛んに行われているとは思えないのだが、参院選っていつもこんなもんだっけ…。

2009年が民主党が大勝した選挙は確か衆院選だったからか、
もっと大騒ぎしていたような記憶がある。

神奈川4区はみんなの党の中では有名な浅尾慶一郎氏がいるが、
今では彼もみんなの党の代表的な人物の一人だが、その当時は
選挙の直前まで民主党にいた。
私はそのころ市役所にしょっちゅういっていたのだが、
民主党として演説している浅尾氏の姿を何度もみたし、
北鎌倉でも演説していた。
テレビにも出演し全国的に有名な人なのだが実は地元ではけっこう見かける。

いちばん最初にみかけたのは北鎌倉の駅前にいた時で、
その時は、

「なんか、妙ににやついた奴だな…」

という印象で配っていたビラを拒否してしまった。

今考えるとあれは彼の地顔だったのね。
(大変失礼いたしました。)

民主党の優勢がささやかれている中、選挙戦直前での離党(正確には
除籍処分)には少しながら驚いた。
さまざまな利害関係がからむ中でのこととは思うが、そういった
彼の行動に、ある種の潔さを感じたし、いかにもアジテーションが
苦手そうな彼の姿に誠実さを感じて、少し好感をもつようになった。
まあそんな話は今回とは何の関係もない。

決して私が判官贔屓なのではない。ただし新しいムーブメントには
大いに興味がある。それだけ…。

ともあれ、今回の選挙だがいまいち争点が明確ではない。
新しい風がふいているわけでもない。

なんだかんだで、皆さん「勝つため」にやっているわけで、
自分が勝つことが日本の未来の繁栄につながるなんて論法は
いささか傲慢なように思う。ある種の人たちはそれを根っから信じていて、
それが政治家という人種なのだろうが、そんな理想は何十年も前に
捨て去ってよい類のものだと、私のような人種のものは思ってしまう。

神奈川県発行の選挙公報を読んでいても、いまいちよくわからない。
どの政党も立候補者も不利なことはいわないようにしているようで、
また有利なことしかいっていないので、しかも有利な点がみんな
非常に似かよっていてちがいがよくわからない。

さんざん頭をひねっていると、うちのダリアが「にゃー!」ときた。



「これダリア、そこをどきなさい。読めないでしょ!」

あげくには公報をビリビリやりだした。

「これダリア、それはあまりに失礼だ。君は民主主義を尊重していないのか!」

などとあわてて叫んだところで、
猫にきく耳はない。
目はあっても字が読めない。
口はあっても「にゃー!」といわれるのがオチだ。



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モーダル・コンセプト/Peter O'Mara

2013-07-15 17:25:35 | 日記
以前にこのブログで紹介したこの本、



『モーダル・コンセプト/Peter O'Mara』
自身も優れたギタリストであり、明確なコンセプトによって
ギターの指導もされているPeter O'Mara氏の著書。

スケールに関して豊富な譜例とPeter O'Mara氏による模範演奏が
たいへん勉強になる。さらに優れている点はこの模範演奏のCDの
バックグランドがMIDIで作られているためにシーケンス・ソフトで
利用できることだ。

私は最初は何がなんだかわからない状態だったけど、とにかく
模範演奏をトランスクライブした。
そしていよいよ、さらにじっくりと実際の練習を行おうと2回目を
やっている。

今になって気がついたのだが、「リディアン」について扱っている
ページは間違っていると思う。

Gリディアンと書かれてあるが、MIDIサンプルを何度聴いてもリディアンっぽさがない。
むしろGアイオニアン的な演奏である。Gリディアンの特徴的な音である、
C#音がでてこないからだと思う。
楽譜をみながら、またシーケンサーで確認しながら、頭をひねっていたのだが、
Peter O'Mara氏の模範演奏を聴いて理解できた。

なんと実際の演奏例ではG音がD音に、つまり4度下方に移調されている。
Peter O'Mara氏の模範演奏は実にナイスなリディアンサウンド。

例えばGM7コードをならしてGアイオニアンを弾けばサウンド的には問題ないが、
これは単にGアイオニアンでしかない。
しかるにGM7コードをならして、そこでDアイオニアンを弾いてみよ。
すなわち、それがGリディアンなのだ。

もし譜例、、MIDIのデモと模範演奏が違っていることで混乱されている方が
いるなら、譜例をすべて4度下方あるいは5度上方に移調すればよい。
MIDIデータを修正されたい方はバックグランド以外のすべてのラインを
選択して4度下方までずりずりとさげるか5度上方にずりずりとあげてやればよい。
いずれにしても模範演奏(つまりPeter O'Maraの演奏)が正しい。

実は以前はスケール練習を否定して、全くやらなかったのだが、
最近はまともな練習の大半はこれをやっている。
(実はまともじゃないことの方が練習には多くの時間を費やしている)
なにがいいかというと、コード進行を気にせず、またスケールを気にせず
弾けるようになること、フレーズ主義から脱却できること。

スケール練習をやってスケールを気にしないとは矛盾しているようだが、
やった人はわかるはず。どんな練習も規則にしたがって行い、最後は規則に
しばられないで(自分の音感にたよって)演奏ができるようになるものだ。

私の場合、1日のスケール練習時間は20分以内、練習するスケールはひとつ
に限定してやっている。

そうじゃないと、いつまでもダラダラやっちゃうからね。
でもそのくらい楽しいんですよ、
この本、『モーダル・コンセプト/Peter O'Mara』は。



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