OMTインフォメーション

翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

リズムの「弧」

2011-04-29 13:02:36 | 日記
普段、自分の演奏を省みることはあまりないのだが、
たまに思い出したようにYoutubeにアップロードされている映像や
CDを聴きかえしてみることがある。

まあ、録音となると大切なところがカットされてしまっている気が
するし、お客さんの反応など、その場の雰囲気が結構重要なので、
なるべくアラさがしはしないようにしているのだが、それでも
自分の映像やサウンドに

がちょ~ん、

となる時がある。

ベースの「コーヒー北村」さんが自分たちの映像をアップしてくれた。


北村さんのYoutubeへ


これは3月25日に江古田倶楽部でやった時のもの、ゆうぞうさんがドラム
を叩いている。

画面中央でやっているのが私。なんか後光がさして、仏陀のように神々しい…。
しかしおかげで私の顔がほとんど見えない(笑)。
しかも、その時はキャップをかぶっているのだが、それがまるで50年代の
「なにもそこまでやらんでも…」という不良少年のリーゼントのようで、

うわぁ~、ショック!!

さて、演奏の方はというと、

う~ん、かなりいいな…(笑)。

ただし自分としては反省点が多いな。だいたい動きがカクカクしてるもんな。
意識を細かく刻みすぎているんだな。

それでもこのバンドがこれほどグルーブしているのは多分、ゆうぞうさんのおかげ。

ガチガチのシャッフル・ビートを刻みながら、それでも非常に「のびやか」である。
タイトなリズムのなかでも大きな弧を描いているのがわかる。
タームの中で限りなく大きなモーションを描いている。だからやわらかい。
まるでイチロウ選手のようだ。

Give Me Back My Wigのゆうぞうさんのドラムソロをみてほしい。
すごく柔らかくスムーズでどこにもムダな力がはいっていないね。
意識はガチンコだけど(笑)。

そう! こういうイメージなんだよね。

思うにギターでもピアノでも大切なことは、リズムで大きな「弧」を描くことなんだよね。
こういうことがイメージできているかどうかなんだよね。

まあ、次回ゆうぞうさんとやる時はこの辺を修正していくつもりだ。
乞うご期待、比類なきグルーブの嵐にお誘いいたします。


がんばろう、東日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Thelonious Monk - Brilliant Corners

2011-04-26 15:00:00 | 日記
普段の練習ではもっぱら新しいフレーズを弾いたりしているのだけど、
そうしている内にテーマ・メロディーから乖離してしまうというか、
歌心がなくなってしまうというか、どうも演奏がワンパターンだなぁ、
と思ってしまう時がある。

そんな時に自分がよくやる練習が「メロディ・フェイク」である。

一見簡単そうに思えるのだが、これが実に難しい(私にとって)。

すごい集中力と音感、そしてなによりも感性を要求されるのでどっと疲れる。
でもギタリストにとってはポジショニングと音感を鍛えるよい方法だと思っている。
歌心が大切だということがよくわかるしね。

アバークロンビーなどは1本の弦上でそれをいとも簡単にやってしまうのだから
凄い話だと思う。私にとってはポイントも定めずに海にポツンと1本のつりざおを
たれるようなものだ。

先日、CDラックをガサゴソいじっていたら、このCDが出てきた。


『Thelonious Monk - Brilliant Corners』
これは数年前にゆうぞうさんから教えてもらったものだ。

CDを入手した当時は気がつかなかったが、Sonny Rollinsがサックス吹いているのね。
彼はあれほどの歌心をもち、しかも流れるような美しいメロディーが演奏できる
類稀な存在の人なのだが、モンクといっしょにやっているのはおもしろいと
思った。モンクの対極にあるような人で、そのコントラストがとても印象的だ。
「Pannonica」は美しい曲である。二人の魅力が存分に堪能できる。

実はモンクは「メロディ・フェイク」の名手である。
というか彼の演奏スタイルはテーマの変奏によって成り立っている感がある。
ひとつのモチーフをよくもまあこれほど変容させられるものだ、と感心する。

マイルス・デイビスが「Round 'bout Midnight」を演奏する度に、
モンク(この歌の作曲者)にダメだしをくらい、彼もまた馬鹿正直に
演奏の度に「今度はどうだった?」とお伺いをたてていたことは有名だ。

マイルスは当初、テーマ・メロディーを意識した演奏が得意ではなかったらしい。

ただ、あの人が凄いのは最後までモンクに食らいつき、最後はそれをモノにする
どころかテーマ・メロディーをよりシンプルに際立たせる演奏をするにいたった
ところである。

もちろん、マイルスの境地に辿り着くことなど、私がのぞむべくもない。

しかし、こうして自分の演奏が行き詰った時にテーマ・メロディーをもう一度
見直してみると、そこには実にさまざまな可能性がひそんでいる気がしていつも
大変勉強になる。

道は遠く険しい。でもそれだからこそおもしろい。


がんばろう、東日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

2・4拍について(訂正)

2011-04-25 12:44:01 | 日記
先日、ジャズの2・4(ツー・フォー)は体で感じるものと書いたのだか、
ゆうぞうさんより指摘があったので訂正します。

「2・4は体で感じるものではなく、(確実に)存在するものである」

ということです。

確かに彼の指摘は正しいと思う。またひとつ勉強になりました。

「体で感じるもの」といってしまうと、語弊が障じやすい。
こういう捉え方をすると、えてして2・4を強調しなければならないという風に
考えてしまいがちだ。

でもメロディーはしっかり弾かなきゃいけないし、頭もしっかりだしてやらなきゃ
いけないわけで、2・4ばかりを強調したメロディーは滑稽である。

これはブルースやっていても(ブルースの場合は3連譜のウラ拍)、陥りやすい
過ちである。

みんなで3連譜のウラ拍ばかりを強調していたら、スカ・バンドになってしまう。

要するに「意識をする」ことが大切なのだろう。
意識をしながら、しっかりレガートでメロディーを弾くというのがジャズの基本
なのだと思う。
つまり関係性を把握するっていうことかな。

曲のテーマを弾く時(覚える時)にしても、2・4拍との関係でテーマを理解するのが
いちばん効率的だもんね。

例えば、OLEO(ソニー・ロリンズ)という強烈に難しいテーマの曲があるが、
あれなど2・4拍との関係で理解しないと、自分がコード進行上のどこを演奏して
いるのかがわからなくなってしまう。


『BAGS GROOVE MILES DAVIS』

この曲はマイルスとロリンズがテーマをとっているのだけど、すごく速い演奏なのに、
メロディーはゆったりと乗っかっているように感じる。
レイド・バックさせているわけでもなんでもなく、ゆったりとして、しかも
スピードを感じさせるってすごいことだ。

いずれにしても2・4拍との関係が見えていれば、たとえ見失ってしまっても、
現状を把握して元に戻ることができるなら、全然恥ずかしい(多少は恥ずかしい)
ことではない気がする。
コルトレーンだって、パット・メセニーだって、そういうミスはを犯している
ようだけど、どっかで誰かがしっかりサポートしてるもんね。

スタンダードを勉強するってことは大切だし、これからもやってゆくつもりだけど、
やはり人の意見をきかないと、独りよがりな考えに陥ってしまうな…。
人と合わせるということはそういう意味でも大切だと改めて思った。

ゆうぞうさん、これからもいろいろ教えてちょ(笑)。


がんばろう、東日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Parallel Realities Live - Cantaloupe Island

2011-04-24 17:07:03 | 日記
以前ゆうぞうさんとスタジオであわせている時に、
ハネる16ビートの曲中で、彼がものすごい変則的なリズムを
叩きはじめた。なんでも「お神楽」からヒントを得たリズムらしい
のだが、アクセントがあっちゃこっちゃにずれていて、
いとも簡単にリズムを「見失ってしまう」。

う~、わけわからん。悲しくて涙がでてきた…。

まあ、そういう経験をふまえて、自分もいろいろ学んだわけだが、
そのひとつが、

2・4(ツー・フォー)は人に出してもらうものではなく、
各ミュージシャン(ドラムも含め)自分の体の中で鳴らせて
おくもの(つまり感じるもの)であること。

もうひとつは、

その2・4は体で感じるもので、実際に音に出す必要のないものゆえ、
「ブレる」ことが大アリだということ。

である。

ジャズとは依存関係を排除した音楽である。
そういう意味では「ブレ」や「ハプニング」を楽しめなければ
ジャズではない。

もちろん、上記のような辛い経験を踏まえ、自分なりに日々精進を
しているつもりではあるが、やはり「ブレる時はブレる。」(笑)。


さて、今日は元気がでる曲の第2弾、


『Parallel Realities Live - Cantaloupe Island』

なにしろ、ジャック・ディジョネット、パット・メセニー、デイブ・ホランド、
そしてハービー・ハンコックといった強烈な面々が一同に会しているわけで、
凄くないわけがないのだが、中でもこの曲のジャック・ディジョネットは
凄すぎる。ってか半分滅茶苦茶である。もう「これでもか、これでもか」
と叩き続けている。

出だしのテーマからして、叩きすぎである。
よくメセニーも合わせているなぁ、と思う。

そしてハービー・ハンコックのソロ、このおっさんはつくづくふざけた人である。
あんなきれいなハーモニーを出すかと思えば、滅茶苦茶のディジョネットに
輪をかけて滅茶苦茶をやる。そういうことをシレっとやれる人だ。
よっぽどふところが広いというか、遊び心満載の人だ。
聴いていても大変危うい。

「おい、そんなところでロールはないだろ」

というディジョネットに対抗して、彼もペダル・プレイをやりはじめた。
だから4小節くらい、サウンドがサスペンドされてしまう。
曲の頭がどこだか、さっぱりわからなくなってしまった…。
メセニーはだまってニヤニヤ笑いながら聴いてる感じだし、
デイブ・ホランドだけが大人の演奏、ひとり辛抱のベースをつづけている。

そこにメセニー登場。
メセニーはそれほどアウトするタイプの人ではないのだけど、
今回は気合はいってんな~。
ディジョネットにあおられまくっているからか、インとアウトが交錯する
スリリングな演奏をしている。
彼がインにもどったところで、「ほらみたことか!」

ディジョネットさん、リズムが裏返ってますがな!!

「おっと、いけねぇ!!」

てな感じで、これまたシレっとリズムをイーブンにもどしたかと思いきや、
また、雷様のごとく叩きはじめた。
そんな調子で曲のエンディングまでやり切ってしまった。

まるでロデオを見ているみたいだ。
ロデオが終わってみたら、観客席を飛び越えて場外にいた、という感じだ。
ここまでくると、「痛快」というほかない。
これが音楽として成立してしまうのだからおもしろい。

自分がリズム感がないと悩んでいる人もいると思うが、そういう人にも
この1曲をお勧めしたい。

「難しいこと考えたって仕方がない」ってことがよくわかると思う。


がんばろう、東日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

フィール scolohofo

2011-04-24 07:51:19 | 日記
今日は久しぶりに時間があいたのでボーッとしているのだが、
外はあいにくの雨、いつもやることはそうかわらないのだが、
CDを昼間から流しっぱなしにして、なんとなくギターをほろほろと
弾いたりしている。

最初は、『The Sigh Of 4』というパット・メセニーやデレク・ベイリーが
いっしょにやっている、いわゆる「フリー・ジャズ」を聴いていたのだけど、
3枚組で、1枚目はなんと1曲しかはいっていない。
延々とフリー・インプロビゼーションが展開する。

私はもともとフリー・ジャズには抵抗はない、というかむしろ結構好きなほうである。
出鱈目やっているようで、そのうちメンバーの演奏が際立ってくるというか、
ちゃんとサウンドしてくるからおもしろい。
やはり一流が集まるとすごいことが起こるもんだな。
一度やってみたことがあるけど、とってもむずかしいんだよね、これが!

だだし、それでもやはり1時間以上にわたって延々と続くのはさすがにつらい。
15分くらい聴いたところで先に続く時間のことを考えると気が重くなってきた
ので止めることにした。

気を取り直して聴いているのが、『Scolohofo』。



なんとも不思議なタイトルだがこれは、
Scofield、Lovano、Holland、Fosterの頭文字をとったものだ。
実にそうそうたる面々。
こういう人たちがいっしょにやると、キャラがたちすぎて
「いかにも、企画もの」という感じになりがちなのだが、
さすが長いキャリアをつんできた人たち、実にまとまりもよく
いわゆる淡々と「大人」の演奏をしているな。
ジャズ・ファンも充分に納得できる1枚だと思う。

1曲目は「OH!」…。別に驚いたわけではない。OH!というタイトルの曲。

私には「おう!」、ではなく「おっ!」って感じ。
「おっ、いいね!」って感じ。
さっきからフリージャズばかりきいて神経がピリピリしていたところに
これはいいぞ、グッときたぜ!

私はギタリストだから、あれだけど(あれって何だ?!)、
とにかくJohn Scofieldの演奏に耳がいってしまうのだけど、
この人は音遣いが「なんか変」なところもあるけど、
実にジャズなんだよね~。うん、まぎれもないジャズだな。

音遣いはブルースとよく似ている気がするのだが、
とにかく「フィールがジャズなのだ」としかいえない。
彼のフィールはやっぱりジャズ特有のものだと思う。

ロックにはロックのフィールがあるし、ブルースにはブルースのフィールが
ある。こうしたフィールを感じて(ちょーダブル・ミーニング!!)
人の演奏や自分の演奏を聴き分けてみるとおもしろい。
同じジャズの中でもいろんなフィールがあるしね。

フィールを決定づける要素としてはリズム的な要素が大きなウエイトを
占めている気がする。
そしてミュージシャンにとって最も大切な要素なのだと思う。

すぐれたミュージシャンというのはこういう「フィール」を常に
大切にしている。

それぞれのミュージシャンにはそれぞれのフィールがあり、
そういうのが共鳴し合って「いい演奏」が生まれるのだと思う。

音楽はやはりフィーリングから入るべきだと思う。

だから形から入る「ロックにいちゃん」のアプローチはあながち
間違いではないと思っている。あれってフィーリングってことじゃん。

キース・リチャーズにあこがれているんだったらだな、
私ならまず、髪型をかえて、ダイエットして、鏡の前でポーズきめて、
ギターは膝下までたらして、ヨタ公のように徘徊しながら、ギターを
弾く、それで決まり(なんの話しじゃい!!)…。


がんばろう、東日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト