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年越し

2010-12-28 17:01:12 | 日記
もう年末だ。

今年中の納品分は一応、提出できたし、
明日には支払いも一通り完了する。

嵐のような1年も過ぎ、ようやく一息つけるかな、
と思っていた矢先、お客さんから連絡があった。
結局、食事会の予定をキャンセルして引き返してきた。

…お正月も仕事しなきゃ納品できないじゃん!!
お休みどころの話じゃない。

まあ、仕事が途絶えて、不安な年越しを過ごすよりは
全然いいか…。

ストレスもたまったし、全く息つく暇もなかったけど、
これでも楽しくやってこれたのかな。
結構、睡眠時間もとっているしね。
(その分、まともな休日はほとんどなかったけど)

いろんな人との出会い、再会などもあり、
(もちろん別れもあった)
本当に感謝、感謝の1年でした。

ありがとうございました。


つんつるてんのココちゃん。


仕事してると、甘えてくるだよ。


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大桃さんのクリスマス

2010-12-24 16:49:07 | 日記
今日はクリスマス・イブですね。
用事があって藤沢にいったのだけど、そこで気がついた。

最近、仕事のストレスで歯が弱くなっているのか、
また先日治療したのとちがう歯(奥歯)が欠けていることを
発見し、再び歯医者にいくことになった。
またも今日1日ですっかり完治したのでラッキーだった。

戸塚はそれほどでもなかったが、やはり藤沢は少し
クリスマスで華やいで見えた。

会社勤めの頃は、クリスマス・シーズンで少し気分がウキウキする
ようなこともあったのだけど、なにかと忙しく、家にこもりがちの今は、
自分の誕生日すらも忘れてしまう始末である。
ましてや、クリスマスなどテレビでも見ないと気がつかない。
結局、マスコミとデパートだけが騒いでいるということかな。
でも今は景気が悪いからね…。

まあそんなわけで、少し世の中の状況も確認しとかなきゃと思い、
「ミヤネ屋」を見る。
ところが話題はクリスマスではなく、「大桃氏のツイッタ―事件」で
持ちきりである。ってか今日、大桃さんが会見を行ったということなのだけど。

実は私は大桃さんのファンである。
聡明で、明るいところ、なによりも「顔」が超好みだ。
正直、今日の会見で再びほれなおしました。
すごく女性らしさを感じた。こんなこと思うのは私ひとりだと思うが、
「うわー、色っぽい」と思った(笑)。

どこの局のレポーターのおばちゃんか知らないが、
ずいぶんとえらそうな質問をしていたなぁ。

ツイッタ―という行為に対する公人の責任、それに対する道義的な
質問に終始している。
うしろでおじさんが、大桃さんよりも「不倫」に関しての事実を
ひきだしたくて、うずうずしながら質問しているのがわかる。
しかし女性は強し。テレビが情報ソースとして無価値化している
今、よほどインターネットの情報発信システムに嫉妬しているのか、
半分意地になって質問を繰り返している。

私は大桃さんに対して、道義的な責任の追及に終始するマスコミに
すごい違和感を感じる。

「芸能界なんて不倫だらけの世界で、私たちが守ってやってんのよ。
それなのにあなたはなんなのよ。たかだか別れた旦那が別の女と
付き合っていただけじゃない。
だから大桃さん、あなたのやったことは罪なのよ。」
(私のフィクションです)

まるで自分たちも同じようなことをやっているから、それも
暴露されたら困る、っていってるみたいだ。

この際、不倫であるかどうかはさしたる問題じゃないでしょ。
麻木さんに対しても、いいわけがましいことばかり言うくらいなら
恋愛など止めちまえ!とも思う。

一部の連中が情報ソースをにぎりしめ、知らない人たちをいいように
操り、しかも自分たちの利益だけは確保する、というマスコミが嫌う言葉は、
「情報漏洩」。彼らは「国家機密」とか、「プライベート」という言葉を
最後の楯にしながら、一方で「国民の知る権利」、「報道の自由」を主張する。
結局、あんたらが情報の漏洩にすがっているんでしょ。
愚かしいことこの上ない。
結局、うそでもなんでもおもしろきゃいい、とはっきり言ったらいい。
(ミヤネさんはその辺、割り切っているから好感がもてるけど。)

大桃さん、そんなものに負けないで!

すべての事柄がこれからどんどん明るみにでてくる世界だ。
光と陰、正義と悪などの二元的な世界からはなれて、もっともっと
自由に生きられる。そんな時代が必ずやってくる。

だから自分を信じて!
そしてクリスマスくらいは楽しく過ごしなよ。

と結局、クリスマスとはなんの関係もない話しになってしまった。
せめて、今日はシャンパンでもあけようか。

「じゅうにがつ~は、くりすます~で、さけがのめるぞ~」ってか。


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眠り猫

2010-12-23 14:58:31 | 日記
時折、猫は寝るために生きているのではないかと思う。

人間にあまえて撫でてもらう時も、ゴロゴロ喉を鳴らしながら
眠っているし、ごはんを食べるのも満腹感に浸りながら眠るため。

日中、私の仕事場には四匹の猫が雑居しているのだが、
だいたいは眠っている。

今もこうやって、



パソコンの上で眠るココ



テレビの上で眠るダリア

という風に、だから彼らの安眠をさまたげないように
静かに仕事をする。

時折、お客さんと電話で話したりしていると、
バックでギャーギャー騒ぐ。

それは別に飼い主の私に嫉妬しているわけではなく、
ただ、安眠をさまたげられたからだろう。

「静かに、眠らせてにゃー!!」ってなもんで。

こういう寒い日が続くと体をくっつけあって眠る。


例えばこんな風。ところが10分後には、



「…あんれー?? いつの間に!!」

こんな具合だ。
おそらく我が家でいちばんのオープンハートのポピーが
ダリアとココの間にわって入ったと思われる。

猫にとっては夢という想像的空間と現実の空間のどちらを生きるにも
それほどちがいがないのかも知れない。
眠りながら、口をむにゃむにゃ動かしている時もある。

夢の中では何を食べているのだろうか。


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Peter O'Mara

2010-12-20 16:37:26 | 日記
楽器の演奏、特にインプロビゼーションの技法を学ぶということは
システムを学ぶことだと思う。

ギターにしても、ピアノにしても楽器をさわったことのない人に
とってはただの音階の羅列だ。
そのから楽曲を生みだすには、ある規則性にのっとった、パターンを
引き出せなきゃいけない。
インプロビゼーションが演奏する人の感性によるところが多い分、
その感性の数だけパターンが存在することになり、それが楽器の習得を
困難にしている。

自分独自のシステムを構築することは、ライフワークのような果てしのない
作業である。でも楽器とはそういうものだと思う。
だから、今でもギターの練習をする。それだけで食べてるわけじゃないけど、
自分でもかなり真面目に練習している方だと思う。

コピーするにしても、教材をつかうにしても、自分のシステム構築することに
主眼をおいているのだが、自分のCDで自分の演奏方法について解説してくれている
プレイヤーは皆無だし(あるわけない!)、教材にしてもなかなかいいものに
お目にかかれない。

音階をズラ―っと並べられたところで、それを楽曲的なフレーズに組み上げることは
至難の業であり、そのフレーズ構築の模範(サンプル)がほしいし、しかも自分の
演奏への応用ができるものでなければ意味がない。

そういう意味でもう2年くらい前から同じ教材を使っている。それがこれ、


『モーダル・コンセプト』(ATN,INC Peter O'Mara)と、


『コーダル・コンセプト』(ATN,INC Peter O'Mara)。

どちらも同じ著者(Peter O'Mara)で「コンセプト」というだけあって
非常にシステマティックなアプローチで解説がされている。
初心者ではまったくわけのわからない代物かも知れないが、模範演奏(範例)
が豊富で、すごく重宝している。ジャズ・ギターの現代的なアプローチの
勉強になる。

ところで今日、上記の著者であるPeter O'Maraのことが気になって、
彼のCDを久しぶりに聴いてみた。
もう何年も前に、中古CDで買ったのだけど、自身のCDの演奏と教材の範例との
ギャップがありすぎてあまり好きになれなかった。
CDの演奏はいわゆるフュージョン系で、当時はもっとモダンジャズ的なものばかり
聴いていたので、なじめなかった。教材の範例のほうが好きな演奏だった。


『STAIRWAY』(Peter O'Mara)

ところが、なぜか今日はCDの演奏と教材の範例がリンクした。

「なるほどね!」

と思った。やはり出所は同じだなぁ…。
まあ、以前よりも私自身の耳が成長したということなのだろうが、
見えないものが見えてきたような感動があり、うれしかった。

以前に紹介したマイルスの『DECOY』と似た雰囲気だなと思ったが、
案の定、Anthony Jacksonがベースを弾いていた。いわゆる後期のマイルスの
リーサル・ウェポン的な存在だった人だ。超絶テクニックでベースギターというより
自動車のエンジン音みたいだ(笑)。速すぎてわけがわからん!

Peterの演奏は自分にとってよいお手本になると思った。

だけど、自分は結局、あんな風には弾かないだろうな、という気もする。
自分は自分だからね、残念ながら。


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イライラ

2010-12-19 17:30:40 | 日記
今日も仕事をした(納品がたてこんでいてやすめないんだよ~ん)。

仕事中はイライラのしっぱなしだった。
なにしろパソコンが遅い!

立ち上げてから15分くらいは全く安定しないし、ぶっ通しで作業を
していると、ある時間から突如として反応が遅くなる。
文字を入力するだけで何十秒も待たされるし、いざファイルを保存
しようとしても動いているのかどうかさえわからなくなる。
翻訳のチェック作業なので元原稿のPDFファイルとワードファイルを
頻繁に往復するのだが、その切り替えに5分くらいかかってしまう。
あげくの果てにやっと終わったファイルの訳文生成を行おうとすると
完全にフリーズする。フリーズしないとしても、あり得ないような内容の
アラートが出る。結局「できません。」ってことじゃん!
まるでこちらが悪いといわんばかりのその態度にさすがの私もブチ切れた。

まあ、コンピュータに向かって怒っても仕方のないことなのだけど。

Micorosoft Wordの2007年版はマシンにはすごく負荷がかかるようだ。
おまけに2003年版と2007年版ではインターフェースがまるっきりちがう。
その上この遅さじゃ、どうしようもない。
ようやくインターフェースにも慣れてきたのだけど、思い切って
使うのやめた。そしたら2003年にもどした途端、サクサクと動くようになった。

そんな風にしてソフトウェアは次々とバージョンアップされ、
その度に使用メモリも膨れ上がる。ハードディスクは1回買ったら、
すくなくとも3年くらいは使うでしょ。それともソフトウェアの
バージョンアップに合わせてパソコンを買い替えろってか?!

バージョンアップはバグ修正などが行われるものだが、その度に
使用メモリを増やすことを要求するなんて、そのこと自体がバグだろ!

「考えを改めろ!」といいたい。

そして、

「金かえせ! 時間をかえせ!」といいたい。

まあ、おかげでいろんな対策方法をネットで調べることができたので、
勉強にはなったかな。

でも私は仕事をしているのであって、勉強をしているのではない。
ましてやパソコンの修理をしている時間などサラサラない。

DTPの黎明期に私はMacintoshを使っていたが、それこそ大変だった。
メモリ(RAM)が8M bitと驚異的な時代だった。
いつの時代でも工夫は必要である。メモリが少ないなりに、
コンピュータに負荷をかけないように、かけないようにしながら、
作業したものだ。
もちろん、フォントにからむ利権の問題とか大きな問題もあったが、
そういう専門的な分野の話はともかく、パソコンはユーザーに
とってもっとフレンドリーなものだったし、ユーザーの工夫にも
応えてくれていた気がする。
いくらポンコツだって自分の車には愛着があるでしょ。そんな感じよ。
Windows95あたりからMicrosoftもグラフィカル・ユーザ・インターフェースを
導入したのだが、デスクトップのデータも深い階層構造の中にあるわけで、
まるで複雑な部分に蓋をしただけだ。その辺がマックとの決定的なちがいだと思う。

だから今のパソコンには、まったく愛情を抱けない。複雑すぎて工夫の余地がない。
少なくとも私のような、一般ユーザーにとっては「わけのわからん」システムだ。
ウイルスソフトひとつとっても、1年に数回あるかないか(あれば大問題だけど)
の対策でキャッシュ使用率100%のソフトウェアって一体何????
さっきからな~んにも動きませんよ。

仕事しないでパソコンの修理ばかりやってるデザイナーがいて、
私も「馬鹿だなー」と思っていたけど、今となっては修理しても
自分の使い勝手をよくできるなら大したものだ。
Windowsでそれが出来るデザイナーがいたら、すごいと思う。
デザイナーやめて、電気屋さんになることをお勧めする。


あくびをする猫。
人がイライラしている時に全くいい気なものだ。



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