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若き営業マンに捧ぐ

2012-01-26 10:28:30 | 日記
斎藤一人さんの言葉に、

「成功に一定の方法論などない。」

というのがある。

なんでもそうだと思うが、方法論とは後からできるものであって
我々が歩む道の前にあるレールではない。

私の仕事の5割くらいは、営業活動なのだが、よくいわれることに
「ルート営業の際は顧客のランクづけを行い、それにあわせて訪問
頻度を調整する」、というのがある。

それはあながち間違いではないと思うが、それを「方法論ありき」で
やってしまうと、それは「形骸化」された営業活動となってしまう。

だいたい、我々の業界(翻訳業界)は、顧客の会社の規模で受注する
仕事量が決まるものでもないし、例えばCランクのお客様には、
「Cランクなりの」対応をするということになってしまうと、
お客様はそういう我々の態度をたやすく読みとってしまうものだ。

私の場合は顧客リストを眺めながら、「思いつき」で電話してアポイントを
とっている。お客様にあう時は、ランクなど関係なく、全力で向かう。
とにかく、目の前にいるお客様を喜ばせようと必死になる。
我々のようなサービス業は結局、エンターテインメントだと思っている。
それでも必然的に受注量の多いお客様に訪問する頻度は高くなるわけで、
ランクに基づいた活動などは自然にできてゆくものだ。

また、例えば気配りであるとか、礼儀であるとか、人間的魅力とか
そういった営業マンの資質が成績に直結するというのも事実だと思う。
しかし、「成功して」いる(「成功した」と過去形で語られる営業マンなど
もはや営業マンではない)営業マンのやり方、例えば、

「お客様を訪問する時は、靴べらを持参しろ」とか、

「必ず、席につくときは、奥の席(いわゆるお客様がすわるべき席)には
お客様をすわらせろ」とかね。

あれだって、ケースバイケースであることがほとんどだし、そんなことを
なんかの本で読んで真面目に実践したって、気持ちがこもっていなきゃ、
しょせんは見え透いた(形骸化した)エンターテインメントにすぎない。

もちろん、自分で感じたこと、発見したこと、学んでやってみようと
思うことはなんでも実践してみるべきだ。

結局、自然に、ナチュラルに、そして「笑顔で」お客様と対面すること、
それ以外に方法はないと私は思う。要するに気持ちの問題だ。

こういう不景気の状況では、営業効率を求められることは仕方のないことだ。
私も、今は新規顧客に見込みはないから、既存顧客を大切にしろ、などといわれた。
でも私からいわせれば、「壁を超えるための、工夫(考えるということ)をする」
のが戦略というものであり、そんな後ろ向きの考え方は戦略とはいわない。
ただの撤退である。

やっきになって顧客回りをやっている私を「自己満足」という人もいた。
でも自己満足大いに結構。
私にとってお客とあうということには前向きな希望や、喜びに満ちているから。
そういう気持ちがあってはじめてお客はついてきてくれるものだ。

だから、若き営業マン諸君、おおいに悩んで、考えて、それでも前向きに
よろこびをもって、たとえ無駄足といわれようが、嬉々としてお客様と
会いなさい、といいたい。

映画館や喫茶店でさぼってんじゃねえぞ(笑)。

まあ、去年は社内処理にかまけて、営業をちょっとさぼってしまったことに対する
自分への反省の意味をこめて、今日は久しぶりに仕事のことを書いた。
がんばろうぜ!!


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汗っかき

2012-01-24 17:37:06 | 日記
私は無類の汗っかきである。
高校時代、陸上の長距離選手だった頃からめちゃくちゃ汗をかいていた。
でも女優じゃあるまいし、長距離選手で汗をかかないのは
なんの自慢にもならないし、むしろ冷却機能が発達しているというべきで、
実際夏にめっぽう強かった。

ところが、今となってはあまりいいことがない。
夏に営業にいくと、早目にいって少し涼しいところで体をひやしてからでないと、
バケツの水をかぶったようなおぞましいスタイルでお客さんの前に現れたら
それこそどん引きものである。
そして、汗だくだくで外からもどってくると会社の中は、冷房でヒンヤリしていて
それが逆に体をダルダルにするのだ。全身に力が入らなくなるくらい疲れる。
上司からは、「お前、汗くせぇ」とかいわれ立つ瀬がなかった。

まあ、今は独立してやっているので、オフィスにもどってもせいぜい猫が逆に
喜ぶくらい(どうも汗のにおいは母猫のお乳のにおいに似ているらしい)なのだが、
それでもやっぱりいやだ、自分がいやだ(笑)。

またギターの演奏している時も、他のメンバーがびっくりするくらい汗をかく。
最近は少し精神的に余裕もでてきたのか、そんなことはあまりなくなったが、
それでも「ある人」とやる時だけは、やはりすごく汗がでる。
ある人とはゆうぞうさんのことである。
彼は私の音楽の師匠である。

一度など、メガネをかけてやっていたら、メガネが汗で水没状態になってしまい、
前後不覚に陥ってしまった。それ以来、ゆうぞうさんとやる時はコンタクトレンズを
つけるようにしている。

新曲をおろしている時はそれほどでもないのだが、ひとたび慣れた曲でセッションなど
するとやはり床に水たまりができるほど汗がでる。
昨日もスタジオのオーナーであるダイスケが私をおぞましい顔、「この野郎、床を
よごすなよ」とでもいいたいような憎しみに満ちた表情でみていた(笑)。

慣れた曲にかぎってなぜ? ということになるが、
思うにひとつには、慣れた曲は譜面など見ないし、人の顔色みたりしないし、
逆によりどころがない、ということなのだと思う。
なにしろ頼れるのは自分の感性だけなのだ。

もうひとつの理由として、ゆうぞうさんはそういうドラマーであるということ、
彼が叩くドラムは対峙するものの感性のあり方を強く求めてくるということだ。
お互いリズムとかメロディーとかそんなことすら考えないでひたすら、
ある種の映像のようなものをみている気がする。
格闘技みたいなもんなんだよね…。

まあ偉そうにいっているが、ゆうぞうさんとはかれこれ10年以上の付き合いに
なるわけで、そのうちの98%くらいは「怒られ続けて」きたわけだ(笑)。
自分の今までの未熟さを考えるに恐縮するばかりではあるのだが、
最近ようやくスタートラインに立てたということだのだろう。

冷や汗が普通の汗にかわった程度の話だと言えなくもない。


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仏像彫刻

2012-01-23 14:41:07 | 日記
月に一度、近所のお寺に仏像彫刻を教わりにいっている。

先生は皆川閑慶先生。
非常に温和な人だが、その太刀は鋭く、私のようなものが
彫った代物など、一網打尽である。

一方で私はというと、教室の中でも最も進歩が遅く、
通いはじめてて2年以上になるが、

仏足→地紋彫り→開き手→握り手→仏面→そして仏像

というステップアップの中、ようやく仏面にチャレンジした次第
である。ようやく仏面とはいっても、あまりに進歩が遅いため、
それではやっていても楽しくなかろうということで、未だ握り手に
悪戦苦闘している私をみかねて、無理やりに仏面を掘らされている
というありさまである。

やってみると、結構楽しいのだが、やはりかなり奥がふかく、
生半可な気持ちだとすぐにいやになるわけで、2年前は30人以上いた
生徒さんも今では10人以下になってしまった。

私のごとくこの世に未練タラタラの人間というのは反面、執着が強い
ゆえにあきらめが悪い。
毎回先生に注意をうけながらも、毎月足繁く教室に通っている。
我ながら、こんなに進歩が遅いわりによく続いているものだと思うが、
この教室が開校になったのがちょうどOMTを立ち上げた時期であり、
こういうご時世において、教室に通える身分であることをありがたく
感じているわけで、そんな理由から続けているだけのことだろうと
思う。

とはいえ、毎回刀をもって、題材にあたるには、怪我の危険もあり、
緊張感もともなうのだが、少なくとも無心になる。
日常の煩わしい生活のすべてを忘れさせる力をもった作業である。

というわけで、いざ仏面…。

これが半端じゃなく難しい。
ちょっと間違えると鼻や唇を落としてしまうことになるので、
一太刀、一太刀を慎重にやらなければならない。
素材の道理や成り立ちがある程度理解できていないと、
いくらお手本をみながらやっても、とんでもない代物ができあがる。

これが、一回目、



これは無明における、やみくも的、刀ふりまわし的作品といえよう(笑)。
右側が自分が自宅で彫ったもの、左側が教室内で私の作品に先生が手を加え
修正したもの。

自分が彫った側は、まるでナスカ文明の人が模した宇宙人の絵のようである。
しかるに、先生が手を加えた時間は数十秒、一瞬のうちに生命感のある
彫刻作品となる。
残念なことは、いくら先生が手を加えても、私が落してしまった鼻の修復は
木工ボンドなどを使わなきゃ無理なわけで、鼻が短いお地蔵さんになってしまって
いることだ。
それ以外ではやはり先生はすごい。唇などは数秒で彫ったとは思えないくらい
生命感にあふれている。もちろんこれは荒彫りである。荒彫りである理由はそのほうが
生徒が道理を理解しやすいからである。

実際の彫刻の現場では、「仕上げ」のみが分業できる作業なのだそうだ。
初心者はまず荒彫りができなければならない。そうでないと道理を理解しないまま、
自分の目をごまかしてしまうことになりがちである。

ちなみに、これが先生がつくってくれたお手本、



サイズは小さいながらも、まるで生きているようで、壁越しにのぞかれているようで、
私の悪事など、すべて見られているようで、ちょっとこわい。
そのくらいリアルである。

この域にたどり着くには後何年かかることだろう…。

まあ、めげていても仕方がないわけで、さっさと次いこ!



ってなわけで、また彫り進めている。この段階ではまだ、完成には程遠いのだが、
まあ、前回よりはましなものを作りたいな。



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母の手のうち和食のコツ

2012-01-18 16:42:48 | 日記
私は料理を作るのが趣味だ。

以前このブログでもレシピを紹介したりもしたことがあったのだが、
最近は忙しさにかまけて、楽ちんポン的なものしか作っていない。

それでも、思い立ったように食材を買ってきてはあれこれやる時もある。

いずれにしても和食がいちばん好きだ。
和食の出汁はシンプルにして深みがある。
どんな料理のベースにもなり得る。

そしてよく参考にするのが、

『母の手のうち和食のコツ』(講談社BOOK)

である。
これは仕事関連の方からいただいた本で、かれこれ10年くらい
使っている。
もうボロボロでしみだらけになってしまったので写真を掲載出来ないのが
残念だが、とても親切でわかりやすい本だ。
ポン酢の作り方とかも載っていて、鍋好きの私にはたまらない。

お鍋っていいよね、みんなでお箸をつついたりして楽しいし、
野菜がたっぷりと食べられるのがいい。

最近、野菜の値段が高い中、なぜか白菜は比較的安い方だ。
必然、白菜を使った鍋が多くなる。

うーあったまるぜ!

ところで、うちの猫どもはなぜか私が料理をつくっているところに
まとわりついてくる。
包丁をにぎっている時にスリスリされると、ネギといっしょに
猫のひげを切ってしまわないかとヒヤヒヤする。

先日もクロが寄ってきた。
うちの猫で唯一クロだけが、削り節を食べる。
(他の猫は見向きもしない。本当に猫って一匹一匹好みがちがうんだよね)。

クロにかんしてはいつも邪悪な顔ばかり撮れてしまうのだが、
今回は比較的まともな写真が撮れた。



10キロを超える巨漢ネコだが、この写真は案外かわいい。



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Undercurrent/Bill Evans & Jim Hall

2012-01-15 12:18:32 | 日記
聴かずに死ねるか その5


普段、家にいる時は家事をやっていても、仕事をしていても
CDを流しっぱなしにしている。

時折、お客様から電話があるとバックグランドにジャズが流れていて

「喫茶店にいるのですか?」

ときかれることもある。

自分が普段やっている音楽は「体を大きく揺らす」ようなサウンドなのだが
こういった場合には適さない。
そもそも仕事している時に大音量のロックを流していると気が散るし、
ロックをかけて最高潮に心も体も盛り上がっている時にお客さんから連絡が
こようものなら大変である。お客さんだってびっくりするだろう。

ともあれ、今日紹介するCDはこれ、


『Undercurrent/Bill Evans & Jim Hall』

これは、ちょっとした時に流しておくには最適のCDだ。
仕事に、コーヒーに、音楽に、また様々な雑事に注意を移ろわせながらも
まったくその空間に漂わせていてもなんの差し障りのない音楽だ。

ビル・エバンスって本当に好きなピアニストだ。
時にはどんよりとしたハーモニーを、時に切ないくらいに繊細なトーン。
それは凍てついた花弁のようにはかない。
それにジム・ホールのあまく切ないトーンがからむ。
人の心の移りかわりが繊細に織り込まれたタピスリーのように、
音楽が時とともに流れてゆく。

このようなニュアンスを表現しているCDはそれほど多くないと思う。

リズムが大きな要素を占めるブラック・ミュージックとは異なる世界だ。

逆にいうとリズム重視の音楽はバックグランドには適さないということ
なんだろうな…。

ジム・ホールがこのアルバムの思い出として、

「あれは楽しかったなあ、ビルがピアノで右手を弾いて、私がコードを
弾いて、また私がメロディーを弾いて、ビルが左手を弾いて…」

というようなことをいっていた。

そういう「分業」って最近はあまり重宝がられないようだけど、
少なくともこのCDはそういう「やり方」がすごく功を奏していると思う。

後にジョン・アバークロンビーとアンディー・ラヴァーンが数多くのデュオを
こなしているが、それらの多くのモチーフがこのCDからもたらされていることは
明らかである。

それは彼らの中にも、そして普段私のようにパソコンに向かって仕事をしている
人間の中にも「アンダーカレント」のように流れてゆく…。


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