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坊主頭

2009-10-31 15:06:39 | 日記
本日、本ブログのプロフィールを変更した。
妻のアドバイスで顔写真をのせたほうがいい、といわれ載せた。

しっかし、まともな写真が1枚もないぞ!

昔の写真を探してみたが、ギターを弾いている時の写真は
あるのだが、如何せんうつむきがちである。
(そりゃ、そーさ! ギター弾いているんだもん。)
まともに写っている写真は全部、証明用の写真で
これじゃ、まるで免許証だよ!

しかたなく、現在アップしている写真となったわけだ。

だけど、それなら取り直せばいい、という意見もあるかと思う。
しかしだ! 今私はなんと「坊主頭」なのだ。

床屋代を節約しようとして、バリカンを買ったのだが、
それで、耳元とかを調整したり、頭の側面を少し刈ってもらう
つもりだったのだが、妻が失敗してしまい、あえなく
坊主となってしまったのだ。

顔写真で坊主頭はちょっとねー。
(実はこれでガンガン営業してますけどね…。)

まあ、これはこれで楽ではある。
それに、最近ちょっと鏡に映る自分の顔にもなれてきたしね。
まあ、いいか。

稲村ガ崎の夕日

2009-10-30 17:20:55 | 日記

先日、鎌倉の市役所にいった帰りに稲村ガ崎にいった。

付近の温泉に人だかりができているので、覗いてみると、
タレントのモンキッキーさんが来ていて、その撮影だった。

テレビカメラをさけようと道を急ぐと、一団もいっしょについてくる。
どうやら公園に行こうとしているらしい。
その公園は夕日の沈む海が見える場所で、いつもカメラを手に
した人やカップルたちがいるところだ。

公園に行くのはあきらめて、直接浜辺に降りることにした。
その時の夕日が本当にきれいで、思わず携帯電話のカメラで写真を
とった。それから、波打ち際まで歩いた。

普段は仕事のことばかり考えているが、時折没頭しすぎて、
現実が見えなくなってしまう。

自然はいつでも変わらず圧倒的な真実を示してくれる気がする。

まあ、こういうのも、たまにはいいやね。


方言

2009-10-26 17:07:52 | 日記
先日、営業活動で東京ビッグサイトにいった。
「2009日本国際包装機械展」が開催されており、出展メーカー
のブースを一件ずつ訪問営業するためだ。

アジアでは最大ということで、会場は驚くほど広く、
その中に様々な会社がひしめき合っているという感じで、
とても顧客が絞りきれないので、事前に出展する会社を
チェックしておいた。

無事会場入りし、どのあたりにターゲットがいるか、
会場案内図を広げながらチェックしていると、

「あの人まだこんげけーね」

「なんや、今体調悪て、ホテルでねとらんねーが?」

「あらー、ほんねげけーね、今どうしとらいね」

と、聞こえてきた。
活字にしてみると、ほとんど意味不明だが、
私にとっては懐かしい響き、我が故郷の方言である。
そういえば、私の出身県の会社も出展していたっけ?

それにしても、どこの方言でもそうなのだろうけど、
活字にすると地元の人間でも解読に時間がかかる。
上記を標準的な言葉で表現してみると、

「あの人、まだ来ていないのかしら」
「今、体調が悪くてホテルで寝込んでいるらしいわ」
「あらそうなの、今どうしているのかしら」

というような意味である。
もちろん、通常会話で使われている言葉も、
書き言葉や作文、公衆の場では使われることはない。
会話にかぎられている。
だから、会話をそのまま文章にするという作業は
故郷の人にとっても難儀なことだろう。

「あんたら、○○県からきたんけーね?」

「なんでわかったん?」

「私もそこの出身やさけ、話し声きいたらわかったわいね」

そういうと、決まって故郷の人ははずかしそうに、

「うちら、いなかもんやさけ」

という。そうだ。私も東京にでて、20年以上経つけど、
都会の人との会話にはかなり苦労した。
「田舎もの」というコンプレックスは拭いがたく、
まともに標準語で会話できるようになるには、それこそ
1年くらいかかった記憶がある。

彼らが上京した際、必要以上に声が大きく聞こえるのも、
ひとつは私自身のコンプレックスの表れであり、
もうひとつは彼らのコンプレックス(一種の開き直り)
だと思う。(つまり、本当に大声で会話している。)

都会の人は故郷の人が思っているほど、田舎の言葉に
違和感を感じていない、と思う。
だから、「故郷の人よ、胸をはって自分の言葉を話してほしい」と思う。
(ただし、田舎にいる時のように普通に、そして節度をもって。。。)

そして、私が本当に誇りに思うことがある。
「言葉の表現に苦労した分、自分は本当に美しい言葉を知っている」
という誇り(自己満足的)である。

湘南の町を歩いていると若者の言葉が全くエレガントさを欠いている
ことを嘆かわしく思う。

あいつら、ちょーむかつく(笑)

ほんやくこんにゃく

2009-10-19 15:09:14 | 日記

今日、仕事をしながらラジオをきいていたら、

翻訳はもっと上位にくると思っていたんだけど...。」

という声が聞こえてきた。
私の仕事は翻訳業なのだが、翻訳という仕事は決して認知度の高い仕事とはいえないし、だいたいインターネットをみても検索の上位にくるのは、いわゆるインターネット上で機械が自動で翻訳するサイトばかりで、なかなか翻訳会社のウェブサイトが上位にくることはない。

おかしなことをいう人(それでも、ちょっとうれしくて、、、)もいるものだ、と思いよくよく聴いてみると、

「第一位はだいこんに決定です。」ときた。 ハア????

なんのことはない。ラジオアンケートで、「好きなおでんだね」について特集してたのだった。

私は「ほんやく」と「こんにゃく」を聴き間違えたらしい。
そりゃ、そうだ。どんなに優れた文学作品だって翻訳の品質の評価で本が買われることは稀だしね...。

でもだからこそ翻訳という仕事はおもしろいと思う。
私のように企業間の技術文書を翻訳する職業の人間にとってみても読者というのは必ずいるわけだし、そういう仕事を発注してくれているお客さんが喜んでくれれば、本当にやっててよかったな、と思う。
我々の仕事は名文を作り上げて、それによって名を成すものではなく、ライターの真意をつきとめて、それをいかに異なる言語へ伝達してゆくか、というフィルターの役割をしているのだと思っている。
実態のない、いわゆる脇役ではあるが、読者にライターの真意がうまく伝わったことを想像してニンマリするのも悪くはない。
いい作品ではなく、いい仕事をするということだ。

ところで、昔読んだ漫画に「ほんやくこんにゃく」という未来の機械(???)があった。
それを口にいれて日本語を話すとその国の人にはその言語で伝わる、という優れものである。
「それは翻訳ではなく通訳でしょ!」と、突っ込みをいれたくなるが、この際それはよかろう。
要はほんやく(honyaku)とこんにゃく(konyaku)をかけたものだ。

実際、僕のフランスの友人は、日本の飲み屋で、あるおばあちゃんと話しているとき、

「あんた、どこで働いてるの」

「ほんやく会社です。」

「へぇー、フランス人なのにこんにゃく作ってるのか、えらいねー」

と褒められたそうだ。

年とっちゃったかなー。