先日、営業活動で東京ビッグサイトにいった。
「2009日本国際包装機械展」が開催されており、出展メーカー
のブースを一件ずつ訪問営業するためだ。
アジアでは最大ということで、会場は驚くほど広く、
その中に様々な会社がひしめき合っているという感じで、
とても顧客が絞りきれないので、事前に出展する会社を
チェックしておいた。
無事会場入りし、どのあたりにターゲットがいるか、
会場案内図を広げながらチェックしていると、
「あの人まだこんげけーね」
「なんや、今体調悪て、ホテルでねとらんねーが?」
「あらー、ほんねげけーね、今どうしとらいね」
と、聞こえてきた。
活字にしてみると、ほとんど意味不明だが、
私にとっては懐かしい響き、我が故郷の方言である。
そういえば、私の出身県の会社も出展していたっけ?
それにしても、どこの方言でもそうなのだろうけど、
活字にすると地元の人間でも解読に時間がかかる。
上記を標準的な言葉で表現してみると、
「あの人、まだ来ていないのかしら」
「今、体調が悪くてホテルで寝込んでいるらしいわ」
「あらそうなの、今どうしているのかしら」
というような意味である。
もちろん、通常会話で使われている言葉も、
書き言葉や作文、公衆の場では使われることはない。
会話にかぎられている。
だから、会話をそのまま文章にするという作業は
故郷の人にとっても難儀なことだろう。
「あんたら、○○県からきたんけーね?」
「なんでわかったん?」
「私もそこの出身やさけ、話し声きいたらわかったわいね」
そういうと、決まって故郷の人ははずかしそうに、
「うちら、いなかもんやさけ」
という。そうだ。私も東京にでて、20年以上経つけど、
都会の人との会話にはかなり苦労した。
「田舎もの」というコンプレックスは拭いがたく、
まともに標準語で会話できるようになるには、それこそ
1年くらいかかった記憶がある。
彼らが上京した際、必要以上に声が大きく聞こえるのも、
ひとつは私自身のコンプレックスの表れであり、
もうひとつは彼らのコンプレックス(一種の開き直り)
だと思う。(つまり、本当に大声で会話している。)
都会の人は故郷の人が思っているほど、田舎の言葉に
違和感を感じていない、と思う。
だから、「故郷の人よ、胸をはって自分の言葉を話してほしい」と思う。
(ただし、田舎にいる時のように普通に、そして節度をもって。。。)
そして、私が本当に誇りに思うことがある。
「言葉の表現に苦労した分、自分は本当に美しい言葉を知っている」
という誇り(自己満足的)である。
湘南の町を歩いていると若者の言葉が全くエレガントさを欠いている
ことを嘆かわしく思う。
あいつら、ちょーむかつく(笑)