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ジム・ホール その1

2009-11-29 18:26:00 | 日記
以前、よくCDを流しっぱなしにして仕事をしていると書いたが、
最近、ジャズ・ギタリストのジム・ホール(Jim Hall)にはまっている。

1930年生まれだから、すごいいい年ですね。
彼がジャズ・ギターに与えた功績は計り知れない。

自分の師匠であることを公言してはばからない、パット・メセニー(Pat Metheny)
をはじめとして、ジョン・スコフィールド(John Scofield)、
ジョン・アバークロンビー(John Abercrombie)、若手のホープである、
カート・ローゼンウィンケル(Kurt Rosenwinkel)など。
ジム・ホールに影響をうけた彼らが、また後進の人達に影響を与えているのだから、
それこそ、きりがないくらいだ。

一言でいって、彼は超モダニストである。
自らも若い人達と盛んにプレイし、また今でも全く通用するおしゃれで
洗練されたサウンド。決して現代性を失わない。
チャーリー・クリスチャンに憧れて、ギターを始めた人だ。
つまり彼はジャズ・ギターの歴史そのものを貫通する。
とてつもなく大きな存在だ。

今日「流しっぱ」に選んだCDはこれ、



「Jim Hall Live at the Village Vanguard」である。

オープニングの曲(Pan-O-Rama)がとにかくいい。
のっけからグイグイとひきこまれてゆく。

文章で表現することは難しいが、
映像としては、
まず目の前に広大なパノラマが広がり、
ソリストがそれぞれの望遠鏡をもち、ひとつのシーンをクローズアップ
してゆく。そしてそこからそれぞれのストーリを展開してゆく。

サウンドとしては、
頭をドーンと鳴らしておいて、その後の静寂、ソリストの独奏(厳密には
全員参加しているのだけど…)から、少しずつ、じらしながら、じらしながら、
クライマックスへと到達してゆく。

そこにいたった時の映像とサウンドの一体感(実際はただ楽器を演奏している
だけですけど…)がすごい。それほど人をワクワクさせる曲だ。


そして、特にすごいのは、若手のピアニスト、ジェフ・キーザー
(Geoff Keezer)の演奏。
彼はもうセンスのかたまりだ。
(ネットで調べてみると結構日本でも有名なのね。)

いや~、すごい人がいたもんだ!!

なんとなくすごい時のキース・ジャレットを思い出した。
連想がいろいろひろがって行く。ちなみにキースを聴いていると
よくグールドを思い出す。

それぞれが自分の道を歩みながら、なぜか、その道はひとつにつながってゆく
ということ、これが音楽を聴く時にもっとも楽しい瞬間である。

そして、若手にこういう演奏をさせてしまうジム・ホールという音楽家の
懐の広さはすばらしいの一言に尽きると思う。

彼のように、インタープレイを自分の信条とする音楽家が好きだ。
そういえば、ビル・エバンスもそういうスタイルだったと思う。
そして、マイルス・デイビスも…。

連想はつきない。
本当に楽しい瞬間だ。

したがって、仕事は未だ中座している(笑)。

営業道その2

2009-11-27 17:52:32 | 日記
Yahooに登録するようになってから、しょっちゅう営業の電話が
かかってくる。

「まだ小さい会社なんで、お金がありませ~ん」

というと、快く(??)電話を切ってくれる。

そういうのなら、まだいいけど、
以前の会社にいたときは、どこで情報がもれているのか、
半ば強引な営業電話がかかってきた。
(まあ、営業マンだったので自分でも名刺配りまくっていたからね。)

仕事に関連することならまだしも、不動産投資とか、年金対策とか。
人の懐をほじくりまわしているようで気にいらん!

「今、仕事中ですから…」と断ろうとすると、
「だがら、あなた個人にご連絡しているのです。お仕事の都合のよい時間に
ちかくの喫茶店で話をしませんか」という。
「だったら、私個人あてにご連絡ください。」というと、向こうも負けてはいない。
「じゃあ、携帯番号を教えてください。」とムカつくことをいってくる。
「いやです、なぜあなたに教えなきゃいけないの?」というと。
「一体、あなたは芸能人なのですか?」ときた。
これには正直、ぶち切れた。

どっかで会社の電話番号と私の名前の情報を仕入れて、
顔すら見たことのない、どこの馬の骨ともわからん奴が電話をしてきて、
電話番号を教えろ、とかいって本当に教える奴がおるんかい?!

その時は本気で頭にきて、
「おたくのやっていることは、脅しだ。もう2度と電話してくるな」
といって電話を切ったが、本気で頭にきていたので、今度かかってきたら
出向いて、どたまをかちわったろかい!、と本気で思っていた。


営業セミナーとか、巷に溢れている本でもよく、
「ニーズの掘り起こし」ということがいわれる。

それは、間違いではないとは思うが、そういうことが半ば強引な売り込みの
手段として使われるのはどうか、と思う。根本的に間違っているでしょ。

大体、掘っても掘っても、ないところからは出てはきませんから?!

本人たちは仕事だからと悪びれもせず、やっているのだからさらに性質が悪い。

ニーズを掘り起こすとは、人の心を掘っていることと同じなんだ、と思う。
だがら、もしかしたら、知らず知らずのうちに、その人の心を傷つけている
こともあるのだ。
社会貢献とか大それたことはいいたくないが、少なくとも、営業活動には
良心というものが大前提になければいけないと思う。

水脈はどこにあるのだろう、とあたり構わず掘りまくる、
このような「渇望の循環」から逃れない限り、光は見えない。

我々が成すべきことは、人の願いや気持ちという、いわば湧き出した少量の水を
大切にし、大河へと導いてやることだろうと思う。
湧き水は必ずある、と信じたい。
我々は営業をやり続けなければいけないからだ。

我ながら、えらそうなことをいっていると思う。
でも、営業の基本は人と人とのコミュニケーションである、という前提を
自分でも忘れてしまいがちな昨今ゆえ、あえて投稿することにした。


君は自分の後頭部を見たことがあるか?

2009-11-26 18:31:17 | 日記
以前、セキュリティの強いビルに仕事でいった。
エレベータで5回に上がろうボタンを押し、
エレベータが降りてくるのを待っていると、
上部モニターにエレベータの内部を表示している。

「ゲッ、なんでも見られてるんだなー」

と思って、それでも中の人が、はなくそでも
ほじっていたら、笑うなー、とアホなことを
考えながら、見ていると、今度は見覚えのある後姿。
…、私自身が映っている。

自分の後姿を見る機会など、ほとんどない。

見ていると、なんと後頭部が禿げている!!

これには大ショックだった。
慌てて、後頭部を恐るおそる触ってみる。

「あれ、ちゃんと毛がはえているけどなー…、
もしかして薄くなってきたかなー?」

よくよく目を凝らしてみるとライトが私の後頭部に
反射し、白くなって見えただけだった。

「ふーっ、よかった。」

こんなこと言っていられるのは一体いつまでか?


そういえば、子供のころ、ふと自分の後頭部が見たくなって
母親の三面鏡で試してみたことがあった。
しかし、どうやっても見えない。
体をよじってみたり、横目で見てみたりしたが、
体と顔をひねくり返した、醜い自分の横顔が見えるだけである。

これは、とひらめいて、置いてあった手鏡で、鏡に映してみた。

そしたら、凄かった。

鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡
鏡の中に映った鏡の中に映った鏡の映った鏡の鏡の鏡の鏡の鏡鏡鏡
鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡

の世界。

まるで
草野新平の「る」あるいは、
山村暮鳥の「いちめんのなのはな」
の世界。

いずれにしてもあれは衝撃的だった。

こうして、記事を書いている今、なぜか自分の母のことを思い出した。
母は看護婦として30年以上、病院の中を駆け回っていた。
裁縫が好きで、編み物をしている姿を思い出す。
そういえばあんまり、母が化粧しているとこ見たことないな…。

まあ、いいか。
の世界。

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初仕事

2009-11-25 23:18:43 | 日記
今日は私の妻の誕生日だった。
今日だけは、スケジュールは空白にしておいた。

ただし、なんとなく今日仕事が入ってくる予感がしていたので、
妻と出かける準備をしながらもチラチラとメールを眺めていた。

それでも何事もないようだったので、さあ、出かけようということになり、
最後にメールを確認してからパソコンを閉じようとメールを確認した。

そしたら、なんと! 仕事が入っていた。

「うわ!、どうしよう」

と思いながらも、トライアルをしてやっとの思いで、手に入れた仕事だ。
やっぱりうれしい(正直、体が震えた)。

妻に相談すると、
「それが、私にとっての一番のプレゼントだよ。」
といってくれた。

「よっしゃ! もうやるっきゃない。」

早速、見積書を提出し、翻訳者に連絡した。
本当は大切な仕事があったにもかかわらず、それを延期して
引き受けてくれた。

納期は明日でもいい、といわれていた。
でも今日納品したい。是が非でも今日納品したい。

少し用事があったので、外出して戻ってくると、翻訳者から電話が…。
難しいから、納期を延ばしてくれという連絡かと思ったら、
なんと、もう翻訳があがったという。

「いぇーい!!」
と内容を確認したら、すばらしいの一言であった。
さすがはプロフェッショナル、大したもんだ!!

それでもはじめての仕事だ。いざ納品となると体がブルブル震える。
長いことこの業界に携わってきたのに、なんだ、このざまは!?

そんなこんなで4時間以上、納品原稿をチェックしていた。

それでももうきりがない。覚悟を決めて、納品した。

早速、依頼者からお礼のメールが!!

(…)

なんと素晴らしいことだろう。
仕事をするということは、こんなにもうれしいものだろうか?



大切な一日だったにも関わらず、背中を押してくれた妻へ、
本当にありがとう。あなたの支えがなければ1日たりとも生きてゆくことすら
難しいと思っています。

快く、引き受けてくれ、しかも短時間で素晴らしい仕事をしてくれたMさん、
いつも私が大切にしているもの、それを理解してくださり、
一緒に歩むパートナーとしてあなたは一生欠かせない存在です。

そして、なによりも実績もなにもない私に仕事を依頼してくれたKさんに、
あなたは、人の気持ち、情熱、そういった本当に大切なものを、
しっかり仕事に取り入れくださいます。どんなことがあってもこの感謝は
一生変わることはないと思います。

みなさん、本当にありがとうございます。

どんなに言葉を尽くしても伝えられない気持ちがあります。

我が息子、ココの写真をせめてものお礼のあかしとして。



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型と感性 その2

2009-11-24 17:36:05 | 日記
型と感性その2

以前のブログで「型と感性」について書いた。
今日は「その2」である。

私は近所のお寺で月に一回開かれている、仏教彫刻教室で
彫刻を習っている。
皆川先生という超大物仏師に教わっているのだから、ありがたい
話だ。

教室では仏足からはじまって、地紋彫り、そして、手、顔、
全体像と進んでゆく予定だ。

予定だ、と書いたのは、私自身はまだ足を彫っているからである。
もう、何対の足を彫ったことか、未だに「合格」出来ない。

お手本(先生が彫ったもの)を見ながら、その通りに彫るだけなのだが、
それがうまくいかない。
今度はどうか、と先生に差し出すと、

「これこれこういうところがあまい」

といわれ、容赦なく刀を入れられる。
それこそ、長い時間をかけて、全神経をそそいで(すごく細かい作業なので)
彫った足の指とかをバッサリ落とされ、ものの数秒で同じ素材から、
ひと回り小さな足が、しかも生命感のある足が生まれる。
先生を見ていると、そりゃ、見事なものだ。
大体、彫るスピードが半端でないし、同じ素材(檜)から、なんでこうも
ちがうものが出てくるのか、といつも頭を悩ませている。

松久朋琳大先生はその著書の中で、

「仏像を彫るということは、人それぞれが内奥に持っている「仏性」
を彫り出すということです。」

といわれている。

「かんのんさまがそこにおわしますのや。」

同じ素材と同じ道具を使っていても、そして同じお手本を参考にしていても、
かたや「ぼろぼろなきたない下品な足」
かたや「品性のある、光り輝く仏様の足」。
先生には見えているものが私には見えていないのだ。
それは「言葉で表現できなくとも、確かに存在するもの」だ。
時間はかかるかも知れない(顔までいくのに一体どのくらい時間がかかるのか
わからない)けれども、いつか自分もこの木の中から「仏性」を
探りあてたいと思う。

なぜ、こんな話をするのかというと、前回ブログで

「日本人の著者の書いたものは、抽象的なものが多いが、欧米人の
書いたものは理論的でエクササイズを重視したもの、いわゆる型を
重視したものが多い。
(…)
かたや感性は磨かれているが、まったく文章がかけない人、
あるいは一言も発せられな人。
かたや文章は書くし、多くを語るが、まるでセンスが感じられない人。

どっちがいいのだろう?」

と書いたことに結論を出したいからだ。

型を重視し、それに徹底することの中で、いつかは必ず、感性が浮かびあがってくる、
と私は思っているのだ。
もちろん、そのためには、何百回も何千回も同じことを繰り返す必要があるのだろう。

結局、いいものを作ろうと思うことより、数打ちゃあたる、じゃないけど、
「書きまくり」、「彫りまくり」、「弾きまくり」った人が勝つのだと思う。
感性は創り出すものではなく、磨くものだからだ。

その辺が彫刻とよく似ているんじゃないかな。


(場面は彫刻教室に戻る)

さっきから、となりで「カタリ、カタリ…」と音がする。
なにかと思ってふと見ると、となりでお寺の住職
(いっしょに教室で彫刻を教わっているのだ。)
が居眠りをしている。
木を落っことして、それが床にあたる音だった。
(おいおい、刀もったまま眠ったら、あぶないぞ!)

「どうも、地紋彫りは退屈でしょうがない…。」
と不謹慎なことをいっている。
(皆川先生がそれをきいて、苦笑いしてるじゃないの…。)

まあ、住職は私よりは、ずっと先に進んでいるんですけどね。
(といっても地紋彫りですけど。)
豪傑だよ、本当に…。
彼には「型」はないが、「感性」いわゆる「仏性」があるんだね、これが…。

そういう人も中にはいる、残念だけど…(笑)。


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