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John McLaughlin - after the rain

2011-06-30 18:40:13 | 日記
今日紹介するアルバムはこれ。


『John McLaughlin - after the rain』

ジョン・コルトレーンの曲ばかりを集めたもので、ドラムはもちろん
エルビン・ジョーンズ(Elvin Jones)。

ピアノのペダル踏みっぱなし的レガート(すいません、あくまで自分の印象です。)
はアクセル全開。そこに高速スピードでマクラフリンのギターが乗っかっている。

何よりもこのアルバムで光っているのは彼の「テーマ提示のうまさ」だと思う。
タイミングが絶妙である。絶妙であるがゆえ少ない音でしっかりとスピードが
表現できる。
ギターがシングルノートのみでテーマを弾くとどうしてもサウンドがペラペラに
なってしまうため、チョーキングやスライドを多用するとか、コードを弾いたりして
サウンドに深みを与えようとすることが多いのだが、彼はもっぱらシングルノート
でやっている。グラント・グリーンのようにシングルノートが自身の個性になっている
のならまだしも、これはすごいことだ。

この辺の感覚はマイルス・デイビスとも共通すると思う。
ギターはロングトーンのベロシティーをブレス的にコントロールできないがゆえ、
より高度なタイミングが要求されているともいえる。

マクラフリンはハマリングやプリングといったギター特有の技をほとんど使わず、
すべてピッキングで弾ききってしまう。それであのスピード、そしてなめらかな
ラインには驚くばかりである。マイク・スターンもそうだが、右手のピック・
コントロールが半端でない。
ギターは軽いタッチほど難しい。速いフレーズを力をこめて弾くことは猿でもできるが、
力を抜いて弾くというのがすごく難しいのだ。

実は私はマクラフリンがそれほど好きじゃなかった。
彼のことをすごいなと思えるようになったのはつい最近のことだ。

日本のかぎられた住宅事情、ドラムの人もピアノの人もギタリスト以上に
音を出すことは大変なのだ。民家で深夜にドラムの練習などしようものなら
ご近所さんは、地震か雷が落ちたのか、びっくりしてとび上がることだろう。
自分の音を出すことに対するモチベーションが全然ちがうということだ。
だからこそ楽器へのタッチに対しては、ギタリストと比較をすると、
より繊細な感性をもっていることが多い。

一方でギターはアコースティック・ギターはともかく、アンプから音を出さないで
弾いていると音は小さいのでいつでもどこでも練習できるという手軽さがある。
その手軽さゆえ、重大な過ちを犯す。

自分が弾く音(トーン)とテクニックが乖離してしまうのだ。
つまりタッチを忘れてしまうということ。それでは自分の楽器をコントロール
できない。それはエフェクターでは絶対にごまかせないことだ。

強く弾きすぎて音がビリつきまくっているギタリストをたまに見かけるが、
あれはやばい。
ミュージシャンたるもの自分の出した音には責任をもたなきゃならない。
キース・リチャーズのような弾き方をするにせよ、彼は自分のサウンドを
100%コントロールしてるぞ。

そう、ギターでちゃんとアンプから音を出さない練習には意味がないということ。

そしてさらにギタリストが絶対に忘れてはならないのがインタープレイだ。
他の奏者とのコミュニケーションを図りながら自分のサウンドをコントロール
しなきゃならないわけで、そういう意味じゃ、アパートで蚊のなくような音で
一人、さびしげに練習したってな~んにも得るところなし!!

というわけで、深い反省を込めて、最近は一人練習をする時は必ずアンプで音をだして
ギターを弾くようにしている。そうしたら、右手、左手のタッチ、音の強弱、スピード、
そしてフィジカルな意味での感性といったものに対する気づきがいろいろあった。

はずかしながら、彼(ジョン・マクラフリン)のギターにどれほどのものがつまって
いるかがその時初めて理解できた次第だ。

まあ、「実践に勝るプラクティスはない」ということになるんだろうな…。
がんばろうぜ!


がんばろう、日本!!
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黒猫とピアノ

2011-06-27 17:52:56 | 日記
先日、「黒猫とピアノの写真がみたい」と読者の方からご要望をいただいた。

まあ、うちのクロは腕白でいつも、ワンワン(猫のくせにワンとなく)と
はしゃいでそこら中を走り回っているか、あとは寝ているかだし、
よっぽどのことがないかぎり、私を見ると逃げる(それでも飼い猫か!)ので、
これは不可能だろうな、と思っていた矢先、いつもは私の仕事部屋の窓際で
じっと外を見たり、外の鳥の声に反応して、

「ぅににににゃわん」

と変な声を出したりしているクロが、今日ふと気がつくと、なんとピアノの
上でくつろいでいるではないか!

チャンス! とばかりに大慌てでピアノの蓋を開けシャッターを切る。



う~ん、なんとも言えない。
ちっとも優雅じゃないな~。

だいたい13kgの巨体がピアノと同化して目だけがキョロキョロしているうえに、
その目つきが、どうにも反抗的な気がする。

くぅおのぅー!! もちっといい顔しろや!!

と近づくと、あっ、逃げた!!
逃げたはいいが、ピアノの鍵盤に乗っかり、ついでに蓋に足を引っ掛けたもんだから、

部屋中に鳴り響く不協和音とそれに続く「ドンガラガッシャーン」の音。

っざけんなよう、この野郎!!


ところで、ピアノは難しいな…、
弾けないくせにビル・エバンスの譜面買ってきて弾こうとしているのだが、
ちょーむずかしい(笑)。

でも新しい楽器を手にするのってすごく楽しい。

下手くそなので、近所の人に聴かれたらやだな、と思いながらも、
「レット・イット・ビー」を適当に弾いたりしている。(実はなんとなくは弾ける
のだ、これでも…。)

あげくのはてに、無我夢中で「猫ふんじゃった」を弾いて、
ハッと我に帰り、ひとりで恐縮している。

本当なら近所の人に「本当はもっと弾けるんだよ」みたいなところを
知らしめたいのだが、弾けないから仕方がない。
トホホな気持ちでピアノを閉じる。

結局、黒猫とピアノというすばらしく優雅であるはずのモチーフも、
私とクロに解釈させると、しょせんは「猫ふんじゃった」なのである。

誰かピアノを教えてくれー!!


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Pat Martino- Footprints

2011-06-26 12:30:48 | 日記
先日、本名カズトBandを観に行った時に、ゆうぞうさんと話をしていた時、
ゆうぞうさんが何気なくいった言葉、

「Footprint」

言うまでもなく、ウエイン・ショーターの有名な曲の名前なのだが、
二人の会話の流れからいって、明らかにこのCDを指している。


『Pat Martino- Footprints』
(ジャケット・デザインは新しくなった。上写真は古いデザイン)

ゆうぞうさんって、ドラマーである。
ドラマーの口から、まさかこんなマニアックな(ギタリストでもよほどの
パット・マルティーノ・ファンでなければ知らないという意味)CDの名前が
出てくるとは思ってもみなかったので、なんとなく気になっていた。

以前から何度もこのブログで紹介しているように大のパット・マルティーノ・
フリークである私は当然、自宅のCDラックをあさってしまうわけだ。

「あった!!」

もう何年も聴いてなかったな…。

早速、スイッチ・オン!!

ああ、いいなあ…(つくづく)。1曲目の「The Visit」からいいな。

いったい何なのだろう。この人のギターは私を幻惑させる。
東洋的な(シタールのような)弾き方をするせいか、繰り返しパターンのフレーズを
多用するせいか(ほんとにCDが壊れたのかと思うくらい、ここぞの場面でこの人は
決めフレーズを繰り返す)、それとも均質的な16分音符のめくるめくようなラインの
せいなのか、トリップしてしまうような感覚がある。
単にサウンドが好みという意味で言っているのではない。
物理的に脳内に作用して、ドーパミンを放出させる作用がある気がする。

それゆえ、私はパット・マルティーノ中毒である(であった)。

このアルバムはそういうトリップ性がとりわけすごいな。
たぶん、ベーシストのリチャード・デイビス(Richard Davis)のサウンドの影響も
あるのだろう。

特にアルバム・タイトルの「Footprints」はやばい。
マジで延髄のあたりがもぞもぞする(笑)。

しかし、ドラマーのくせに(こんな言い方は失礼だが)なんでゆうぞうさんこんな
すごいCDを聴いてるんだ!?

先日など、朝から「パット・マルティーノを聴いてる」とツイッターでつぶやいていた
から、マジですごいな。いっちゃってるな、あの人…。

しかも先日の話ではBilly Higginsという名前を私が出した時に、あの人「????」
な顔してたっけ…。

んもう! このアルバムでドラム叩いている御仁ですがな!!!(笑)。


ところで話は唐突だが、みなさんは「シンクロニシティ」を信じるだろうか?
私は信じる。理論的に説明できようができまいが「あるものはある」からである。
最近、マジかよ、ってくらい身の周りでシンクロ現象が起きる。

実は今、スタンダードの勉強をしていて、「Alone Together」を練習してるんだけど、
なんとなく自分のアプローチに行き詰っていたところだった。
有名なところではジム・ホールがロン・カーターとやっている演奏が有名だが、
その感じから抜け出せなくなっていたんだよね…。布川俊樹さんの演奏もすばらしいが
やはりジム・ホールの影響が強すぎて、ますます行き詰っていたところだった。

昨日、楽器屋さんに行って何気なく書籍を観てたら、
「誰がこのスタンダード曲を演奏しているか」みたいなことを書いてある本を
みつけたんで、立ち読みしていたら、なんとリストの中に
「Pat Martino - Footprints」とあるではないか!!

わーっ、知らんかった(笑)。
まあ、長いこと聴いてなかったからな…。

ってなわけで、先日のゆうぞうさんとの会話、自分が今練習している曲、そして
昨日楽器屋さんで見つけた本が一本の線で結ばれたわけだ。
そして今、このCDを聴いているってわけ。

うーん、すばらしい演奏だ。しかも全く想像もしなかった(ってかこっちのほうが
ジム・ホールの演奏よりもオーソドックスな感じがする)アプローチだ。

「ビバップ」奏者としてギタリストではよく、ジョー・パスやバーニー・ケッセルが
あげられるけど、少なくとも私のジャズのルーツはパット・マルティーノなんだよね。

以前はそのことに関して少し抵抗があった(もうちょっとしっかり「ビバップ」を
研究すべきというような)のだが、最近は「パット・マルティーノ大先生」で
いいかなって思うようになってきた(笑)。

バップの歴史を勉強してるわけじゃなくて、感覚を身につけようとしているわけだから。

パット・メセニーだって「いちばん尊敬するギタリストは誰か」って聴かれて
「ウェス・モンゴメリー」って答えていたもんね(全然スタイルがちがう!)。

ちなみに、新進気鋭のギタリスト、ジェシ・ヴァン・ルーラーも
「パット・マルティーノ大先生」だったらしい。
彼の演奏を考えると想像できなくもないが、やはり現在のスタイルは彼独自のものだ。
これはすごいことだ。やっぱり天才っているんだな…。

紆余曲折はあったけど、まあよかったのかな…。
結局、「学び」とは自分の原点(出発点)に行きつくための旅なのかも知れない。

こういう気づきもシンクロニシティだとするなら、やっぱ神様っているんだなって
気がする。


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Robben Ford - Supernatural

2011-06-25 14:11:48 | 日記
今日紹介するのは、ロベン・フォード(Robben Ford)のCD。


『Robben Ford - Supernatural』

ロベン・フォードといえば、ファースト・アルバムや
スティーブ・ジョーダンとやった『タイガー・ウォーク』が有名だろう。
有名な歌についてコメントすると、ボロがでてしまうので、あえて上記のCDをセレクト
する(笑)。

でもね、とてもいいんだよ、これが!!

1曲目の「Let Me In」はタイトなソウル・バラード。
ところがどっこい、待ってましたのギター・ソロ。すでにアクセル全開!!
ハイウェイを突き抜けてゆくような爽快さ…。

このアプローチはロベン・フォード独自のもの、ベタなロックやブルース・
ギタリスト(つまり俺…)には絶対にないもの。


3曲目の「Nothing To Nobody」はゆったりした16ビートの曲、
これでもか、とばかりの「なきのギター」、うぉ~ぃえ~い!!
どうだ、このブルース魂!!


7曲目の「Deaf, Dumb, and Blind (for O.T.)。
ああ、アメリカン・ロックばんじゃ~い!! って感じ(笑)。

以前ランディー金丸の車の中でこの曲流してたら彼が気に行ってしまい、
10回くらいリピートして聴きやがったもんだから、私としてはちょっと飽きて
しまっていたのだが、こうして聴きかえしてみると、やっぱりいいなぁ…。
確かに何度も聴き返したくなる歌だ。


12曲目、「Jimi's Dream」は日本版のボーナス・トラックだが、その名のとおり
ジミヘンばりに弾きまくっている。演奏の随所にジミヘンのフレーズがちりばめられ
ている。


アルバムのほとんどで彼のボーカルが聴ける。彼のうたは黒人のマネをしている
みたいなところが一切なく、本当にナチュラルで気持ちがいい。



ロベン・フォードはマイルス・バンドでもやっていたし、ジャズ、ロック、ブルース
を股にかけて縦横無尽に駆け巡る、まさにクロスオーバーの権化みたいな人だ。

TOTOのスティーブ・ルカサーは若かりしころ、ラリー・カールトンとロベン・フォード
のセッションをみて衝撃を受けたと自身のインタヴューで言っていた。

ショーを観た帰りの車の中で、

「練習しなきゃ、練習しなきゃ…」と永遠とつぶやいていたという。

彼は結局ジャズではなく彼が衝撃をうけた方の道を追いかけた。


ロベン・フォードの音楽は私にとって、私と私の仲間たちをつなぎとめる象徴みたいな
存在でもある。私の友達ってほとんどロックの人たちばかりなんだよね…。
はっはっは! 残念だが私はブルースマンでありながらブルース業界の人たちとの
交友関係がほとんどない(なんの自慢じゃい!!)。

ひとつのジャンルにこだわってそれを追求することはとても大切なことだと思う。
しかし、私にはできない…ってか、できなかった…。

お前はブルースやってきたじゃん、とか友人に言われそうだが、自分では
それは成り行きだからしかたがなかったと思っている(もちろん後悔はしてないけど)。
本当はもっといろいろやりたかったんだよぉ…

そういう不埒な私にとって、ロベン・フォードのスタイルって、
やりたいことをやりまくって、なにも犠牲にしていないところがすごく安心する。

ジャンルへのこだわりはどうしても自分の感性に犠牲を強いる側面があるでしょ。
表現者としての立場からいって、そういうの苦手なんだな、自分は…。

そんなわけで、このCDを私の友人たちに紹介したいと思う。

自分はスーパーナチュラルでいきまっせ!
そこんとこ四露死苦!!!(笑)


がんばれ、日本!!
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深い闇

2011-06-23 16:55:10 | 日記
「そろそろ、心のなんかがほころび始める時期なんじゃない?」
とゆうぞうさんは私に言った。

確かにここ数日は梅雨の間の晴れ間、巷では猛暑といわれているが私にとっては
夢の中で窓辺に差し込む光を見つめているような気分である。

先日、仕事のストレスの気晴らしにと本名カズトBandのライブを観に行った。

「フリーフローランチ」という池袋の地下にある小さなライブハウス。

お客との距離も近いせいかバンドのメンバーのミックさんも、しげさんも、
ゆうぞうさんも、本名さんもリラックスした感じでやってた。

我々にとってなじみ深い歌がうたわれる中で、
震災以降、曲が書けなくなっていた本名さんが久しぶりに書いた曲、「ハミング」。
ある日ふと耳にしたピアノから思いついたものだという。

我々などお構いなしに季節はめぐってくる。
窓辺に差し込む光の中に、道端に咲いている花の香りに、またふと耳にする会話、
ピアノの音に…。

いちばん前の席に座っていた私は本名さんと目を合わせるのが気恥ずかしく、
じっと目を閉じてきいていた。

静かな吐息のようなハミングは、次第に本名さんのうめき声に変わっていった。
静かで美しい歌、でもそこに本名さんの「素の声」「魂の叫び」を聴いた…。
こんな表現をすると後で本名さんに怒られそうだが、老人が断末魔のうめき声を
あげ、苦しみもだえているようだった。

ハッとして、目をあけた。

ギョッとした…。幻想だろうか、本名さんが一瞬、目の遠くなった、
白髪まじりの老人に見えた。

首を振って、もう一度目を凝らすと、そこにはいつもの本名さん…。
ああ、なんだったのだろう。

またもや異形を見た…。

ライブハウスを出る時、本名さんが地上の出口まで私を送ってくれた。

「大野、ありがとう…。」

本名さんは笑いながら、手を差し伸べてくれた。
その時初めて、本名さんの頭がかなりの白髪まじりだったことに気がついた。
私は震災が我々に及ぼした深い闇を思った。

「じゃ、また!」

外は大粒の雨。日中焼けついていたアスファルトに蒸気がたちこめ、
夜の匂いと入り混じっていた。

不思議なくらいの安息感…。

ままよ! 酔っぱらいや、あばずれどもをすり抜け駅に向かって走った。

ああ、いけね。夢中で走ってたら道間違えちゃった(笑)。


がんばれ、がんばれ!!
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