OMTインフォメーション

翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

コマンドプロンプト

2013-02-27 16:08:10 | 日記
今日、Microsoft Officeの2010版を購入することにした。

もうずっと2003、2007を使用していて、本当は2年くらい前から
切り替えたかったのだが、互換性にすぐれていてあまり問題に
ならないことが多かったので、そのままうっちゃかしていた。

なぜ躊躇していたかというと、それにも理由があって、
Wordでは文字組みの情報が異なるらしく、レイアウトが思いっきり
変わってしまう。2003で文字組みしても2007で開くとレイアウトが
崩れてしまうのだ。

私としてはお客様のバージョンにあわせる必要があった。

どうして切り替えようと思ったかというと、ひとつは機能性の問題。
たとえばPowerPointで2010では簡単に編集できるものが、
2003では画像扱いになってしまい、全くテキストを編集できない
ということ。
それから2003と2007ではインターフェースがまるっきり異なるので、
併用していると時折、何がなんだかわからなくなるという問題があった。

しかしすでに2013がリリースされている現状だし、
最近はお客様も新しいバージョンを購入される方がふえてきたしね。

一応ちがうパソコンにそれぞれのバージョンを残しておいて、
普段の作業は最新バージョンでやり、特殊なケースと使い分ければいい、
と思ったわけだ。

実は去年の夏以来、どうにもWord2007の調子が悪かった。
立ち上げようとすると、

「はこのマシンでは利用できないためオブジェクトを読み込めません。」

という実に不条理なメッセージがでる。
ネットで原因をいろいろ調べたのだが、2007のアップデート版だとその問題が
多いとかしか書かれていない。

「多けりゃなんじゃい、ワシはなおし方が知りたいんじゃい!!」

と怒鳴りたくなり、再度いろいろ調べてみた。。

ようやく、みつけた記事には、
「コマンドプロンプト」などという、文系の私が耳をふさぎたくなるような、
しかも何十年も前に、オフィスの先輩がちょこちょことさわっていたあの、
真っ暗な文字だけの画面…。

「こりゃ、たまらん」

と結局、今まで我慢して使っていた。

しかし、半年間やっていても勝手に解消される問題ではない。
まして、毎日いろんな方といろんなデータをやり取りし、
日々システムが更新されてゆく環境、最近、以前にもまして不具合が生じ、
Wordはいったん立ち上げて、それが強制終了して、再度修復して立ち上げ
なおさないと動かなくなってしまった。

「もう、我慢の限界!」

というわけで、この悪しき状況、新しいWordを更新する前になんとかしておかねば…。

と再び「コマンドプロンプト」に挑戦することにした。

ネットの説明では、

「コマンドプロンプトを右クリックで管理者権限で立ち上げて…」

とあるが、はたしてコマンドプロンプトがどこにあるかすらわからん。
仕方がないので「Windows7 コマンドプロンプト」で検索し、調べた。


「すべてのプログラム」→「アクセサリ」にそれは存在した。

次に、

「ネームボックスに以下のプログラムを実行して…」

とある。

「ネームボックスって何???」

わかがわからないが、いちかばちか、

regsvr32 C:\Windows\SysWOW64\MSCOMCTL.OCX

と入力して(最初コピペしてみたら、延々「vvvvv…」となる)
なんとなく「Enter」を押したら、

「成功しました」

となった。
なにが成功したのかもよくわからなかったが、とりあえずプロンプトを終了して、
Wordを立ち上げてみたら、なんとなおってしまった!!

これらの原因は2012年8月、Windowsセキュリティープログラムの更新を行った際に
起きたエラーのようで、確かに自分の記憶とも符合する。

こんなことなら、さっさとやっておけばよかったとは思うが、
それでも文系の私としてはちょっとしたアドベンチャーであったし、
楽しい経験でもあった。



翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Revolver

2013-02-21 14:30:37 | 日記
「おなす」さんという超有名ブロガーのブログを毎日読んでいる。
少なくとも5年以上(サラリーマンの時代からなので、たぶんもっと…。)
一時期中断していた気もするが、なにしろ長いこと、しかも毎日読んでいるので
記憶が定かでない。

おなすさんがブログで紹介されている本は、よく自分でも購入して読んでいる。
最近、掲載されている記事で紹介されている、


『Revolver/ガイ・リッチー監督』

この映画、TSUTAYAでレンタルして観たのだが、酔っ払ってみていたので
最初よくわからなかったのだが、数日後にどうしても気になってしかたが
なかったので、今度は日中、仕事の合間を利用して観てみたら、
それこそ、延髄をたたき切られたような衝撃を受けた。

こりゃすごい!!!

ガイ・リッチーといえば、マドンナの元旦那であるが、正直そんなことは
どうでもよい。

またおなすさんがブログで紹介されていた本、

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』(ロバート・シャインフェルド)

を、2009年秋に独立して震災などの影響でめちゃくちゃに苦しみ、もがいていた
私は、それこそむさぼるように読み、自分でもいろいろと実践していたつもりだった。

脱出はまだかいな…?(笑)

その後、これまたおなすさんのブログで、

『「ビジネスゲーム」から自由になる法』(ロバート・シャインフェルド)

が紹介されていたのでアマゾンに予約して、読んだのだが、前作の理解を
ことごとく深めることができたという予感があった。

自由はどこかいな…?(笑)

そして『Revolver』を観てガツンときた。
なにかが腑に落ちた気がした瞬間、目の前の現実がフラッシュバックし、
自分の心の中から声がきこえた。(映画にのめり込みすぎじゃい!!)


心の中で「何言ってるかさっぱりわからん」という声が聞こえてくるが、
「幻想」だと思って敢えて続ける。

実は私には「強く願う夢は叶わない」という不信とも確信ともとれぬ信念があった(笑)。

そしてその裏には「自分は人一倍考え、努力しているのに」という恨みにも
近い気持ちがあったと思う。

求めることは欠乏を意味する…。
求めても、求めても得られないこの世界って一体なんなのだろう…。

脱出も自由も未だ私には実感はないが、いつか実感するときは実感するだろう
(当たり前だ!)。でもこの扉の向こうに、おどろくほどファンタスティックな
世界がひらかれているという予感はしている。

「本の内容を紹介しろ」という声が聞こえてくるが、
私の話など幻想にすぎないと思って、どうかご自分で確認してください。

それではまた幻想の世界でお会いしましょう。(笑)


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

魂の暗闇

2013-02-13 14:23:24 | 日記
私は小さい頃は作文が得意だった。

地元の県が主催する作文コンクールでも賞をとったし、
全国読書感想文コンクールでも入選したこともある。
中学のときは学年選抜でコンクールに出場したし、そこでも賞をとった。
書くということにすごく自信があった。

それが中学3年生の年の暮れに全く書けなくなった。
それまでは原稿用紙3枚くらいは30分くらいで書いていたものが、
本当に1行すら書けなくなったのだ。ペンを持つこと自体が
苦痛でしかたがなかった。

すべてがうそに思えた。自分が生きているという現実さえ、
幻想のように思えた。自分という存在を全否定したい気持ちだった。

今となっては何が原因だったのかはよく覚えていない。
小学生からの夢だったプロ野球選手になるのをあきらめたこと、
失恋などもあったのかも知れない。人生に幻滅した時期でもあった。
まあ、書く行為は心と密接に結びついているものだから、いろんな要因が
関連したのだろうと思う。
書けなくなるという感覚、あの虚無感が当初は不思議でしかたがなかった。

そういう感覚が高校生から大学2年生までの数年間続いた。
大学受験の時期になり、予備校生の時、小論文の先生に名指しでけなされたのは、
正直いってかなり辛かった。

大学2年にもなると、レポートや論文を提出しなきゃならなくなるので、
必然的に文章を書かざるを得ない機会が増えるわけで、そんな時、
私の恩師、幻想文学の私市保彦先生に私が書いたちょっとしたレポートをとても
ほめていただいた。それが書くことに対する自信をとりもどしたきっかけだった。

はっきりいって、日本の社会にはまともな文章を書ける人はそういないと
思っている。
会社員時代、いろんな文書を提出する機会があったし、部下にもすごく文章の
うまい人がいて、感心したこともある、しかしそういったある種の才能を受け入れ、
また見抜く目を社会自体がもっていない。まして上司にそんなセンスのある人が
いるわけがない。すごく残念なことだと思う。

幸い今は仕事上、文章を書く機会もふえたし、こうしてブログを書くこともできる。
幸か不幸か、今では「あなたの文章は長すぎるよ」とクレームがつく(笑)。

文章がかけなかった期間(実に7年間)、別になにもやっていなかったわけでは
なく、すごく本を読んだ。宮沢賢治、三島由紀夫、川端康成、太宰治、坂口安吾、
現代詩等の純文学から、ミステリーも沢山読んだ。いろんな人の文章読本も読んだ。
いちばん影響を受けたのは太宰治で、全作品を読破したばかりか、気に入った文章は
ノートに書き写していた。
思うにそうやっていろんな人の文章をインプットしていたのだろう。
(残念なことに私の場合はインプットが十分に活用されていないようだ(笑)。)

それでも今になってそれが本当に役立っていると思う。
そして、そういう沈黙の期間、暗闇の期間を経験することができたことが、
自分にとっては何ものにも変えられないような貴重な「学びの経験」だったと思う。



テレビで最近のニュースを見るにつけ、自分を全否定されることを極度に恐れている人、
かたくなに自分の価値観に固執する人が多すぎる気がしている。
確かに、今まで懸命に生きてきたその価値観を否定されることは辛いことかも知れない。
そういう時は自分の存在自体が不確かなものに思われるだろう。

しかし魂の暗闇の中にこそ真実があると私は信じたい。
夜明け前がいちばん暗いのだ。そして明けない夜はない。

どんなものでも壁(暗闇=自分の理性が大きく揺らぐ)にぶつかる時はある。
それがどういう時にあらわれるかはわからない。
せめて、そこに飛び込む勇気だけはもちあわせていたいものだ。

青い錠剤を選ぶか、赤い錠剤を選ぶか…(マトリックスの場面より)


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

WARMUP EXERCISES FOR GUITAR

2013-02-05 16:27:31 | 日記
この本はPat Methenyがツアーのコンサート前にウォーミングアップで弾いていたのを採譜したものだ。


『PAT METHENY/WARMUP EXERCISES FOR GUITAR』


やってみるとかなり難しいのだが、非常にためになる(気がする)。
音階の練習にもなるのだが、なにより自分のギターに対するアプローチに関して多くの示唆をうけた。


いままでフレーズ練習ばっかりやってきて、最近(というかここ1年)かなり行き詰ってきていた。
最近、ジャズを人前でやる機会を得て、自分の演奏を録音したりしているのだが、なんか「フレーズ主義」というか、「どこかできいたようなメロディ」から抜け出せなくて困っていた。


Pat MethenyにしてもKurt Rosenwinkelにしても演奏聴いていると、なんかもっと自由なんだよね…。

というわけで、いろいろ思案したあげく、「ちょっとスケールの勉強してみようかな」と思ったわけだ。
だってスケールにはフレーズの素があるわけだし…。


そんなわけで、またネットでいろいろ検索していたら、Pat Methenyのクリニック映像を発見した。これが非常にスケーリッシュなわけよ。


Pat Methenyだってやっているのに、素人の私がやらないで、Pat Methenyにはなれん(当たり前だ)。


実は巷の教則本を読むと、アベイラブルノート・スケールなるものが登場し、それからどうやったらジャズらしいフレーズができるのかが、甚だ不明で「スケール」ってきくだけで、ジンマシンがおきそうになっていたわけよ。「俺って才能ないのかな…」って。


Pat Methenyの映像は実にスケーリッシュなのだが、ちゃんとしたメロディなんだよね。
ああ、やっぱりスケールからメロディってうまれるわけね。
そういう練習の仕方、着想について学べるのがすごく楽しい。

それからもうひとつ大きな成果だと思うのは、「フレーズ」から抜け出して、自分の音感(耳、感性)でギターを弾くということに対するヒントを得られたこと。
ジャズギターを学ぶということは、自分の音感とフレット上での知識(コードや音階)を結びつけることなんだなあ、と思った。

後は自分の上達を待つのみだが、こればっかりは時間がかかりそうだなあ。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト