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イントロ&エンディング その3

2012-11-30 17:01:29 | 日記
前回に引き続き「イントロ&エンディング」について。

私はギタリストなのだが、実は大変参考にさせていただいている
文献が存在する。


『イントロ&エンディングの技法 加藤泉著(中央アート出版社)』

その名もズバリなのだが、この本に出会わなかったら、このブログにおいて
このテーマで書こうと思わなかったかも知れない。

10年くらい前、私は都内のジャズ・ギターの先生に師事していたのだが、
その先生の書棚においてあったので興味をもった。
まだ、ジャズなどさっぱりわからなかった私は、

なぜ、イントロやエンディングだけを扱っている教則本があるのだろう?

ととても不思議に思ったことを覚えている。

テーマに即したイントロ&エンディングのアレンジメントを大変、実用的に
解説されている。リハーモニゼーション全般を学べる本当にすぐれた名著だと
思う。今でも思い出したように、この本を調べることがある。
イントロ&エンディングのアレンジメントを学ぶことはジャズ・アレンジを
学ぶことに直結するのだ。

著者の加藤氏の先生は潮崎郁男氏という、日本のジャズ・ギターの先駆的な
存在の方だ。残念ながら私は彼の演奏をお聴きしたことはないのだが、
松本英彦氏とピアノレスのバンドを組まれていたようだ。
上記の本にも潮崎氏の実際のアレンジメントの例がふんだんに盛り込まれている。

ピアノとギターは同じく、コード&メロディー楽器でありながら、
そのサウンドもハーモニーの組み立て方もかなり異なるものである。

イクイップメントの発達により現代ではピアノレスのバンドは数多く存在するが、
潮崎氏のようなスタイルでピアノのいないバンドは、大変に潮崎氏への負荷が
かなり大きいような気がする。それほどすぐれたハーモニーセンスと技量をもちあわせて
いなければなりたたない。

ちなみに私の先生も潮崎氏に師事したらしいが、彼は大変に現代的なスタイルの人で
「現代的でなければ意味がない」とまで言い切る人だった。
あまりに先鋭的すぎて、ジャム・セッションしていると本当に「いま自分がどこで
なにをしているのか」を見失ってしまうことが多々あった。

ラリー・カールトンの師匠がジョー・パスであったように、前衛的芸術は伝統的基盤
の上に成り立つものかも知れない。
実は伝統的基盤をしっかりともっている人は、前衛に対して大変敏感な人が多い。
そしてそれに対する理解力もある。

私のようにとってつけたような、「なんちゃって」ではダメなんだよね~、
『イントロ&エンディングの技法』を読んでしっかり勉強しよっと(笑)。


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イントロ&エンディング その2

2012-11-29 17:22:46 | 日記
前回に引き続き、今回も「イントロ&エンディング」特集。

まず、最初にイントロといえばキース・ジャレット。
彼は技巧、テクニック、センス、展開力を含めて、私にとっては
最高の存在である。

イントロに絞って話すにはあまりに「もったいない」人。
でもイントロだけでも雲の上、はるか彼方の人。


『STILL LIVE』

このCD(2枚組み)のトップをかざる名曲、「My Funny Valentine」
この曲のイントロがすでにすごい。My Funny Valentineが始まるとは
誰も思わないだろう、それほど独創的で美しい旋律。
これだけで名曲といっていいようなハーモニーとメロディ。

正直このCDを聴いていてMy Funny Valentineのテーマが流れてきた瞬間に、
この曲がMy Funny Valentineだとわかった瞬間に涙があふれてしまった。
あとはテーマのメロディだけで十分。

こういうインプロビゼーションを主体としたトリオ(もちろんメンバーは
ジャック・ディジョネットとゲーリー・ピーコック)はインタープレイが
最重要で、基本的にある種の「わかりやすさ」が必要だと思うが、
このバンドの場合は、これほど独創的にもかかわらず、すべてが
「お互い納得の上」で成り立っている、その感覚がすごい。
それぞれが同じ景色を観ているとでもいうような…。

その他にも「The Song Is You」。
私はピアノを弾かないのでよくわからないが、弾かなくてもこのイントロの
すごさはわかる。とんでもない独創的で超絶技巧だと思う。
ちょっと神がかっている感じ。

一体、何が始まるんだろう…、と気持ちがワクワクしてくる。

キース・ジャレットのピアノを聴いていると、色彩豊かな「景色」が浮かんでくる。
それは絵画というより、透明な光の世界だ。

上記はそういうキース・ジャレットの魅力がつまったアルバムだと思う。


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イントロ&エンディング その1

2012-11-28 12:49:18 | 日記



キャノンボール・アダレイの代表作とされる『SOMETHIN' ELSE』だが、
レコード・ジャケットの裏面の写真の、その中心にははなぜがマイルスの写真
(なんでやねん!!)などという話はともかく、このアルバムには
おそらく世界一有名なスタンダード「枯葉(Autumn leaves)」が収録されており、
イントロのアレンジがいかにもアート・ブレーキー的というか、あまりに独自である。

それをなんとか人にわかってもらおうと、口ずさんではみるのだが、
皆一様に、

「それって、「ドラえもん」のテーマ??」

といわれて、内心がちょーん!!!となる。

ジャズにはいくつかの楽しみ方があると思うが、ひとつは華麗なるアドリブ技術、
その他にはアレンジメントの面白さがあると思う。

実際、演奏するものとしては、明確に区別されるべきものではないと考えるのだが、
人にジャズの魅力語る上では「スタンダードをどのように解釈し、アレンジするか」
を説明するのが大変わかりやすい方法だと思う。

特に曲のイントロとエンディングにおいては、演奏者のアレンジ力が発揮されている
ことが多く、魅力的なイントロだけをいろいろ集めてみても、それだけで話のネタ
としては充分であろう。

というわけでこのブログでも何回かにわたって「イントロ&エンディング」について
書いてみたい。乞うご期待!


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螺旋階段

2012-11-17 12:50:50 | 日記
日記をつけ始めてかれこれ4年になる。
横軸は日付、縦軸は年というふうにその年ごとの履歴が
みわたせるように自分でエクセルファイルで作ったものだ。

その日の事項を記入すると必然、3~4年前までの記録に
目が行くのだが、

「いつもこの時期はこんなこと考えているんだなあ」とか、
「この時はこういうことがあったっけ…」などと、
周期や傾向、流れ、波など、ある種のバイオリズムがが読み取れて面白い。

じっくりと考えたわけではないが、仕事の状況や自分の生活、精神状態、体調など
今年は2009年といろんな意味で類似点があるような気がしている。

いろいろ占星術とか調べてみたらはまってしまいそうで、
いろいろやれば自分も占い師になれそうな気もするが、
そういう統計的なことを根気よく調べる根性がない。

ともかく、自分にも時の流れというか心の歴史があるんだなと思う。
性懲りもなく同じをことを考えたり、怒ったり、笑ったり、喜んだり、泣いたり
感謝してみたり、心の様相とは実に様々なのだが、そういうのをみていると、
案外、人間て成長してないもんだなあ(笑)

「人生は螺旋階段だ」とある人はいう。

類似する喜び、悲しみ、問題、ストレスがなんども何度も立ち現れてくる、
「またか」と思ったこと、みなさんにはありませんか?
私にはしょっちゅうあります。

ただ、こうして日記をつけていると、「ああ同じような場面で以前はこんな風に
感じていたんだな」という気づきがあって、それが以前とはちがった考え方
感じ方へと自分を導いてくれることがある。
それはある種の抑圧されていた感情が解放されてゆくプロセスに似ていて、
そういうことこそが「成長する」ということなのかもしれない。

してみると人生という螺旋階段、同じような場面がめぐってくるとしても
少しは上に行けているということか。

大地をグルグルと掘削するドリルのように下にむかっていなければよいと
思うが(笑)、それはそれで楽しいことなのかもしれない。



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松田丈志選手

2012-11-09 16:46:03 | 日記
先日「流行語大賞」の候補が発表されていた。

「近いうち=嘘」とならないようにという思惑からだろうか、
最近俄かに政局にも動きが出てきそうで、このままだとおそらく
年内解散あるのかな…。

ところでその候補の中に水泳の日本代表の松田丈志さんの言葉、
「北島さんを手ぶらで帰すわけにいかない」があった。

えらい長い言葉やね…(笑)。

実は私は松田選手を電車の中で目撃したことがある。

横須賀線に乗っていたら、前の席があいて、そこにすっと座った人が
松田選手だった。

昨年夏の話なのでオリンピックはまだないし、
「どっかでみた顔だけど、誰だっけ????」と頭を悩ましていたのだが、
たぶん、私の怪訝な様子がみえみえだったのだろう。松田選手がこっちを見て
ニコッと笑いかけてくれたのだ。

じつはそれでも私の頭の中では、

(うーん、誰だっけ、ますますわからん????(笑))。

すると、となりに座っていたおじさんが彼に話しかけた。

「水泳の松田選手ですよね。」

彼(松田選手)はあのテレビのインタビューと同じようなさわやかな笑顔でこたえた。

「そうです。」

「サインしていただけますか?」

「いいですよ。」

すごい気さくな青年だった。

私は彼らの会話に加わる勇気もない中で彼らの様子をながめていた。

その日は松田選手はオフの日だったらしい。
オフを利用して湘南に泳ぎにいったらしい。サーフィンが好きみたいだ。

私が感心したのは、あんだけ、ってか死ぬほど泳いでおいて、オフだっちゅうのに
また海で泳ぐんかいな、ということだった。


松田選手のような一流、あるいは二流にかかわらず、輝いている人は
やっぱり自分のやっていることを心から楽しんでいる気がする。

私の尊敬するミュージシャンの人たちだって、演奏が終わって打ち上げでも
ずっと朝まで好きな音楽の話や、好きなミュージシャンの話をしている。

自分だって輝いているとは思わないけど、
人からきくとやはり仕事の話でも音楽の話でも延々とやっている
(たいていの人にあきれられているくらい)。

以前の職場では飲みの席で音楽の話はおろか、仕事の話すらご法度な感じだった。

まあ、酒場で飲んでるサラリーマンとか愚痴ばっかりで、楽しそうに自分の
仕事の話している人なんか皆無だしね。
平社員は上司の悪口、中間管理職は苦労話、経営者は己の孤独と社員の悪口…。

独立してほんとうによかったと思うよ。彼らとは生きている場所がちがいすぎる。

私からいわせれば、好きでもないことをやらされて、好きなことの話も、
自分が本当に好きなことが何なのかすらわからないなんて、

「この人たち一体なんのために生きているのかな」

と思う。

組織の中で動くということは、結局どこかで自分を犠牲にしなくちゃならない
ものなのかも知れない。
でもそうだとしたら悲しいな。

まるでブロイラーだよ、それじゃ。


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