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ロック講座 その7 ロックの語法

2011-01-31 18:20:27 | 日記
私はブルースマンであり、ジャズはまだ修行中の身であるので、
えらそうなことを言えた義理はないにもかかわらず、
よくロックやブルースをやっている人から
「スケールを教えてくれ」といわれることがある。
なぜかを問うと、「ジャズ理論を学びたいから」という。

そういう時は、つたない私の知識でもって教えてやるのだが、
そういう人たちが、理論やスケールを自分の演奏に活かしている
のを見たことがない。

はっきり言ってしまえば、理論やスケールを学んだところで
ジャズが演奏できるようには決してならない。
なぜ、これほどはっきり言えるかというと、私自身がそうだったからである。(笑)

私の場合はレッスンを受けにいって、その辺のところをこっぴどく
先生に怒られたので、ラッキーといえばラッキーではあったが、
もし独学で一人で家でチマチマとスケールの勉強している人がいたら、
「そんなことやっても絶対上達しないから、やめなさい。」といいたい。

前回のブログでも書いたようにロックにはロックの語法、ジャズにはジャズの
語法があり、まずそれを学ぶべきで、理論など知識的なことは二の次だ。

ロックでもブルースでも中級レベルの方ならば思い出してほしい。
たぶんそういう人たちなら、「ペンタトニック・スケール」を知っていると思う。
でもいくらポジションをしっかり覚えて、音階を速く弾けたとしても
それが、ロックとしての生きたフレーズになったことはないはずだ。
実は音階練習やスケール知識は生きたフレーズとの相関はないのだ。

もっとシンプルに考えよう。ロックはシンプルな音楽なのだから…。
そしてもう一度思い出してほしい。自分はなぜロック・ギターを弾きたいと
思ったかを。

あの胸につきささるような鳴きのギター、「チョーキング」、
あるいは胸の鼓動を高めるようなビート、
そして目もくらむような速引きフレーズかもしれない。
でもそういったシンプルなとこで充分なんですよ。それでいいじゃないか。

さて唐突ではあるが、ロック・ギターでチョーキングをやらない人はいない(と思う)。
そこに真実があるのではなかろうか?

というわけで、いささか(かなり)強引ではあるが、「ロックの語法」の
中心的な要素は「チョーキング」であると仮定しよう。(笑)
(今回はギターのソロに関して話しをするので、バッキングやリズムこそ
ロックであると思う人もがまんしてきいてちょ。)

そう、ロック・ギターの第一の特徴はチョーキングである。
チョーキングとは弦を指で押し上げて音を上げる手法である。
当然その動き自体が音の変化を表現している。何をいいたいのかというと
チョーキングは全音符、2分音符、4分音符、どんなにテンポの遅い曲でも
せいぜい8分音符くらいまでの音符でしか使われない。
つまりそれ以上細かな音符でやっても意味がないということである。
簡単にいうならチョーキングはロングトーンで使用されることが多いと
いうこと。チョーキングがロック・ギターのサウンドの中心であると
いうことは、ロングトーンこそがフレーズの発想の基軸となっている
ということだ。

このロングトーンがフレーズの基本単位となっているところが、実は
「ロックの語法」の特質を端的に表現している。

学生の頃、まだケツの青い若造だった私は、ジャズ研の演奏会に乗り込み、

「ブルース魂みせちゃるわい!」

ってなもんで道場破りさながら、いっしょにジャム・セッションしたことがあるが、
その時、コード進行が複雑でまったくついてゆけず、チョーキングで
ごまかしたつもりだったが、そのチョーキングしたトーンすらコード進行とは
あっておらず、結局大恥をかいて、その場を退散したことがある。
いまでもあの時の経験はトラウマとなっている。できれば思い出したくなかった。(笑)

そうなのだ、チョーキングをやると、よっぽどタイミングをあわせて
適格にきめないと、普通のロックをやる感覚だと、複雑なコード進行と
めまぐるしいコードチェンジのあるジャズにはまったく対応できないのである。

前回、シングル・ラインでハーモニーを感じさせる手法がジャズの語法であると
書いた。ちがう言い方をするなら、それはコード進行に対応しなければジャズでは
ないということを意味する。

今回、ジャズとは対照的にロックはチョーキングがフレーズの特徴ゆえにロングトーンが
基本であると書いているのだが、ロングトーンは展開の多いコード進行への対応が難しい。
大体、コード進行を考えて、しっかりコードに対応するフレーズを弾いているロック、
あるいはブルース・ギタリストってあんまりいないでしょ。

「でもそれなら、ロックやブルースをやる時、それでもなぜあんなに気持ちよくやれるのはなぜ?」

ということになるが、いい質問だ。(笑)
そこに問題の核心があるだろう。

答えを出してしまうとブルースもロックもコード進行をそれほど気にしなくても
やれる音楽、さらにいうなら「コード進行に依存しない音楽」だからである。
なにに依っているのか…、「モード」に依っているのである。

コード進行自体にしても、ブルースのブルースはF7、Bb7、C7で演奏されることが
ほとんどであり、その時演奏家はF7のブルース・スケールだけを考えている。

でもジャズだとF7、Bb7、C7の他にGm7、Am7、D7とかBdimと、F#dimとかも出てくるでしょ。
要はコード進行を細分化してそれぞれのコードに対応するフレーズを弾いているわけだ。

ジャズ研の若造が、うちらのブルース・セッションに乗り込んできたとき、
コードごとにチェンジするフレーズを弾いていることがあるが、
昔の恨みもあっていうわけでは決してないが、あれは大変カッコ悪いぞ。(笑)
ブルースやロックとなり得ていないのだから。

なぜなら、ブルースやロックはモード、つまり同じひとつのスケール上でのみ
フレーズを組み立てるものだからである。

端的にいうなら「ロックの語法」=「モード」なのである。

フュージョン系のうまいギタリストはロック・フレーズとジャズ・フレーズを
うまくミックスして使っているよね。

ともかく私のような不器用な人間は一人のロッカーとして、
どんなにコード進行が複雑で違和感があったとしても、
ひとつのモードを貫きとおすことが正しいのかもしれない。

顔で笑って心で泣く、それがロックの心意気。(笑)

次回はロックの語法、リズム編、
とはいっても私はドラマーではないので、メロディック・リズムに関して
話したい。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

ロック講座 その6 ジャズの語法

2011-01-30 13:12:26 | 日記
最近、ジャズのスタンダード曲の習得に余念がないのだが、
今練習しているのは「Cherokee」という歌。
非常に牧歌的なメロディで、2分音符ひとつにつきコードが変わるが、
かといって「Giant Steps」のように気ちがいじみたテンポで演奏
されるものではなく、全音符が主体でゆったりとした曲だ。

こういう牧歌的な曲は、空間的な広がりを出してやるとカッコいい。
現に布川俊樹さんはそういう演奏をしていてとても参考になる。
ただ、彼自身、「この曲ははじめて」といっているくらい、
ギタリストがあまり演奏しない曲なのかもしれない。

だから他の先達の演奏例を参考にしようと、さっきからずっとCDラックを
ひっくり返しては探していたが、私の所蔵の中でようやく3人の演奏例を
発見することができた。

1)Tal Farlow:『Jazz Masters 41』(ベスト盤)

正直、タル・ファーロウの演奏をいいと思ったことがない。
この演奏も例のごとく????だ。
すごく指が早く動いているのはわかるが、スピードを感じないし、
ダイナミクスも、抒情性のかけらもない。
ギターを弾いているというより軽業を観ているみたいだ。

2)Johnny Smith:Moonlight in Vermont

これはいいな。輪郭が明確なラインはPat Martinoへの影響を感じさせる。
リリカルで美しい。
ただし、アレンジが凄すぎて、特にサビの部分のメロディが全然わからん。
これは参考にできない。
ただし、今日は彼に関してちょっとした発見をした。
日本で有名なベンチャーズによってヒット・ソングとなった
「Walk don't Run」は実は彼の作曲なのね。
改めて彼の演奏を聴いていると確かに「ベンチャーズの曲的」なものを
感じることができる。おもしろいもんだ。彼はギタリストであるというより
プロデューサーとして有名だったみたい。

3)Joe Pass:Virtuoso



もう、これに尽きますね。こんな曲をこんなスピードで、しかも
伴奏なしで、これほど歌わせるなんて神業に近い。
彼みたいに歌心がある人は、どんなにシンプルにやっても人を
惹きつけるんだな。すごいな。

ギターはピアノとちがうのでメロディラインを弾きながら、伴奏を
つけるというのは細かい音符のラインほど難しくなる。
当然、彼の演奏は無伴奏なので時折シングル・ラインのみの表現が
出てくる。

ところが、彼の演奏はシングル・ラインにも関わらず、しっかりと
コード(ハーモニー)を感じることができるのである。

まさにこれこそがジャズの特徴的な演奏方法(ジャズの語法)なのである。
チャーリー・パーカーに代表されるビバップの典型的手法なのである。

シングル・ラインを演奏しながら、同時にコードを感じさせるために、
ラインはコード・トーンを主体とした音で表現されることになる。

例えば【Dm7/G7/C】というコード進行においては、
D、F、A、C/G、B、D、F/C、E、G、Bの音を中心として、それに
パッシング・ノートやクロマチック・ノートなどの装飾音をまじえて
メロディーラインがつくられる。
これらを各コードごとにまとめた音階を「コード・スケール」という。

ものの本には、アベイラブル・ノート・スケールと称して
Dm7のところではドリアン・スケールを使うとよい、などと書かれているが
それは厳密にはちがうぞ。
モードとコード・スケールをごっちゃにしてはいけない。

ジャズ研の発表会とかいくと、自分の演奏の最中にこのアベイラブル・ノートを
音階練習でもしているがごとく、上下に行ったり来たりしているだけの人をよく
見かける。彼らは自分が間違った演奏はしていないと思っているようだけど、
はっきり言ってあれは大間違い。
コード進行を機能的にとらえて、そこから抽出された音を弾くことと、音階を
弾くことは全く別の話である。
まあ、このブログのテーマの主旨とはことなるのでそれ以上は書かない。

ともかく、こうしたコード・トーン+装飾音、そしてリズム(メロディック・リズム)
を組み合わせることにから、無限のラインの組み合わせができる。
さらに、ビバップ奏者たちはそこに様々なコード解釈(例えば、Dm7/G7/CをDm7/Db7/C
とやったり、G7/G7/Cとやったり)を入れることで現代でも充分通用するようなライティング方法を生みだしたのである。

チャーリー・パーカーはこの手法を極めたビバップ=モダン・ジャズの象徴、
神様的存在である。またディジー・ガレスピーなどはメロディック・リズムから
発想し、そこにテクスチャとして音を入れていくということをアドリブでやって
いたというから、これもすごい話だ。

結論的に、私が考える「ジャズの語法」とは「ビバップの語法」であると
いうことができると思う。

ギタリストの中でこの「ジャズの語法」使用の最も顕著な例がJoe Passである。

だから、私みたいにひねくれた野郎はともかく、
「モダン・ジャズ」を学びたいギタリスト諸君はぜひJoe Passの演奏を聴いてみておくれ。

といったところで、実はこの話には先がある。
今回のブログにしても「ロック講座」なのになんで「ジャズの語法」がテーマなの?
と不信に思われた方もいるだろう。
実は先日から書いては行きづまり、書いては行きづまりしていたが、
ようやく新しいネタを思いついたからである。
つまり、「ジャズの語法」を明らかにすることにより、それと対比して
「ロックの語法」は何かを浮かび上がらせてみようともくろんでいるのだ。

うまくまとめられるかは、やってみなきゃわかりませんけど。(笑)


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

Rock'n Roll closet vol.6

2011-01-29 16:38:35 | 日記
今週も休日なく働いており、ちょっと疲れたので、
気分転換にブログを書こう。

今日はまたライブイベントの紹介をします。

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2011/2/5(土)江古田
「Livehouse Buddy★Rock'n Roll closet vol.6★」
 開場/開演:18:00/19:00~
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 会場:江古田「Livehouse Buddy」
 http://www.buddy-tokyo.com/
  TEL.03-3953-1152(15:00~)
  西武池袋線江古田駅南口改札口を出て右へ
  徒歩約10秒、双葉会館地下2階
  ビルの上下にBUDDYという看板あり
  B1・MF・1F がGAME CENTER
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 前売/当日:4,000円/4,500円 ※+ドリンク500円
 問い合わせ:江古田Livehouse Buddy
  03-3953-1152(15:00~)
 出演:
 シーナ&ロケッツ
 [http://rokkets.com/]
 ココロー&ヘルニアンズ
 [http://hernians.com/]
 本名カズトwith The Swamp
 (g.田中靖、b.ランディ金丸、dr.ZO-SAN)
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自分のライブは23日までないので、それは後日紹介するが、

例によって本名カズトさん主催の『Rock'n Roll closet vol.6』。

今回はすごいぞ! なんとあのシーナ&ロケッツが江古田に上陸。

一度コンテストの特別ライブと審査員をやっていた鮎川さんを
見たことはあるが、すごく気さくないい人でした。
器のでかい人だな~と思ったが、それ以上にライブの時の音量も
半端なかった。
でも迫力があってすごくカッコよかった。

一方、ココロー&ヘルニアンズのドラムのクマ(熊谷)は
私の大学の後輩だ。すごく面白い奴で20年間ずっと親友でもある。
よく一緒にバンドもやったし、今でもよく音を合わせる。
一時「アナコンダ」というとてつもなくグレートなバンドにいたが
ココロ―君とはその時からずっといっしょみたいだね。

そして本名カズトwith The Swamp。
これはいわずもがなである。先日もライブに遊びにいったが
相変わらずぶっ飛ばしてるね。
仕事すっぽかしてでも行くから今度もいっちょ頼むぜ。


ところで年明け早々にドラムのZO-SANと話たが、

「今年の初夢はぷっちょの夢をみたから、いくぜ!!」

とわけのわからんことをいっていた。
これでも私のジャズの師匠である。彼から勧められたCDを未だに
聴いている。今日も聴いた。それがこれ、



これは凄すぎるアルバムだ。ヘッドフォンで聴くと彼らの躍動感、
息遣いが聴こえてきて、「まいった~!!!」って感じだ。
ところでこのアルバムの最後の曲になると、家の猫がかならず
暴れだすんだよね。今日もやっぱり暴れた。
まさに神経を逆なでするようなサウンドだからかな?

本名さんをはじめ、The Swampのメンバーとは全員一緒にプレイした
ことがあるなぁ。

彼らのライブ観てるといつも思う。
「俺もすげえ連中と一緒にやったもんだな」って。

いつでも一緒にやる準備はあるのだが、最近、一向にお呼びがかからない
のはなぜか?(笑)

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占い

2011-01-28 14:56:01 | 日記
会社を立ち上げたばかりの頃、仕事がなくて不安で仕方がなく
ある占い師の方にみてもらったことがある。
その方は私が知り得るかぎりでは最も優れた占い師だと思う。

とはいっても、私は普段は星占いとか全く気にしないタイプである。
なぜなら「当たったためしが一度もない」からである。
一時馬鹿みたいに占いを気にしていたこともあったのだけど、
あんまり当たらないから馬鹿ばかしくなってやめた。
何度か直接、手相とか四柱推命とかみてもらったことはあったが、
ろくなことを言われたためしがない。

一度など、

「あなたの性格を一言でいうなら、なまけもの!」ときた。

これにはブチ切れた。お金を払って行ってるのにあまりに失礼だし、
確かに私の性格はなまけものかもしれないが、そういう自分の性質を
心得ていて、努めて真面目に生きてきたという自負があった。

「そんなことわかっとるわい! わかってるからいままで懸命に生きてきたのに
話しを元にもどすな、このボケ!!!」

あげくの果てに「お前、マリファナやってるだろう」

とありもしないことを言われ、否定すると「ウソをつくな!」と
一括された。

ここまでくるともう詐欺である。私には見えないものが奴には見えていないばかりか、
私に見えるものすら奴には見えていない。あーアホくさ…。


そんな中、たまたま仕事場の近所のイベントで「いい占い師さんがいるから」
と友人に誘われ、仕事がなくて暇な上に、不安ばかりがつのる毎日だった
ので行ってみることにした。
その人はいままでの人とは全然ちがった。
なによりも優しい。慈愛にあふれている。占い師というよりも
ヒーラー・タイプの人だった。

「先生、こんな感じでやって、私の仕事大丈夫ですかね…」

「大丈夫、しばらくは時間もかかるかもしれないけど、
小さな流れもやがて大河となって大海にそそぐもの、だから
あきらめないで。」

これはうれしかった。

「先生私、前世が罪人で処刑されているっていわれたんですけど」

「あのね、人間は何度も生まれ変るの。誰だって罪人だったことも
あれば殺されたことだってあるの。」

これは正直微妙だ。(否定してほしかった)

「あなたはね、前世は「お坊さん」なの。」

「ブーッ!!!」(噴き出してしまった)

「前世ではすごくストイックな環境で生きていた。
だから、あなたにとってすべてが貴重な体験なの。なんでもトライ
してみて。なんでもやってみることがあなたの今生の課題なの」

よっしゃー、やってみるべ!!!!

ってな具合ですごく生きる力をいただけた。

もう、いいやと思った。すべてが氷解した。もう二度と人にアドバイス
をもらわなくてもいいや、と思ったくらいだ。

とはいっても、いつも折にふれて読む本がある。



『前世ソウルリーディング あなたの魂はどこから来たのか』(ジャン・スピラー)
私の場合、内容が上述の占い師の先生の言葉とことごとく附合する。

まあ自分の前世など知るよしもないので、確証はないが人生を生きてゆくうえで、
かなり参考になる。だから自分が生きてゆく意義を確認する上で何度も繰り返し
読む。辞書みたいに厚い本で、自分の該当箇所を読むだけで相当時間がかかる。
でもヘタな占い師よりも100倍以上有効だと思う。

どんな占いもアドバイスが適格でクライアントに可能性を拓いてやるもので
なければ意味がないと思う。

一方クライアントも

「今度の就職面談はうまくいきますか?」

などと愚かな質問はしないで、

「こういう会社に就職したいと思っているのですが、アドバイスを
いただけますか。」

というような質問をすべきである。
だって、あんたの人生だよ、ロト6じゃないんだぞ!!

ともあれ、人間誰しも課題をもって生まれてきていることは真実だと思う。
上述の本では、前世のリーディングによる今生の課題を浮かび上がらせているのだが、
情報量が圧倒的で、しかも深層心理への洞察が半端でなく深い。

もちろん前世リーディングに対する根拠はない。
でも「あたるも八卦、はずれるも八卦」といわれるように、そこから
メッセージをくみ取り、現在に活かすことができるなら、それが真実かどうか
を問うよりも、よっぽど有効だろう。

まるでらせん階段のように、見過ごしても、見過ごしても次々と姿を変えて
立ち現われる課題。そんなスパイラルから抜け出すには、与えられた課題の
意味を理解し面と向かって取組み、クリアしてゆくしかないのだ。

すべては自分にかえってくる。

自分という人間の今生における課題をうけとめることは勇気のいることだし、
そこにはある種の諦観がともなう。五体満足でも現状に不満をもつ人間にとっては
なおさらのことである。
しかしそこから生きていることへの感謝を呼び起こし、未来を生きることに対する
決意があるならば、未来は可能性に満ちてゆくはずだ。


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ロック講座 その5 ロックとロックンロール(2)

2011-01-27 12:57:38 | 日記
チャック・ベリーの活動をドキュメントした映画『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』
はご覧になられたましたか?

もちろんプロデュースはローリング・ストーンズのキース・リチャーズ。
手がつけられないほど我儘なチャックをよくぞあそこまで「大人の対応」で
まとめたものだと感心された方も多いだろう。

彼には高校時代にチャック・ベリーの曲を全曲マスターしたという伝説がある。
(なにをかくそう、私はそんなこともあってチャック・ベリーに挑んでいたの
だった)
その位、彼が傾倒していたチャック・ベリーだが、
ローリング・ストーンズのアルバムを聴くかぎりでは、実はなかなかその影響が
サウンドとして伝わってこないと思いませんか? 私は思った。

いうなればローリング・ストーンズのほうがストレートな感じがした。
実はその見方は今でも正しいと思っている。

そうした疑問はチャック・ベリーのライブアルバムを聴いて氷解した。
そこでの彼の演奏は、まさにストレート。
音は太いは、よくしゃべるはで、まるでブルースとカントリーを別々に
演奏しているみたいだった。そこにあるのは双方の音楽をミックスした
ハーモニー的な広がりのあるロックンロールではなく、ストレート・アヘッド
なロックだった。そしてその時私は思った。

「ああ、キースがやりたかったことって、こういうことか…」

そう、彼がめざしたのはロックンロールのもうひとつの側面、
ストレートなブルース表現なのだ。

前回のブログでビートルズがブルース+カントリー→ロックンロールの
ハーモニー的な側面(シックスコードに代表されるような)を発展させていった
と書いたが、一方でローリング・ストーンズはロックンロールに受け継がれていた
ブルース的なもの、よりシンプルなサウンドを追求していったのだと思う。

ローリング・ストーンズという名前がマディーウォーターズの曲名から
つけられたものであることは象徴的である。

前回示した系譜:ロバート・ジョンソン→マディーウォーターズ→チャック・ベリー

の中で、ロバート・ジョンソンとチャック・ベリーにはあって、マディーウォーターズ
にないもの、それがシックスコード(メジャーとマイナーを内包するコード)である
と書いた。
マディー自身はある雑誌のインタヴューで、

「俺はロバート・ジョンソンとサンハウスの中間をやりたかったんだ。」

といっているが、サンハウスのサウンドこそストレート・アヘッド・ブルースの代名詞
のようなものであり、そこにはシックスコードは存在しない。

それなら、彼はどうやってサウンドの広がりを保とうとしたのかというと、
なんと、メジャー・ブルースとマイナー・ブルースをわけて演奏したのである。
そしてマイナー・ブルースこそマディーのサウンドを際立たせている要因だと思う。

いずれにしても彼は広がりのあった、あいまいなブルース・サウンドを
もう一度分解し、個々に洗練させていった。
それがシカゴ・ブルースの誕生である。

チャック・ベリーの商業的な成功により、イギリスの少年たちも容易に
彼のレコードを耳にする機会はあっただろう。
ただし、彼らはそこから、ルーツであるブルース(主にチェス・レーベル)の
レコードへとターゲットを変えていったのではないか。

これはローリング・ストーンズのメンバーがイギリスの都会育ちであること、
かたやビートルズがイギリスの片田舎育ちであることとも関連している
(イギリスの片田舎ではブルースのレコードの入手はむずかしく、かぎられて
いた。でも大成功をおさめていたチャック・ベリーやエルビス・プレスリーの
レコードは入手できた。)ような気がするが、それはあくまで私自身の推測
の域をでないので、この辺にしとく。

話しをもとにもどすとローリングストーンズはある種、異常な執念で
ブルースに固執し、それを自分たちのサウンドへと昇華させていったのだ。

こんなことをいうと元も子もないのだが、ロックンロールとロックのちがい、
あるいは何がロックで、何がロックンロールかという区分など意味のない
ことである。
私のいっていることなど、本当に即物的な一面にすぎない。
現にロックはその時代ごとに様々な変遷をみせている。そして我々はいまだ
そのプロセスの中でうごめくしかない。

「知る」ことはおそろしい。
時にはそれが自身の中にある感性に足かせをし、その本質をもぎとってしまう。
年を経るごとに我々は知ることにより成長する。

10代、20代の頃みたいに無知のまま、自分の感じるままに感性を爆発させて
ゆくことができるなら、どんなに幸せだろうと思う。

ただ、長い間ロックと取っ組みあってきたけど、未だに新鮮な驚き、発見は
尽きない。そして我々のような常識的な大人にしかないものがある。

それは「選択する」権利だ。

ふられたカードには責任はない。しかしふられたカードに対して我々が
どう振る舞うかは我々の責任であり、それこそが我々の選択権である。

若者はどう感じているのだろうか? 君らの感性をみせてほしい。

そして私をふくめて、大人のロッカーたちよ、我々の一手を出そう。
「確信」の一手を。

まだ話したいことが山ほどある。
一番大切な「ロックの精神」についてまだ話していない。

いつか機会があればそういうことにも取っ組みあっていきたいが、
今は疲れ切っているし、こればっかりやってもいられないので、
しばらくは時間をおいてまた「ロック講座」を再会したい。


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