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クロの脱走

2010-09-29 16:51:07 | 日記
昨日の深夜にクロが脱出した。

昨日は雨があがり、ウソのように晴れたので、
窓を開け放しにして網戸をかけておいたら、その網戸を器用に
手(足?)であけて出て行ってしまった。
ルパンのように、開いた窓に差し込む風にカーテンが揺れているのを
見て気がついた。

もともと野良猫だったからか、どうにも野良根性が抜けきらなくて困る。
私が近づくとまずは、サーッと逃げる。そして逃げた後で再び
近づいてきて私の脚にスリスリする。

実は頭がすごくよく、しかも懐っこいやつだ。
ところが動く時はやはり野良の習性ゆえか、頭を低くして、
さささっと動く。まるでネズミ小僧次郎吉みたいなのだ。

彼の脱走はもう数回に及んでいる。

最近は自分から家に入ってくるのでもう慣れた。
我が家で唯一の外飼いの猫、唯一の普通の猫といえなくもない。

それでも、外でたくましく生きてゆくには、あまりに
オープン・ハートな奴なので無理だろう。
変な病気をうつされてもやだしね。

先日脱走した時は、向かいの家の野良である「ミケちゃん」のおしりを
追っかけまわして、見事に嫌われている姿を目撃してしまい、
腹を抱えて笑ってしまった。

結局、今さら自分では餌にありつくことなど到底出来ないわけで、
よほど腹をすかしているのだろうか、表で、

「うわぉん、おん、おん(これでも猫である。)」

とないているので、

「入りたきゃ自分で入れよ、窓あいてるんだからさー」

と冷たくあしらったが、結局、本当に自分で窓から入ってきた。

入った途端、ごはんのところに行くかと思いきや、トイレに直行。

「そんなもん外でしとけ、馬鹿!」

というわけで、外でほとんど眠れなかったのだろうか、
今は影のように、泥のように眠っているクロであった。




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Ana Maria

2010-09-28 17:55:41 | 日記
ここ何日間は、仕事の合間を利用してある曲をトランスクライブしている。

ある曲とは「Ana Maria」(Wayne Shorter)のことである。
なんとか全体像がつかめたが、細部においてはまだ問題が残っている。
スタンダード曲集を何冊も、そしてネットでも調べてみたけど
載っていないんだよね、この曲。
すでに3日間くらい取っ組みあっている。

しっかりした土台(コード)の上にメロディが乗っかっている曲は
作業がしやすいのだが、この手の曲は分数コード(例えばベース音Cの上に
Dのトライアド(A、D、F#)が乗っかっている)のオンパレードで、
覚えたメロディを口ずさみながらコードを弾いてもメロディ自体を見失って
しまう。アッパー・ストラクチャー構造がゆえにメロディが乗っかる
可能性が並行していくつもある感じなのだ。だから演奏者によっても
いろんな解釈があり、特定が難しい。

こういう曲を作ってしまう、ウェイン・ショーター、そして
ハービー・ハンコックの才能には脱帽するのみ、っていうか、こんな
美しい曲を作ってしまうなんて神がかっているとしか思えない。

Youtubeなどでもう10人以上参考にしたかな。
それでもみんな自分なりによく解釈してやっているね。
中にはごまかしているところもあるのだろうけど、それを感じさせない
よい演奏が多いと思った。

子供の頃、芥川也寸志さんの本を読んだけど、
ピアノなどの伴奏なしに大勢で歌を歌わせると主音にたいして4度の音程が
並行して聴こえてくるものらしい。
3度とか5度だとハモってしまうからかな。ユニゾンだと4度っていうのが
おもしろいと思った。

そういう意味ではこういう分数コードの曲っていうのも人間が潜在的に
もっている感覚をとらえたものなのだろう。
すごいな。



写真は以前このブログで紹介した、カート・ローゼンウィンケルの
アルバム『Reflections』6曲目に「Ana Maria」を演奏している。


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学校教育問題

2010-09-26 12:22:24 | 日記
朝のニュース番組は尖閣諸島問題の件でもちきり、クサクサした気分になり
コンビニまでキコキコと自転車をこいで買い物にゆき、帰り道にふと思った。

「今の中国と日本の政治情勢ってまるで、今の学校教育問題みたいやなー。」

己の力を拡大しようとやっきになり、もてあます感情を振りかざす少年、
思想がまったくともなわず、そのよりどころをナショナリズムに見出すという、
全く手の付けられない未成熟の不良少年である中国。

そして、マスコミや人道主義者に骨抜きにされ、手を挙げれば校内暴力、
子供がこうなったのは教師のせいといわれ、朝から晩まで必死に働いた金を
税金の無駄遣いと揶揄され、ただただヘラヘラと手をこまねいて不良少年の
横暴におもねる態度を示すしかない、そんな教師である日本。

私の父はもうとっくに引退しているが高校の教師だった。
教育荒廃が進んだといわれる時代で、私自身は彼の授業をうけたことは
ないが、父の勤めていた学校に通っていた同級生の話によると、
どうも「暴力教師」であったらしい。
ある友人などは「入学式の当日に、廊下でいきなり胸倉をつかまれた」
といっていた。
私自身は父のことをロマンチストで高い美意識と理念を持ち、それを
貫いた人だと評価しているのだが、内心、彼の学校に行かなくてよかったと
ホッとしている。

ひどいのは自殺未遂をはかった子(もちろん未遂で彼は立ち直りいまでも
立派に生きているという)を自宅に呼び、さんざん説教をしたあげく、
私が大切に集めていた、手塚治虫の『ブッダ』を全巻、そいつにあげてしまった。

横暴だ!

自分の理念のためには上司にくってかかるばかりか、町中をあいてに
喧嘩をするような人だったので、少年の私には辛いこともあったが、
それでもカッコよかった。

今の時代じゃ考えられないことだ。

私の時代は本当に教育荒廃が進んだ時代だったし、自殺した生徒もいるし、
自殺した先生までいた。
私は死んでいった先生のことがとても好きだった。

みな輝いていたと思う。だから私がお世話になった先生方にはいつか
会いにいかなくちゃと真面目に思う。

しかしそういう時代はもう望むべくもない。大体において、それが通用する時代は
過去のものであり、そんなものは社会でも、ましてや会社組織においても
過ぎ去った価値観でしかないのだ。

日本の本質的な問題は、「日本はいつでもお手本を参考にしているだけだ」
ということだと思っている。

古くはヨーロッパがお手本、そして現代はアメリカですか。松下幸之助さんですか。
稲盛和夫さんですか。愚かしくて話にならない(もちろん、松下幸之助さんや
稲盛和夫さんのことではなく、それに追従し真似しようとするだけで、
自らの勉強熱心さだけを生きがいにしている人たちのことである)。

もうお手本なんでどこにもないんですよ。

「守破離」という言葉があるが、日本はいつまでたっても「守」の域を出ていない。
なんだってそう、政治だって、経済だって、芸術だって、会社経営だってそう。
こういうことが、画一化を生みだす原因となっていることを知らねばならない。

どうして隣人と同じ生活モデル、理想を生きなければならないのか。
一流の大学を出て、一流企業に勤めて、出世コースを歩んでという生き方を
まるで「おっとせい」の群が、夕日を見ているみたいに、みんなが目指す時代は
終わったはずだ。

まあ、こうした「お手本不在」の日本も、
「一人ひとりが自らの内に光を見出し、輝いてゆくため」の気づきを
与えているということだと考えれば、そうそう悲観すべき話しではない。

本当の意味で一人ひとりが自分の生きる場を見つけて、自分のやり方を模索しながら
生きてゆけるなら、そして個人→家族→地域社会→国→世界→宇宙というレベルで
自立を果たしてゆけるならば、世界は十分に潤い、世界の飢餓や貧困もなくなるだろう。

いつかそういう日が来るのを夢見て、今日も仕事に励むとするか。


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情報の宝庫

2010-09-25 12:10:55 | 日記
昨日、このブログで

「日本政府もダラダラ状況を長引かせるだけでなく、
毅然とした態度で、しかも優れたアイデアで調和の道をさぐってもらいたい。
まだまだ知恵を絞る余地はあるはず、態度表明も大事だが、
事を前に進めなきゃ、話にならん。」

と尖閣諸島問題について書いたが、夜のニュースを見てがちょーんとなった。

毅然とした態度も、優れたアイデアも示すことなく
この問題はわすれさられるのか? もちろんさにあらず。
朝のニュースでコメンテータの方も口ぐちにいっていたが、
これは始まりであり、中国はこれからも領海侵犯(国際法的には)
をかさね、水域を確保するために、無理難題をつきつけてくるだろう。

全くアホらしい。

ところで、私は普段あまりテレビは見ないのだが、
それだとあまりに時事にうとくなるので、
土曜日、日曜日の朝はほぼ半日をかけて、ニュース番組やネットなどを見まくる。

どんな内容であれ、ひとつの出来事に対して、人の意見を聞けると
いうのはありがたいことだ。
確かに情報の偏りに翻弄される危険性があることは重々承知だが、
一つの問題、一つの考えを足がかりにして自分で考えてみることの
役には立っていると思う。
だからネットではなるべくいろんな人の意見を参照するようにしている。

正直、私は政治・経済にうとい人間で、マクロ経済とかいわれても

「????」

の人間だったが、わからないなりにいろいろ記事を読んでいると
何となくわかってくる(ような気がする)ものだ。

それでも自分が人と議論をするほどまで成熟しているとは思えないので
「聞く一方」である。持論を展開するような武器(知識)が私にはない。

ただし、武器は使いようである。

インターネットには情報がつまっている。
だけど、「便所の落書き」のような記事が多いことはいがめない。

「だから文系人間はダメ」
「だから朝鮮人はダメ」
「だから中国人はダメ」

自身のブログでそんなことを平然と書いている人たちがいる。
それほどの知識(武器)をもちながら、どうしてそんな短略的な結論に
たどりつくのか。ただ武器をふりまわしているだけである。
まるで「わかり切った数学の定理を証明して喜んでいるだけ」である。

答えがわかっている世の中なのなら、なぜあなたたちはその答え(真実)
を実現しないのか、してこなかったのか?

自分の城を守るために、やたら武器を振り回して、城の大黒柱をたたき切って
しまったら、あなたならどうしますか?

「腹を切れ」

となりませんか?


まあ、自分の駄文をふくめてこういう身勝手な情報が氾濫しているのが
ネットの現状だと思う。

ただし、私は彼らに「口をつぐめ」とはいわない。
普段からネットはすごくよく使うが、常日頃「日本語という言語環境において
情報が圧倒的に足りないこと」を実感しているからである。
だから、

まっとうな記事を書ける人がもっと頑張って書いてほしい、と思う。


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暖をとりあう猫たち

2010-09-24 18:01:33 | 日記
おとといまでの暑さがウソのように
昨日も今日も寒いですね。

今年は秋を満喫できるのかな。

ところで我が家ではいま、扇風機とガスヒータが同居している現状、
暑い時には絶対にあり得なかった光景だが、うちの猫どもは
さっそくお互いにくっつきあって暖をとっている。
その姿がけなげで、ほほえましい。


ココとポピー


ところでいま日本と中国は尖閣諸島の件でもめているようだ。
まあ、一方的に中国が仕掛けてきているといえるが、
日本政府もダラダラ状況を長引かせるだけでなく、
毅然とした態度で、しかも優れたアイデアで調和の道をさぐってもらいたい。
まだまだ知恵を絞る余地はあるはず、態度表明も大事だが、
事を前に進めなきゃ、話にならん。

最近中国語の翻訳の仕事が多かったけど、絶対お客さんにも
影響がでていると思う。

一番困っているのは日本に在住している翻訳者の人たちだと
思う。それは電話で話していてもなんとなくわかる。

どっちが勝つとか負けるとか、もうそんな時代じゃないでしょう。
白か黒か、勝つか負けるかでしか事に対処できない輩は、
さっさと淘汰されてこの世からいなくなってほしい。

世知辛さが身にしみる季節になってきた。


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