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いいじゃんゲーム

2012-05-26 17:19:59 | 日記
このブログの読者の方で「EFT」という言葉を耳にされた方は
おそらくいないと思う。

EFTとは、Emotional Freedom Techniqueのことで、
ロジャー・キャラハン博士によって考案されたTFT、
Thought Field Therapy(思考場療法)をより簡素化した方法である。

キャラハン氏が水恐怖症で水をさわることすらできない女性の眼の下のツボを
刺激したところ、恐怖症はおさまり、なんとプールで遊びだしたという
劇的な経験をもとに研究をかさね、創られたものだ。

TFTがキャラハン氏のように精神科医の専門家が行うものであるのに
対して、キャラハン氏のもとで学んだゲアリー・クレイグ(Gary Craig)
が、より簡単に行える方法を研究し、1996年に開発したものだ。

いずれも、ツボをタッピングすることで、体のエネルギー(磁場のようなもの)
を整えて、メンタルな要素を癒し、改善してゆくものだが、TFTは診断によって
タッピングの方法が異なるなど複雑な体系をもっていたのに対し、
EFTは診断しなくとも、誰もが簡単に行える。それによってEFTは世界中に
普及していったのだといえる。
こうした肉体と精神の相関性に着目している点が気功などと似ている気もするし
大変興味深いのだが、私は専門家ではないし、詳しい話はできない。

私が興味をもったのは、「精神というとらえどころないものを特定し、
改善してゆくプロセスの本質的なところ」である。

何度もいうが、私は専門家ではないし、たぶんに独断的、個人的印象を
述べているにすぎないので、ここらで語り口をかえよう(笑)。

ぶっちゃけていえば(いきなりくだけすぎじゃい!)それは、

「心の解放」

だと思う。そう考えると世に出まわる様々な「癒し系の本」のプロセスと
符合する(あくまで私の印象だよん。)

だから「本質的なところ」と書いた。

人は様々なレベルで「判断」する。
正しいとか間違っているとか、
こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない(同じことやろ!)
なんかムカつくとか、あれが好きだ、これが嫌いだ、
どうも苦手だ…、とか。

そうした概念が心のタガとなり、自分をしめつけ、自分を観念の牢獄に
とじこめ、時には良心の呵責をうみだす。

それらをひとつひとつ取り払っていく。決して自分の心の奥底にしまい
込んでしまうのではなく、受け入れ、リリースするのだ。



『すべての望みを引き寄せる法則―夢を叶えるタッピング』(ブレンダ)

この本は、上記のEFTの技法と願望実現(引き寄せ)をミックスした本だ。
非常に欲張りな本ではあるがこれらのミックスは私にはうなづける。

願望は固執すればするほど叶わない、というのが私の持論だからである。
願望への固執はいうなれば精神的(感情的)な病気のようなものだ。

上記の本では、

ネガティブからポジティブへのリマインダー・フレーズというのが用いられる
のだが、そのネガポジ変換プロセスのキーワードが「ネガな自分(感情)を受け入れる」
だと思う。

これまた、ぶっちゃけトークで、「いいじゃん」ってこと。

あいつがゆるせない(いいじゃん)
あいつがゆるせないという自分がゆるせない(いいじゃん)
あいつがゆるせないという自分がゆるせないという自分がゆるせない(……笑)

まあ、様々な技法があっておもしろい。

というわけで今日は最近のマイ・ブーム(「いいじゃんゲーム」)について
書いてみた。

翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

コピー

2012-05-17 17:06:02 | 日記


『Kurt Rosenwinkel/Intuit』
先日このブログで紹介したカート・ローゼンウィンケルのアルバムだが、
「When Sunny Get Blue」というスタンダードを演奏している。

なんと先日、完コピしてしまった。普段からいろんな映像やCDの演奏を採譜
したりするのは私は習慣としてあるのだが、大体は曲中の一部分のみとか、
印象に残ったところをピックアップすることが大半である。
ただし、この曲のカートの演奏はとりたてて派手な印象はないが、
イントロ、テーマ、ソロ、エンディングとも大変見事なので、結局全部やってしもた。

やってみると超感動!!

それでどうということはないが、聴き取った譜面をマジマジとながめて
悦に入っている(アホか!)
いずれにしてもすごく勉強になった。

カート・ローゼンウィンケルは際立って複雑なフレーズを弾いている
わけではないし(もちろんものすごいスピードとテクニックなのだけど…)、
シンプルなのだが、TPOがよくできているというか、とにかく溢れんばかりの
アイデアとセンスに見事なほど彼のテクニックが対応している。
そしてそのアイデアがある意味奇抜でもあり、彼独自でもある。
そういうところは、現代クラッシックやピアノのサウンドから得られた着想の
ような気がする。

とにかく、カート・ローゼンウィンケルはモダン・ジャズに新しい感覚を
もたらしたということは、決して言い過ぎではないと私は思う。

思うに彼はジャズという素材があってそれを巧く処理することに主眼をおいて
いるというよりもむしろ、素材を超えたところにある新しい感覚に常に耳を
すましている、そういう感じがするのだ。

話はちがうが、私はよく人の演奏をコピーする。
実は、このコピーという行為に関してはミュージシャンの意見はさまざまでである。
コピーを盛んにすすめる人もいれば、コピーをあまり重要視しない人もいる。
後者の言い分としては、「それにより自分の演奏を省みる機会が失われる」という
ことがあるのだろう。
まあ、私はそれぞれタイプの問題だと思っている。

要するに「コピーをする」人は人の演奏をコピーし、分析し、センスを学び、
それを自分の演奏に活かす努力をすればよいことだ。
ただし、「コピーをする」人がコピーばかりに夢中になり、演奏を学ぶものに
とっていちばん重要な「聴く=耳にインプットする」という作業がおろそかに
なってしまうこともある。

一方において「コピーをしない」人はその分、数多くの曲を数多く聴く
という作業は絶対に必要だ。それがなければ、ただのヘタクソ、ただのホラふきだ。
まあ、そういう人は私の周りにはいないし、いたら蹴飛ばす(笑)。

結局バランスの問題なんだろうなあ。

ミュージシャンのセンスは様々であるように、自分の演奏をよりよいものに
していこうとするためのプロセスは様々なのだ。
サウンド・イメージを追いかけて、いろいろやってみる、というのが正解だろう。

学ぶということは人の演奏から何かを得ることだ。
私にとっては自分が10代、20代の頃に心を揺るがされた音楽、クラッシック、
ロック、ブルース、ジャズを未だに追いかけているというだけの話だ。

陸の孤島で自分で作った楽器を、自分独自の演奏で、そして独自のサウンドで
やることに私は全く興味がない。

宇宙人(あのタコみたいな火星人)が突然現れて、最高の音楽でもやってくれる
っていうんなら話は別だが、それでも、ちょっとね~、やっぱり興味ないな~(笑)。


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Intuit/Kurt Rosenwinkel

2012-05-11 17:16:14 | 日記
ストラディヴァリウスというヴァイオリンの名器があり、
日本だとそれこそ、大豪邸が建つような値段のものらしいが、
ギターにはそういった名器ってあるのかしら…。

私はギタリストでありながら、実はヴィンテージもののギターに
興味がない。しかしヴァイオリンにしても、ギターにしても弦を振動させて
鳴らす楽器は絶えずよい振動をボディに伝えることによって長い時間をかけて、
名器が作られてゆくものだ、とは理解している。

だからヴィンテージものには試弾きは絶対必要だと認識している。
でも、実際何年も同じギターを弾いているし、そのサウンドがあまりに
自分になじんでしまっているので、試弾きによって自分の理想とする
サウンドを探し出す意欲がないというのが正直なところ。

それに、どんな人が弾いたかわからない楽器はちょっとね…。
へんな加工が施されていたらいやだし、大体呪われてるかも知れないし(笑)。

というわけでどうせなら新品のギターがほしい。

ほしいギターは「D'Angelico」。
私のパソコンの背景画面はいつもこの写真。

これ以前、人が目の前で弾くのを観て、あまりにいい音するのにびっくりした。
「その人は給料の5倍です。」と冗談交じりでいっていたが、やはりいい楽器は
いいなあ(当たり前だ!)。

そういえばKurt RosenwinkelもD'Angelicoを弾いている。
なんと韓国製だそうだ。実は韓国製のギター最近ではしっかりしたいいものが
多いんだぞ。

彼の場合、D'Angelicoを入手する前はギブソン335を弾いていたと思うが、
正直、あまり音の違いがわからない(そんな鈍い奴はたぶん私だけだと思う)。
心地よいディストーションと彼自身のヴォイスが入り混じり、彼独自の
サウンドであることは間違いない。

というわけでなかば強引に今日はこのCDを紹介する。



『Intuit/Kurt Rosenwinkel』

処女作には、作者のあらゆる要素が込められているというが、
確かにこのCDにも当てはまる。ヨーロッパの香りがするところは、
友人のジェシ・ヴァン・ルーラの影響か、それとも
セロニアス・モンクの影響だろうか?(ってモンクって100%アメリカ人だと
思うけど…)

CDに収められている曲はほとんどがスタンダード、これを見事に
自分のものにしている。ガチンコのBe-bapもある。

この頃はギブソン335だと思う。

うまい人が弾くとどのギターもよく響くものだ。
ってことは私の場合、「ギターの前に、まず腕をみがけ」ということになるか(笑)。


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Lush Life/John Coltrane

2012-05-07 18:06:37 | 日記
久々のブログ更新、最近ネタに事欠く(笑)。
いざ書くとなると気合を入れすぎてしまい、日常のささいな
出来事や気づきを書くことをわすれていた。
というわけで、今日は軽めにいこう。


『Lush Life/John Coltrane』

いつもギタリストのレコードばかり聴いているのだが、
こういった自分の担当楽器とはちがう編成のCDが時々無性に聴きたくなる。

私だってリラックスしながら聴くことを純粋に楽しみたい時もあるさ。

こういう比較的リラックスしたコルトレーンが好きだ。
少人数編成でスカスカした空間が実に心地よい。

「Trane's Slow Blues」などはピアノの伴奏もなく、
ベースとブラシのドラムだけをバックに自由に演奏している。
それなのにすごく存在感があるし、本当に演奏を楽しんでいるのが
よくわかる。

以前はギターやピアノは基本伴奏楽器であり、サックスやトランペットの
ようにメロディ楽器としては不向きなような気がしていた。
もちろん現代のジャズ・ギターはアンプを通して演奏されることがほとんど
だし、いろんなエフェクターを使えば、伸びやかなトーンだってだせる。
ただ、サックスやトランペットに比べて圧倒的に存在感に欠ける気がしていた。
だから、自分としては、存在感を補うという意味で単にシングル・トーンのみの
演奏をさけていた。

「そんなもの、いいわけにすぎん!」

師匠のゆうぞうさんは一喝(笑)。

まあ、このレコードを聴いていると彼の云わんとしていたことがよくわかる気がする。

テーマにしても、ソロにしてもメロディーを演奏するということは、
自分の奏でるトーンに「のる」ということであり、さらには「楽しむ」こと
なのだと思う。逆に自分のトーンを楽しめないとするなら、それは存在感の
ない演奏になってしまうのだと思う。

言うは易し行うは難しというが、よほどひとつひとつのトーンに気を
配らねばならないということだ。シンプルであればあるほど難しい。
ただ、それをものにできれば、ある意味無敵である(笑)。

っと、またもや悪い癖で楽しんで、リラックスして聴いているつもりが、
分析的、ミュージシャン的な思考をしている自分がいる(笑)。

まあ、それはそれとして「演奏することを楽しむ」ためには、
「聴くことを楽しむ」ことも大切だと思った次第である。


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