またしても久々のブログ更新、ひとつひとつのブログ記事が長すぎて
あんまりちゃんと読んでいる人がいないことが先日判明した(笑)ので、
今後は短めにそして簡潔にやることにした。
いきなりのCD紹介、
『Jim Hall/LIVE!』
いわずとしれたジャズ界の大御所、ジム・ホールのアルバム。
彼にはいろんな名盤があり、このブログでも何度も紹介してきたが、
個人的な趣向としてはこのアルバムがもっとも「ジャズ的」であり、
いちばん気にいっているものだ。
彼が学生にギターを指導する際によく用いる「モチーフ理論」。
端的にいうなら、ひとつの音楽的発想をもとにそれを曲中に展開してゆくもの。
これにより少なくとも自分の演奏を意識的にコントロールしてゆくことができる。
メロディーというものは、偶然的に「向こうからやってくる」ものである。
すぐれたミュージシャンとは「耳のよいミュージシャン」であることに他ならない
のだが、それに「ついてゆく」ことは並大抵のことではない。
すべてを「その場の発想」で演奏してのけるミュージシャンはほとんどいない。
どんなミュージシャンにも「ストック」というものがあり、それとその場の
着想をバランスよく配列して演奏が成り立っている。
キース・ジャレット、ハービー・ハンコック、パット・メセニー、ジョン・
スコフィールドなどは、尽きることない着想にしっかりテクニックが
ついていっている類まれなミュージシャンであるが、そういうジョンスコにしても
「シーケンス・パターンの練習はすごくやる」と雑誌のインタビューでいっていた
くらいなので、まあ「普段は基本的な練習をして、本番で新記録をめざして跳躍する」
イシンバエワみたいなものなのだろう。
って何の話だっけ?(笑)
ともあれ「着想」と「コントロール」というものは常に拮抗しているものであり、
ジム・ホールの「モチーフ理論」はそのバランスを保つのに、有効な発想だと思う。
しかし、これはとても難しいことだ。
ひとたびバランスがくずれ、着想の要素がうすまってしまうと、中身のない方法論
だけが目立つ演奏になってしまう。
このアルバムでのジム・ホールの演奏はその辺のバランスが大変に心地よい。
尽きることのない音楽的発想(モチーフ)がきれいなメロディー・ラインに
昇華している。
現代ギタリストの雄、Kurt Rosenwinkelの演奏を聴いていてもジム・ホールの
影響を感じることがある。もちろん、彼のハーモニー、メロディーは真の意味で
独自であると思うが、それでも確かに方法論的継承のサインは読みとれる。
ジャズという音楽がジャンル的な枠組みの中でムードやフィーリングを継承する音楽
であった時代はとうに過ぎ去った。
ジャズにおいてはフィーリングは特定の音階やコードではないし、彼らにとっては、
先人のメロディーやハーモニーなどどうでもよいことなのだ。それは先人に対する
リスペクトがないという意味ではなく、ジャズは常に新しい、フィーリングやハーモニー
を創造すべき音楽だということだ。
私にとって「ジャズ的」であるとはそういうことだ。
(ってまた、小難しいことをグダグダと述べてしまった(笑))
がんばろう、東日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
あんまりちゃんと読んでいる人がいないことが先日判明した(笑)ので、
今後は短めにそして簡潔にやることにした。
いきなりのCD紹介、
『Jim Hall/LIVE!』
いわずとしれたジャズ界の大御所、ジム・ホールのアルバム。
彼にはいろんな名盤があり、このブログでも何度も紹介してきたが、
個人的な趣向としてはこのアルバムがもっとも「ジャズ的」であり、
いちばん気にいっているものだ。
彼が学生にギターを指導する際によく用いる「モチーフ理論」。
端的にいうなら、ひとつの音楽的発想をもとにそれを曲中に展開してゆくもの。
これにより少なくとも自分の演奏を意識的にコントロールしてゆくことができる。
メロディーというものは、偶然的に「向こうからやってくる」ものである。
すぐれたミュージシャンとは「耳のよいミュージシャン」であることに他ならない
のだが、それに「ついてゆく」ことは並大抵のことではない。
すべてを「その場の発想」で演奏してのけるミュージシャンはほとんどいない。
どんなミュージシャンにも「ストック」というものがあり、それとその場の
着想をバランスよく配列して演奏が成り立っている。
キース・ジャレット、ハービー・ハンコック、パット・メセニー、ジョン・
スコフィールドなどは、尽きることない着想にしっかりテクニックが
ついていっている類まれなミュージシャンであるが、そういうジョンスコにしても
「シーケンス・パターンの練習はすごくやる」と雑誌のインタビューでいっていた
くらいなので、まあ「普段は基本的な練習をして、本番で新記録をめざして跳躍する」
イシンバエワみたいなものなのだろう。
って何の話だっけ?(笑)
ともあれ「着想」と「コントロール」というものは常に拮抗しているものであり、
ジム・ホールの「モチーフ理論」はそのバランスを保つのに、有効な発想だと思う。
しかし、これはとても難しいことだ。
ひとたびバランスがくずれ、着想の要素がうすまってしまうと、中身のない方法論
だけが目立つ演奏になってしまう。
このアルバムでのジム・ホールの演奏はその辺のバランスが大変に心地よい。
尽きることのない音楽的発想(モチーフ)がきれいなメロディー・ラインに
昇華している。
現代ギタリストの雄、Kurt Rosenwinkelの演奏を聴いていてもジム・ホールの
影響を感じることがある。もちろん、彼のハーモニー、メロディーは真の意味で
独自であると思うが、それでも確かに方法論的継承のサインは読みとれる。
ジャズという音楽がジャンル的な枠組みの中でムードやフィーリングを継承する音楽
であった時代はとうに過ぎ去った。
ジャズにおいてはフィーリングは特定の音階やコードではないし、彼らにとっては、
先人のメロディーやハーモニーなどどうでもよいことなのだ。それは先人に対する
リスペクトがないという意味ではなく、ジャズは常に新しい、フィーリングやハーモニー
を創造すべき音楽だということだ。
私にとって「ジャズ的」であるとはそういうことだ。
(ってまた、小難しいことをグダグダと述べてしまった(笑))
がんばろう、東日本!!
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