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もうすぐ年明け

2011-12-31 21:59:20 | 日記
今年も1年本当にありがとうございました。

本当はひとりひとり名前をあげて感謝すべきなのだけど、
きりがないからね…。

いろいろなことがあった1年だった。
震災や洪水、中東から全世界へと飛び火した民主化運動、
ヨーロッパの情勢不安、なによりも不況、不況、不況…。
でも苦しかった分、勉強もさせられた。

それでも生きていられることに感謝したい。
感謝を忘れてしまった人生は悲劇だと思うから。

我々は人に期待すること、頼ることそのものが愚かな行為
であることを知らねばならないと思う。

人を裁くことなかれ。

我々がどんなに愚かであろうと、喜びに満ちていようと、
ともあれ地球は回っている。
自然淘汰、来年はもっと激しい変化の年になるだろう。
もはや変化を受け止めるしかないと思う。
変わらないでいようとすることがどれほど愚かであるか、
それを思い知る年になるだろう。

そしてそのような状況の中にも必ず選択の余地はある。
それが縁起というものだから。

決して騙されることなく、生きていきたい。

がんばろう、日本!!
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年末のあいさつまわり

2011-12-28 15:48:26 | 日記
昨日は年末のあいさつまわりで都内をまわった。

ある会社の社長さんと久しぶりにお話しができた。
私が会社を設立してからずっとお世話になっている方で、
当時からお会いすることもあったのだが、なにしろ忙しい方
で昨日は本当に2年ぶりにお話しした。

いろんな励ましもいただいた。

もう、今年ほど悪くなることもないだろう…。

それにしても頭の切れる人だ。

学校を卒業して、入社1年目の時は1年のうち1回だけ半日の休日が
あっただけだという。
今では考えられない(それこそ訴えられそうな)過酷な労働条件だ。
ただその時、すごく鍛えられたのだそうだ。
図面をそれこそ1日に何枚も描きあげなければならず、そういう中で
オブジェクトを「3D」でとらえられるようになったということだ。

今でこそ、パソコンやテレビの普及で3Dという言葉は一般的に
なっているが、ここでいう3D思考とは、与えられる映像をただ見ている
ことではなく、その映像自体をイメージし、設計し、作り上げる能力の
ことである。大体当時パソコンなどない。

製品にクレームがついても、その解決策、対応策など瞬時に20も30も
浮かぶそうだ(いまの政治家にもみならってもらいたいものだ。)

そんな人はあまりいないでしょ、少なくとも私はできない。
どうりであかんわけである(笑)。

一度Webサイトの制作の打ち合わせに立ち会ったとき、普通の人なら、

「ホームページつくりたいんだけど…」

「どんなページにしたいですか…」

「うーん、それは、おたくで考えてよ」

ってなことが一般的(悲しいかな、ほとんどの人は何も考えていない)中、

トップ・ページからツリー構造、コンテンツまで全部メモして、書き出した
アイデアを見せられたのにはびびった。

すげー人だな、こりゃ!

まあ、そういう人から、今後を生き抜く秘策をアドバイズされた。

これで、わが社も大丈夫(笑)、内容は秘密(笑)。


常日頃私は翻訳業とは「コミュニケーションにもとづくサービス」だと思っている。
だから私の仕事の半分以上はお客さんと話をすることだと思っている。
それでも2時間もお客さんと話し込んだのははじめてだった。

まあ、初めてまだ2年とちょっとの小さい会社なので、ブログでは仕事について
偉そうなことを書くことをいつもためらっているのだが、
昨日はあまりに楽しく、気持ちが明るくなれたので、
今日はちょっと書いてみることにした。

がんばるぞ、東日本! がんばるぞ、OMT
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名曲解説 その1(父へのクリスマス・プレゼント)

2011-12-24 17:08:24 | 日記
名曲解説(コード進行) その1

(SITTIN' ON) THE DOCK OF THE BAY

先日、ある方より「あの曲を教えてほしい」との依頼があった。
上記の歌はオーティス・レディングの名曲中の名曲、一時は確か
コマーシャル・ソングだったので、旋律が記憶に残っている方も
いるかもしれない。
歌詞にあわせてギター用のコード進行を下に記した。


(SITTIN' ON) THE DOCK OF THE BAY
- written by Otis Redding and Steve Cropper
- lyrics as recorded by Otis Redding December 7, 1967, just three
days before his death in a plane crash outside Madison, Wisconsin
- #1 for 4 weeks in 1968

----------------------------------------------------------------
(イントロ)
A E /A E /A E /A E /(気持ちはワン・コードで)

(1コーラス目)
Sittin' in the mornin' sun
I'll be sittin' when the evenin' come
A /C# /D /B /

Watching the ships roll in
And then I watch 'em roll away again, yeah
A /C# /D /B /

I'm sittin' on the dock of the bay
Watching the tide roll away
A /F# /A /F# /

Ooo, I'm just sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
A /B /A /F# /

(2コーラス目)
I left my home in Georgia
Headed for the 'Frisco bay
A /C# /D /B /

'Cause I've had nothing to live for
And look like nothin's gonna come my way
A /C# /D /B /

So I'm just gonna sit on the dock of the bay
Watching the tide roll away
A /F# /A /F# /

Ooo, I'm sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
A /B /A /F# /

(サビ)
Look like nothing's gonna change
Everything still remains the same
A E /D /A E /D /

I can't do what ten people tell me to do
So I guess I'll remain the same, yes
A E /D A /G /E /

(3コーラス目)
Sittin' here resting my bones
And this loneliness won't leave me alone
A /C# /D /B /

It's two thousand miles I roamed
Just to make this dock my home
A /C# /D /B /

Now, I'm just gonna sit at the dock of the bay
Watching the tide roll away
A /F# /A /F# /

Oooo-wee, sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
A /B /A /F# /

(whistle) (エンディング)
A E /A E /A E /A E /(気持ちはワン・コードで)
----------------------------------------------------------------

大サービスだぞ(笑)。

ギターで伴奏する際のポイントとしては、コード・チェンジの箇所で
8分くって入ること。
後は、A /C# /D /B /のところなど半音ずつ移動してやると
まるでホーン・セクションのようである。

A /F# /の展開のところが、いかにもソウル・ミュージック。
ウィルソン・ピケットのMidnight hourのイントロだと、
A /F# /の後、さらにE /D /となる。

こうして改めて聴き取ってみると、本当に名曲だ。
確かに、ふと、あの旋律思い出すという人の気持ちがよくわかる。

シンプルだけど、こんな歌はなかなか(ってか多分永久に)作れないと思う。
マイナーのコードはひとつもでてこない。それなのにこの寂寥感は何なのだ?!

そして、この曲のスティーブ・クロッパーのギターが実にいい。
自慢ではないが、私のどこを掘ってもあの感性は出てこない。

上記だとメロディが全く表現できないので、是非原曲を聴いてみてほしい。
なにしろあの「浮遊感」はすごい。

ジャズ進行がどっぷりの人にとってはちょっと理解しがたいかも…。

私が思うにこういったコード進行こそが、黒人音楽とくにソウル・ミュージックの
本質的なところだと思う。

たぶん和声学というより、モード的な発想で曲が作られているような気がする。
そういう意味ではビートルズ的でもある(これについては後日、機会があれば解説
する)。

Dominant Motionのような西洋音楽において最も特徴的な和音進行も、よりシンプルな
サウンドを知るもの(例えば民族音楽)においてはそれがすべてとは言い得ない。

そういう意味でもソウル・ミュージシャン(黒人)はいわゆる西洋音楽と
戦っていたんだなあと思うと少し感慨深い。


がんばろう、東日本!!

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年賀状作成

2011-12-18 15:28:49 | 日記
もう年賀状の季節だ。

一応、OMTも会社なので毎年年賀状は作っている。
世の中いろんな趣向をこらしたものがあるようだが、
当社はいたってシンプル。その年の干支を使う。

毎年郵便局のホームページから無料の図案がダウンロード
できるのでそれを使いながら、我が家の猫をおりまぜる
というのが恒例となっている。

デザインと呼べるようなものではないのだが、
毎年Adobe Photoshopを使ってせっせと画像加工を行う。
私は写真加工に関してはプロレベルだと自負しているが、
いかんせんデザイン・センスがない(全くないといってよい)。
したがって得意分野で勝負するしか、すべないのだが、
ダウンロードした干支の図案とうちの猫の写真のアングルが
合わないので毎回かなり苦労する。

一層のこと写真を撮り直したらよいのだが、猫は絶対に思った
アングルで写真を撮らせてはくれず、これじゃ来年になってしまうわい!

2011年ヴァージョンの図案



これはポピーを素材としてメルヘンチックに仕上げた。
といってもこれもやはり郵便局のホームページから無料の
図案をダウンロードして、ポピーの顔をきりぬいて入れただけ。

こうやってみると、耳がないので(だってウサギの耳を入れなきゃ
わけがわかんないでしょ!)まるでドラえもん、猫かどうかの
判別すらつかないなあ…。

来年は辰ということなのだが、今年のように耳をとってしまうと
猫の写真のアレンジだということがわからなくなってしまうし、
かといって耳をつけると、これまた龍らしからぬ(だって猫に角は
ないもの!)、まるで蛇か、へんなトカゲになってしまう。

悩んでいると、うちの嫁が、

「クロ(うちの猫、もちろん黒猫)に黒い龍(いわゆる黒龍)
の絵をくっつけたらいいじゃない。」

とまことに勝手なことをいう。

まあ、学生の時、未(ひつじ)の年賀状を書いたら、巳(へび)と
間違われた、といっていたから、そんな奴の意見など、鼻っから無視するさ!

そういうわけで、また郵便局のホームページをみていたら、
ぐっと心に突き刺さる図案を発見した。
大体、私は龍のあの鯉のように、ひょろひょろ伸びた髭や、あの偉そうな面構えが
大嫌いなのだった。
その点、これはいいぞ!

というわけで、またもせっせとダウンロードした図案に猫の写真をアレンジする。
そんで出来たのがこれ、



ちょっと、コラージュが横尾忠則さん的でしょ?(ちゃうちゃう!!)

こうして猫の写真をいろいろ吟味していると、圧倒的にクロの写真が
被写体としておもしろく、創造性をかきたてる(笑)。

逆にいうと、まともな写真が1枚もない。
なんかいつも変な格好してるんだよね…。

だから思い切って、後ろ姿にしてやったぜ!

まあ、来年も猫たちの、そして家族の、友人たちの無事がなによりだと
思っている。
せめて、悪夢のような今年より、少しでもよくなってくれたらと切に願う。

最後にちょっと早いけど、今年もありがとうございました。


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イッツオンリーロックンロール

2011-12-16 17:19:05 | 日記
もう20年も前になるか…。
私が学生の時、大学の学園祭で教室を舞台にしてライブハウスを
催して演奏していた時、膝をかかえてじっとうちらの演奏をながめて
いた少年がいた。

あまりに純朴なその少年、話をきいてみるとドラムを叩くらしい。
その当時の私は、まさに怖いものなしのロック野郎だったので、

「おう、お前いっしょにやろうぜ!」

と声をかけた。はにかみつつ、ニコニコ笑いながら一言も発せず、
彼は8ビートを叩き始めた。

シンプルだけど、なかなかうまいな…

っていうのが最初の印象だった。

少年の名前は熊谷智明という。

それからしょっちゅう彼といっしょにやるようになった。

まあやる度に上手くなってゆく、というよりもやる度に音が大きくなり、
ツーバスを踏むようになり、音数も多くなった。

「クマ、うるせーんだよ! 雷様か、おのれは!!」

いろいろな縁起があり、私はブルースを演奏するようになった。
クマはあいかわらずロックン・ロール・オンリーだった。

それから何年かのち、一体全体何を考えているのかクマがアメリカに
行くといいだした。
今はただの親父になってしまったが、ああみえても結構クマは人から
慕われていた。みんなで成田に見送りにいった。

クマを乗せた飛行機が離陸し、視界の彼方に消えていったのを見た時は
やるせなくて涙が出そうになったのを覚えている。

何年間か私はブルースどっぷりの生活を送り、何の修行をしてきたのか
知らないが、クマが帰国をしたとの知らせをきいた。

ある日他人のバックマンになりさがっていた私をクマが罵倒しやがった。
それっきり、しばらく音沙汰なし…。

ところがいつ頃からか彼が近所に住んでいることがわかり、
彼がロック・バンドを組んだというので観に行った。

コイケココロー率いるアナコンダ…。

マジでビビったぜ!!
なんだこいつらは!!!
すげえ奴らがいたもんだ!!!!

ちょうどその頃だ、ゆうぞうさんにクマを紹介したのは。

あれから10年近いか…。

ともかく、それからクマはコイケココロー&ヘルニアンズというふざけた名前の
バンドを組み始めた。

まあ、そんなこんなでいまでもクマとやっているわけだが、
彼のおかげでコイケココロー、シュンスケ、ダイスケたちと出会えたのだから
本当に自分はラッキーだったと思っている。

思うに、学生の時、いちばん才能のない、いちばん馬鹿な二人(つまり私とクマ)
だけがいまだに続けてるんだよね。


本当に不器用でロックしかやらない(出来ない)奴。
イッツオンリーロックンロール!!
でも大した野郎だ。これからもよろしくな、クマ!

ロング・リブ・ロック(ロックよ永遠に)!!


がんばろう、東日本!!
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