最近、小学校や中学校における教師の質の低下が問題になっている。
今日のニュースの特集でもとり上げていた。
教室の風景を写したVTRは一種悲惨な現場の実情を映していると思った。
授業中であるにもかかわらず、生徒達は席につこうともしないで、
教室中を動きまわっている。
先生ももはやあきらめたのか、大人しく授業を受けようとする生徒にだけ
プリントを配布している。もはや収拾がつかない状態である。
私の目を引いたのは、実はこれ見よがしに教室を走り回っている子供たちではない。
もちろん、真面目に授業をうけようとしている生徒たちでもない。
動き回っている生徒たちにも、そして授業をしようとする先生にすら興味を示さず、
無関心の様子で誰と話をするわけでもなくポツンと座っている一人の子供だ。
こういう子供たちをインディゴ・チルドレンというのかな(ちょっとちがう気もする。)
(…)
私も教育荒廃が進んだといわれていた時代を過ごした。
程度の差こそあれ、それほど我々の世代と変わりは無いと思っている。
「たのきんトリオ」全盛で、女の子はみんな松田聖子みたいな髪型だったし、
スカートはみんな長かった。男の子はいわゆる刺繍入りの学生服にボンタン、
ツータック、スリータック…。
授業をボイコットする奴もいたし、登校拒否の生徒もいたし、イジメもあったし、
万引きも、そして恐喝まであった。
みんな、同じテレビ番組を見て、同じ雑誌を回し読みして、
そうやってモードが出来てゆく。
いまの子供たちも同じ、その時代のモードを生きているだけだ。
大人もしかり。とりあえず民主党に文句をいって、社会に文句をいって、
文句をいうだけのマスコミをうのみにして、それが理念だの、イデオロギーだの
と騒いでいるだけ。
悲しい現実は、そこから逃れることはできないということ。
つまり人間は生かされているだけだということだ。
ずっと昔からそうなんだと思う。
「俺も若いころは悪くてね。」といっている大人が、「今の若い奴は…」などと
いっているのを聞くと、吐きそうになる。
「いや、我々の頃はまだ、良心があった、愛情があった。」
ドングリの背比べでしょ、そんなの。
だいたい、それはあんたがたの意志ではないでしょ。
ただ生かされてただけのくせに。
だいたい現代の教師の手足をもぎとったのは大人たちでしょ。
(…)
一体全体、人間の自由意思など存在するのか。
おそらく、存在すると思う。でもどうしても手が届かない…。
人間が生かされてある存在である以上、我々をつき動かしているのは
本人の意思ではなく、モード(宗教、信念、理念、イデオロギー、嗜好、、、
なんでもOK)という得体の知れない怪物によってであるということをただ自覚して
生きてゆくしかないのだと思う。
そんなゲームは「やーめた」と言いたい。
だから、私の思いこみかも知れないけど、上記のインディゴ・チルドレンを
見つけた(ような気がした)時は内心ホッとした。
彼ら(インディゴ・チルドレン)は肩の力を抜いて、そういう現実を
悠々と泳いでいきそうな気がする。自分の本当に望む未来に向かって。
新しい世界はそういうところから生まれると思う。
ガンバレよ。いやガンバルな。気楽にいけ。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
今日のニュースの特集でもとり上げていた。
教室の風景を写したVTRは一種悲惨な現場の実情を映していると思った。
授業中であるにもかかわらず、生徒達は席につこうともしないで、
教室中を動きまわっている。
先生ももはやあきらめたのか、大人しく授業を受けようとする生徒にだけ
プリントを配布している。もはや収拾がつかない状態である。
私の目を引いたのは、実はこれ見よがしに教室を走り回っている子供たちではない。
もちろん、真面目に授業をうけようとしている生徒たちでもない。
動き回っている生徒たちにも、そして授業をしようとする先生にすら興味を示さず、
無関心の様子で誰と話をするわけでもなくポツンと座っている一人の子供だ。
こういう子供たちをインディゴ・チルドレンというのかな(ちょっとちがう気もする。)
(…)
私も教育荒廃が進んだといわれていた時代を過ごした。
程度の差こそあれ、それほど我々の世代と変わりは無いと思っている。
「たのきんトリオ」全盛で、女の子はみんな松田聖子みたいな髪型だったし、
スカートはみんな長かった。男の子はいわゆる刺繍入りの学生服にボンタン、
ツータック、スリータック…。
授業をボイコットする奴もいたし、登校拒否の生徒もいたし、イジメもあったし、
万引きも、そして恐喝まであった。
みんな、同じテレビ番組を見て、同じ雑誌を回し読みして、
そうやってモードが出来てゆく。
いまの子供たちも同じ、その時代のモードを生きているだけだ。
大人もしかり。とりあえず民主党に文句をいって、社会に文句をいって、
文句をいうだけのマスコミをうのみにして、それが理念だの、イデオロギーだの
と騒いでいるだけ。
悲しい現実は、そこから逃れることはできないということ。
つまり人間は生かされているだけだということだ。
ずっと昔からそうなんだと思う。
「俺も若いころは悪くてね。」といっている大人が、「今の若い奴は…」などと
いっているのを聞くと、吐きそうになる。
「いや、我々の頃はまだ、良心があった、愛情があった。」
ドングリの背比べでしょ、そんなの。
だいたい、それはあんたがたの意志ではないでしょ。
ただ生かされてただけのくせに。
だいたい現代の教師の手足をもぎとったのは大人たちでしょ。
(…)
一体全体、人間の自由意思など存在するのか。
おそらく、存在すると思う。でもどうしても手が届かない…。
人間が生かされてある存在である以上、我々をつき動かしているのは
本人の意思ではなく、モード(宗教、信念、理念、イデオロギー、嗜好、、、
なんでもOK)という得体の知れない怪物によってであるということをただ自覚して
生きてゆくしかないのだと思う。
そんなゲームは「やーめた」と言いたい。
だから、私の思いこみかも知れないけど、上記のインディゴ・チルドレンを
見つけた(ような気がした)時は内心ホッとした。
彼ら(インディゴ・チルドレン)は肩の力を抜いて、そういう現実を
悠々と泳いでいきそうな気がする。自分の本当に望む未来に向かって。
新しい世界はそういうところから生まれると思う。
ガンバレよ。いやガンバルな。気楽にいけ。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト