OMTインフォメーション

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OMT 第3期

2012-06-25 17:14:23 | 日記
OMTもなんとか3期を終えることができそうだ。

こうして、この1年(2011年7月~2012年6月)を振り返ると
実にいろんなことがあったのだが、概してチャレンジの時期だった
気がする。

売り上げベースで考えれば昨年度を上回る成績ではあったが、
いろんな要因で利益は少なかった。

顧客は必ず減少してゆくということは、企業にとって宿命のようなものである。
だから、常に新規開拓をしてゆかねばならない。

しかしOMTのように、なんでもかんでも一人でやっていると、
仕事が立て込んでくると、オフィスにこもりがちになる。

その辺が大いなる反省点である。
だから、今年の初めからモバイル環境を整えた。
これによって、一応大体の作業は外でもできるようになったので、
心に余裕ができ、思い切った活動ができるようになったことはよかった。

不思議なもので営業活動をさかんにやると、営業ターゲットとは別の顧客から
仕事がまいこんでくることがある。
旧来の知り合いが突然仕事をくれたり、お世話になっているお客さんが
別のセクションを紹介してくれたりと…。
去年の滑り出し(今期の始め)は最悪だったので、この半年でなんとか
盛り返した。

結局、心がまえが大切ということなのだろう。

一方で私のライフ・ワークである音楽活動も、今年から急激に忙しくなってきた。
これも仕事との相乗効果なのだろう。

なにかに集中し、なにかをおろそかにすれば、おそらくすべてはなくなるだろう。
「二兎追うものは一兎をも得ず」などとはいってられない。

なんでもやる、全部やる。なにも犠牲にしない。

体は大丈夫かというと、最近ますます健康!!(笑)

体を休めるチャンスなど、そこここにあるさ。
(移動時間なんか、大好きだ。これがよく眠れるし気持ちいいんだ…)

起業してから、このブログを書き続けてきたけど、最近は随分偏ってしまった。
(音楽のことばかりじゃい!)

こんなんじゃ、いけない。

反省の意味を込めて、たまには猫の写真でも載せるか…。



人間のことなんか、どうでもいいにや~


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

コピーの意義

2012-06-24 12:53:41 | 日記
前回、何回かにわたってコピー(アメリカではトランスクライブという
ことが多いようだ)について書いてきたが、今日はその意義について
再度考えてみたい。

以前、Jim Hallの教則ビデオを観ていたのだが、そこでご自身も優れた
ミュージシャン、ギタリスト、講師、そして翻訳者であるところの
井上氏がコピーの重要性についてジム・ホールに質問していた。
それに対してジムは、

「私はあまりやらないけど、コピーすることもよい勉強なんじゃない」

というようなことをいっていた。

ジムのこの言葉をもってして、彼はコピーをそれほど重要視していないと
判断することは早計である。

なぜなら、彼自身も初期の頃はCharlie Christianの影響をうけていたことを
公言しているし、実際に初期の頃の演奏はチャーリー・クリスチャンのフレーズが
モロにそのまま出てくることもあるくらいだ。

彼がビデオの中でいわんとしていることは「オリジナリティを追求することの
大切さ」だと思う。

コピーをすることで、「自分の感性に耳をすます」ことをやめてしまうことは
まったく本末転倒であるということだ。

だからジムのチャーリー・クリスチャンのフレーズがモロにそのまま出てくる
演奏にしたところで、それは紛れもなくジムの演奏であり、彼のオリジナリティが
喪失しているわけでは決してない。

「オリジナリティ」というミュージシャンなら誰もが追及すべきこの怪物を
私は「あぶり出し」のようなものだと思っている。
それは曲、あるいは演奏のすべてなど、総合的なところから感じられる、
(あぶり出しのように浮かび上がってくる)個性だ。

コピーのよい点は、スケールであれ、メロディであれ、理屈ではなく、
実存するサンプルとして学べることだ。

私は決して自慢ではないが、体系的にスケールを学んだことがない。
ペンタトニックスケールをなにかの理論書からではなく、オールマン・ブラザース
のレコードから学んだことが逆に自慢である。

何も理論書を否定するつもりはないが、絶対に実際の音で確かめなきゃだめだ。
スケールも実際のメロディから学ばないと全く意味がない。

それはある種の「発見」であり、何ものにも変えられない喜びである。
ビートルズ進行を発見した時の喜びを自分は今でも覚えている。

楽器や歌を学ぶ人の初期段階において私が特にコピー、多聴を進めるのは、
それが自分のサウンドの深さ、広がり、その人の音楽性を作り上げてゆく
大切な要因となりうるからである。
絶対的にいえることは、「よいミュージシャンは必ず沢山の音楽を聴いてきた人」だ、
ということだ。
何年も楽器をやってきた人ならまだしも、学びの段階でそれを制限してしまうことが
あってはならない。

生半可に個性を追求する前に、いろんな音楽を聴いて学べ、いつかはそれが
シナプスのようにつながってゆくのだから、といいたい。
さもなければ、なんの深みもない偏狭なミュージシャンになってしまうぞ。
(実際、音楽をそういう狭い視野でしか捉えられない人は数多くいる、
残念なことだけど…)

人の演奏をそのまま自分の演奏のようにやろうとすることは犯罪的だが、
そんな「器用な」奴は、実は所詮大したことはない。
大切なことは、その根底にある「考え方」、「方法論」を学ぶことで、
フレーズをパクることではない。

反面、良心的なミュージシャンにとっては、矛盾するようだが自分のオリジナリティが
どうのこうのいう前に、演奏家はもっと自分の感性に忠実であるべきなのだ。
大体、大好きなミュージシャンの演奏や歌の影響をうけていない人などいないと思う。
人のフレーズがでてきてしまってもくじけるな、恐れるな(笑)。
時に、こうした検閲は特にインプロバイザーにとっては最大の敵ともなり得るのだ。

かくいう私もこんなブログを書いていることからおわかりのように、
未だに学びの途上にある。

思うに新しい知識を学ぶということは、ある種の混乱(カオス)をともなう。
でも自分はそれでいいと思っている。
オリジナリティ、メロディというものは氷山の一角のようなもので、水面下では
巨大な混沌が存在しているものだ。

コピーしたフレーズを徹底的に練習して、体になじませ、他の知識も吸収して、
なかば、どうでもよくなった、忘れた(??)時に初めて自分の演奏に生きてくる。

表面的な「マネ」とコピーのちがいとはそういうところだ。

よっぽど才能がないのか、私はいまだに演奏中に新しい音を探っている状態で、
ある時、めちゃくちゃ音をとっぱずしてしまったことがある。
その時だ、私の中になぜか「ジョンスコ的」なものが開花して(笑)、
アウト・フレーズを弾きまくった。

「あの時の演奏すごかったね」

(大いなるミステークってやつさ…)

「あれで弾ききっちゃうからすごいね」

(それ、ほめてんのか!?)

ともかく、こういう発見があることは「学び」の利点だと思う。

ただし、私の年になると「まだ、そんなことやってんのか」ともいわれかねない
ので「こっそり学ぶ」ことにしているけど(笑)。


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Joni Mitchell

2012-06-22 18:30:52 | 日記
なにもかしこまっていうべきことではないのだが、
私はJoni Mitchellの大ファンである。

本当に初期の頃から現代的な作品までほとんどの
アルバムをもっている。

私個人としては、『Hejira』が一番好きなアルバムだ。



彼女のサウンドは私にとって伝統的な形式にとらわれないロック、
フォーク、ジャズ、そしてブルースの理想形である。


『Shadows And Light』というライブ・アルバムがあり、
私自身、CDもビデオももっているくらいに好きなのだが、
なにしろバックをつとめるメンバーがすごい。

パット・メセニー、ジャコ・パストリアス、ドン・アライアス、
マイケル・ブレッカー、ライル・メイズ…。

ジャコは亡くなってしまったけど、皆がみな、今となってはジャズ、
フュージョン界を代表する大御所となってしまった人たちだ。
パット・メセニーとライル・メイズはこの活動をきっかけとして
パット・メセニー・グループを結成したらしい。
まだみんな若々しい。
パット・メセニーがボトルネック・ギターを弾くという大変貴重な
映像もある。

なによりも素晴らしいと思うのが、ジョニ・ミッチェルのギターが
しっかりとサウンドしている点だ。
これほどの面々をバックにしたがえていれば、ボリュームをおとして、
多少いい加減に弾いてもよさそうなものなのに、しっかり弾いているし
サウンド全体の一端を担っている。

そのギターが恐ろしくうまいんだ、これが!!



ところで先日、ジョニの古いアルバムを聴いていたのだが、
「Both Sides Now(青春の光と影)」が流れてきた時に思わず
泣きそうになってしまった。



歌詞についていろいろ調べていると、東エミさんという方が
ご自身のブログで大変素晴らしい訳詞をつけているのを発見した。
さりげないけど、切なく、そして胸が熱くなるようなすばらしい翻訳だった。

今度機会があれば、承諾をいただいて、このブログでも転載させて
いただきたいと思ってます。


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コピーのための環境整備その4

2012-06-21 15:00:00 | 日記
さて、いよいよレコードやカセット・テープのアナログ音源を
パソコンに入れる方法である。

この作業はある意味物理的にもっとも苦労したので、
うまくいった時の感動はひとしおであった。

まず絶対条件としてパソコン本体に入力端子がついていること、
ノート型のパソコンではないものもあるのでご注意を。

というわけでまず、私の場合はCDやMDを再生するミニ・コンポに
レコード・プレイヤーを入力(Input)端子に挿し込んで使っている。
これを出力端子からパソコンの入力端子に挿し込んでパソコンから
音が出たら大成功。

私は普段パソコンのヘッドフォン端子をパソコン用のスピーカに
挿し込んで使っているが、もちろんヘッドフォンでもOK。

以前友人のゲームソフト会社のレコーディングを頼まれたのだが、
アコースティック・ギターの録音はライン録音ではないため、
特殊な環境を要する。その時は1畳ほどのせまい空間に閉じ込められて、
無駄口一切禁止、ヘッドフォンでPAエンジニアと話をしながらの
ちょー過酷な条件だったのだが、閉所が苦手ゆえ、時間がかかってしまい、
ついでにお腹がすいてしまい(笑)、しまいにはおなががグーッとなって
しまい(笑)、そのグーッという音を自分のヘッドフォンから聴いている
という笑うに笑えない苦い経験があり(笑)、それがトラウマとなっているのか
いまでもヘッドフォンが苦手だ…。

もとい、そんな話はどうでもよい。

結局、出力と入力の端子の形状をしっかりとしらべて、電気屋さんにゆき、
試してみたら、長さが足りず、延長コードをかってきてつないでみたのだが、
どうやってもパソコンから音がでないのだ。

しかたがないので、とりあえずレコードは保留とし、次にカセット・テープ・
レコーダを調べたら、なんと出力端子がない。これには唖然とした。
そこでなぞを解決すべく、再び電気屋さんで事情を説明し、あれこれと
アドバイスをうけることにした。行ってみると電気屋さんは一言、

「ああ、それテープ・レコーダのヘッドフォン端子からパソコンの入力端子に
入れてみてください。」

帰ってきて、早速試してみると音がでた。
これがレコード・プレーヤーの場合にも応用できるはずとひらめいて
やってみたら、果たして音が出た。
なんのことはない、レコード・プレーヤーの出力端子が機能していなかった。

あとは、アナログデータをデジタルデータに変換するソフトウェアをネットで
さがせばよい(もちろん、私の場合は無料)。そしたらあった!!!

♪超録 - パソコン長時間録音機

このソフトは超お勧めである。なによりも操作説明が親切なところがうれしい。
データ形式もWAVやMP3など選べる。

さっそく、レコードをパソコンにおとしてみる。
記念すべき作業第一弾のアルバムはもうきまっている。


『SOLAR/John Abercrombie & John Scofield』

現代を代表する二人のジョンの競演、若かりし頃の二人の夢の競演。
二人の個性的なギターサウンドが炸裂する。
なにしろ若い頃の演奏なので、遠慮なし、余裕なしでストレートに
対峙している様が大変すばらしい。

果たして感動的な結末。この作業に成功した喜びとあいまって、
このレコードが大のお気に入りになってしまった。

私は10代の頃から音楽を聴いているので、レコードもCDも数多くあり、
特にビートルズやローリング・ストーンズ、バディ・ガイ、マジック・サム
オーティス・レディングもオーティス・ラッシュも全部レコードだ。
だけど、CDの便利さと、パソコンとの相性などからどうしてもレコードから
遠ざかってしまっていた。

だから、レコード、カセットの音源をパソコンに取り入れるという作業は
私にとっては青春時代への回帰的な意味がある。


まだまだ若い奴にはまけないぜ!
カンバックだ!!(「ハスラー」のポール・ニューマン風に)


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ハードディスク・レコーディング

2012-06-20 15:00:00 | 日記
さて、ネットで配信されるデータの処理方法が確立したところで、
今回はハードディスク・レコーディングというやつに挑戦だ。

なにをかくそう私は10年前までバリバリのMacユーザーだった。
仕事が印刷がらみのデータを扱うものだったし、当時のマックには
愛車のような愛着があった。
なんとMacIIから使い始めて、パワーマック、それからOSXの頃まで
バリバリに使っていたぞ。

その頃のハードディスク・レコーディングといえば、結構ソフトも
高かった。シーケンサーとあわせて10万円以上かかった。
ROMもRAMも現在の標準と比べると格段に性能の低いものではあったが、
かなり本格的なレコーディングができた。
結局、時代の流れにはさからえずそれらの機器はまったく使っていない。
(シーケンサーとかはまだ使えると思うが、なにしろSCSIなので(笑))

いずれにしてもDTM(Desk Top Music)は本物のレコーディングに比べて
絶対的に品質が劣るし、私のような素人が趣味でやるにはあまりにも
時間が足りない。

したがって大げさなレコーディングはあきらめ、現在は家庭用のシーケンス内臓
ソフトを使っている。

「SingerSongWriter」というやつ。

実はこのソフト、私が購入したやつは64bitのマシン(Windows7はほとんどが
今64bitだぞ!)に対応しておらず、XPのマシンで使っている。
でも使いようによってはこれはとてもよいソフトだと思う。ただし私のXP
だとやはりハードディスク・レコーディングとしては無理があるのだ。
せっかく環境を統一しようとしているのにこれではあまり意味がない。

したがって、またもや無料のソフトを探したところ、あった!!!!

Music Studio Producer

実はこのソフトあまり使いこなせていない。
MIDIデータをループさせてギター練習のためのカラオケとして使用するのだが、
いかんせんループの際に音が一瞬途切れてしまい、SingerSongWriterのような
心地よいサウンドが再生できないのである。

それでも無料にしては十分すぎる出来栄え、あっぱれである。
というわけで、このソフトの操作性、感想に関しては後日紹介するとして、
今回のブログの主旨が「コピーのための環境整備」とは大幅にずれている
ことに、たった今気がついた(笑)。

これはコピーとは関係ないぞ!! いかん、いかん…。

というわけで次回は本題にもどろう。
レコード、カセット・テープなどのアナログ音源をデジタル化する方法について
である。こうご期待を。


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