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身軽であること

2010-01-31 12:43:01 | 日記
最近、めっきりブログの更新頻度が減ってしまった。
うれしいことに、いろいろお仕事をいただいて平日は
朝から夜までぶっ通しで働いているので、更新する
時間がなかったのだ。

今日も本当は「やりたいこと」があるのだけど、
思い切って休むことにした。

そして結局はブログを書いている(結局休んでないやん!)

でもひとつ言えることは、このブログを含めて、やっている仕事は、
「やりたくて」やっている、ということだ。

結局、起業してから今まで、休日らしい、休日はほとんど数えるくらい
しかない(貧乏暇なしっていうでしょ、あれ、本当のことですよ)。

それでも自分は義務感でやっているつもりはない。
強いていうなら、「生きていかなきゃいけない」という義務かな…。

悲しい話かも知れないけど、自分は仕事が楽しくてしょうがない、
と思っている(自分のことだけど、正直よくわからん…。)

今は「仕事がなくて、当たり前」の時代だから、
ひとつでも仕事をもらえると、嬉々としてやっている。

会社を大きくすること、社員を沢山雇うことは、正直今の
自分には想像もつかないことだ。
ただ、漠然とこうした個人的な「生きる喜び」を他者を含めた
大きな円環へと拡張してていかなきゃいけないのだろう、とは思っている。

まあ、身軽だからだろうな。
少ない収益を、これは自分の取り分、これは人の取り分とか
考えなきゃいけなくなるのは、決して楽しいことだとはいえない気がする。

実はそのための対策も考えてはいるのだが、それは実現した暁にお話します。
(いつになることやら…)


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差別

2010-01-25 22:34:43 | 日記
今日もよく仕事したなー、と誰もほめてくれる人がいないので、
自分で自分をほめている。

まったく腰がいたくなるほど毎日机に向かっている。
たまには、気晴らしもしなきゃなー、なんて考えていると、
いつの間にか部屋のサッシの前で猫どもがたむろして、一斉に
外を見つめている。
何事かとおもって見てみると、外に置いてあるコンポストの
上でノラ猫がくつろいでいる。



その場所は、ちょうど日がさして暖かいのだろう。


それにしても、家の飼い猫どもは何を思って
彼女(三毛だから、メスだと思う)を見ているのか…。

別に威嚇するわけでもなく、ただめずらしいものをみるように、
まるで映画でも見ているように、じっと4匹そろって彼女を
眺めている。

「自分は温室育ちで、幸せだ」とか、

「彼女は外で大変だなー」とか、

そんなことを考えるはずもない。

吉本新喜劇のチャーリー浜さんがいっていた台詞に

「きみがいて、ぼくがいる」

というのがあったのを思い出した。

たぶん、そんなところだろう。

一体全体、人間だけだよ、自分と他人を比較してどうのこうの
いうのは…。

「派遣切りにあった人はかわいそうだ。」とか、
「自分は幸せだ。」とか。

それ自体が差別だってこと、マスコミも含めて誰も
気がついていないんだよね。


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テレキャスター その2

2010-01-23 12:35:42 | 日記
前回、テレキャスターの話を書いたのだが、
テレキャスターを弾いているギタリストでもっとも重要な人を
忘れていた。

ローリング・ストーンズのキース・リチャーズである。
実はあのテレキャスターを買ったのもキース・リチャーズに
憧れてのことである。

自分がギターを始めたきっかけは、実は寺内タケシさんである。
少年のある日、テレビでかっこよくギターを弾く彼を見て、
とり付かれたようにのめり込んでしまったわけだ。

でも当時のギター少年にとっての憧れの多くは、
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、いわゆる
ヤードバーズの三大ギタリストといわれる人たちだった。
日本人のミュージシャンにもすばらしいギタリストは沢山いた(チャーさんとか)
が当時はロックは日本のミュージックシーンを席巻するようなポピュラーに
はなり得ていなかったわけで、必然、憧れというか、お手本となる人が
海外にしかいなかった。

そんな状況で自分もジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、
それからリッチー・ブラックモア、マイケル・シェンカー、ヴァン・ヘイレン、
はたまた、オジー・オズボーン(ランディー・ローズ)、ゲイリー・ムーア
(うわー、きりがない…)
など、片っ端からコピーしまくっていた。

自分でいうのもなんだが、高校生の頃は自分のギター歴の中でももっとも
テクニシャンだったんじゃないか…。
当然、高校の文化祭にも出て、当時の田舎の高校生が知りもしないような
海外の音楽と驚異的なテクニックを見せ付けたわけだ。

当然、女の子からモテるだろうな、と思っていたら、結果はそうではなかった。
少なくとも、自分の場合は(笑)。

当時の女の子にとっては、ヴァン・ヘイレンよりも俊ちゃんやマッチのほうが
大切だった。今でもそうだと思うが、日本人の女の子に海外の音楽の話を
したところで、それは別世界の話で、誰だって今目の前にあるおいしいものを
拾いたがるものだ。

結局、みんな知っているもの、例えば、たのきんトリオなどの歌を
巧くやればよかったのだが、自分のプライドが許さなかった。

そんなわけでクサクサした、高校生活だった。
ギターなど弾いていても、田舎にいるかぎりは、せいぜい自分ひとりで
部屋にこもって、レコードにあわせてギターを弾いて、ひとりで
悦に入っている、そこを親に見られ気まずい思いをする、という、
これじゃ、自慰行為と大差のない世界なわけで、

「あー、アホくさ。」

と思っていたところ、ある日ラジオから衝撃的なサウンドが流れてきた。
ザ・フーの「Won't Get Fooled Again」である。
これが、すごかった。ギターの早弾きとかテクニック面ばかり追いかけてきた
自分にとって、コードカッティングだけの破壊的なサウンドで
聴いている人をたたき切ってゆく感覚、はたまた、本当にギターを破壊して
しまう、そのサウンドに完全にノックアウトされてしまった。

そんなわけで、ザ・フーのレコードを買いあさっていたわけだが、
彼らも僕が高校生の頃には解散してしまった。
追いかけるものがなくなった気がして、辛かったが、そんな痛みを
いともたやすく吹き飛ばしてくれたバンド、
未だ現役で世界のミュージック・シーンを引っ張っているバンド、
あのビートルズと同世代の大御所バンドがいた。

ローリング・ストーンズである。

大学時代はもっぱらローリング・ストーンズ一色だった。
ちょうど初来日を果たした時期だったので東京ドームに観に行ったしね。

キース・リチャーズは自分のすべてだったと思う。

80年代のバブル全盛の時代、トレンディードラマ、
ポロシャツの襟を立て、チノパンをはいて、テニスラケット片手に
女の子とカクテル・バーに行く、というそんな時代に自分は
細いジーパン、Tシャツの上にジャケットをはおり、
ポケットに片手を突っ込み、もう片手にはタバコをもち、
ヨタヨタとバックビートで歩く、という文字通りヨタ公のようなことを
やっていた。

ギターをもてば、まず最初に鏡の前でポーズを確認する。
テクニックなんか二の次だった。

自分がサラリーマンになるなんて考えられなかったし、
なによりもトレンディーな連中と職場をともにするということが
耐えられないと思っていた。

そういう思いのこもったギター。

要するにモテない男のひがみ根性のこもったギターである(笑)。


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ギター:テレキャスター

2010-01-22 16:33:04 | 日記
今日は私が愛用しているもう1本のギターを紹介する。



これももう20年近く使っている、Fenderの52年製のテレキャスター。

ピックガードは革製で、これは今を時めくブルース・ギタリスト、
Dr. 森(森辰二郎)のハンドメイドである。

彼自身、素晴らしいギタリストなのだが、ギターという楽器の歴史にも詳しく、
また、うらやましいことに、かのオーティス・ラッシュが来日された時、
2回ほどギター雑誌のインタビュアーを担当した人だ。
もちろん、ブルースの歴史にも造詣が深く、また自分でギターを改造したり、
オリジナルのギターを作ってしまうなど、私からすればマニアックすぎて
ついていけないが、もう15年以上の付き合いがある。

(彼の活動については、彼自身のブログに詳しい、一度ご覧下さい。)
M's Blues 森辰二郎のブログ

ちなみに購入時はフロントのピックアップにリミッターがかかっていたのだが、
それがわずらわしいので、ついでにその配線も調整していただいた。

テレキャスターのよいところはブライトだが粘りのあるサウンド、
そしてバランスの良さだと思う。
曲に応じてピックアップを変えたりしながら、どんな曲にも対応できる。
しかもそこにサウンド的妥協が一切必要ないところがいい。

ただテレキャスターを弾いている人で有名な人があまり思い浮かばない。
リズム&ブルースのスティーブ・クロッパー、ロックでは仲井戸麗市、
ジャズではマイク・スターンくらいかな…。

要するにいろんなジャンルに対応できるので、私のような「何でも屋」には
ちょうどいいのかも知れない。

楽器の面白いところは、その1本、1本が同じ種類でも全く違う音がすることだ。
やっぱり高い値段のついたギターを弾かせてもらうといい音がするし、
またミュージシャンによっても「なり」が全然ちがう。

ちなみに、私が演奏したものの録音を聴くと、なんかどのギターを弾いても
同じような音になってしまって、

「この時はどのギターを使ったっけ??」

と自分でもわからなくなる時がある。

これを個性というのか、それともただ不器用なだけなのか、どっちだろう…。


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集中

2010-01-19 16:37:12 | 日記
普段、仕事の時はCDかラジオをかけっぱなしにしている。

実はこれには理由がある。
パソコンで文書のレイアウトを編集したり、調整したりという(いわゆるDTP)
作業をしていると、頭が真っ白になるというか、空白ができるというか、
手は一生懸命動かしていて、作業に集中はしているのだけど、
頭では何か別のことを考えているわけで、うまく表現できないけど、
例えば車を運転している時に、人はそれだけに集中しているわけではないと思う。

「次はウインカーをださなきゃ。」

とか、

「ハンドルを45度きって、つぎに徐々にアクセルを踏んで
加速していく」

とか考えてやっている人いないでしょ?

半ば無意識に動いているはず。(もし、すべて意識してやっている人が
いたら、そんな人の助手席に乗るのは絶対やだ!)

これは翻訳とか、文章内容のチェックとかにはないことだ。

そしてそういう時にかぎって、古い記憶がよみがえって来る。
それも、つらい思いをした時のこととか、はずかしい思いとか、
いやなことばかり考えてしまう。
ついつい、自分で気まずくなって、独り言をいっている。
(みなさんは、そんなことないですか?)

今日もついつい、以前勤めていた職場でのいやな出来事のことを思い出して、
クサクサした気持ちで仕事をしていた。
そしてそういう思いに囚われてしまうと、なかなか切り替えられない。

集中している時に限って、いやな思いがよみがえってくるものなのだ。
だからへんな事を考えないように(笑)音楽を流しっぱなしにしているわけだ。


結局、途中で、飼い猫が甘えてきたので、それっきりそんな気持ちも
どっかに飛んでいっちゃったけどね。

要はその程度なのだと思う。
どんなにいやな思い出も、たかが猫一匹のかわいさに吹き飛んでしまうものだ。

結局、過去の記憶は、どんなことも、フッと拭けば飛んでいってしまうような
過去の出来事にすぎない。

そう思ってやり過ごすしかないのかな…。

そういう自分は最近は、ご飯を食べながらバックに流れているテレビやラジオに
「つっこみ」を入れているらしい(妻に指摘されて初めて気がついた)…。

これはご飯を食べることに「集中していない」証拠である。


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