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アルチュール・ランボー

2011-04-12 18:17:43 | 日記
最近自分の書棚をひっかきまわしていたら、


『ランボー全集』(金子光晴、斎藤正二、中村徳泰共訳)

がでてきた。

学生の頃に入手したものだが、ランボーなど長いこと読んでなかったな。

今読み返してみると、まるでダイヤモンドの原石を手にしているような気持ちになった。
「イルミナシオン」にしても、友人や親戚にあてた手紙を読んでも、ギラギラした言葉の
かたまりを投げつけられているようで、ひたすらすごいと思った。

アルチュール・ランボー(アルコール中毒の乱暴者ではない(笑))は、
精神錯乱によって未開の地に足を踏み入れようとした。

17歳にして、文壇にセンセーションを巻き起こし、天才の名をほしいままにしたが、
文壇を滅茶苦茶にして、ヴェルレーヌとともに国外逃亡、最後は武器商人として
アラビアの地を放浪。マラルメをして「風の靴を履いた男」といわしめたが、
そんな彼もようやく故郷にもどった時は瀕死の状態で片足をうしなっていた。

彼のような灼熱地獄のような生涯はのぞむべくもないけど、
私にとって、彼は永遠のヒーローである。

未開の地を踏破するということへの憧れ。

ランボーというと、ヴェルレーヌとのホモセクシャルな関係とか、
奇抜で破天荒な行動ばかりがクローズアップされることが多いが、
本当にかなしいことだ。

以前、『太陽にそむいて』というディカプリオ主演の映画があったが、
あれは実にくだらん代物だ。
大体、フランス人なのに英語でしゃべっているし、一編たりとも詩を紹介していない。

イブ・ボンフォアが「ランボーの詩に立ち返える」ことを提唱していたが、
今、フランスではどうなんだろう。私がランボーを読みふけったのは、
もう何十年も前の話なので、とんと見当がつかない。

少なくとも今の日本では、いまだにゴシップや「表面的な」情報ばかりが
溢れている。それで世の中が動いていると錯覚しているから性質が悪い。

こんな状況下においてすら、政治家は「世論」ばかりを気にしている。
それじゃ、くだらない映画を見て、詩人のことがわかった気になっている
奴らと大差ないじゃん。

自分の思考の範疇にない情報を排除してしまうのが人間の性質らしい。

しかし、自分の視野を、感覚を拡張して未開の地を歩んでゆくためには
精神錯乱とはいわないまでも、ある種の混乱は大切なプロセスである。

古き良き、そして伝統的な精神風土は守ってゆくべきと思うが、
それは細分化と拡張によって常に求心的に、そして遠心的に流動してゆく
べきであり、それは決して「形骸化」することではあり得ない。

混乱というプロセスを経てこそ、われわれは新たに統合された世界観を
見出すことができると考える。それは「理屈」ではなく「直観的」な理解だと思う。

必ずいつか新しい世界が見えてくると信じたい。


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